YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第二四計 仮道伐虢

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承前  故事其之壹 ─ 乙





 ♜ 周宗室と姫姓諸侯の系統

 以上語った血統を、系図で以下のように纏めてみる。「⇒⇒⇒」は「親から子へ」「先祖から子孫へ」。



1.古公亶父⇒⇒⇒2


2.太伯(呉を建国。死後に次弟の虞仲が呉を継ぐ。)
2.虞仲⇒⇒⇒子孫は呉と虞を継ぐ。
2.季歴⇒⇒⇒3


3.姫昌(周文王)⇒⇒⇒4
3.虢仲⇒⇒⇒西虢の国祖。子孫は南虢・北虢を建国。
3.虢叔⇒⇒⇒東虢の国祖。東虢は代々子孫が継ぐ。


4.姫発(初代・周武王)⇒⇒⇒5


5.姫誦(第2代・周成王)⇒⇒⇒周王朝宗室。天子の座を代々子孫が継ぐ。
5.姫虞(晋の国祖・唐叔虞)⇒⇒⇒晋の国祖。晋は代々子孫が継ぐ。



 故に周王朝宗室の直系ラインは、古公亶父⇒⇒⇒季歴⇒⇒⇒姫昌(周文王)⇒⇒⇒姫発(初代・周武王)⇒⇒⇒姫誦(第2代・周成王)となる。


 当初は一族として結束を固めるよう努めていた周王朝と同姓諸侯国も、時代が下るに連れて同族意識や親近感が希薄化して行き、周宗室をも上回る実力を蓄えて来た事により、徐々に従順さを欠くようになって来た。
 そして春秋時代という争乱の時代へと突入した事で、姫姓の諸侯に限らず、他姓の諸侯も互いに同姓の国同士で争うような事もあった。
 晋・虢・虞も御互いに古い親戚同士とは言っても、親近感や同族意識はほぼ皆無であった。


 この故事の当事者は、初代・唐叔虞から数えて第19代国君である晋献公【しんのけんこう:本名は姫詭諸(ききしょ)】である。
 紀元前676年に即位し、その治世において、【第三五計 連環計】の故事で語ったように「桓・荘の族(かん・そうのぞく)」を滅ぼしたり、【第二〇計 混水摸魚】の故事(リンク先工事中)で語ったように「驪姫の乱(りきのらん)」を引き起こす結果を招き、自らの太子申生【姫申生(きしんせい)】を死に追いやった。


 これらの逸話の時系列を言えば、前者は治世8年目の紀元前669年の事であり、後者は(太子申生が死んだ年に限定すれば)治世21年目の紀元前656年の事である。
 そして本故事で語る、虢・虞の二国を立て続けに攻め滅ぼした年が治世22年目の紀元前655年の事である。





 ♝ 国外の府庫──────虞公へ賂を贈る

 晋献公の治世10年目の紀元前667年の事。度々晋を攻めて来る虢に対して、晋献公は討伐の軍を起こそうとした。賢大夫・士蔿(しい)は反対し、晋献公を諌めた。


「君公よ、なりませぬ。虢公は度々我が国に攻め入り、勝ち続けておりますゆえ、驕り高ぶっております。
 いずれは民を棄てて顧みなくなるでありましょう。そうとなれば、虢の民心は虢公から離れて行きます。
 そうなった後に虢を討たれるのであれば、我が晋軍を防ごうとしても、一体誰が手を貸すでありましょうや?
 君主たる者が礼楽慈愛を以って民を治めるは、いざ戦に備えて平素より養っておくべき事柄でございます。
 その成果として、民が互いに事を譲り合い、和を楽しみ、肉親を愛し、死者を悼むようになってこそ、初めて戦にて民を用いられるようになるのです。
 ですのに虢はそのようには致しておりませぬ。そのような有り様では、戦を重ねる度に、士気が衰えて行く事でございましょう。」


 そうしてやがて時が経った。紀元前658年の事、晋の大夫・荀息(じゅんそく)は虢討伐に関して、晋献公に献策した。





後続  故事其之壹 ─ 丁

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