いやあ、10周年ということもあってか今回のメジコレ、いつもの数倍はいるのではないかという人波で、満員御礼でした。特に二日目は普段ならひっそりとした雰囲気なんですが、多い時で5人ほどのお客さんがブースを埋めていて、今回は前日の飲み会疲れからウトウト昼寝する余裕もない忙しさでしたね。御来場ありがとうございました。さて。今回何を買ったかというと、これ。明治期の万古の急須です。秦秀雄が著作で何度も絶賛していたもので、恐らくこのエッセイが書かれた昭和30年から40年代でさえもうなかなか手に入ることは無かったのでしょう。氏はこう記しています。 「そのたやすく買えた急須が、ここ10年くらい、まったく気づかない間に急激に異常な変化をきたしはじめてきた。 割れて代りを求めようとしても全く代わりのものが買えなくなってきたのである。方々たんねんにさがし求めても、 わずか十数年前にいくらでもあった急須が買うことができない。(中略)私は今更ながらに凡々の万古の急須に懐古の情をもよおしはじめたのである。旅のついでに田舎の道具屋、場末の骨董屋、それからそんなことを話せばすぐにも通じる骨董好きに依頼して古い急須をさがしだした。」 『見捨てがたきもの』より この代替品として秦山の急須が見いだされたのだと思います。つまり今から40年から50年程前には枯渇していた雑器、今更探して見つかるわけもなく、何年も探して全く出会えなかったので諦めかけていました。 ところが、オープンする前に会場をふらりと歩いていると、とあるブースの真ん前に山となって積まれたこの急須があるじゃないですか!1個ではなく、9個も!それがまたものすごいホコリまみれになっていて、蓋を取ると中は真っ黒。触った手も真っ黒!蔵か倉庫の片隅に未使用のデッドストックで残ってたんでしょうね。これには大興奮!思わず 「これ、とっといてください」の声が喉元まで出かかったのですが、開場前の業者間取引は厳禁。見つかると則退場のため、ここは涙を呑んで、「誰かに見られたら蛙のようにじっとしているんだよ」と、声をかけ・・・・ ませんでした。というのも、ここは場末の骨董市ではなく、メジコレ。こんな小汚いモノは絶対に売れないだろうという自信があったのです。 そうこうするうちに開場。ドっと人々が走り込み、会場は人波の中に浸りました。僕はと言えばしっかりと正業をこなして、人波が引いた数時間後にまた急須達に逢いに行きました。結果はこの通り。一個も売れずに残ってました。恐らく2日目の17時まで待っても同じ結果だったでしょう。ちなみに今回、秦山の急須が出てましたがそちらはあっという間に売れてましたね。この間の勝見さんのイベントでも始まってから一瞬で売り切れており、昨今の秦山人気の高さがわかります。でも、僕としては代用品としての現代作家作品ではなく、明治の無名の雑器の方が欲しかった。値段はなんと秦山の急須一個の40分の一から50分の一。いやあ、作家物は高い!明治期に月産10万個以上作られていた大安物の雑器。汽車土瓶に毛が生えたくらいの急須は当時もこのくらいの値段だったのでしょう。迷わず、「全部ください」と、落掌。 家に帰って疲れも忘れて、ゴシゴシ洗うと、真っ黒な汚れの中から姿を現した肌や形はどれもバラバラ。ちなみに蓋もバラバラ。合う物もありますが、合わないものもある。幸い蓋が余分に4こほどあったので全部に行きわたりました。よく見るとつまみの形も微妙に全部違う。取っ手のポンスで開けた桜の細工もそれぞれ。秦さんの本によれば「明治や大正には天然自然の土のまんま正直に焼き上げた。紫がかり、茶色がかり、その色彩は一定しない」とのこと。面白いことに口先から針金が出ている。なんだろうと思うと、ちゃんとポンスで開けた茶こしがあるのだが、その上からまた木綿と針金でできたフィルターがつけてあるのだ。おそらく細かい茶の粉を漉しとるためだろう。未使用のこれが詰まったブリキの缶もセットでした。 この缶を見ても明治から下っても大正時代なのがすぐにわかる。さすがに秦さんの本のように黒々と輝いてはいないが、これはこれでデッドストックのブルージンーンズのように味付けする楽しみがあるというもの。毎日使っていれば数年で艶々と輝くのは間違いないでしょう。さて、最後は秦さんの文章で〆るとしましょうか。 「古万古以来140年経って人知技巧を洗い捨て、名工名作なんぞの所製品や、いらざる功名心をいっさいなくしたところに万古の急須が生気を帯びてきた。明治の安物万古の急須はこしらえたものでなく、自然に生まれ出たといっていい明治の焼き物の見事な開花であった。しかも使えば使うに従って変貌し、漆を塗ったように見事に光り輝いてくる。十年常用して万古は万古の面目を発揮し、日用品が絶妙の美術品としてよみがえる。安物、下手物の急須の内包する価値は、けっして世にいう名のある名陶、名品の作品に劣るものではないことを信ずるのである」 「見捨てがたきもの」より。 |
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