犬の眼に、星。

「豚に真珠、馬の耳に念仏、蛙の面に小便、犬の眼に星」 辻潤著作集より

骨董論・技術論

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 初源伊万里を知るには最末期の唐津を知らなければならないだろう。そして、最近手に入れたこの絵唐津の小皿こそが僕の知りうるうえで最末期の唐津焼だと思われる。さて、その根拠は?

こちらの記事を再び参考に。

過去と未来。初源伊万里と草創期伊万里
http://blogs.yahoo.co.jp/ziprockers/10972851.html



 唐津と伊万里の違いを隔てるのは磁土や釉薬だけではなく、窯道具の使用方法が大きな基準点となっていたはずだ。胎土目積→砂目積へと進み、さらに釉剥ぎと砂目積の併用、そして団子状だった砂目が高台全体に散らばっていき、大粒の珪石へと変化していく。この変化の中で多くの資料が釉剥ぎと団子状の砂目積の併用の段階で草創期伊万里が生まれたことを示している。とすれば、上記の絵唐津のサンプルは明らかに草創期伊万里の手法を踏まえつつ、さらに、団子状の砂目ではなく、均一に砂を高台に付着させるという草創期伊万里の後期に見られる進んだ技法を唐津焼に使用していることになる。つまり、草創期伊万里の技法で焼かれた絵唐津だ。ということは、明らかに草創期伊万里の技術を取り込みつつ、同時期に焼かれた最末期、いや、最先端の唐津焼だと言えないだろうか?


それにしてもこの皿を見ていると・・・・・

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 一見、上に挙げた江戸初期の雑器の志野織部の皿を彷彿とさせるデザインだと気が付く。釉剥ぎがあるため東南アジアのものか、くらわんかのようにも見える。そして唐津とは言えど、妙な違和感を与える独特な釉薬の調子と鉄絵。でもどこかで見たことがあるような・・・・・

思い出した! 木原茶碗だ!!

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答えを明かせば、この皿の出土地は平戸系古窯の地蔵平窯らしい。ということは木原茶碗の系統になり、この独特のわずかにグリーンがかった釉薬と鉄絵の発色も納得できる。地蔵平窯の稼動時期は下記リンク先の森川さんのブログに掲載された現地の看板でわかる。

http://blogs.yahoo.co.jp/moriei8503/GALLERY/show_image.html?id=36117361&no=2

>元和三年(1617年)頃、葦の本窯、柳の本窯より適地を求めて移動した。焼製品は主として土もの(唐津手)で皿類が圧倒的に多くみられ、他茶碗、飯椀の粉引手、絵唐津手のものも多数出土する。又、磁器焼成を試みた極く初期の物も見られ、6〜7寸程の皿、飯椀、ぐい呑み等と併せて、半磁器や刷毛目の小皿、飯椀に木原茶出し等が焼成されている。又、庵の横窯跡付近からは渡来人と思われる大陸式の寝棺も出土している。


 おそらくこの説明文にある「絵唐津手のもの」と言われるのがこの皿なのだろう。元和年間稼働なら志野織部とのデザインの類似も納得できる。古来からの大陸との繋がりも含め、どのような技術的な推移の痕跡が堆積しているのか、物原が気になるところだ。何より、「磁器焼成を試みた極く初期の物も見られ、6〜7寸程の皿、飯椀、ぐい呑み等」とあり、いったいどんな姿形のぐい呑みなのか、頭の中でイメージは膨らむばかり。さて、どなたか地蔵平窯のこの手のぐい呑み、お持ちではないだろうか?

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 いやあ、ほんと忙しくてブログを更新できず、すいません。新年の挨拶もだいぶ遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いします!年賀状代わりに、去年のお楽しみ写真をいろいろ。



古唐津盃(6.5センチ×3.1センチ)、古伊万里徳利(13センチ×6.7センチ)。
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有名な上に馬鹿高い図録(この徳利よりも高い!)に同手が載っていると、つい、買ってしまう。まあ、ただ「御酒入」と書かれただけのお神酒徳利なんだけど、瀬良さんや秦さんの眼が好きなんだろうなあ。この図録のものよりも文字の走り方や呉須の色はいいと思うんだけど、どうだろう?
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ある日の食卓。
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古伊万里徳利、絵唐津向付にあん胆、初期伊万里白磁盃(7センチ×4センチ)
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初期伊万里にオープンサンド。パンは友人の作った天然酵母パン。
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乾山の色絵皿に西京焼。
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山茶碗に菜の花の和え物。
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幕末の織部古皿に浅漬け。
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古窯陶片に枝豆ジャーキー、古伊万里徳利、古染付捻子盃。
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鎧茶碗にふのりと鶏団子のお味噌汁。
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色絵のくらわんかに小松菜とお揚げの胡麻和え。
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古染付捻子盃
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鼠志野の向付に冬瓜と鶏肉の煮物。
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古九谷の市松門角皿他いろいろ。
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くらわんかの皿にサラダ。
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志野織部の輪線文茶碗にかやくご飯。
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古窯陶片にハタハタ一夜干。
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古伊万里の膾皿に煮物。
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嫁さんの作った栗外郎とお茶。
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真夏の酒器と、食器。

 毎年この季節になると溜まりにたまった和本や古画の整理ついでに曝涼でもしようかと思うのだが、暑気にやられて重い腰を上げることができない。知り合いからは虫害の話などを何度も聞かされて、いつかはうちも気がつけば窓ガラスにびっしり羽化した羽虫が・・・・  なんて考えることもないではないが、京都でたっぷり買ってきた鳩居堂の除虫香も入れてあることだし、今のところは大丈夫だろう。確実を期すなら買ってきた和本を片っ端から電子レンジでチンすればいいのだが、これもとある教授がやって発火して火事になりそうになったと書いていて、ちょっと、やれずにいる。それよりも、その教授、チンした紙魚を食べると美味いと書いているのだが、ホントなのだろうか?


 おっと、話がずれてしまった。

 暑気払いの話を書こうとしていたのだ。クーラーもない往時は真夏の暑気払いに酒器や食器を吟味したのだろう。少しでも涼味を盛りたてようと、染付や和ガラスが使われたに違いない。そんなことをぼんやり考えながら、日々の酒器や食器の道具組を考えている。どうかこのささやかな試みが、木陰に吹き込む一陣の涼風のように、暑気に倦んだ気持ちを晴らしてくれればいいのだが・・・・  さて、どうだろう?



初期伊万里辰砂染付輪線文徳利に和ガラス盃(幕末から明治時代)
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三島の鉢に素麺、幕末の織部の小皿に胡麻豆腐、古伊万里氷裂文コロ茶碗にめんつゆ。
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常滑古窯陶片に刺身。
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鯵の混ぜ寿司。器は田鶴浜守人さん。
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古染付の大皿に胡麻だれ冷やし中華。
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剣先コップに梅酒、古染付の皿に鰹のたたき。κ疹討領寨釉の小皿にポン酢。取皿は廬山主人作。
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大正時代くらいの吹き墨の豆皿にナスの浅漬け。
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初期伊万里の皿に夏野菜とあげのオイスターソース炒め。
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くらわんかの7寸皿に鰹のタタキ。
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いただきまーす。 さあ、召し上がれ。 

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 雨の日も、風の日も、温かい日も、哀しい日も、愉しい日も、喜ばしい日も、苦しい日も・・・・  ただ、静かに、花を活ける様に、料理を作り、盛り、そして食してきた。おそらく、ほとんどの人は3日前の昼に自分が何を食べたのか、5日前の夕飯に何を食べたのか、はっきりと覚えてはいないだろう。ましてその食事がどんな器に盛られていたのか、記憶している人はずっと少ないだろう。料理と器が、花とその花器のように美しい物ならば、食卓の上でほんの一時だけ開き、消えていく儚い物として、人々は忘れないだろう。



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