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紀元前796年というと、ローマの建国に近いときですね。まだアッシリアが全盛の時代でしょうか。当時はまだギリシャでも有名な学者がさほど出ていない時代でしたね。 左様な時代にシナで暴君が専横暴慢をしていてもさも有りなんと思えてきます。
2013/10/4(金) 午後 10:51 [ 彩帆好男 ]
確かにこの頃はまだローマ建国前ですよね。 ですが支那は既に、当時の世界レヴェルでも、文明的な成熟を見せていました。 あくまでも当時の基準ですが。まだ諸子百家が現れる前ですからね。 支那で暴君と言えば桀紂、つまり夏桀王と殷紂王ですね。 二人とも暴君の代名詞となっていて、それぞれの王朝の滅亡時の王となった事で、余計に割り食わされていますね。 ただ、この二王に限った事ではなく、支那では暴君・暗君は古代から珍しくも何ともなかったですね。
2013/10/5(土) 午前 3:57
私のコメントをよくお読みください。「ローマの建国に近いとき」と書いているのです。 そしてローマは実際紀元前753年を建国の都市としているのですから、近いという定義に誤用はないでしょう。 「世界レベルの文明成熟期」ですか?これより遥か以前のインダス文明、ミケーネ文明、そして同時代のエジプト文明、メソポタミヤ文明から比較すれば世界史的に高く評価されるようなものが当時のシナにあったでしょうか?
2013/10/5(土) 午前 4:59 [ 彩帆好男 ]
いえ、どうか誤解しないで下さい。何も誤りだと否定している訳ではありません。 私が「ローマ建国前」と言ってはいても、「ローマ建国に近い時」という表現を誤りだと否定している訳ではありません。それを是とした上で言ったのですから。 よく考えてみれば、当時の支那よりも西方世界の方が発展してたかも知れませんね(^^;)。 この時より何百年後の戦国時代にもなれば、ヨーロッパの中世時代(封建制)から中央集権体制への転換期によく似た状態になるので、世界と比べて負けず劣らなくなるのは、この辺りからかも知れません。この頃の支那はまだ垢抜けなかったかも。
2013/10/5(土) 午後 6:41
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紀元前796年というと、ローマの建国に近いときですね。まだアッシリアが全盛の時代でしょうか。当時はまだギリシャでも有名な学者がさほど出ていない時代でしたね。
左様な時代にシナで暴君が専横暴慢をしていてもさも有りなんと思えてきます。
2013/10/4(金) 午後 10:51 [ 彩帆好男 ]
確かにこの頃はまだローマ建国前ですよね。
ですが支那は既に、当時の世界レヴェルでも、文明的な成熟を見せていました。
あくまでも当時の基準ですが。まだ諸子百家が現れる前ですからね。
支那で暴君と言えば桀紂、つまり夏桀王と殷紂王ですね。
二人とも暴君の代名詞となっていて、それぞれの王朝の滅亡時の王となった事で、余計に割り食わされていますね。
ただ、この二王に限った事ではなく、支那では暴君・暗君は古代から珍しくも何ともなかったですね。
2013/10/5(土) 午前 3:57
私のコメントをよくお読みください。「ローマの建国に近いとき」と書いているのです。
そしてローマは実際紀元前753年を建国の都市としているのですから、近いという定義に誤用はないでしょう。
「世界レベルの文明成熟期」ですか?これより遥か以前のインダス文明、ミケーネ文明、そして同時代のエジプト文明、メソポタミヤ文明から比較すれば世界史的に高く評価されるようなものが当時のシナにあったでしょうか?
2013/10/5(土) 午前 4:59 [ 彩帆好男 ]
いえ、どうか誤解しないで下さい。何も誤りだと否定している訳ではありません。
私が「ローマ建国前」と言ってはいても、「ローマ建国に近い時」という表現を誤りだと否定している訳ではありません。それを是とした上で言ったのですから。
よく考えてみれば、当時の支那よりも西方世界の方が発展してたかも知れませんね(^^;)。
この時より何百年後の戦国時代にもなれば、ヨーロッパの中世時代(封建制)から中央集権体制への転換期によく似た状態になるので、世界と比べて負けず劣らなくなるのは、この辺りからかも知れません。この頃の支那はまだ垢抜けなかったかも。
2013/10/5(土) 午後 6:41