YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第七計 無中生有

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承前  故事其之壹 ─ 卯





 しかしそれでは道理に照らし合わせてみて、義に反する事明らかなので、敢えて王位を受け取りませんでした。
 そして安平君は道と宮殿を拵えて、大王様と后様を城陽の山中から御迎えなされたのでございます。
 それにより大王様は無事に都(臨淄)への御帰還を果たされ、こうして国君として君臨するに至ったのでございます。
 今や国も既に安定と落ち着きを取り戻し、民も心安らいで暮らしております。
 それ故に大王様はその恩も忘れ、「単、単」と御呼びなされまするのか?嬰児(えいじ)【※47】ですらも左様な事は致しますまい。」


 ここまで言われて斉襄王は、ぐうの音も出ない程にやり込められ、完全に反論に詰まってしまった。
 そして貂勃はこう締め括った。


「そこで大王様におかれましては、かの九人の奸臣どもを速やかに誅し、安平君に過ちを御詫びなされませ。さもなければ、国は危うくなりましょうぞ。」


 これを聞き終えた斉襄王は、己の不明ぶりをすっかり恥じた。貂勃の諫言に従い、九人の寵臣たちを誅殺して、その九人の一族の者たちを国外へ追放した。
 そして田単には謝罪の意を込めて、封地を加増させようと、夜邑(やゆう)【※48】という一万戸の邑を授けたのであった。


 以上が『戦国策』を出典とする二本の逸話である。





 ♗ 次代での滅亡

 その後の田単の足跡は明瞭ではない。
 あちこちの史書にその足跡が断片的に描写されるのみである。経緯は不明だが、趙の宰相になったともある。
 そして没年はいつで、どこで生涯を終えたか、子孫はいるのかも不詳である。


 斉襄王の治世においては、特に目を引くような事業や事件、そして大過と呼べるような失政等の、特筆された記録もない。
 斉がどこかと戦ったのかどうかもよく判らない。
 戦があったとしても、思うに田単も斉襄王も派手な事柄は慎んで、ひたすら国力の回復と民力の休養に励んだのではないかと思う。
 だがそれでも、燕の一大侵攻によって壊滅的な大打撃を受けた傷痕は根深く、遂に往年の国力を取り戻すまでには至らなかった。


 嘗ての天下の趨勢は、戦国時代に突入してからだと最初に天下の覇者となった魏が没落して以降は、最西端の秦、最東端の斉、そして北方の雄国・趙が勃興して来た。
 天下は暫くこの秦・斉・趙の三大強国が主流となっていたが、まずは趙が脱落した。
 それで秦と斉の二強時代となったが、この楽毅と五ヵ国連合軍の侵攻の直撃を受けた事で、斉もまた没落した。
 こうして天下は秦の事実上の一人勝ち状態となり、天下の趨勢は一強(秦)三中(趙・楚・斉)三弱(魏・韓・燕)となった。その状態が次の世代まで持ち越される。
 この楽毅率いる燕軍の侵攻で国が徹底的に痛め付けられた事こそが、斉襄王の子の斉王建の治世において、斉が滅亡する遠因となったのであった。


 田単の没年は不詳だが、斉襄王は紀元前284年の即位から数えて、丁度20年目の紀元前265年に死んだ。
 同年内に君王后(太史氏)との間に生まれた太子建が即位した。これが田氏斉最後の国君となる斉王建である。
 だが斉王建は暗愚であった為、秦の謀略にまんまと乗せられて、国君の斉王建から群臣・民衆に至るまで、すっかり骨抜きにされてしまう。
 そうして【第二三計 遠交近攻】の由来となった故事(リンク先工事中) でも語るように、六国が次々と秦に滅ぼされて行く中、斉は一切戦おうともせず、秦の侵略を傍観するだけであった。





後続  故事其之壹 ─ 巳(完結編)

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う〜ん、次が暗君って滅びる国のテンプレですね^^;

大友家も宗麟の次、義統が主君としては力量不足だし。

もっともこれは宗麟が偉大すぎて、家臣が義統ではなく隠居した宗麟に御伺い立てるという二元政治状態で、世代交代に失敗したせいもあるんですけど。

嬰児・・・これ解説いりますか?
ゆとり世代は知らないかな?^^;

ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

2013/5/14(火) 午後 10:31 栞

ナイス☆感謝します。


まあ斉襄王は名君とは呼べる程ではなかったと思います。
けれどその子が国君の器ではなかったのと、秦が強過ぎたので、誰が君主になっても結局は同じだったでしょうね。


宗麟も何かと失点はあったものの、まがりなりにも大友氏の全盛期を築いた訳ですよね。
黒田家の如水・長政親子と違って、世代交代に失敗ですか。これで更に宗麟の評価が下がる訳ですね。


で・・・・また先日引き合いに出した『説苑(ぜいえん)』という書物の中から話を出しますが、栞さんは苦手みたいですけど(^^;)、それでも敢えて(苦笑)。

以下はこの書物の中の『臣術(しんじゅつ)』という項の中にある話で、「賢を進むるを賢と為す。」という話です。
トップの新旧交代ではなくて、臣下の新旧交代の話ですが、通じるものはあるでしょう。

2013/5/15(水) 午前 9:02 ZODIAC12

====================
儒教の祖・孔子の弟子の一人である子貢(しこう)が、師の孔子に尋ねた。


子貢:「今の世の人臣たちの中で、誰が賢者だと思われますか?」

孔子:「我は未だ当世の賢者というものを知らぬ。
その昔、斉には鮑叔(ほうしゅく)がいて、鄭には子皮(しひ)がいた。この二人こそ正しく賢者であった。」

子貢:「はて?それでは斉には管仲(かんちゅう)が居らず、鄭には子産(しさん)が居らなかったと申されまするか?」

孔子:「賜【し:子貢の諱】よ、汝はその一を聞き、その二を知らぬのだ。
汝は「賢者を推挙する者こそを賢者と見做す(賢を進むるを賢と為す)」という事を聞いておるか?それとも己が努力する者こそを賢者と見做すのか?」

2013/5/15(水) 午前 9:06 ZODIAC12

子貢:「それはやはり、賢者を推挙する者こそが賢者であろうかと。」

孔子:「うむ、その通りだ。我は鮑叔が管仲を挙げ、子皮が子産を挙げた事ならば聞いておる。
しかし管仲や子産が、誰か他の者を賢者として挙げたという事は、ついぞ聞いた事がない。」
====================


これと同じ事ではないでしょうか。


>嬰児・・・これ解説いりますか?

「嬰児」なんて言い回しは私より上の世代だって使わないから、恐らくゆとり世代に限らず、現代人はほとんど知らないでしょうね(^^;)。

2013/5/15(水) 午前 9:07 ZODIAC12

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貂勃の正論は小気味良くて、聞いていても溜飲が下がる思いですね。ただ九人の寵臣たちを誅殺して、その九人の一族の者たちを国外へ追放した、というのは、なんだか今も昔も支那の権力闘争と言うのはすさまじいなと、ちょっと呆れましたが。

しかし、せっかく田単が国を取り戻したにもかかわらず、結局次代で滅亡とは、なんか残念ではありますね。まあ大陸というのは、そういうものだと割り切って読むしかないですが。

まあ、だからといって、田単には、やはり冷酷な部分があったことを考えれば、次代まで安泰にできるほどの徳はなかったということでしょうね。

説苑、いろいろ面白い事が書いてあるのですね。
臣下の世代交代のことも書いてあるのですか。賢者とされる人物を推挙できないというよりも、賢者といえる人物を育てることが出来なかったということかもしれませんね。

私も嬰児は、注釈はいらない気もしましたが、たしかに今はあまり使いませんね。
古文の教科書ではみどり児と習ったりしましたけどね。

2013/12/23(月) 午前 0:41 [ さざんか ]

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そうなんですよ。いつの時代でも支那の権力闘争の激しさ、残酷さは、我が国の比ではありません。
相手を赦すとか、水に流すとか、和するという文化がほぼ皆無なので、族誅(一族皆殺し)とか、とことんまでやりますからね。


貂勃は田単に対して、自分を推挙してくれた恩義を感じていたのでしょう。
それだけではなく、仕えた相手に対しては諂う事なく、死を覚悟で過ちを正す誠実さもあったと思います。


折角苦労して国を取り返したのに、間もなく滅亡したのは惜しいですが、時代の趨勢は非情でした。
田単や斉王に飛び抜けた徳があったとは思いませんが、仮に高徳の人物が政務を執っていたとしても、滅亡は避けられなかったかも知れません。

しかし長い目で見れば、秦が天下統一を果たした事で、次代の漢帝国で実現される、長い平和な時代が訪れる土台が出来上がったのですよ。

2013/12/28(土) 午前 10:45 ZODIAC12

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それに当時の天下中の民衆全体にも、五百何十年も長く続いた戦乱の世に、いい加減飽き飽きしていた所があったとも思えますので、もういい加減誰かが天下統一して、平穏な世を築いて欲しいという潜在的な願望もあったと思うのです。


そしてこれまたコメント欄にも注目して下さり、実に光栄です!!

>賢者とされる人物を推挙できないというよりも、賢者といえる人物を育てることが出来なかったということかもしれませんね。

前任者が余りに偉大だったか、自身が優秀過ぎて、他人がボンクラに見えて仕方がなかった、というケースもあるのかも知れません。
あるいはさざんかさんの言われる通り、この場合は後継者の人材育成に失敗した可能性も考えられなくもないです。


さざんかさんも「嬰児」の解説は不要だと思いますか?(苦笑)
最早耳慣れなくなった単語なので、敢えて入れました。

2013/12/28(土) 午前 10:48 ZODIAC12

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>しかし長い目で見れば、秦が天下統一を果たした事で、次代の漢帝国で実現される、長い平和な時代が訪れる土台が出来上がったのですよ。 >

なるほど、そういう目で見れば、確かに悪いことではないですね。それに、斉が残ったとしても、田単の一族が安泰なわけではないでしょうし、むしろ滅びたために、もっと悲惨なことがなくてよかったかもしれない、とさえ思ったりしますね。

2014/1/8(水) 午後 0:46 [ さざんか ]

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ですね。支那に限らず、最後まで頑強に抵抗したら、無惨な報復をされるのが世界史での通例ですからね。
武士道や騎士道に則した措置が、必ず取られるとは限りませんから・・・・。

日本ですから幕末で新撰組を率いた近藤勇は、数多くの志士を殺して来た事から、攘夷陣営の憎悪を買って、引き抜かれる事なく処刑されましたからね。
嘗ての新撰組隊士たちだって結構維新後でも官職に就けたのですが・・・・。

2014/1/11(土) 午後 8:12 ZODIAC12

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たしかにそうですね。日本は、まだまだ人を許しますが、支那は恐ろしいですからね。
それにしても、明治維新は、すごいですね。西欧に立ち向かうために、敵味方が、一致団結したのですからね。近藤勇も、西郷が救おうとしたけど、間に合わなかったとか聞いたような気がしますが、尤もこれは仕方なかったような気もしますね。

2014/1/21(火) 午後 10:16 [ さざんか ]

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>近藤勇も、西郷が救おうとしたけど、間に合わなかったとか聞いたような

それは初耳でした。幕末に維新側に処刑されたのは、つまり戦場や暗殺とかで死んだのではなく、裁判に掛けられて処刑されたのは、幕臣の小栗上野介忠順と、新撰組局長の近藤勇の二人だけでした。

これって世界的に見て凄い事だと思います。御互いに余程強い対外的な危機感を共有していたからでしょう。

2014/1/24(金) 午前 10:31 ZODIAC12

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ほんとにすごいですよね。
日本人は、単なる恨みを越えて、一人の人間同士として、相手の心情に共感できるからこそ、未来志向の道を選べるのでしょう。
世界で最も真の平等意識で人間を見る民族ですよね。

2014/2/3(月) 午後 5:24 [ さざんか ]

何故日本人にそういった傾向が特に見られるのか?

要因は様々だと思いますが、やはり共通の価値観というか、国全体で精神文化を共有している事が大きいかも知れません。
月並みな答えかも知れませんが・・・・

2014/2/7(金) 午後 11:26 ZODIAC12


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