YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第八計 暗渡陳倉

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第八計 暗渡陳倉








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【計略名の出典・由来】の項でも語った通り、この計略名は本書庫の最初の故事として紹介する、漢の名将・韓信の採った奇襲戦術に由来する。
 その経緯については故事本編で詳細に語るとして、この計略の要旨は「陽動(偽装)と奇襲の併用」である。
 敵に対して大掛かりな示威行動を試み、敵の注意を真正面に引き付ける。
 そうなれば敵の防備や意識は、真正面に集中されて、それ以外の方向の防備が手薄になったり、疎かになりがちである。敵の防備の堅固な箇所を避けて、脆い方向から攻撃を仕掛けるのである。


 この計略は陰陽両面から成り立っている。すなわち「陽動作戦」「偽装行為」が「陽」、「隠密行動」が「陰」である。
 この計略が成功するかどうかの鍵は、陰の側面以上に陽の側面がどれだけ巧妙に出来るかに懸かっている。
 陽の側面が稚拙だと、敵に意図を見抜かれ、裏を掻かれる危険性が生じるので、陰の側面を一切気取られぬように、陽の側面に注意を払うのである。


 兵法書『孫子』の中から、この計略に通じる記述を何点か挙げる。先ずは第五篇【兵勢篇(へいせいへん)】の中の記述。


>>>>>>>
 凡(およ)そ戦いは、正を以って合(がっ)し、奇を以って勝つ。故に善(よ)く奇を出(いだ)す者は、窮(きわ)まりなき事天地の如く、竭(つ)きざる事江河(こうが)の如し。
 終わりて復(また)始まるは、日月是(これ)なり。死して復生ずるは、四時是なり。
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【意味:凡そ戦いは、正(正攻法)を用いて敵と相対し、奇(奇襲、奇策)を用いて敵を破る。
 それ故によく奇を巧みに用いる者の戦い方は、天地のように終わる事がなく、黄河や長江のように尽きる事がない。
 その様は沈んではまた現れる事、まるで日や月のようであり、過ぎ去ってはまた訪れる事、まるで四季のようである。】


 次に第六篇【虚実篇(きょじつへん)】の中の記述。


>>>>>>>
 その趨(おもむ)かざる所に出(い)で、その意(おも)わざる所に趨く。
 行く事千里にして労せざるは、無人の地を行けばなり。
 攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。
 守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。
<<<<<<<

【意味:敵が来ないような所に進軍して、敵の予想もしない所に打って出る。
 千里の道程をも行軍したにも関わらず、疲労しないのは、敵に出くわさない所を進んで行ったからである。
 攻撃して必ず勝つのは、敵の防備が欠けている所を狙ったからである。
 防衛に回って必ず守り通せるのは、敵の攻撃して来ない所を守っているからである。】


 この計略はフェイント(陽動)を駆使する事から、一見すると【第六計 声東撃西】とよく似ているが、両者の違いは二点ある。
 一点目は声東撃西が自軍が派手に動いて、自軍の攻撃開始を敢えて敵方に知らせるのに対し、暗渡陳倉は隠密作戦という性質上、攻撃開始した事自体を、敵方に一切気付かせない事である。
 二点目は声東撃西が敵の意識や、防備や、兵力の集中を、真の攻撃目標とは別の、偽りの攻撃目標の方に仕向けるのに対し、暗渡陳倉は自軍の拵えた囮に敵のそれらを仕向けさせて、敵方の防備の盲点を作り出す事である。
 故に声東撃西の運用法が「陽」なら、暗渡陳倉の運用法は「陰」と言えようか。
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「第八計 暗渡陳倉」書庫の記事一覧

閉じる コメント(15)

レーダーなどが進んだ近代兵器を使った戦争の実際では様相も違うでしょうけども、
外交戦略など本音を隠して陽動、押したりすかしたり、いろいろあるのでしょう。

2012/12/24(月) 午前 11:55 seijin

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仰る通り、外交なんかでもよく応用されますね。

本来の目的をひた隠しにして、まるで見当外れな方向に相手の耳目を集めさせる。
そうして不意を衝く・・・・世界史上にこうした事例は沢山あるでしょうね。

今度政権に返り咲いたばかりの安倍自民党、果たしてこういった高度な戦術を発揮出来るかどうか・・・・

2012/12/24(月) 午後 2:00 ZODIAC12

韓信は劉邦にとって奇貨そのものだったようですね。劉邦自身は戦争がからきしだめでしたから。
韓信は確かに戦争においては劉邦を上回っていました天才でしたが、経綸の才では劉邦に一日の長があったのでしょう。

2012/12/24(月) 午後 10:58 [ 彩帆好男 ]

韓信は最初は項羽陣営にいたのに、項羽は自尊心が強過ぎて、他者の能力や才覚を認めない所がありました。
そういった度量の狭さと余りのワンマンぶりが祟って、折角の優秀な人材たちを十分に使いこなせませんでした。

劉邦は御指摘のように、ほとんど能力らしい能力がなかった為に(笑)、配下や他者の才覚に頼らざるを得なかったので、それが却って配下の人材群を十二分に活用する事に繋がり、最終的な勝利を得られたかと思います。


そして・・・・政治的才覚においては、劉邦と韓信では、韓信は到底及ばなかったでしょう。
別に劉邦自身が政治的天才だった訳ではないのですが、韓信の政治に関するレヴェルが論外だったからです。

我が国史上の源義経なんかと同じで、軍事的天才は得てして政治的センスが致命的に欠落しているので、その為に悲劇的な最期を遂げるというパターンが多いですね。
勿論政治・軍事両面のセンスに優れた人物も、世界史上いる事はいますが。

2012/12/26(水) 午前 9:41 ZODIAC12

そういえば源義経が軍事能力にのみ抜きん出ている反面、兄の頼朝が軍事能力はさほど証明されるような実績も無く(せいぜい奥州遠征程度?)、むしろ経綸の才が長けていましたね。
こうした名コンビは幕末の西郷・大久保と酷似していますね(最終的に政治能力のあるほうに敗北してしまうところも)。

2012/12/30(日) 午後 2:57 [ 彩帆好男 ]

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そう!それです!政治的天才と軍事的天才が争った場合、最終的にはいつも前者が勝っています。劉邦と韓信、頼朝と義経、西郷と大久保の事例の他にも。

例え相手が政治的天才と言う程の器でないにしても、政略に長けた相手と争った時は、軍事的天才は得てして末路が不運ですね。

古代ローマ時代で言えばハンニバル、スキピオ、ポンペイウス、アントニウス。

春秋戦国時代の支那で言えば白起、廉頗、楽毅。秦漢以降だと岳飛、袁崇煥。

我が国だと楠木正成がその良い例でしょうか。

2012/12/30(日) 午後 5:25 ZODIAC12

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そうそう、陽動をいかに上手く、それっぽく見せるのが成功の鍵ですね。

理想は、敵も完全な馬鹿じゃ駄目。

引っかかる程度の小知恵があり、かつ自信家なら尚Best。

自己の予測に自信あるから、自重や用心といった意見に耳を貸さずに勇んでくれる( ̄+ー ̄)

2013/6/25(火) 午後 3:40 栞

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劉邦は、無能有能の枠には入らない大器でしょう。

部下の才能に嫉妬しない主君は希少です。
大抵は覇道半ばで、疑心暗鬼になり自ら有能な臣を潰してしまいます。

相手を呑むキャパの大きさは、なかなか真似できません。

2013/6/25(火) 午後 3:52 栞

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戦国で似たタイプなら、やはり信長、秀吉、家康。
信長は晩年近いと不要な家臣を排除しはじめてる。
秀吉も晩年になると、アレだし。
最期までバランス感覚を失わなかったのは家康ってイメージですが、
実は晩年近いと力を持ち過ぎた、代官を切り捨ててますね。

ナイス

2013/6/25(火) 午後 4:02 栞

こちらにもナイス☆ありがとうございました。(^^)b


>理想は、敵も完全な馬鹿じゃ駄目。引っかかる程度の小知恵があり、かつ自信家なら尚Best。自己の予測に自信あるから、自重や用心といった意見に耳を貸さずに勇んでくれる( ̄+ー ̄)

これとは別の韓信が主人公のエピソードに、そういう話がありますよ(^^)。
これは後に【第一五計 調虎離山】の書庫で紹介するつもりですが、「井陘の戦い(せいけいのたたかい)」の故事においてです。
まだその話を書いていないのですが、先取りして話します。


韓信は劉邦麾下の将軍として、項羽陣営の趙王の軍を相手に、井陘の地で戦いました。
趙王配下の陳余(ちんよ)という将が打って出て来ました。

まず本戦開始前に、陳余の部下の李左車(りさしゃ)という将軍が、韓信軍が本戦の舞台となる場所に辿り着く前の、狭い行軍路の所で前後を挟み撃ちにすれば勝てると進言しました。
実は韓信も内心それを恐れていたので、その策は当たりだったのですが、それにも関わらず、陳余は却下しました。

2013/6/26(水) 午前 10:50 ZODIAC12

その理由というのが、韓信軍はせいぜい3万程度で、自分たちは公称だと20万だか30万だかで、兵力差が圧倒的だったからです。
つまり「あんな少数相手に小細工やらかしたら、それこそ笑い者だ」と、つまらない面子に拘っていたのと、兵力差に物言わせて楽に勝てるから、策など不要だと思っていたのでしょう。
李左車の策通りにしていれば良かったのですが・・・・・(^^;)。

それで韓信は助かり、無事に通過出来ました。
そして韓信は川を背にして布陣しました。それを見た陳余は韓信を嘲笑いました。

何故ならそれは、兵法上のタブーだったからで、そんな布陣をすれば軍が敗れるからです。
それで陳余は韓信を兵法の初歩さえ知らない愚か者と侮って、打って出て来ました。

しかし韓信軍は逃げ道がない為に逆に死に物狂いの力を発揮し、大軍である敵の猛攻にも耐え切りました。
また韓信は別働隊に命じて、留守部隊が少ない敵軍の陣営に奇襲を仕掛けて、そこを奪取しました。

2013/6/26(水) 午前 10:51 ZODIAC12

それを知った陳余軍はすっかり浮き足立ち、挟み撃ちにされる恐怖から混乱し、逃亡者が続出して、瞬く間に陳余軍は崩壊して行きました。
こうして韓信は圧倒的な兵力差の敵軍を破った訳です。
この「井陘の戦い」の故事が「背水の陣(を布く)」という故事成語の由来となった訳ですが。

また折角の献策をしながら、それが無駄になった李左車は、戦後に韓信からその後の策を尋ねられましたが、戦いに敗れた事を恥じて、「敗軍の将、兵を語らず。」と言って、最初は辞退しました。
しかし尚も促されたので、結局は語り、その通りにして韓信は成功しました。

だから栞さんの言われる「引っかかる程度の小知恵があり」、「かつ自信家」で、「自己の予測に自信あるから、自重や用心といった意見に耳を貸さずに勇んでくれる」タイプでしたね、陳余は。

2013/6/26(水) 午前 10:53 ZODIAC12

>部下の才能に嫉妬しない主君は希少です。大抵は覇道半ばで、疑心暗鬼になり自ら有能な臣を潰してしまいます。

劉邦は覇道半ばではなく、天下を獲って皇帝になった後、疑心暗鬼に陥りましたが(^^;)。
まあそんな狭量な君主は天下を獲れませんね。

功臣の粛清に関しては、先日栞さんも御顔出してくれた↓↓のコメント欄でも語りましたが。

火牛の計≪卯≫
http://blogs.yahoo.co.jp/zodiac3721/10990123.html?type=folderlist


>最期までバランス感覚を失わなかったのは家康ってイメージですが、実は晩年近いと力を持ち過ぎた、代官を切り捨ててますね。

これは誰の事でしょうか?いましたっけ?

2013/6/26(水) 午前 10:54 ZODIAC12

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ちょっと長時間のPCが辛いので簡単に紹介したURL貼ります

http://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=990

ここに出ている代官が家康が粛清した人。
不正があったから・・・とされてますが、徳川体制における官僚たちの主導権争いに敗れたとも言えます。
特に大久保長安は大きな権限を持ちつつ、積極的に人脈作りに励んでたので余計に家康から警戒されたのでしょう。

2013/6/27(木) 午前 1:34 栞

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ありがとうございます。早速覗いて来ました。
大賀弥四郎と大久保長安の事だったのですか。てっきりその二人以外の事だと思ってましたが。

だってその二人は罪を犯して、法的に処罰されたのだと思ってたので、権力闘争とは無関係だから対象外だと・・・・。

けれど大賀弥四郎の方はともかくとして、大久保長安はクロかシロかハッキリしてなくて、未だ判定はグレーのままなんですねえ。
もしシロだったら、処刑された息子や、処罰された縁戚たちが気の毒ですが(^^;A)。まあ当人の死後だったのがせめてもの救いでしょうか。

2013/6/27(木) 午前 10:04 ZODIAC12


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