| この一節では彼我の間に、隔絶的とも言える程の力の差がない限りは、敵を必要以上に追い詰める事を固く戒めている。 |
| 何故なら「窮鼠猫を噛む」という諺の通り、生物の生存本能として逃走路を完全に断たれたとなれば、どんな力の弱い者でも覚悟を決めたり、又は自暴自棄ともなって必死の抵抗を見せる。 |
| 後がなくなったと知れば誰もが死に物狂いとなり、普段では決して考えられないような恐るべき力を発揮し、本来力の上回る相手でも思わぬ不覚を取りかねない。 |
| 死を覚悟した敵程、恐ろしく厄介な敵はない。そうなれば追い詰めて優勢な立場にいる側だって、無傷では済まなくなる確率が高まる。 |
| そのような状態となった敵には、例え勝てたにしても多少の犠牲を払う結果になりがちである。 |
| そのような無益な損耗を避ける為に、圧倒的な力の差や何らかの必然性でもない限りは、決して「窮鼠猫を噛む」と言った状況にまで追い込むべきではないのである。 |
| 尤も【第二八計 上屋抽梯】では、そういった性質を逆手に取って、敢えて自身の手で退路を断ち、自軍全員に決死の覚悟を引き出させ、爆発的な力を発揮させるという運用法もある。この事は【第二八計 上屋抽梯】の概要で詳しく述べる。 |
| この欲擒姑縦策での運用法は、例え包囲陣を築いたりして敵を追い込んでも、適度に逃げ道を塞がないでおけば、敵も精神的に死に物狂いとはなり難く、逃げる事を意識しがちとなり、気勢が削がれて行く。 |
| そうする事で敵の精神状態を危険なまでに追い込む事なく、適度にガス抜きをさせる。そうして敵が逃げるに任せる。一先ずは敵を逃走させて追撃するのだが、急追は避けて着かず離れずの適度な距離を保つ。 |
| そしてほとぼりが冷めて敵の緊張感が緩み、体力・気力が低下し、兵力・戦力が分散して行くのをひたすら待つ。 |
| そうして頃合だと見計らったら、攻撃を仕掛けるのである。そして敵が「窮寇」と化しそうなら、再び同様にする。 |
| これを何度か繰り返して行く内に、敵は次々に力や気勢を削がれて行き、遂には無力化する。 |
| このようにすれば自軍の損害をゼロ、若しくは最小限に抑えられながら勝利出来る。最良の場合には敵味方共に無傷のまま終わらせる事も可能となる。 |
| 故にこれは決して「無条件に敵を逃がす」「敵を徒に放置する」といった無責任、無為無策の類ではない。 |
| 以上の事からこの計略は、【第二二計 関門捉賊】とは丁度運用が正反対となる。 |
| 関門捉賊策では一旦相手を追い詰めたら、決して退路など与えず、一気に殲滅して、確実に息の根を止めるのが趣旨であるから。 |
| 適度に放ってから徐々に仕留めて行くか(欲擒姑縦)、一気に止めを刺すか(関門捉賊)、どちらの路線を選択するかは、状況や彼我の戦力差を十分に考慮した上で判断する。 |
| 戦力差がさほど大きな開きもなかったり、その場でどうしても決着を着けねばならない必然性でもない限りは前者を選択し、彼我の戦力差が圧倒的だったり、その場で止めを刺さねば、後々取り返しの付かない事になると思われる場合は後者を選択する。 |
| 尚この欲擒姑縦策の運用は、軍事上に限らずあらゆる面でも応用可能である。 |
| 「天の時を待つ」とでも言うか、その時では何をしても決して上手くは行かないという時があり、そういう時は下手に足掻いたり強行するのは止めて、暫くはそれから離れる。 |
| そして時勢や客観情勢が好転するのを待ってから再開するのである。 |
| 以下に何点か具体例を挙げてみる。 |
こうした先哲の知恵を学ばず自ら陥穽に下ったのが項羽でしたね。名称は退路をあけて無駄な血を双方に流さないというのは未だに学ばれていないような現象ではありますが。
2012/9/10(月) 午後 5:20 [ 彩帆好男 ]
項羽は良くも悪くもせっかち過ぎたと思いますね。だから辛抱強い劉邦に敗れたのでしょう。
秦を滅ぼした時点で行き方を変えるべきだったと思うのですが。
この「囲師を闕く」と同じ趣旨を、あのマキアヴェリもどこかで述べたそうです。
この発想が未だ学ばれてない要因は何かよく分かりません。
将に当たる人物に、人徳がないせいなのか?それとも他に要因があるのか?
2012/9/12(水) 午前 9:04