YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第三計 借刀殺人

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承前  故事其之貮 ─ 乙





 楚将となった廉頗は、頻りに「儂は趙軍をこそ率いたいのだ。」と漏らしていた。
 だがその念願も遂に叶う事なく、楚の寿春(じゅしゅん)【※7】という邑で、戦に明け暮れた長い生涯を終えた。没年は不明である。





 ♝ 悲劇の名将・李牧

 話を戻して、秦は郭開に趙王に対して、李牧と司馬尚の二人を讒言させた。


「李牧と司馬尚の二人は、謀反を企んでおりますぞ。」


 これを聞いた暗愚な趙幽繆王は、忽ち疑心暗鬼に陥り、李牧と司馬尚の更迭を命じた。
 趙蔥(ちょうそう)と顔聚(がんしゅ)の二将に替わらせようとしたが、李牧は命令を拒否した。
 そこで趙幽繆王は人を遣わして、李牧の身柄を秘かに拘束させ、その後に斬り捨てさせた。
 こうして一代の名将は、裏切りと讒言に遭い、無惨な最期を遂げたのであった。
 同僚の司馬尚も、誅殺は免れたものの、将軍職を罷免された。
 正しく秦は借刀殺人策──────郭開と趙王という「刀」を駆使して、李牧と司馬尚を抹殺したのである。こうして趙は決定的な滅亡の引き金を引いたのであった。





 ♞ 趙の最期

 李牧の死から3ヵ月後に、秦の将軍・王翦は趙に攻め入り大勝した。最早李牧亡き後の趙には、秦と互角以上に戦える人材がいなくなっていたのである。
 勢いのまま王翦は趙の国都・邯鄲(かんたん)【※8】を陥落させた。そして趙蔥を討ち、顔聚と趙幽繆王を捕えたのであった。
 戦国七雄の強大な一角を成した雄国・趙の最期であった。紀元前228年の事であった。


 征服後に秦王政【嬴政(えいせい)】は、嘗て生まれ育ち、幼い日を過ごした、趙の国都・邯鄲まで出向いて来た。この秦王政こそ、後の始皇帝(しこうてい)である。
 嘗て秦王政の曾祖父・秦昭襄王【しんのしょうじょうおう:本名は嬴稷(えいしょく)】の治世中に、秦の将軍・白起(はくき)が「長平の戦い」で趙軍に大勝した後、投降した四十万もの趙軍将兵を坑殺(こうさつ)【※9】した。
 この故事は【第二二計 関門捉賊】の故事(リンク先工事中)で語る。


 秦王政は【第一四計 借屍還魂】の「奇貨居くべし」の故事でも語ったように、上記の白起の件が元で、秦王族である秦王政とその生母は、趙人から憎悪の的となり、虐待や迫害を受けた。
 母子揃って様々な苦痛を味わわされ、辛酸を舐め続けさせられた。
 秦王政は長年積み重なっていた怨恨を晴らそうと、嘗て自分たち母子に仇を為した、数多くの趙人を捕えて一斉に坑殺、つまり生き埋めにして処刑した。


 こうして趙は紀元前403年に周天子に、新しく諸侯として封じられ建国されて以来、10代175年目にして滅び去った。
 趙王室の前身、すなわち周王朝によって諸侯に立てられるまでは、隣国の韓・魏の二国と同様、嘗ての北方の超大国・晋に仕える有力大夫の氏族であった。
 その時代から数えると、通算26代五百数十年目の事である。





後続  故事其之貮 ─ 丁(完結編)

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