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この虎の威を借るのように、助長や、馬鹿など本来の故事とはいささか異なった意味で日本語として使用されているシナの故事はけっこうあるようですね。まあ英語でもそのような現象があるゆえ(ローマ語より)こうした現象が言葉の成立しなる見方をすることも一興かもしれませんが。
2012/8/16(木) 午後 2:07 [ 彩帆好男 ]
あ、来て下さり、感謝します! 「助長」の由来は知りませんが、「馬鹿」の由来は確かに現在使われているのとは意味が違いますね。 「呉越同舟」とか、「先ず隗より始めよ」とかもその類のようで。 英語やラテン語の故事成語だか、諺の方は、あんまり知らないですね(^^;)。
2012/8/16(木) 午後 10:39
>2012/8/17(金) 午前 0:48・2012/8/17(金) 午前 1:19の内緒さん どうも御待たせしました。 >この三閭と子常を出した囊(どう)氏の関係はどうなのでしょうか?家格とか。 >囊氏も楚王室の流れで、一時はその権勢並ぶものなきで飛ぶ鳥を落とす勢いだったようですが…。 やっぱり単純に考えて、成立からの歴史の古さから、家格は三閭の方がずっと上なんじゃないですかね? 嚢氏の氏祖って、楚共王の令尹(宰相)を務めた公子貞(子嚢)ですから。 子嚢は楚穆王か楚荘王の公子ですから、それより何百年も前に枝分かれした三閭の方が、王族として格上じゃないでしょうか? しかも嚢氏は氏祖である子嚢の孫の嚢瓦(子常)の代で滅んだ訳ですよね。 呉軍との「柏挙の戦い」で、孫武の作戦に敗れ去って討死しちゃって。人徳がなくて恨みを大層買ってたようですし。 三閭はそれ以降も続いたのですから、やはり三閭の方が上でしょう。
2012/8/18(土) 午後 7:42
魯で言えば権勢こそ三桓氏でしたが、それよりも成立以来の歴史の古い家系の公族大夫がいたでしょうし。 斉(姜斉)で言えば国・高よりもずっとずっと古い、崔杼の崔氏みたいな存在が。 >それとも三閭は戦国時代まで生き残った権門なのでしょうか?晋の六卿みたいに熾烈な権力闘争の結果ですか? そこはどうもよく判りませんね。史書に詳しく書かれてないので。 それに晋ほどの熾烈な権力闘争はなかったと思いますが。 晋と後は斉の大夫同士の権力闘争ぶりは、極端に激しく感じますね。 ガッカリさせて申し訳ないですが、三閭につていは史料が乏し過ぎますね。 三閭の三氏の歴代当主とか、それらの歴史とか、不詳な点だらけです。
2012/8/18(土) 午後 7:43
江乙という人物が、楚に入り込んだ目的が、最初からスパイとしてきたということも考えられますね。だとしたら、昭奚恤は潰すべき標的だったかもしれませんね。 それにしても、この虎の威を借るの喩え話はよくできてますね。 昭奚恤は、前回の話で、鎌をかけられたことにすぐに気づく様子などからも、人物としては、賢いし、人格もそんなに悪くはないような感じは受けましたが、この話から察すると、優秀で立派な人物のようですね。
2012/10/26(金) 午後 11:14 [ さざんか ]
恐らくは江乙は魏の間諜だったのでしょう。 この他にも楚宣王に対して、昭奚恤の事を悪く言い触らしてたみたいですから。 昭奚恤に関する逸話は、この他にはよく知らないのですが、有能な宰相だったようです。 それに名門の出だったので、信頼も厚かったのではないかと思われます。楚宣王は些か疑心暗鬼に駆られたようですが。 この故事成語は弁舌の達者な江乙が、この朝議の場で咄嗟に捻り出したものなのかどうかまでは分かりませんが、悪知恵が働く人間だったのでしょう。 同じように、弁舌の達者な人間によって考え出された比喩が元で生まれた故事成語に、「蛇足」もあります。 「余計な事、不必要な物事」という意味の比喩として、現代でも使われてますね。
2012/10/28(日) 午前 0:31
間諜として国の内部に入り込むというのは、それなりに勇気がいることでしょうし、よほど有能でないと出来ないことですから、それなりに大した人物だったのでしょうね。 蛇足もそうですか、たしかにこの故事はいかにも譬喩話のようですものね。 しかしどちらも、すぐに意味がわかり易い成語で、ほんとによくできてますね。
2012/11/6(火) 午前 1:53 [ さざんか ]
善悪は別として、少なくとも江乙は有能だったのでしょう。でないと一国の君主に上手く取り入る事は出来ないでしょうから。 それに無能な人間にスパイなんて困難な仕事は務まりませんし。 それで、さざんかさんが上で言われた事・・・・ >昭奚恤は、前回の話で、鎌をかけられたことにすぐに気づく様子などからも、人物としては、賢いし、人格もそんなに悪くはないような感じは受けましたが、この話から察すると、優秀で立派な人物のようですね。 これに関する逸話を『韓非子』の中から見付けました。 昭奚恤が執政していたある時に、米蔵や秣小屋が放火される事件が起こったそうです。 当初は誰の犯行かは分からなかったのですが、そこで昭奚恤はヤマを張りました。 屋根を葺く為の茅を売る商人を捕えて調べるよう、官吏に命令しました。 その結果、その茅商人の犯行だった事が判明したというのです。 つまり推理小説の鉄則にもあるように、「その犯行で最も利益を得た者が犯人だ。」を地で行ったのですが。 だからやはり賢明な人物だったようです。
2012/11/7(水) 午後 1:41
なるほど、今は推理小説などで、よくある推理ですが、昔は、それを自分の中で推理して山を張るというのは、すごいことですよね。 きっと冷静で偏らない目を持っていたのでしょうね。そして又、この人はそういうバランスのとれた平等な目というか、偏執的ではない性格の人だったのではないかという気がします。イメージとしては。
2012/11/11(日) 午後 10:11 [ さざんか ]
かも知れません。ただこの昭奚恤という人物の逸話がほとんどなくて、人物像がどうにも把握しづらいですね。 記事内でも語りましたように、例え楚王の後ろ楯があっての事とはいえ、北方の諸侯たちがそれなりに一目置いて警戒していたというのですから、優れた手腕と見識と聡明さを併せ持っていたとみていいかと思います。 そして多分、人格的にも悪人ではなかったと思います。
2012/11/12(月) 午後 3:51
そんな気がしますね。
2012/11/20(火) 午後 9:19 [ さざんか ]
ですね(^^)。
2012/11/22(木) 午前 11:05
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この虎の威を借るのように、助長や、馬鹿など本来の故事とはいささか異なった意味で日本語として使用されているシナの故事はけっこうあるようですね。まあ英語でもそのような現象があるゆえ(ローマ語より)こうした現象が言葉の成立しなる見方をすることも一興かもしれませんが。
2012/8/16(木) 午後 2:07 [ 彩帆好男 ]
あ、来て下さり、感謝します!
「助長」の由来は知りませんが、「馬鹿」の由来は確かに現在使われているのとは意味が違いますね。
「呉越同舟」とか、「先ず隗より始めよ」とかもその類のようで。
英語やラテン語の故事成語だか、諺の方は、あんまり知らないですね(^^;)。
2012/8/16(木) 午後 10:39
>2012/8/17(金) 午前 0:48・2012/8/17(金) 午前 1:19の内緒さん
どうも御待たせしました。
>この三閭と子常を出した囊(どう)氏の関係はどうなのでしょうか?家格とか。
>囊氏も楚王室の流れで、一時はその権勢並ぶものなきで飛ぶ鳥を落とす勢いだったようですが…。
やっぱり単純に考えて、成立からの歴史の古さから、家格は三閭の方がずっと上なんじゃないですかね?
嚢氏の氏祖って、楚共王の令尹(宰相)を務めた公子貞(子嚢)ですから。
子嚢は楚穆王か楚荘王の公子ですから、それより何百年も前に枝分かれした三閭の方が、王族として格上じゃないでしょうか?
しかも嚢氏は氏祖である子嚢の孫の嚢瓦(子常)の代で滅んだ訳ですよね。
呉軍との「柏挙の戦い」で、孫武の作戦に敗れ去って討死しちゃって。人徳がなくて恨みを大層買ってたようですし。
三閭はそれ以降も続いたのですから、やはり三閭の方が上でしょう。
2012/8/18(土) 午後 7:42
魯で言えば権勢こそ三桓氏でしたが、それよりも成立以来の歴史の古い家系の公族大夫がいたでしょうし。
斉(姜斉)で言えば国・高よりもずっとずっと古い、崔杼の崔氏みたいな存在が。
>それとも三閭は戦国時代まで生き残った権門なのでしょうか?晋の六卿みたいに熾烈な権力闘争の結果ですか?
そこはどうもよく判りませんね。史書に詳しく書かれてないので。
それに晋ほどの熾烈な権力闘争はなかったと思いますが。
晋と後は斉の大夫同士の権力闘争ぶりは、極端に激しく感じますね。
ガッカリさせて申し訳ないですが、三閭につていは史料が乏し過ぎますね。
三閭の三氏の歴代当主とか、それらの歴史とか、不詳な点だらけです。
2012/8/18(土) 午後 7:43
江乙という人物が、楚に入り込んだ目的が、最初からスパイとしてきたということも考えられますね。だとしたら、昭奚恤は潰すべき標的だったかもしれませんね。
それにしても、この虎の威を借るの喩え話はよくできてますね。
昭奚恤は、前回の話で、鎌をかけられたことにすぐに気づく様子などからも、人物としては、賢いし、人格もそんなに悪くはないような感じは受けましたが、この話から察すると、優秀で立派な人物のようですね。
2012/10/26(金) 午後 11:14 [ さざんか ]
恐らくは江乙は魏の間諜だったのでしょう。
この他にも楚宣王に対して、昭奚恤の事を悪く言い触らしてたみたいですから。
昭奚恤に関する逸話は、この他にはよく知らないのですが、有能な宰相だったようです。
それに名門の出だったので、信頼も厚かったのではないかと思われます。楚宣王は些か疑心暗鬼に駆られたようですが。
この故事成語は弁舌の達者な江乙が、この朝議の場で咄嗟に捻り出したものなのかどうかまでは分かりませんが、悪知恵が働く人間だったのでしょう。
同じように、弁舌の達者な人間によって考え出された比喩が元で生まれた故事成語に、「蛇足」もあります。
「余計な事、不必要な物事」という意味の比喩として、現代でも使われてますね。
2012/10/28(日) 午前 0:31
間諜として国の内部に入り込むというのは、それなりに勇気がいることでしょうし、よほど有能でないと出来ないことですから、それなりに大した人物だったのでしょうね。
蛇足もそうですか、たしかにこの故事はいかにも譬喩話のようですものね。
しかしどちらも、すぐに意味がわかり易い成語で、ほんとによくできてますね。
2012/11/6(火) 午前 1:53 [ さざんか ]
善悪は別として、少なくとも江乙は有能だったのでしょう。でないと一国の君主に上手く取り入る事は出来ないでしょうから。
それに無能な人間にスパイなんて困難な仕事は務まりませんし。
それで、さざんかさんが上で言われた事・・・・
>昭奚恤は、前回の話で、鎌をかけられたことにすぐに気づく様子などからも、人物としては、賢いし、人格もそんなに悪くはないような感じは受けましたが、この話から察すると、優秀で立派な人物のようですね。
これに関する逸話を『韓非子』の中から見付けました。
昭奚恤が執政していたある時に、米蔵や秣小屋が放火される事件が起こったそうです。
当初は誰の犯行かは分からなかったのですが、そこで昭奚恤はヤマを張りました。
屋根を葺く為の茅を売る商人を捕えて調べるよう、官吏に命令しました。
その結果、その茅商人の犯行だった事が判明したというのです。
つまり推理小説の鉄則にもあるように、「その犯行で最も利益を得た者が犯人だ。」を地で行ったのですが。
だからやはり賢明な人物だったようです。
2012/11/7(水) 午後 1:41
なるほど、今は推理小説などで、よくある推理ですが、昔は、それを自分の中で推理して山を張るというのは、すごいことですよね。
きっと冷静で偏らない目を持っていたのでしょうね。そして又、この人はそういうバランスのとれた平等な目というか、偏執的ではない性格の人だったのではないかという気がします。イメージとしては。
2012/11/11(日) 午後 10:11 [ さざんか ]
かも知れません。ただこの昭奚恤という人物の逸話がほとんどなくて、人物像がどうにも把握しづらいですね。
記事内でも語りましたように、例え楚王の後ろ楯があっての事とはいえ、北方の諸侯たちがそれなりに一目置いて警戒していたというのですから、優れた手腕と見識と聡明さを併せ持っていたとみていいかと思います。
そして多分、人格的にも悪人ではなかったと思います。
2012/11/12(月) 午後 3:51
そんな気がしますね。
2012/11/20(火) 午後 9:19 [ さざんか ]
ですね(^^)。
2012/11/22(木) 午前 11:05