YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第二六計 指桑罵槐

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『晏子春秋』──────姜斉最後の巨星・晏嬰。高潔にして仁慈に溢れた賢者の生涯。





 ♚ 斉(姜斉)の黄金期

 本故事は前回の司馬穰苴の故事にも登場し、司馬穰苴【姓は嬀(ぎ)、氏は田(でん)・司馬(しば)、名は穰苴(じょうしょ)】を推挙した晏嬰【姓は不明、氏は晏(あん)、名は嬰(えい)、諡号は晏平仲(あんへいちゅう)】が主人公である。

 支那大陸最東端に位置し、周代の諸侯国の中でも有数の大国であった斉。
 斉の歴史は(推定で)紀元前1045年(実際の処は不詳)に、周王朝創建の最大の功労者である太公望【姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は望(ぼう)、字は尚(しょう)又は子牙(しが)、諡号は斉太公(せいのたいこう)】が、周王朝初代・周武王【しゅうのぶおう:姓は姫(き)、名は発(はつ)】により、現在の山東省の地に封じられた事で始まった。
 以来紀元前386年に臣下の田氏一族に簒奪されるまで、数えで32代660年続いた事になる。


 斉はそんな長い歴史の中で、黄金期を二度も迎えた。史上高名な二人の名宰相が、国君を輔弼して執政に当たった時代である。
 一人目は第16代国君・斉桓公【せいのかんこう:姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は小白(しょうはく)】の宰相を務め、斉桓公を一躍春秋最初の覇者にまで押し上げた管仲【姓は不明、氏は管(かん)、名は夷吾(いご)、字は仲(ちゅう)、諡号は管敬仲(かんけいちゅう)】である。
 そして二人目が第24代国君・斉霊公【せいのれいこう:姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は環(かん)】、第25代国君・斉荘公【せいのそうこう:姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は光(こう)】、第26代国君・斉景公【せいのけいこう:姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は杵臼(しょきゅう)】の三代に仕えた晏嬰である。


 斉桓公の治世は紀元前685年〜紀元前643年の43年間であり、管仲はその初年から宰相として抜擢された。
 その経緯は 【第二一計 金蝉脱殻】の故事(リンク先工事中)で語った。
 そして管仲は斉の最盛期をもたらし、斉桓公の治世41年目の紀元前645年に死んだ。管仲の死から百年程経って、晏嬰は歴史の表舞台に登場した。





 ♛ 晏嬰の生きた時代──────暗君三代の治世

 晏嬰が仕えた三君の治世は以下の通り。


☆第24代国君・斉霊公:紀元前582年〜紀元前554年:29年間

☆第25代国君・斉荘公:紀元前554年〜紀元前548年:7年間

☆第26代国君・斉景公:紀元前548年〜紀元前490年:59年間


 残念な事にこれら三君は皆道理に暗く、人間的に欠点ばかりが目立ち、悪政・暴政を次々と重ねた。
 礼節を弁えず、言動を慎まず、奢侈や女色や遊蕩に耽り、税を重くし、佞臣に惑わされ、讒言を鵜呑みにし、賢者を遠ざけた。
 民衆を無益な工事に駆り立て、濫りに刑罰を課し、民衆が生活に苦しみ、死のうとも、顧みようとしなかった。
 その度ごとに晏嬰に厳しく諌められてばかりいたので、御世辞にも名君とは言い難かった。


 余談だが第25代の斉荘公には、その祖先に同じ諡号を持つ人物がいる。
 斉の第12代国君の斉荘公である。姓は姜(きょう)、氏は呂(りょ)、名は贖(しょく)である。
 司馬遷【姓は司馬(しば)、名は遷(せん)】の『史記(しき)』などでは「名は購(こう)」と記されているが、これは「贖」の誤記だとされる。
 同じ諡号で紛らわしい為に、諡号の後にそれぞれの諱を連ねて呼び分けたりもする。前代の方を「荘公贖(そうこうしょく)」、後代の方を「荘公光(そうこうこう)」というように。
 だがこの本稿では両者を区別する必然性がない為に、後代の第25代の方を「斉荘公」とだけ呼ぶ。
 この斉荘公(荘公光)は、本書庫の後出の故事で語る通り、「蟷螂の斧」の故事成語(リンク先工事中)の当事者ともなった。


 斉荘公は斉霊公の嫡子であったが、性格に粗暴さが目立った。
 その上に斉霊光が寵愛していた夫人で、宋の公女の戎姫【じゅうき:姓は子(し)、名は不明】の策動によって、一旦は父・斉霊公によって太子の位から廃された。
 斉荘公は徳に欠ける君主であったので、即位実現の恩人でもあった、臣下の崔杼【姓は姜(きょう)、氏は崔(さい)、名は杼(ちょ)、諡号は崔武子(さいぶし)】の妻・東郭姜【姓は姜(きょう)、氏は東郭(とうかく)、名は不明】と不義密通した事から崔杼の怒りを買い、その結果崔杼によって暗殺される。
 斉荘公を弑殺した後に、崔杼は斉荘公の異母弟である公子杵臼を擁立し、即位させた。これが斉景公である。
 これらの詳細は【第二二計 関門捉賊】の故事(リンク先工事中)で語る。


 これら三君の中では、この斉景公の治世が群を抜いて長いので、晏嬰に関する逸話は、必然的にこの斉景公との遣り取りが、圧倒的大部分を占める。





 ♜ 晏嬰概論──────その人となり

 斉霊公の治世27年目の紀元前556年に、晏嬰の父・晏弱【姓は不明、氏は晏(あん)、名は弱(じゃく)、諡号は晏桓子(あんかんし)】が死んだ。それにより晏嬰は歴史の表舞台に登場した。
 そして晏嬰は斉景公の治世49年目の紀元前500年に死んだ。晏嬰は生年不詳な為に、享年も不詳である。


 そして晏嬰の出自も不詳である。管仲と晏嬰を主人公に採り上げた、前出の司馬遷の『史記』、その『史記』の中の【管晏列伝(かんあんれつでん)】では、


『晏平仲嬰(晏嬰)は、萊(らい)の夷維(いい)の人なり。』


という記述がある。
 晏嬰の父・晏弱が斉霊公に命じられて、斉よりも東方に位置した小国・萊の攻略を担い、何年も掛けて紀元前567年に遂に攻め滅ぼした。
 萊は斉と同様、現在の山東省に存在した。
 つまりは晏嬰は父・晏弱がその地に滞在していた時に生まれた、という事なのであろうか?それとも晏弱が滅ぼした後に、その地に住むようになっていたのか?その辺りが不明確である。


 そして晏嬰の生まれた晏氏という氏族のルーツも、史書には記載されていないので、本姓や祖先の事が不明である。
 為に晏氏はいつ頃から斉の大夫として仕えていたのかも判然としない。だが晏氏は斉では身分が高い氏族ではなく、権勢もなかった。


 晏嬰は辣腕の宰相として、その政治的手腕だけでなく、賢明ぶりや人徳の高さでも天下に高名であったが、稀に見る小男としても有名であった。
 身長が六尺にも満たなかったと言う。周代の一尺は22.5cmだったと言うから、晏嬰は135cmにも満たない低身長だった事になる。
 つまり現代で言う所の低身長症(小人症)だったのであろう。だが晏嬰はそのような体格的なハンディキャップなど、ものともしなかった。


 また晏嬰はその生涯において、質素倹約を好み贅沢を嫌った。卿に昇進してからも家庭内においては、食事に肉料理を二品と食さず、家族にも家に仕える妾(下女)にも、絹などの上等な衣類を着せなかった。
 晏嬰が宮廷に出仕している時は、国君に下問された時は正しい意見を述べ、なければ己のみで正しい振る舞いをしていた。
 国に道が正しく行われている時は君命に従い、道が正しく行われていない時は君命を慎重に検討し、行うべき事を行った。
 相手が国君であろうと、過ちや道理に外れた言動があれば、決して媚び諂う事なく、常に誅殺を覚悟で諫言した。
 晏嬰はこのように執政を行ったので、斉霊公・斉荘公・斉景公の三代の治世において重んじられ、晏嬰の名と共に斉の声威も天下に轟いた。
 国君が悪政や失政続きでも、晏嬰の威光によって支えられていた。それこそ管仲の執政期以来の、斉の第二の黄金期であった。


 そして父・晏弱の死から家督を継いで以来、57年間もの長きに亘って生きた後、紀元前で丁度500年に没した。
 晏嬰の死から114年後の紀元前386年に、斉は田氏一族に簒奪され、国祖・太公望以来続いた姜姓による統治は終焉を迎える。
 太公望以来の姜姓(呂氏)一族の支配による斉は「姜斉」、田氏が乗っ取って以降の斉は「田斉」と呼び分けられる。
 田斉が誕生するまでの間に、晏嬰に匹敵するだけの偉大な賢人は、遂に現れる事はなかった。晏嬰こそは斉(姜斉)における最後の星であった。





 さて、いよいよこれより以降の話は、晏嬰の生涯の言行録とも言うべき『晏子春秋(あんししゅんじゅう)』から取り上げる。
 その『晏子春秋』に集録された数多くの逸話の中から、晏嬰が指桑罵槐策を用いたと見做せる逸話を、全部で八本ばかり取り上げる。
 だが紹介する順番は『晏子春秋』に集録されている順であって、決して時系列順という訳ではなく、紀元前何年の出来事かも不詳である。





 ♝ 晏嬰の指桑罵槐策 其之一:礼無き事を望めば──────身を以て非礼を顕示する

 まず最初の第一本目の逸話は『晏子春秋』の【内篇(ないへん)】、その内篇の中の【諌上第一(かんじょうだいいち)】の第二章の逸話。





 ある日の事、斉景公が群臣を集めて宴席を催した。そして宴も酣になった頃に、斉景公は一座に向かって言い出した。


「本日寡人(かじん)【※1】は諸大夫と共に、楽しく飲み合いたいと思っておる。よってこの席では礼など無用である。」


 晏嬰には日頃から口煩く、特に礼に反していると諌められてばかりいたので、斉景公は内心面白くなかった。それでこのように晏嬰に対して、当て付けるように言ったのであった。
 それを聞き晏嬰は、慎んで姿勢を正して、斉景公の誤りを諌め始めた。


「君公の只今の御言葉は、間違っておられますぞ。群臣というのは元々、君主に礼がなき事を望んでおるのです。
 力が多く集まれば上の者に勝てるまでに至り、勇が多く集まれば君主を弑殺するまでに至ります。しかしそれらの振る舞いは、礼を守る立場からは許されませぬ。
 禽獣は力を恃んで政治を行い、強者は弱者を犯し、日々仕える主君を変えて行きます。もし今、君公が礼を捨て去るならば、それ即(すなわ)ち禽獣と何ら変わらなくなります。
 その結果、群臣は力を恃んで政治を行うようになり、強者は弱者を犯し、日々仕える主君を変えるようになるでありましょう。そうとなれば君公は、一体何処に身の置き所がありましょうや?」


 ここから晏嬰は、書物に記された詩文を引き合いに出した。


「凡そ人が禽獣よりも貴き存在であるのは、単(ひとえ)に礼があればこそ。
『詩経(しきょう)』【※2】の【国風(こくふう)】(の中の「相鼠篇(そうそへん)」の一節)にもこうあります。


『鼠を相(み)るに體(たい)有り、人にして禮(れい)無し。人にして禮無きは、胡(なん)ぞ遄(すみ)やかに死せざる。』

【意味:鼠を見れば、人と同じく手足が備わっている。
 それでも人と異なるのは、鼠には礼(禮)というものがないからである。
 だからこそ人でありながら礼がないのならば、何故さっさと死んでしまわないのか。】


と。故に礼はなくてはならぬものなのでございます。」


 だが斉景公はそんな晏嬰の諫言に、耳を傾ける素振りも見せなかった。
 それで晏嬰は一計を案じ、言葉では伝わらないのなら、実際の振る舞いを示して、間接的に諌めようと思った。


 それから少ししてから、斉景公が中座しようと席を立った。
 斉景公が退出する時に、礼儀として一同は立ち上がって見送ったが、唯一人晏嬰だけが起立せずに座ったままでいた。斉景公はその光景を内心見咎めたが、そのまま退出した。
 暫くして斉景公が席に戻って来たが、その時も同様に、一座の中で晏嬰一人だけが起立もせずに、座ったままでいた。これまた斉景公は気になった。
 そして君臣一同が交挙(こうきょ)【※3】しても、晏嬰は御構いなしに一人だけ先に飲み始めた。
 そんな晏嬰の度重なる非礼な態度に、斉景公は怒り顔色を変えた。斉景公は手を撫で睨み付けながら言った。


「先程夫子(ふうし)【※4】が寡人に教えし事は、無礼は良からず、という事ではなかったか!?
 然るに夫子の先程からの非礼な振る舞いは何ぞ!?
 寡人がこの場を出入するに際し、夫子だけは立ち上がらず、交挙すれば先に飲み始めると来たものだ!それが礼だと申すか!?」


 晏嬰は座席から出て、再拝稽首(さいはいけいしゅ)【※5】をしながら言った。


「この嬰が君公に申しました事を、何故に忘れましょうや?
 臣(しん)【※6】は無礼とは如何なるものなのかを、実際に振る舞う事によって示したのでございます。
 君公が礼のなき事を御望みにならば、このようになるという事でございます。」


 そこまで聞き、斉景公はとうとう己の非を認めるに至った。


「これは寡人の罪である。夫子よ、もう席に戻るが良い。寡人は夫子の言に従おうではないか。」


 そして觴三行(しょうさんこう)【※7】して、そこで酒を止めた。
 この一事以降、斉景公は法を整え、礼を修め、それで国政に臨んだので、百姓(ひゃくせい)【※8】は慎むようになった。





 ♞ 晏嬰の指桑罵槐策 其之二:桀紂でなくて幸い

 続いて第二本目の逸話は『晏子春秋』の【内篇】、その内篇の中の【諌上第一】の第四章の逸話。





 斉景公は酒宴を開き、それが七日七晩も続いた。
 いつまで経っても酒宴を止めようとしない斉景公に対して、弦章【姓(あるいは氏)は弦(げん)、名は章(しょう)】という臣下が遂に堪り兼ねて諌めた。


「君公が宴を始められてから、既に七日七夜にもなります。
 この章、君公にはこれ以上の酒宴は御止め下さるよう願います。
 もし御止めにならぬのであらば、何とぞこの章に死を賜り下さりますよう。」


 こう言われて斉景公は、ほとほと困り果ててしまった。
 丁度そこに晏嬰が現れた。斉景公は晏嬰に事の次第を告げた。


「弦章が寡人を諌めてこう申したのだ。これ以上の酒宴を止めよ、もしその気がなければ、死を賜りたい、と。
 これを聞き容れれば臣制(しんせい)【※9】となってしまい、宜しからず。
 かと言って聞き容れないとなれば、弦章に死を命じねばならなくなるので、それもまた惜しい。」


 そこで晏嬰は巧妙な弁舌を展開して、両者の窮状を救い出した。


「諌めた相手が君公で、弦章は幸いと言うべきでございました。
 もしも相手が君公ではなく桀紂(けっちゅう)であったなら、弦章はとうの昔に死んでおりましたぞ。」


「桀紂」とは夏王朝最後の天子となった夏桀王【かのけつおう:姓は姒(じ)、氏は夏后(かこう)、名は履癸(りき)】と、殷(商)王朝最後の天子となった殷紂王【いんのちゅうおう:姓は子(し)又は好(し)、名は辛(しん)】の二人の事である。
 両者とも無道な暴君として支那史上に悪名を遺し、遂にはそれぞれの王朝を滅ぼしてしまった。
 このように言われてしまった以上、斉景公が弦章に自裁(自死)を命じれば、自分を嘗ての暴君と同類だと認めた事になってしまう。
 ここにおいて斉景公は、遂に酒宴を止めざるを得なくなった。
 こうして晏嬰は巧妙な弁舌の術を用いて、斉景公の面子を損なう事なく、弦章の命をも救ったのであった。





 ♟ 晏嬰の指桑罵槐策 其之三:圉人を誅殺より救う

 次に第三本目の逸話は『晏子春秋』の【内篇】、その内篇の中の【諌上第一】の第二十五章の逸話。この逸話では晏嬰が指桑罵槐策を、二度連続で使う。





 斉景公には御気に入りの馬があった。しかしその愛馬が突如病死してしまった。
 斉景公は大層怒り、責任者の圉人(ぎょじん)【※10】肢解(しかい)【※11】という酷刑に処そうとした。
 さていよいよ刑場にて、刑吏が刑具の刀を持って、圉人に肢解を執行しようとした所、その場に現れた晏嬰は、一先ずは刑吏を押し止めて、斉景公に拝謁した。
 そして斉景公に尋ねた。


「古の聖天子たる堯舜(ぎょうしゅん)【※12】は、人を肢解するに、体のどの部分より始められましたでありましょうや?」


 斉景公は予想外の事を問われて驚き、思考が混乱した。その為に、


「寡人より始まる。」


 などと、意味不明な返答をした。
 支那史上聖天子として讃えられているだけあって、慈悲深い堯舜が肢解などという酷刑をする筈がないので、晏嬰はそれを承知で問い掛けたのである。
 斉景公に慈悲の心を呼び起こそうとするのが狙いである。
 そして前述の言動から、斉景公にも悔悟の念が生じた事が窺える。即ちこれが一度目の指桑罵槐である。


 斉景公はさすがに行き過ぎたと悔いて、圉人への肢解の執行は取り止めた。
 代わりに圉人の身柄を獄吏に引き渡し、獄(牢獄)に繋ぐように命令した。
 つまり肢解まではしないにしても、いずれは別の方法で処刑するという事であり、処刑そのものを取り止めた訳ではない。
 そこで晏嬰は二度目の指桑罵槐を用いようと考え、斉景公にこう申し出た。


「この者は己の罪を知らずして死ぬ事となります。それ故に臣から君公に御願い申し上げます。
 この者の罪状を一つ一つ数え上げながら責め立て、己の罪を知らしめさせてから、この者を獄へ投じましょう。」

「うむ。そうするが良かろう。」


 そうして晏嬰は圉人の前に進み出て、圉人に罪状を告げ始めた。





後続  故事其之陸 ─ 乙

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こうしたトップを上手に諌めるようなNo2がいるとトップは少々能力が低くても結果名君と言われますね。最高のNo2を持つといいですが、最低なNo2であれば自分がでしゃばっておかしくしかねません。鳩山の時の菅副総理みたいに。TBします。

2014/1/5(日) 午後 3:19 千葉日台

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3本連続の返礼TB&ナイス☆、どうもありがとうございました。まず最初に纏めて感謝御礼申し上げます!!


トップとナンバーツーですが、トップが余りに悪過ぎると、どんなに優秀なナンバーツーの補佐でもカバーし切れないかと思います。ミンス政権時の三馬鹿総理みたいに。
ミンスの三首相の時は、トップもナンバーツーも、どうしようもない屑揃いでしたからね。

三国志で有名な諸葛孔明は不運でしたね。
劉備の死後に跡を継いだ劉禅が、出来の悪い暗君だった為に、孔明の生前の努力や苦労も、結局は実を結ばず、国を滅ぼしてしまいました・・・・・・(ーー;)。

2014/1/5(日) 午後 6:33 ZODIAC12

私の該当記事との関わりがいまだ不明なのですが、要するに晏嬰が小男にもかかわらず大物相手に堂々と渡り合ったという点でしょうか。

ただ確かに、この点は今の日本の保守層に著しく欠けている点かもしれません。

三流国家のシナや朝鮮半島への批判は頻繁にしているが、アメリカ相手だととたんにトーンダウンしてしまい、同じことをしていても「日本のマスコミが歪曲して報道した」とか、それでも具体的な証拠を突きつければそれを徹底して無視して聞かないふりをするように。

ナイスTBします。

2014/1/6(月) 午前 8:25 [ 彩帆好男 ]

ナイス☆感謝します。

そして折角TBを返礼に貼って下さったのに、クリックしてもそちらの元記事が、どちらも表示されませんでした。
誠に残念ですが、仕方ありません。御気持ちだけ御受けします。どうもありがとうございました。


御記事との関連性は、「ディベートのテクニックやノウハウ」「相手を説得させられる弁舌」といった事柄です。小柄な体格とか、相手の地位が高い事とかは無関係です。


>アメリカ相手だととたんにトーンダウンしてしまい

2014/1/6(月) 午後 5:18 ZODIAC12

今まではそうだったかも知れませんが、この度は珍しく・・・つまり安倍首相が靖国参拝した事にアメリカが抗議しましたが、保守層が全部ではないにしても、かなりの数がアメリカにハッキリと反発しました。

左翼メディアが普段はアメリカを扱き下ろしてばかりいるくせに、こういう時には都合良くアメリカを利用するダブルスタンダードぶりを晒した事に対する嫌悪感もありますが、今回は「アメリカ黙れ!」とハッキリ突っ撥ねた訳ですから、少しずつ変化はしていますね。

2014/1/6(月) 午後 5:19 ZODIAC12

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