YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

仮設・暫定・臨時

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※ この記事は一時的な仮のものですので、コメント欄は閉じてあります。後で正式に書庫を設け、再収録します。





【※1】泓水(おうすい)・・・・・河川名。戦場となったのは、この河川の流れている現在の河南省商丘市柘城県(かなんしょうしょうきゅうしたくじょうけん)。



【※2】大司馬(だいしば)・・・・・単に「司馬(しば)」とも。一国の全軍を統括する官職。現代で言えば「防衛大臣」「国防長官」に相当。



【※3】門官(もんかん)・・・・・宮殿の王門を守備する官吏で、君主が出陣すれば、君主の左右にあって護衛の役を果たす。つまり宋襄公の周囲を固めていた親衛隊という事か。



【※4】二毛(にもう)・・・・・白髪交じりの老人。白髪交じりと言うならば、初老位の年代であろうか?



【※5】胡耇(ここう)・・・・・八十、九十歳位の老人。



【※6】臣(しん)・・・・・臣下の立場にある者が、自身を指して呼ぶ時の一人称。自身の仕える主君と相対している時に用いる。
 例え自身が仕える主君でなくとも、相手が君主クラスの人物の場合は、謙遜して用いたりする。



【※7】葵丘(ききゅう)・・・・・現在の河南省開封市蘭考県(かなんしょうかいほうしらんこうけん)。



【※8】左師(さし)・・・・・当時の官職の一。詳細は不詳だが、宰相だったのであろうか?対になる「右師(ゆうし)」という官職もある。



【※9】鹹(かん)・・・・・地名。現在の河南省濮陽市濮陽県(かなんしょうぼくようしぼくようけん)の東南。



【※10】淮夷(わいい)・・・・・淮(わい)は現在の江蘇省淮安市盱眙県(こうそしょうわいあんしくいけん)か、同省同市淮陰区(わいいんく)か、安徽省蚌埠市五河県(あんきしょうほうふしごかけん)の辺り。
 その地に盤踞していた異民族。



【※11】杞(き)・・・・・周代の諸侯国の一。杞公室は夏王朝初代・夏禹王【かのうおう:姓は姒(じ)、氏は夏后(かこう)、名は文命(ぶんめい)】の末裔と称していた。
 その為に姓は夏王室と同じく姒(じ)。



【※12】徐(じょ)・・・・・東夷諸国の一で、「徐戎(じょじゅう)」「徐夷(じょい)」「徐方(じょほう)」とも呼ばれる。
 また異民族ではあるものの、周王朝によって封じられた諸侯でもある。姓は嬴(えい)。



【※13】牡丘(ぼきゅう)・・・・・現在の山東省聊城市(さんとうしょうりょうじょうし)。



【※14】鶃(げき)・・・・・鷺(さぎ)に似た水鳥。



【※15】内史(ないし)・・・・・周代においては国の法典を司る。主な職務は「王の八枋(はっぽう)の法(爵・禄・廃・置・殺・生・予・奪)を司る。」ともある。
 その他いくつかの職務があるようだが詳細は不詳。



【※16】三桓氏(さんかんし)・・・・・魯において権勢を誇った三大氏族、孟孫氏【もうそんし、仲孫氏(ちゅうそんし)とも】・叔孫氏(しゅくそんし)・季孫氏(きそんし)の総称。
 魯公室を棚上げして国政の実権を奪い、専権を振るった。
 呼称の由来は三氏族とも元は、魯の第15代国君・魯桓公【ろのかんこう:姓は姫(き)、氏は魯(ろ)、名は允(いん)】から枝分かれした家系だからである。
 季友は季孫氏の氏祖(三桓氏第一世代)であり、公孫茲は叔孫氏の氏祖・叔牙【姓は姫(き)、氏は叔孫(しゅくそん)、名は牙(が)、字は叔(しゅく)、諡号は僖叔(きしゅく)】の子(三桓氏第二世代)である。



【※17】鄶(しょう)・・・・・周代の諸侯国の一。姓は姒(じ)。



【※18】次睢の社(じすいのしゃ)・・・・・詳細は不詳だが、土地の神で、東夷が祀ってる神だとある。



【※19】崇侯(すうこう)・・・・・殷(商)最後の天子(王)である殷紂王に仕えた諸侯の一人。佞臣であり、人民を苦しめたと言う。



【※20】三旬(さんじゅん)・・・・・三十日。



【※21】詩経(しきょう)・・・・・四書五経の内の五経の一。ここで挙げた詩文は『詩経』の中の【大雅(たいが)】、その【大雅】の中の≪思斉篇(しせいへん)≫にある一節である。



【※22】鹿上(ろくじょう)・・・・・現在の安徽省阜陽市(あんきしょうふようし)の西。



【※23】盂(う)・・・・・現在の河南省商丘市睢県(かなんしょうしょうきゅうしきけん)の西北。



【※24】薄(はく)・・・・・地名。あるいは「亳(はく)」とも。現在のどの辺りかは不詳。



【※25】令尹(れいいん)・・・・・楚独自の官職名。楚においては群臣の中の最高位であり、他国で言う所の宰相に相当。



【※26】緡(びん)・・・・・地名。現在のどの辺りかは不詳。



【※27】商(しょう)・・・・・地名。現在の河南省商丘市(かなんしょうしょうきゅうし)。



【※28】玄鳥(げんちょう)・・・・・燕。



【※29】司徒(しと)・・・・・官職名。後世では六卿の一。教育・土地・人事を司る。



【※30】百姓(ひゃくせい)・・・・・後世では「人民」「多くの民」という意味になるが、古代においては「百官」の意。官職に就いた者に姓を賜っていた事から。
 凡そ秦代以前までは、姓や氏を名乗るのは、王侯貴族等の支配階級だけであった。



【※31】五品(ごひん)・・・・・父・母・兄・弟・子の家庭内における五種の別と、それぞれの守るべき秩序。あるいは父子・君臣・夫婦・年長と年少・友人同士の、五種の秩序ある関係。



【※32】五教(ごきょう)・・・・・『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』では、「父の義、母の慈、兄の友(愛)、弟の恭(順)、子の孝」の五徳。『孟子(もうし)』では「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」の五徳。
 ここでは前者の方を意味する。



【※33】后稷(こうしょく)・・・・・古代の官職名で、農業を司る官の長。当初は姫姓の始祖・弃が「農官の長」という意味で名乗った号。



【※34】亳(はく)・・・・・現在の河南省商丘市(かなんちょうしょうきゅうし)。



【※35】史(し)・・・・・太史官。歴史を記録・編纂する職掌の官吏。



【※36】策(さく)・・・・・文章を書き記す木製又は竹製の札。後世紙が発明されるまで、その役割を果たした。



【※37】卜人(ぼくじん)・・・・・卜占を掌る官職。



【※38】北面(ほくめん)・・・・・臣下として仕える事。それとは対照的に、君主として君臨する場合は「南面(する)」と言う。
 これらの由来は、真北が帝王の方角とされる事から、帝王(君主)の玉座は真北の位置に置かれているので、群臣に対面する時は必然的に真南の方角に面する形になる。その事から「南面(する)」が、君主として君臨する事を意味するようになった。
 反対に群臣その他は、真北の玉座に坐す君主を仰ぎ見る時には、必然的に真北の方角に面する形になる。その事から「北面(する)」が、臣下として仕える事を意味するようになった。



【※39】河(か)・・・・・ここでは黄河(こうが)の事。別には「河水(かすい)」とも呼ばれていた。



【※40】書経(しょきょう)・・・・・【※21】詩経と同じく四書五経の内の五経の一。古くは『書(しょ)』『尚書(しょうしょ)』と呼ばれていた。
 支那史上最古の歴史書であり、主に堯帝・舜帝から夏・商(殷)・周の三代に懸けての帝王の言行録を書き記した書物。



【※41】百姓(ひゃくせい)・・・・・時代によって意味が変遷して来た。
 元来は諸々の有姓の階級、すなわち姓を名乗る事を許された天子や諸侯等の支配階級のみを指していたが、時代が下るに連れて、階級問わず天下万民を指すようになった。この話の時代(周代初期)では前者の意味。
 支那では我が国におけるような「農民」という意味では使われない。



【※42】豊(ほう)・・・・・地名。「豊邑(ほうゆう)」とも。
 周王朝の王都・鎬京(こうけい)と同じく、現在の陝西省(せんせいしょう)の省都・西安市(せいあんし/シーアンし)に位置していた。
 西安市は漢代以降は「長安(ちょうあん)」の名で知られ、歴代王朝の国都として繁栄して来た。
 豊(豊邑)は周文王が建てた都であり、周が殷を滅ぼし、天下を取るまでは周の国都だった事もあってか、周文王の廟が建っている。



【※43】畢(ひつ)・・・・・鎬京や【※42】豊と同じく、現在の陝西省西安市にあった。周文王の墓がある地だという。
 周文王の庶子で、周武王や周公旦等の異母弟だった公子高【姓は姫(き)、氏は畢(ひつ)、名は高(こう)】こと畢公高(ひつこうこう)が諸侯として封じられた国でもある。



【※44】予小子(われしょうし)・・・・・天子の自称の一。同じ読みで「朕小子」とも。
「小子」とは「小児」「未熟者」等の意。またこのように自身を呼ぶ事で、周成王は一介の臣下としての待遇で周公旦を葬る事を憚り、敬意を表した。



【※45】執事(しつじ)・・・・・官職名。貴人に仕えて使令(召使い)を務める。



【※46】大司馬(だいしば)・・・・・国の兵馬の権(軍事権)を握る官職で、現代で言う処の防衛大臣・国防長官に相当。



【※47】社稷(しゃしょく)・・・・・「社」は「土地の神」あるいは「土地の神を祭る祭壇」。「稷」は「穀物の神」あるいは「穀物の神を祭る祭壇」。
 転じて「国家」を意味するようになった。土地と土地から取れる農作物こそが国家の基礎である事、そして君主が国全体の社稷の祭祀を執り行うようになった事から。



【※48】上卿(じょうけい)・・・・・君主を輔弼して卿──────国政を担う役職付きの大夫──────たちを束ね、統括する官職。つまり宰相の事。宰相の別な呼び方は、これ以外にも何種類かある。



【※49】鼎(かなえ)・・・・・金属で出来た三本足の巨大な鍋。元々は食物を煮炊きする為の調理器具であったが、宗廟での祖先祭祀で供える犠牲の肉を煮る事にも使われるので、祭器の一種でもある。



【※50】𩙿+亶(せん)・・・・・固粥。現在の御飯に近い、水分の少ない固目の粥。



【※51】鬻(しゅく)・・・・・薄粥。「汁粥(しるがゆ)」とも。水分が多くてほとんど歯応えのない軟らかい物で、現在でも「粥」と呼ばれている物。



【※52】夫子(ふうし)・・・・・男子の通称。高い身分(主に大夫以上)にある者に対する敬称。賢者・年長者・先生を呼ぶ敬称。孔子の弟子たちが、師匠の孔子を呼ぶ時の敬称。



【※53】太宰(たいさい)・・・・・「大宰」「冢宰(ちょうさい)」とも。周代における官職の最高位に当たり、全官吏を統括して君主を輔弼する。いわば宰相である。



【※54】郜(こう)・・・・・周代の諸侯国の一。姫姓の国とあるが詳細は不詳。



【※55】乗丘(じょうきゅう)・・・・・現在の山東省済寧市兗州市(さんとうしょうさいねいしえんしゅうし)。



【※56】蒙沢(もうたく)・・・・・現在の河南省商丘市(かなんしょうしょうきゅうし)。



【※57】蕭(しょう)・・・・・現在の江蘇省徐州市(こうそしょうじょしゅうし)。



【※58】亳(はく)・・・・・現在の河南省商丘市(かなんしょうしょうきゅうし)。



【※59】醢(かい)・・・・・「ひしお」「ししびしお」とも読む。肉の塩辛。骨を抜いた肉を麹・塩・酒等に漬けた物。
 または罪人を処刑した後、死体の肉を塩漬けにする刑罰。本文では言うまでもなく刑罰の意味。



【※60】淫雨(いんう)・・・・・長く降り続く雨。



【※61】粢盛(しせい)・・・・・祭祀に供える穀物。



【※62】偪陽(ふくよう)・・・・・周代の諸侯国の一。国姓は妘(うん)。現在のどの地にあったのかは不詳。



【※63】邑(ゆう)・・・・・領主の支配する領地。人の住む町や村。国の中央の邑が「都」で、それ以外が邑。



【※64】笄年(けいねん)・・・・・女子が初めて笄(こうがい)を差す年齢、つまり(数えで)15歳の事。女性の結婚適齢期。
「笄」とは束ねた髪を留める簪で、当時の女性は15歳になると、婚約者を決めて笄を髪に差した。



【※65】委吏(いり)・・・・・穀物を収蔵している倉庫の出納係。



【※66】司職吏(ししょくり)・・・・・犠牲にする六畜──────牛・馬・羊・鶏・豚・犬──────を飼育する職務。



【※67】司空(しくう)・・・・・周代における六官(りくかん)の一。治水や各種土木工事を統括する官職。



【※68】汝(なんじ)・・・・・目下や親しい間柄の相手に対して用いる二人称。



【※69】喟然(きぜん)・・・・・溜息を吐く様子。嘆息する様子。



【※70】右師(ゆうし)・・・・・【※8】左師(さし)と対になる官職。君主を補佐する宰相に当たる。



【※71】孟諸沢(もうしょたく)・・・・・沼沢の名。宋の国都・商丘の北にあるという。良い狩猟場で、諸侯がよく狩猟に来ていたという。



【※72】少子(しょうし)・・・・・末子。



【※73】田弋(でんよく)・・・・・狩猟の事。
「田(でん)」は田猟を意味し、山野を駆け巡って獣を狩る事。
「弋(よく)」は「いぐるみ」とも読み、獲物の鳥に絡めて落とす為に、矢に紐や糸を結び付けた物。又はその方法を指す。
 すなわち「田」と「弋」を併せて、狩猟を意味する。



【※74】司城(しじょう)・・・・・宋における独自の官職名で、他国で言う所の六卿の一である司空(しくう)の事。土地や土木建築、人民の管理を職掌とする。
 第12代国君・宋武公の名(諱)が同じく「司空」であった事から、宋武公を憚って「司城」と改めた。
 だが何故他国である曹までが同じ呼称を使用していたのか、理由は不詳である。



【※75】熒惑(けいわく)・・・・・火星。



【※76】心宿(しんしゅく)・・・・・二十八宿(にじゅうはっしゅく)の一。和名・訓読みだと「なかごぼし(中子星)」と呼ぶ。
「二十八宿」とは支那独自の天文学・占星術の概念であり、天球を全部で28の方角・エリアに区分したもの。又は支那独自の28の星座。



【※77】司星(しせい)・・・・・官職名。天文を掌る。



【※78】股肱(ここう)・・・・・「股」は足の股、膝から上の内股の部分。「肱」は肘。
 転じて自分の手足のように最も信頼する部下、臣下を指す。「股肱の臣(ここうのしん)」とも言う。



【※79】大尹(たいいん)・・・・・人名ではなく、官職名であろうか。具体的な職務内容は不詳。



【※80】箕子(きし)・・・・・名は「胥余(しょよ)」だと言われるが定かではない。
 殷(商)の王族の一人で、殷(商)王朝最後の王・殷紂王の叔父。故に宋の初代と第2代の微子啓・微仲衍兄弟の叔父でもある。
「箕(き)」とは国名で、諸侯として箕に封じられた事に因み、「箕子」と呼ばれる。
 大変な賢人であり、主君そして甥でもある殷紂王の淫蕩ぶりを度々諌めたが、聞く耳持たれなかった。そして遂には殷紂王によって幽閉されたりした。
 王朝の行く末を悲観し、遂には狂人を装って奴隷の身分に身を窶した。
 王朝滅亡後、周武王によって朝鮮半島の地に封じられた。
 そうして建国されたのが箕子朝鮮(きしちょうせん)だと言われるが、未だ伝説上の域に止まっており、史実上の確かな存在だったという確証もない。



【※81】比干(ひかん)・・・・・「王子比干(おうじひかん)」とも呼ばれる。本名は不詳。
【※80】箕子や、微子啓・微仲衍兄弟等と同様、殷の王族の一人。箕子と同様に殷紂王・微子啓・微仲衍等の叔父でもある。
「干(かん)」は諸侯として封じられた国の名だと言う。「比(ひ)」は何を意味するのかは不詳。
 暴政を重ねる殷紂王を度々諌めた事で怒りを買った。決して諦めずに諫言を繰り返した事で、殷紂王は遂に堪忍袋の緒が切れ、誅殺された。
 殷紂王は、「聖人の心臓には七つの穴があると聞く。それが事実か確かめてみようではないか。」と言って、比干の胸を切り裂いて殺し、その心臓を見た。



【※82】春秋(しゅんじゅう)・・・・・幾通りかの意味があるが、ここでは経典名で、魯で記録・編纂された史書の題名である『春秋』を指す。
 他には「春と秋」「年月」「年齢」等。そして支那史上の時代区分である「春秋時代」の意味もある。
 この時代呼称の由来は、歴史書『春秋』に書かれている時代である事に由来する。

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