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シリーズ第11弾。映画史上に燦然と輝く名作『太陽がいっぱい』。
この作品と同名のメインテーマ曲が、今回の題材です。
作曲者は前回の【No.10 ゴッドファーザー】でも紹介したニーノ・ロータです。
【ゴッドファーザー】のニ大テーマ曲『ゴッドファーザー・ワルツ』『愛のテーマ』を作曲したニーノ・ロータらしい、イタリア的な匂いの濃い、甘美で愁いを帯びたメロディです。
この映画は言わずと知れた、今や世界的大スターとなったアラン・ドロンの出世作です。ドロンはこの映画で強烈な印象を残しました。
ドロンは現在70を過ぎてますが、近年ではその活動ぶりをとんと聞きません。
これは原作付きの映画で、アメリカの女流作家パトリシア・ハイスミス(1921〜1995)のサスペンス小説『The Talented Mr.Ripley』を映画化した物で、原題を直訳すると、「才人リプリー氏」「才子リプリー君」とでもなりましょうか。
邦題は映画と同じで『太陽がいっぱい』になってます。きっとこの映画からそのまま拝借したのでしょう。
さて、まずは1個目の動画ですが、オリジナル・サウンド・トラックからのメインテーマ曲です。
続いて2個目の動画は、同曲の異なるヴァージョンを二種類立て続けに。
3:16から別ヴァージョンが開始します。
さて、以上の2個の動画に写った映像は、やはりイタリアらしい地中海の青い海が印象的です。
海に太陽と、正しく今の季節にピッタリな雰囲気の映画ですね。
イスキア島が舞台だそうですが、他にもロケ地の舞台になった所はあるのではないでしょうか。
多分現在でも観光地として賑わっているのかも知れません。
それにしてもこの映画、少し調べてみたら原作とは大分異なるようです。
まず主人公のトム・リプリー(アラン・ドロン)と、トムの悪友で富豪の放蕩息子のフィリップ・グリンリーフ(モーリス・ロネ)の二人は、アメリカ人という設定の割に、英語を全く喋らずフランス語ばかりだというのは御愛嬌ですが(笑)。
何せ元々フランス映画だし、どちらも演じている俳優がフランス人ですから(笑)。
それに人物の設定とかも原作とは違いがあるようですが、それはそれで良いかと。
寧ろ原作を下敷きに、原作とは別の独自の映画作品を生み出したと評価出来るかと思います。
原作との最大の違いは、何と言ってもラストでしょうか。
原作の『The Talented Mr.Ripley』では完全犯罪となり、この映画版みたいに最後にトム・リプリーの犯罪が発覚する事はなく、無事に逃げ切れたようです。
何せ原作版では「トム・リプリー・シリーズ」と呼ばれ、シリーズ第一作目の本作品も含めて、全部で5作あるようですから。
どれも犯罪者であるトム・リプリーを主人公とした、ピカレスク・サスペンス小説です。
だからこの映画は原作とは全く別物だと思った方が良いかと思います。
それでもこの映画が名作である事に変わりはないのですが。
余談ですがこの映画の原作者パトリシア・ハイスミスのサスペンス・スリラー小説に、『This Sweet Sickness』という作品があります。
出版年は奇遇にもこの映画が公開された年と同じく1960年であり、邦題は『愛しすぎた男』です。
この邦題が示す通り、極度の妄想に取り憑かれた主人公の男が、既婚者であるヒロインに、一方的に過度の愛情を抱き、執拗に付き纏うという筋書きです。
異性に対する倒錯した愛情の、異常性と恐怖を描いた物です。
つまりは現在で言う所の「ストーカー」を題材にしているというのです。
当然ながら作中では、「ストーカー」なる単語は一切使われていないようですが。
いやはや・・・・・まだ1960年ですよ!今から50年以上も前ですよ!
私はこの作品は未読なので、どれ程面白いのかは判りません。
ですが作品の良否は別として、まだ「ストーカー」なる用語も、概念も存在しておらず、そのような犯罪が認知されてもいなかった時代に、まるで現在のストーカーの出現を予見していたかのような作品を書いていた事自体に驚きです!
ハイスミスはどうやってそんな着想を得たのでしょうか!?
さて、話を戻して。この映画の原作となった『The Talented Mr.Ripley』は、1999年にマット・デイモン主演で『リプリー』というタイトルで映画化されましたが、別にこのアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のリメイク作品という訳ではなく、より原作に忠実な作りになっているそうです。
『The Talented Mr.Ripley』の続編は、以下の4作品。
◎【Ripley Under Ground】・・・・・邦題『贋作』
◎【Ripley’s Game】・・・・・邦題『アメリカの友人』
◎【The Boy Who Followed Ripley】・・・・・邦題『リプリーをまねた少年』
◎【Ripley Under Water】・・・・・邦題『死者と踊るリプリー』
上記に挙げた作品群の内、『Ripley Under Ground(贋作)』と『Ripley’s Game(アメリカの友人)』も既に映画化されています。
前者は『リプリー 暴かれた贋作』(2005年)、後者は『アメリカの友人』(1977年)、『リプリーズ・ゲーム』(2002年)として。
どれもこれも未視聴な作品ばかりなので、これらが面白いかどうかは何とも言えません。
そして最後の3個目の動画です。
元サイト以外では視聴不可の設定になっているので、やむを得ずURLだけ貼っておきます。
この映画のラスト5分の部分です。 動画の2:30辺りから、アラン・ドロンが言う台詞の、
「太陽がいっぱいだ!今までで最高の気分だよ!」
は、皆さんも印象に残るかも。
この台詞こそが、この映画のタイトルの由来でしょうね、きっと。
才能に恵まれていながら、貧しく卑しい生まれ育ちの為に、望んでも持てなかった野心家の主人公トム・リプリー。
そして片や何不自由ない境遇に生まれ育ったせいか、傲慢で、横暴で、身勝手で、放蕩で、トムや婚約者のマルジュ、その他の人々を見下すような、人の痛みの分からない性格の、主人公の悪友フィリップ。
フィリップの富や財産に嫉妬し、その婚約者マルジュに横恋慕までするものの、普通だったらどちらも決して手に入る事はありません。
そんな持たざる者の、持てる者に対する羨望や嫉妬が、いつしか憎悪や殺意に転じて行く・・・・・・。
トムは完全犯罪の計画を秘かに立てて、フィリップを殺して、フィリップに成り済まし、財産を合法的に奪おうとします。
途中で犯罪がバレそうになったので、口封じの為に殺したり、フィリップを知る人々に対しては、フィリップがまだ生きているかのように偽装工作したりと、スリリングな展開で引っ張って行きます。
そしてフィリップは自殺したと思い込ませる事に、トムはどうにか成功します。
死んだフィリップに成り代わって、フィリップ名義で財産も手に入れ、挙句フィリップの婚約者で、自身が想いを寄せる相手でもあるマルジュまでも手に入れる事に成功します。
最後の3個目の動画は、正しくそんな全てが万事上手く行き、トムが得意の絶頂期に達しています。
先述の動画2:30辺りからのトムの台詞が、そんな気分を象徴しています。
そして映画ラストでは、この絶頂期から一気にドン底へ叩き落されるような、トムの破滅を暗示させるような終わり方で幕引きとなります。
先述の通り、結末が原作とは大きく異なるみたいで、この動画にもあるラストは少々強引さを感じるのですが、皆さんは如何でしょうか?
原作は完全犯罪に成功し、警察に逮捕される事はないようなのですが、映画版は原作とは正反対の結末にするの良いにしても、もっと納得の行くような終わり方に出来なかったのでしょうか?
この最後の動画にもあるように、元は殺したフィリップが所有していたヨットを、成り済ましたトムがフィリップ名義で売却しようとして、最後に現物を引き渡す場面での、トムの犯行が露見する描写は、さすがに腑に落ちないです。
海に投げ捨てた筈のフィリップの死体を包んだシートが、何故だかヨットのワイヤーで結ばれているなんて、どうも無理があり過ぎると言うか・・・・・。
そもそも死体を包んだシートを海に投げ捨てた時は、そうなるような描写もなかったのに、何でヨットのワイヤーで、あんなにもしっかりと結ばれていたのかが不可解です。
後、トムを逮捕しようとする警察ですが、トムをホンボシ(真犯人)だと確信して、逮捕に踏み切るように至った過程や瞬間が、全くスルーされています。
これら二点の疑問に対する説明が、全くないまま終わってるので、どうにも強引さが目立って消化不良感が残りますね。
この映画は名作には違いないでしょうけど、そういった整合性に疑問符の付くラストなのは残念です。
映像美とかに拘る余り、そっち方面は疎かになってしまったのでしょうか?
まあそれを別とすれば、バックにメインテーマ曲が流れ、太陽の照り付ける地中海の青々とした美しい海を背景に、絶頂期の気分を満喫するのもほんの束の間、そこから一気に奈落へと転落して行くような近い未来を匂わせて終わる、明確な描写を避けたラストは、如何にも昔の芸術映画っぽいテイストですね。
もしかしたら現代だと、「煮え切らないラストだな!」とか、「最後まできちんと描き切れよ!」とか、不満に思う人もいるかも知れません(笑)。
さて、ここまで当シリーズに御付き合い下さり、皆様には感謝しております。
長らく続いた当シリーズも、次回【No.12】で遂に完結となります。<(_ _)> |

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この映画「太陽がいっぱい」は、3度ほど見ましたね。映画館で2度、確かテレビでも観たような気がします。
監督はルネ・クレマンでしたかしら?
筋立ては原作とは違っているのかも知れませんが、今から考えても、良く出来た映画だったと思います。
ラストのワンシーンは、今でも時々思い出すほど、印象的でした。
2013/7/26(金) 午後 1:31 [ afuro_tomato ]
ハリウッド映画の勧善懲悪、ハッピ−エンドは安心するものの、余韻には縁がないように感じます。
ゴッドファ−ザ−はべつですけどね!
ヨ−ロッパ映画、とくにフランス、イタリアは名画の宝庫ですね!
【道】、【鉄道員】、【禁じられた遊び】、【西部戦線異状なし】
アメリカ映画が入ってたら、ゴメンナサイ。
ナイス!
2013/7/26(金) 午後 5:58
>トマトさん
いらっしゃいませ!(^^)ノ
ルネ・クレマン監督の作品ですね。やはりトマトさんなら、きっと鑑賞しただろうなと思ってました。
私はこの記事を書くに当たって、先日観たばかりでした。音楽の方は昔から知ってたんですけどね。
映像と音楽の美しさは、小説では表現出来ないものですし、これは原作とは別物だと思った方がいいかと思います。原作全く読んでない私が言うのも何ですが(苦笑)。
パトリシア・ハイスミスの作品を原案とした、ルネ・クレマン独自の映画だと思ってた方が当たっているかも知れません。
だって『太陽がいっぱい』と聞いて、咄嗟に連想されるのって、ハイスミスの原作小説の方じゃなくて、こちらの映画版の方ですし。
タイトルを原題とは全く別物にしたのも要因の一つでしょうけど。
ラストシーンの明と暗が同時に襲って来たような、対照的な描写は印象的でしたね。
「その後の顛末は観客の皆様の御想像に御任せします」的なラストが、観終わった後まで余韻に浸れる要因なのでしょうか?
今の映画にこういう手法は少ないかと思うのですが。
2013/7/27(土) 午後 2:31
>たけしさん
ナイス☆どうもありがとうございました!(^^)ノ
私もたけしさんと概ね同じ事を、昔から思ってました。
ハリウッド映画はやたらと勧善懲悪や、ハッピーエンドの要素が強過ぎるというか・・・・・。ハッキリ言っちゃうと「子供向け」だなと(^^;)。
ヨーロッパ映画みたいにビターな結末で終わるのなんて、ほとんどないじゃないですか。
まあ話作りが単調になりがちなのも、多民族から成り立っている御国柄なせいかなと思いますが。
『ゴッドファーザー』を手掛けたフランシス・コッポラ監督はイタリア系な上に、良くも悪くも芸術家肌の濃い監督だったからかも。
最早殿堂入りしてる名作映画(特に白黒時代の)のほとんどは、ハリウッドのよりもフランス・イタリアを中心としたヨーロッパ映画じゃないでしょうか?
挙げられた作品の中では、本シリーズでも取り上げた『禁じられた遊び』と『鉄道員』を観ました。
先にも話しました通り、こういった全体的に陰鬱で、シットリした雰囲気のヨーロッパ映画は、やっぱり脳天気で(笑)、陽気な性向の強いアメリカ人には、ほとんど受けないのかも(苦笑)。
2013/7/27(土) 午後 2:32
この映画はアランドロンが始めてアメリカ人の役を演じた作品でしたでしょうか。
ドロンは三度目に来日した折「俺は日本ではなんこんなにもてるんだろう?」とびっくりしていたように、他国はもとよりフランス本国よりも人気があったようですね。私も三度目に来日したとき、西郷輝彦と共演したバラエティ番組を見たことを覚えています。
実際フランス映画「レッドサン」のタイトルロールでは、三船敏郎のほうがドロンより先に出ていましたね。
2013/7/28(日) 午前 10:00 [ 彩帆好男 ]
ドロンは本国じゃ、それ程の人気でもなかったのですか?
どうもよくあるみたいですね。自国よりも外国の方でブレイクしたり、人気があるという事が。
ドロンは昔日本に来た時、結構女遊びもやってたと聞きます。プレイボーイらしいと言えばその通りなんですけどね(笑)。
アラン・ドロンの映画は、実はこの作品の他は、B級アクションの『私刑警察』『復讐のビッグガン』しか観てないので、『レッドサン』は知らないのですよ(^^;)。
三船敏郎やチャールズ・ブロンソンと共演したというのは聞いていますが。
調べてみたら、アラン・ドロンという俳優は、どうも好き嫌いが分かれるみたいですね。
嘗ては「美男子の代名詞」といった存在だったみたいですが、「キザで悪趣味」だとか、「育ちの悪さや下品さが滲み出ている」とか、そういった声もあるみたいですね。
私は「そうなのかな?」としか思えなかったですが。
2013/7/28(日) 午後 2:18
つい、最近『リプリー』を見ました。
前知識もなく、『リプリー』を見たので、見た後で、「もしや、太陽がいっぱい」のリメイク?って思いました。
でも、リメイクではないみたいですね。
(リプリーの詳しい解説 http://ethanedwards.blog51.fc2.com/blog-entry-931.html#tag4 )
ジュード・ロウが、とても素敵でした。
(彼はこの映画でアカデミー助演男優賞獲得(*^_^*) )
アラン・ドロンは、、中高生の頃、胸がときめきました。。
ナイスです☆
2013/7/30(火) 午後 5:33
ナイス☆どうもありがとうございます!
私はその映画は全く観てませんが、御紹介のURL先を見ますに、この『太陽がいっぱい』とは大分違ってますね。
これを読んだ感じだと、どうも『太陽がいっぱい』は原作のダイジェストという印象を受けますね。
余分な、と言うか、必要最低限の部分だけ残して、カットしても差し障りのない箇所は、全て削ぎ落としたって感じを受けますね。
それで人物設定とかシナリオを、ある程度改変したって所でしょうか。
やはり記事内でも言いましたように、原作から独立した別作品と思った方が良いかも知れませんね。
そうですか・・・・・・ルーシーさんも10代の頃はアラン・ドロンに憧れましたか(^^)。
スラッと背が高いし、美男の代名詞と言われてたそうですから、当時夢中になった女性は多かったのでしょう(笑)。
2013/7/31(水) 午前 9:04
ZODIACさん
アランドロンは確かに育ちは悪かったようですが、個人的には役者になってからかなり振る舞いを努力して改善したように感じています。
彼の毀誉褒貶が激しいのは国によるのではないでしょうか。一時期ハリウッド進出を心にてアメリカに長期滞在して、フランス資本によるドロン主演アメリカ映画を作っていましたが、結局線の細いドロンはアメリカでは受けなかったようですね。
フランスではベルモンド派と拮抗、一人勝ちは日本だけだったのではないでしょうか。
2013/12/16(月) 午後 3:52 [ 彩帆好男 ]
それはドロンにとっては残念でしたね。
当時のアメリカの映画界は、ジョン・ウェインに代表されるような、ドロンとは対照的な男臭さ漂うマッチョなキャラがウケたのでしょうね。
今だったらもう少し違ったかも知れませんが。
結局ドロンが世界で一番ウケた国は日本だったという事になりますか。
2013/12/16(月) 午後 5:12
原作とラストが違うのですね。でも原作のように完全犯罪が成功するというのは、どうも後味が悪いような・・・
アランドロンはこの映画でスターに躍り出ますが、たいがいラストでは死んでしまうか、捕まるか、そういうダークな二枚目が世界に受けたと思います。私は小六でシシリアンを初めてドロンの映画として見て、感動してドロンファンになりました。あっけない死に方をする主人公・・・そこに儚さの美しさを小学生なりに感じ取ったようです。
2014/6/2(月) 午後 6:35
まずはナイス☆どうもありがとうございました。
『シシリアン』ですか・・・それは観た事ないですね。アラン・ドロンの映画はほとんど観てないもので。
後年のアクション映画の『私刑警察』と『復讐のビッグガン』は観たのですが。まあハッキリ言ってどっちもB級映画ですから、名作映画みたいな余韻には浸れませんが(^^;)。
裏社会のアウトローを描いたノワール系は、大抵主人公が悲惨な末路を遂げるのがお約束ですね。日本のヤクザ映画みたいに。
名作系とか芸術系の映画はそういうビターな結末で終わる所が、解り易さ重視、単純明快さ重視の為に、往々にして子供向けになりがちなハリウッド映画とは違う点でしょう。全部がそうだという訳ではないですが。
だから原作通りに完全犯罪が成功して、上手く逃げ切るなんていうのも、ビターなラストの一種なので、普通にありかと。現実だったらさすがにイヤですがね(苦笑)。
それにしても小学6年生の歳でドロンファンになるとは、随分渋い趣味ですね。(^^)b
私も多少似たようなもので、小さい頃からカッコイイ大人像にどこか憧れてましたね。
2014/6/2(月) 午後 8:18