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呂不韋という人物は評価が難しい人物ですね。商人上がりという劣等感が生涯付きまとっていた人物のように思えます。それが良い面でもあり悪い面でもありました。 ナイス
2012/11/26(月) 午後 10:21 [ 鳳山 ]
三記事連続ナイス!押し、どうもありがとうございました。 どうやら私とほぼ同じ感想を御持ちのようですね。呂不韋は善悪の評価がし辛い人物ですね。 純粋素朴ではなく、やはり脂ぎってると言えますが、かと言って悪人という訳ではなく。 一介の商人の身から一代であそこまで成り上がる為には、もしかしたら結構寝業的な事とか、人には言えないような汚い事もやったかも知れません。 破滅の引き金になった太后との情事だって、完全に呂不韋の計算を超える事態だったでしょうし・・・・・。 何とも御気の毒様としか言いようがない側面がありますよね。 ただ・・・・強いて言うなら呂不韋は、引き時を見誤ったかな、とも思えるのですが如何でしょうか? 例えば秦王政が親政を始めた時点で政界から引退するとか。 そうすれば前の時代の范雎のように、天寿を全う出来たかも知れません。
2012/11/28(水) 午前 0:34
引き際を見誤ったというのは私も納得ですね。ただ権力の頂点に立った人間が上手く引退するのは至難の業である事も事実。范蠡(よく漢字が見つかったな 笑)のような人物のほうが例外なのかもしれませんね。
2012/11/28(水) 午後 7:19 [ 鳳山 ]
范雎に范蠡・・・・奇遇にも同姓ですね。両者の性格は違いますが、どちらも有能な宰相でしたね。 ただ、范蠡の方が窮地に陥ってニッチもサッチも行かなくなる前に、覇業を達成したらすぐに自ら身を退いた点が、范雎よりも上手かと。 范雎は最後の方ですっかりミソ付けちゃって、国中から嫌われていつ殺されるか分からない所を、蔡沢に救われてようやく無事に引退出来たのですし。 他にも凄い実績上げていながら、非業の最期を遂げた人間が沢山いますよね。伍子胥とか、呉起とか、商鞅とか、他にも色々。 だから一旦権力の頂点に立つと、中々降りるに降りられなくなるかも知れませんね。
2012/11/28(水) 午後 8:01
異論もあるでしょうが、やはり呂不韋という類稀なる天才のこどもであったからこそ始皇帝もそこまで偉業を成し遂げられる才能をもちあわせたのではないでしょうか。 ちなみに歴史学上は、他の歴史上の証拠となる同時代の(もしくはそれに最も近い時代の)文献が最有力の証拠となるため、司馬遷の帰した始皇帝=呂不韋の子という説は単なる感情論や推察では覆すのには無理があることでしょう。
2012/12/1(土) 午前 6:02 [ 彩帆好男 ]
>歴史学上は、他の歴史上の証拠となる同時代の(もしくはそれに最も近い時代の)文献が最有力の証拠となる とは言いましても、同時代やそれに近い時代の史料だからって、やはり無条件で信じるのもまた危険かと思います。 勿論細部に至る描写なんかは、どの時代の史料よりも、最も正確に記述出来ているでしょうけど。 当時は科学的な検証方法など存在しなかった上に、司馬遷という人物も結構人の好き嫌いがあると見えて、その記述にどこまで信用が置けるか、なんですよね。 司馬遷の記述は御世辞にも公平とは言い難く、始皇帝と秦の関係者たちが嫌いだったのか、実像を歪めて書いている気配がします。
2012/12/1(土) 午後 2:37
呂不韋と秦王政(始皇帝)が実の親子だったのか?そして春申君と楚幽王が実の親子だったのか? これらは今となっては、結構否定的に見る人も多くいるみたいで、どうも疑わしく思われてるようです。 司馬遷は巷間で囁かれていた科学的根拠のない俗説を、そのまま採用した可能性があります。 少なくとも春申君の方は、今となっては科学的に考えて、真実ではないと定まっているようです。 とは言え、それらの肯定説も否定説も共に決定的に決め手を欠いている為、絶対にどちらだとは言い切れないのですよね。 だからもしかしたら本当に、呂不韋と秦王政が親子である可能性もある訳です。これはもう、永遠の謎でしょうね。
2012/12/1(土) 午後 2:38
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呂不韋という人物は評価が難しい人物ですね。商人上がりという劣等感が生涯付きまとっていた人物のように思えます。それが良い面でもあり悪い面でもありました。
ナイス
2012/11/26(月) 午後 10:21 [ 鳳山 ]
三記事連続ナイス!押し、どうもありがとうございました。
どうやら私とほぼ同じ感想を御持ちのようですね。呂不韋は善悪の評価がし辛い人物ですね。
純粋素朴ではなく、やはり脂ぎってると言えますが、かと言って悪人という訳ではなく。
一介の商人の身から一代であそこまで成り上がる為には、もしかしたら結構寝業的な事とか、人には言えないような汚い事もやったかも知れません。
破滅の引き金になった太后との情事だって、完全に呂不韋の計算を超える事態だったでしょうし・・・・・。
何とも御気の毒様としか言いようがない側面がありますよね。
ただ・・・・強いて言うなら呂不韋は、引き時を見誤ったかな、とも思えるのですが如何でしょうか?
例えば秦王政が親政を始めた時点で政界から引退するとか。
そうすれば前の時代の范雎のように、天寿を全う出来たかも知れません。
2012/11/28(水) 午前 0:34
引き際を見誤ったというのは私も納得ですね。ただ権力の頂点に立った人間が上手く引退するのは至難の業である事も事実。范蠡(よく漢字が見つかったな 笑)のような人物のほうが例外なのかもしれませんね。
2012/11/28(水) 午後 7:19 [ 鳳山 ]
范雎に范蠡・・・・奇遇にも同姓ですね。両者の性格は違いますが、どちらも有能な宰相でしたね。
ただ、范蠡の方が窮地に陥ってニッチもサッチも行かなくなる前に、覇業を達成したらすぐに自ら身を退いた点が、范雎よりも上手かと。
范雎は最後の方ですっかりミソ付けちゃって、国中から嫌われていつ殺されるか分からない所を、蔡沢に救われてようやく無事に引退出来たのですし。
他にも凄い実績上げていながら、非業の最期を遂げた人間が沢山いますよね。伍子胥とか、呉起とか、商鞅とか、他にも色々。
だから一旦権力の頂点に立つと、中々降りるに降りられなくなるかも知れませんね。
2012/11/28(水) 午後 8:01
異論もあるでしょうが、やはり呂不韋という類稀なる天才のこどもであったからこそ始皇帝もそこまで偉業を成し遂げられる才能をもちあわせたのではないでしょうか。
ちなみに歴史学上は、他の歴史上の証拠となる同時代の(もしくはそれに最も近い時代の)文献が最有力の証拠となるため、司馬遷の帰した始皇帝=呂不韋の子という説は単なる感情論や推察では覆すのには無理があることでしょう。
2012/12/1(土) 午前 6:02 [ 彩帆好男 ]
>歴史学上は、他の歴史上の証拠となる同時代の(もしくはそれに最も近い時代の)文献が最有力の証拠となる
とは言いましても、同時代やそれに近い時代の史料だからって、やはり無条件で信じるのもまた危険かと思います。
勿論細部に至る描写なんかは、どの時代の史料よりも、最も正確に記述出来ているでしょうけど。
当時は科学的な検証方法など存在しなかった上に、司馬遷という人物も結構人の好き嫌いがあると見えて、その記述にどこまで信用が置けるか、なんですよね。
司馬遷の記述は御世辞にも公平とは言い難く、始皇帝と秦の関係者たちが嫌いだったのか、実像を歪めて書いている気配がします。
2012/12/1(土) 午後 2:37
呂不韋と秦王政(始皇帝)が実の親子だったのか?そして春申君と楚幽王が実の親子だったのか?
これらは今となっては、結構否定的に見る人も多くいるみたいで、どうも疑わしく思われてるようです。
司馬遷は巷間で囁かれていた科学的根拠のない俗説を、そのまま採用した可能性があります。
少なくとも春申君の方は、今となっては科学的に考えて、真実ではないと定まっているようです。
とは言え、それらの肯定説も否定説も共に決定的に決め手を欠いている為、絶対にどちらだとは言い切れないのですよね。
だからもしかしたら本当に、呂不韋と秦王政が親子である可能性もある訳です。これはもう、永遠の謎でしょうね。
2012/12/1(土) 午後 2:38