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この始皇帝の父親治世における最大の功績である「信陵君失脚陰謀」及びそれによって連合軍を完膚なきまでに敗北に追いやった実績があまりにも、この王とリンケイジして歴史上評価されていないような気もします。もちろん王そのもののアイディアと言うわけではなく、秦側の名将による策謀だったわけですが、そうであっても通常歴史ではその最高責任者(任命者)に栄誉を帰することが多いわけで(例;欧州遠征のモンゴル軍の評価が参謀のスプタイではなく、お飾り司令官のバトゥに帰されている如く)、陰が薄い王様であった印象が強いですね。
2012/11/3(土) 午前 3:12 [ 彩帆好男 ]
確かに秦荘襄王は余りに影が薄いですね(^^;)。 「奇貨居くべし」の当事者で、即位前は少しは見せ場もあったのに、即位後には目立つ逸話もないですね(^^;)。 何だか呂不韋の傀儡みたいですが。 けどまあ、その父親の秦孝文王なんて即位からたったの三日で死んじゃったし、これって支那史上のあらゆる君主の中でも、歴代最短記録じゃないでしょうか?それに比べればまだマシかと(^^;)。 どうもこの二王は、秦昭襄王と始皇帝(秦王政)という、逸話の多い君主二人の間に挟まれてるせいか、残念な位に影が薄いですよね。 秦昭襄王と始皇帝(秦王政)は治世が長く、秦孝文王と秦荘襄王は治世が短いから、逸話の多さに差が出たというのもありますけど。 >そうであっても通常歴史ではその最高責任者(任命者)に栄誉を帰することが多いわけで
2012/11/3(土) 午前 11:31
例えば本日は明治節。今じゃ「文化の日」だなんて馬鹿なネーミングに変えられてますが、本日は明治天皇の御生誕日を御祝いする祝日であります。 その明治天皇を例に挙げれば・・・・・ 明治維新から崩御されるまでの五十年弱もの治世において、日本は色んな偉大な業績を遺しました。 これらは全てが明治天皇御自身の御考えや、直接的な主導によるものばかりという訳ではなく、寧ろ大部分は臣民が手掛けたものではあります。 それでも歴史上稀有の偉大な帝として歴史に名を遺されました。それと同じ事でしょうね。 ところで、バトゥとスプタイについてはあんまりよく知りません(^^;)。 バトゥはチンギス・ハーンの孫の一人で、チンギス・ハーンの長男ジュチの次男だという事。ロシア遠征軍の司令官だという事ぐらいしか知りません。 スプタイはバトゥの軍師ですか?
2012/11/3(土) 午前 11:34
ZODIAC12 さん >スプタイはバトゥの軍師ですか シナ式に言えばそれに該当するのかもしれませんが、当時のモンゴル軍制度では特にそのような肩書きは無かったようで、正式なものは単なる将軍程度のもののようでした。 ただスブタイは、バトゥの祖父チンギスハーンの頃よりの名将であり、その軍事的才能を高評価した二代目皇帝オゴディよりバトゥ率いる欧州征伐軍のよきアドバイサーとなるよう随行を命じられたようです。 この人事の大成功は歴史が証明していますが、取りも直さず第二次世界大戦の英雄パットン将軍も彼を尊敬していたと聞き及んでいます。
2012/11/7(水) 午後 4:17 [ 彩帆好男 ]
それは初耳です!あの戦車戦で有名なパットン将軍が、モンゴル人の事を知ってたなんて! パットン将軍は映画の主人公にもなりましたね。 そうですか。スブタイは軍事的才覚に秀でていて、チンギス・ハーンの時代から頭角を現していたのですか。 オゴデイの人材配置は適材適所だった事になりますね。 スブタイの流儀は知りませんが、もしかしたら中原の『孫子』『呉子』などの伝統的な兵法書を読んだかも知れませんね。
2012/11/7(水) 午後 7:54
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この始皇帝の父親治世における最大の功績である「信陵君失脚陰謀」及びそれによって連合軍を完膚なきまでに敗北に追いやった実績があまりにも、この王とリンケイジして歴史上評価されていないような気もします。もちろん王そのもののアイディアと言うわけではなく、秦側の名将による策謀だったわけですが、そうであっても通常歴史ではその最高責任者(任命者)に栄誉を帰することが多いわけで(例;欧州遠征のモンゴル軍の評価が参謀のスプタイではなく、お飾り司令官のバトゥに帰されている如く)、陰が薄い王様であった印象が強いですね。
2012/11/3(土) 午前 3:12 [ 彩帆好男 ]
確かに秦荘襄王は余りに影が薄いですね(^^;)。
「奇貨居くべし」の当事者で、即位前は少しは見せ場もあったのに、即位後には目立つ逸話もないですね(^^;)。
何だか呂不韋の傀儡みたいですが。
けどまあ、その父親の秦孝文王なんて即位からたったの三日で死んじゃったし、これって支那史上のあらゆる君主の中でも、歴代最短記録じゃないでしょうか?それに比べればまだマシかと(^^;)。
どうもこの二王は、秦昭襄王と始皇帝(秦王政)という、逸話の多い君主二人の間に挟まれてるせいか、残念な位に影が薄いですよね。
秦昭襄王と始皇帝(秦王政)は治世が長く、秦孝文王と秦荘襄王は治世が短いから、逸話の多さに差が出たというのもありますけど。
>そうであっても通常歴史ではその最高責任者(任命者)に栄誉を帰することが多いわけで
2012/11/3(土) 午前 11:31
例えば本日は明治節。今じゃ「文化の日」だなんて馬鹿なネーミングに変えられてますが、本日は明治天皇の御生誕日を御祝いする祝日であります。
その明治天皇を例に挙げれば・・・・・
明治維新から崩御されるまでの五十年弱もの治世において、日本は色んな偉大な業績を遺しました。
これらは全てが明治天皇御自身の御考えや、直接的な主導によるものばかりという訳ではなく、寧ろ大部分は臣民が手掛けたものではあります。
それでも歴史上稀有の偉大な帝として歴史に名を遺されました。それと同じ事でしょうね。
ところで、バトゥとスプタイについてはあんまりよく知りません(^^;)。
バトゥはチンギス・ハーンの孫の一人で、チンギス・ハーンの長男ジュチの次男だという事。ロシア遠征軍の司令官だという事ぐらいしか知りません。
スプタイはバトゥの軍師ですか?
2012/11/3(土) 午前 11:34
ZODIAC12 さん
>スプタイはバトゥの軍師ですか
シナ式に言えばそれに該当するのかもしれませんが、当時のモンゴル軍制度では特にそのような肩書きは無かったようで、正式なものは単なる将軍程度のもののようでした。
ただスブタイは、バトゥの祖父チンギスハーンの頃よりの名将であり、その軍事的才能を高評価した二代目皇帝オゴディよりバトゥ率いる欧州征伐軍のよきアドバイサーとなるよう随行を命じられたようです。
この人事の大成功は歴史が証明していますが、取りも直さず第二次世界大戦の英雄パットン将軍も彼を尊敬していたと聞き及んでいます。
2012/11/7(水) 午後 4:17 [ 彩帆好男 ]
それは初耳です!あの戦車戦で有名なパットン将軍が、モンゴル人の事を知ってたなんて!
パットン将軍は映画の主人公にもなりましたね。
そうですか。スブタイは軍事的才覚に秀でていて、チンギス・ハーンの時代から頭角を現していたのですか。
オゴデイの人材配置は適材適所だった事になりますね。
スブタイの流儀は知りませんが、もしかしたら中原の『孫子』『呉子』などの伝統的な兵法書を読んだかも知れませんね。
2012/11/7(水) 午後 7:54