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ブログの停止は、PCの不具合もありますが、なんとなく転載が多くなり、独自の記事をあまり書けなくなって、続けるのが面倒になったというのが、本当のところです。 今更、再開するのもなんとなく面はゆい気もしますし、パスワードもはっきりと思い出さないので、もう放置しようと思っています。 >宋襄公は時代錯誤で、一種の復古主義に拘ってたと言えるでしょう。 しかしそんな宋襄公を「大義に則った立派な振る舞い」と評価する同時代人もいた> そう聞くと、宋襄公を現代の左翼と同類にしてしまうのはちょっとかわいそうかもしれませんね。とはいえ、微妙な人物ですね。上杉謙信のように敵に塩を送っても、それを受け取る心が敵にあればうまくいくのでしょうけど。 理想も教条主義になってしまっては、現実を変える力はないですね。何を優先するかをわかっていない人間は、だめですね。
2014/6/16(月) 午前 11:49 [ 木蓮 ]
どうもまたまた遅くなりました。 そうですか・・・PCを新調しても、ブログ再開するつもりはないのですね。それにパスワードも忘れてしまわれたとは・・・・残念ですが、仕方ありませんね。 ところで新しいIDとHNで別ブログを開設されたみたいですが、新しく「木蓮さん」と御呼びすれば宜しいでしょうか?それとも今まで通り「さざんかさん」でも宜しいのでしょうか? 儒教の祖・孔子も宋襄公を称賛していたみたいです。 互いに生きた時代は違いますが、同じ復古主義者でもありましたから、波長が合ったのかも知れません。 そして二人とも、現状を余りに忌避し過ぎた頑なな側面があったのだと思います。 だからこそ柔軟性に欠け、結果的に成功しなかったのだと思います。 こんな内容のないコメントで何ですが・・・・(ーー;)。ところで「宋襄の仁」という故事成語は既に御存知でしたか?
2014/6/19(木) 午後 7:32
ああ、モクレンは、ある人のブログの転載ばかりなので、やはり元のさざんかで、こちらには来ようと思っています。上の記事は転載したままで、うっかりログアウトしてなかったのですが,今後もうっかりそのまま来るかもしれませんが、さざんかで、お願いします。 「宋襄の仁」は今回初めて知った言葉です。 この宋襄公という人も、古代の礼儀や道徳を理想とする心情もわかる気もしますが、、やはり優勢な敵を相手にしているという現実において、勝利の策を持たないままで、勝機を逃すのは、愚かいう気がどうしてもしますね。 ふと連想したのは、明治天皇が、日露戦争開戦に際して、 四方の海 みなはらからと思う世に など波風の起こるらん と詠まれた逸話ですが、敵に対して平等の思いがちょっと似ているような気もしましたが、これは戦わないですむなら、そうしたいという心であって、いざ戦ったら、ひたすら日本の勝利を祈られていたのですから、似ているようでも、ちがいますね。
2014/6/20(金) 午後 1:41 [ さざんか ]
どうもかなり遅くなりました。いつも御待たせしてばかりで・・・。 あ、いえ・・・どちらかと言うと、新しいブログのIDで来て下さった方が良いかと思います。その方が本当にさざんかさんだなと安心出来ますから。 いえ、何も非ログイン状態の書き込みだから信用出来ないという意味ではなくて、IDとかブログを御持ちなら、なるたけそちらの方が望ましいというだけです。 それならHNからすぐにそちらのブログへ辿れたりもしますし。 そしてHNの方も新しく「木蓮」と変えられたようですが、例えHNが「木蓮」と表示されていても、私としては今まで通り、「さざんかさん」と呼び続けようと思っています。 ところで新ブログの方がゲストブックを閉じられているみたいですが、何か理由でもおありですか?それですとメッセージを使うしかありませんが。
2014/6/28(土) 午後 0:24
さて、この宋襄公なる君主、個人の性格もあるのでしょうけど、何やら自分の血統を強く意識していたのかなと思えるのですが。 記事でも述べていますように、この時代(周代)より一つ前の時代の王朝であった商(殷)の末裔ですからね。 殷が周によって滅ぼされて天下を奪われ、殷の王族の生き残りがその周の臣下として仕えるようになり、周王朝に諸侯として宋に封じられた訳です。 日本史上に置き換えて言えば、家康が天下を取った後に、豊臣家の血筋の者や、鎌倉幕府の源氏将軍家の末裔、執権北条氏の末裔、足利将軍家の末裔とかが、大名として立てられて、どこかの藩に封じられたようなものです。 尤もこの話は後の方で詳しく語る予定ですが。
2014/6/28(土) 午後 1:02
そして同じく後で語る予定ですが、儒教の祖・孔子もこの宋公室から枝分かれした血統です。 宋襄公の祖先の代で枝分かれした系統ですので、孔子も同じく殷王朝の末裔です。 二人とも前時代の血脈である事から、古い時代の失われつつあった礼制とかを頑ななまでに固守しようという意識が強く働いたのかも知れません。 それでこんな非現実的で滑稽な方策を選択してしまったのかと。 その明治天皇の御製の御歌は初めて知りましたが、何やら違う気がしますね。 宋襄公のそれは、そういった人種とか民族を分け隔てしない、一視同仁な理念というのでもなく、依怙地なまでに古代の礼法に盲目的に従っただけだと思いますから。 明治天皇と違って宋襄公は、単なる硬直した教条主義者だったと思います。 ここの所、ブログをしている時間が取り辛くなっていて、思うように記事更新や返信が書けません。 申し訳ありませんが、他の所のも今少し御待ち下さい。
2014/6/28(土) 午後 1:03
それでは、新しいHNを使わせていただきます。このHNをつかうなら、呼び名はどちらでもいいですよ。木蓮で統一した方がいいかもしれません。 今、この前紹介した明治天皇の御製を見て、違っていることに気づきました。あれほどよく知っているつもりなのに、自分で読んで、あれっと思いました。正しくは、 四方の海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん です。これは昭和天皇が開戦の時の御前会議で、この明治天皇の御製を取り出して読まれたということでも有名です。 確かにその後読み進んでも、宋襄公の人柄は、明治天皇とは完全に違いすぎますね。仰るとおり教条主義ですね。孔子が評価したということで、少しはそうした人格的な部分があるのかと思いましたが、同じ祖先を共有する贔屓目が評価させたのだと思うと、それなりに孔子を 一目置いてみていたイメージがちょっと崩れますね。とはいえ、孔子に関しても最近はネットで色々書いてあるので、かなり崩れつつありましたけど。 記事更新や返信は気になさらず、時間があるときで構いません。私の方も同様ですので、お互い様です。
2014/7/10(木) 午後 4:58 [ 木蓮 ]
ゲストブックがないことに、初めて気づきました。さっそく出して置きます。
2014/7/10(木) 午後 5:02 [ 木蓮 ]
またも遅くなりました。本当にいつもいつも・・・・・。 そしてここの記事シリーズ、まだ書き掛け途中の未完結状態で申し訳ないです。 ここの所、どうも調子が出ませんね。ブログにも集中出来ません。 それでは分かりました。それでは基本「木蓮さん」と呼ぶ事としましょう。 もしかしたらたまに、気分次第で旧HNの方で呼ぶ事もあるかも知れませんが。
2014/7/17(木) 午後 6:26
その明治天皇の御製の御歌とは対照的なメンタリティでしたが、先日も紹介しました『春秋公羊伝』のような、肯定的な評価もあるにはあるんですよね。 宋襄公は如何にも日本の左翼が好みそうな人物ですけど・・・・・。 けど決して軍事そのものを忌避してたワケではないんですけどね。 また独善ぶりが甚だしかったにせよ、少なくとも売国的行為はしなかったワケです。 まあそれは君主ですから当然なんですけどね。 宋襄公は美点が全くなかったかと言うと、決してそうでもなく、次の記事でも書いた通り、後に覇者となる晋文公の器量を見抜いて礼遇したりとか、一応人を見る目はあったみたいです。
そうですか、宋襄公は美点もあったのですね。目夷が誠実に仕えているのですから、そういう部分がないとやってられないでしょうね。それに目夷に対しても、庶子の兄弟だからといって変なライバル心など持たずに信頼しているのですから、おそらく悪い人間ではないのでしょうし、だから礼を重んじるなどという気持ちも生じたのかもしれませんね。
2014/7/20(日) 午前 1:24 [ 木蓮 ]
そうなるでしょうかね。政治家としては評価出来ませんし、欠点も多々あったようですが、根っから悪い人間ではなかったのは間違いないでしょう。 いっそ公子目夷が即位していれば、まだ違ってたかも知れません。 そうすれば宋襄公よりずっと名君になってたかも知れないので、惜しい気がします。
2014/7/20(日) 午後 0:56
ほんとに目夷が即位していれば良かったのにと思いますね。 目夷も、庶子の自分が君主になるよりも、少し愚かでも御しやすい君主をきちんと補佐することで、国を安泰にするほうがいいと思ったのでしょうね。まさか宋襄公がこれほど傲慢になるとは予想外だったのでしょうね。
2014/7/26(土) 午後 2:38 [ 木蓮 ]
目夷にも予想外だったでしょうね。宋襄公がこんな風に暴走を始めるとは。 支那に限らず、さほど有能でも聡明でもない嗣子が跡目を継いでも、優れた兄弟たちが欠点を補うというのはよくある事ですね。 または君主(当主)が凡庸でも、補佐役の叔父たちが有能だとか。 この宋のケースでは残念な事に、公子目夷は補佐し切れなかったですが。
2014/7/27(日) 午前 10:26
そうですね。意外と公子目夷の言うことを聞きませんよね。 宋襄公は目夷を信頼していると思っていましたが、というか、信頼はしているのでしょうが、やはり心の何処かで、兄弟としてのライバル心があったのかもしれませんね。自分が無能ではないということを見せたい欲求があったのでしょうか?
2014/8/9(土) 午後 0:24 [ 木蓮 ]
あるいはそうかも知れません。また悉く諫言する公子目夷を、内心煩く思って反発していたのも手伝って、より依怙地になっていたのかも知れません。
2014/8/10(日) 午前 11:09
たしかに、そうなんでしょうね。
2014/8/18(月) 午後 0:33 [ 木蓮 ]
はい。
2014/8/18(月) 午後 5:27
勝機を逸すると言う事は致命的ですね。その逆が信長の桶狭間だったり或いは日露戦争の第一軍だったり、決して兵力が潤沢ではない中で一瞬のすきを逃さないピンポイント攻撃で流れが変わる事がありますね。TBします。
2014/10/8(水) 午前 7:23
返礼TB+1本分追加、どうもありがとうございました。 こちらからも後で伺いますので、今暫し御待ち下さい。 本当に宋襄公は勝機を逸してしまいました。尤も勝機とか勝算とか、そういう合理的思考の持ち主ではなかったので、記事にもあるように、忠告を受けても何の意味もなかった訳でして・・・・・。 やはり戦争は合理主義に徹すべきですね。でないと勝てる戦争も勝てなくなります。記事の時代の戦争は、まだ孫子が出現する前でして、そういった科学的合理的思考とは程遠い戦争スタイルでした。
2014/10/8(水) 午後 8:26
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今更、再開するのもなんとなく面はゆい気もしますし、パスワードもはっきりと思い出さないので、もう放置しようと思っています。
>宋襄公は時代錯誤で、一種の復古主義に拘ってたと言えるでしょう。
しかしそんな宋襄公を「大義に則った立派な振る舞い」と評価する同時代人もいた>
そう聞くと、宋襄公を現代の左翼と同類にしてしまうのはちょっとかわいそうかもしれませんね。とはいえ、微妙な人物ですね。上杉謙信のように敵に塩を送っても、それを受け取る心が敵にあればうまくいくのでしょうけど。
理想も教条主義になってしまっては、現実を変える力はないですね。何を優先するかをわかっていない人間は、だめですね。
2014/6/16(月) 午前 11:49 [ 木蓮 ]
どうもまたまた遅くなりました。
そうですか・・・PCを新調しても、ブログ再開するつもりはないのですね。それにパスワードも忘れてしまわれたとは・・・・残念ですが、仕方ありませんね。
ところで新しいIDとHNで別ブログを開設されたみたいですが、新しく「木蓮さん」と御呼びすれば宜しいでしょうか?それとも今まで通り「さざんかさん」でも宜しいのでしょうか?
儒教の祖・孔子も宋襄公を称賛していたみたいです。
互いに生きた時代は違いますが、同じ復古主義者でもありましたから、波長が合ったのかも知れません。
そして二人とも、現状を余りに忌避し過ぎた頑なな側面があったのだと思います。
だからこそ柔軟性に欠け、結果的に成功しなかったのだと思います。
こんな内容のないコメントで何ですが・・・・(ーー;)。ところで「宋襄の仁」という故事成語は既に御存知でしたか?
2014/6/19(木) 午後 7:32
ああ、モクレンは、ある人のブログの転載ばかりなので、やはり元のさざんかで、こちらには来ようと思っています。上の記事は転載したままで、うっかりログアウトしてなかったのですが,今後もうっかりそのまま来るかもしれませんが、さざんかで、お願いします。
「宋襄の仁」は今回初めて知った言葉です。
この宋襄公という人も、古代の礼儀や道徳を理想とする心情もわかる気もしますが、、やはり優勢な敵を相手にしているという現実において、勝利の策を持たないままで、勝機を逃すのは、愚かいう気がどうしてもしますね。
ふと連想したのは、明治天皇が、日露戦争開戦に際して、
四方の海 みなはらからと思う世に など波風の起こるらん
と詠まれた逸話ですが、敵に対して平等の思いがちょっと似ているような気もしましたが、これは戦わないですむなら、そうしたいという心であって、いざ戦ったら、ひたすら日本の勝利を祈られていたのですから、似ているようでも、ちがいますね。
2014/6/20(金) 午後 1:41 [ さざんか ]
どうもかなり遅くなりました。いつも御待たせしてばかりで・・・。




あ、いえ・・・どちらかと言うと、新しいブログのIDで来て下さった方が良いかと思います。その方が本当にさざんかさんだなと安心出来ますから。
いえ、何も非ログイン状態の書き込みだから信用出来ないという意味ではなくて、IDとかブログを御持ちなら、なるたけそちらの方が望ましいというだけです。
それならHNからすぐにそちらのブログへ辿れたりもしますし。
そしてHNの方も新しく「木蓮」と変えられたようですが、例えHNが「木蓮」と表示されていても、私としては今まで通り、「さざんかさん」と呼び続けようと思っています。
ところで新ブログの方がゲストブックを閉じられているみたいですが、何か理由でもおありですか?それですとメッセージを使うしかありませんが。
2014/6/28(土) 午後 0:24
さて、この宋襄公なる君主、個人の性格もあるのでしょうけど、何やら自分の血統を強く意識していたのかなと思えるのですが。
記事でも述べていますように、この時代(周代)より一つ前の時代の王朝であった商(殷)の末裔ですからね。
殷が周によって滅ぼされて天下を奪われ、殷の王族の生き残りがその周の臣下として仕えるようになり、周王朝に諸侯として宋に封じられた訳です。
日本史上に置き換えて言えば、家康が天下を取った後に、豊臣家の血筋の者や、鎌倉幕府の源氏将軍家の末裔、執権北条氏の末裔、足利将軍家の末裔とかが、大名として立てられて、どこかの藩に封じられたようなものです。
尤もこの話は後の方で詳しく語る予定ですが。
2014/6/28(土) 午後 1:02
そして同じく後で語る予定ですが、儒教の祖・孔子もこの宋公室から枝分かれした血統です。
宋襄公の祖先の代で枝分かれした系統ですので、孔子も同じく殷王朝の末裔です。
二人とも前時代の血脈である事から、古い時代の失われつつあった礼制とかを頑ななまでに固守しようという意識が強く働いたのかも知れません。
それでこんな非現実的で滑稽な方策を選択してしまったのかと。
その明治天皇の御製の御歌は初めて知りましたが、何やら違う気がしますね。
宋襄公のそれは、そういった人種とか民族を分け隔てしない、一視同仁な理念というのでもなく、依怙地なまでに古代の礼法に盲目的に従っただけだと思いますから。
明治天皇と違って宋襄公は、単なる硬直した教条主義者だったと思います。
ここの所、ブログをしている時間が取り辛くなっていて、思うように記事更新や返信が書けません。
申し訳ありませんが、他の所のも今少し御待ち下さい。
2014/6/28(土) 午後 1:03
それでは、新しいHNを使わせていただきます。このHNをつかうなら、呼び名はどちらでもいいですよ。木蓮で統一した方がいいかもしれません。
今、この前紹介した明治天皇の御製を見て、違っていることに気づきました。あれほどよく知っているつもりなのに、自分で読んで、あれっと思いました。正しくは、
四方の海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん
です。これは昭和天皇が開戦の時の御前会議で、この明治天皇の御製を取り出して読まれたということでも有名です。
確かにその後読み進んでも、宋襄公の人柄は、明治天皇とは完全に違いすぎますね。仰るとおり教条主義ですね。孔子が評価したということで、少しはそうした人格的な部分があるのかと思いましたが、同じ祖先を共有する贔屓目が評価させたのだと思うと、それなりに孔子を
一目置いてみていたイメージがちょっと崩れますね。とはいえ、孔子に関しても最近はネットで色々書いてあるので、かなり崩れつつありましたけど。
記事更新や返信は気になさらず、時間があるときで構いません。私の方も同様ですので、お互い様です。
2014/7/10(木) 午後 4:58 [ 木蓮 ]
ゲストブックがないことに、初めて気づきました。さっそく出して置きます。
2014/7/10(木) 午後 5:02 [ 木蓮 ]
またも遅くなりました。本当にいつもいつも・・・・・。







そしてここの記事シリーズ、まだ書き掛け途中の未完結状態で申し訳ないです。
ここの所、どうも調子が出ませんね。ブログにも集中出来ません。
それでは分かりました。それでは基本「木蓮さん」と呼ぶ事としましょう。
もしかしたらたまに、気分次第で旧HNの方で呼ぶ事もあるかも知れませんが。
2014/7/17(木) 午後 6:26
その明治天皇の御製の御歌とは対照的なメンタリティでしたが、先日も紹介しました『春秋公羊伝』のような、肯定的な評価もあるにはあるんですよね。
宋襄公は如何にも日本の左翼が好みそうな人物ですけど・・・・・。
けど決して軍事そのものを忌避してたワケではないんですけどね。
また独善ぶりが甚だしかったにせよ、少なくとも売国的行為はしなかったワケです。
まあそれは君主ですから当然なんですけどね。
宋襄公は美点が全くなかったかと言うと、決してそうでもなく、次の記事でも書いた通り、後に覇者となる晋文公の器量を見抜いて礼遇したりとか、一応人を見る目はあったみたいです。
2014/7/17(木) 午後 6:26
そうですか、宋襄公は美点もあったのですね。目夷が誠実に仕えているのですから、そういう部分がないとやってられないでしょうね。それに目夷に対しても、庶子の兄弟だからといって変なライバル心など持たずに信頼しているのですから、おそらく悪い人間ではないのでしょうし、だから礼を重んじるなどという気持ちも生じたのかもしれませんね。
2014/7/20(日) 午前 1:24 [ 木蓮 ]
そうなるでしょうかね。政治家としては評価出来ませんし、欠点も多々あったようですが、根っから悪い人間ではなかったのは間違いないでしょう。
いっそ公子目夷が即位していれば、まだ違ってたかも知れません。
そうすれば宋襄公よりずっと名君になってたかも知れないので、惜しい気がします。
2014/7/20(日) 午後 0:56
ほんとに目夷が即位していれば良かったのにと思いますね。
目夷も、庶子の自分が君主になるよりも、少し愚かでも御しやすい君主をきちんと補佐することで、国を安泰にするほうがいいと思ったのでしょうね。まさか宋襄公がこれほど傲慢になるとは予想外だったのでしょうね。
2014/7/26(土) 午後 2:38 [ 木蓮 ]
目夷にも予想外だったでしょうね。宋襄公がこんな風に暴走を始めるとは。
支那に限らず、さほど有能でも聡明でもない嗣子が跡目を継いでも、優れた兄弟たちが欠点を補うというのはよくある事ですね。
または君主(当主)が凡庸でも、補佐役の叔父たちが有能だとか。
この宋のケースでは残念な事に、公子目夷は補佐し切れなかったですが。
2014/7/27(日) 午前 10:26
そうですね。意外と公子目夷の言うことを聞きませんよね。
宋襄公は目夷を信頼していると思っていましたが、というか、信頼はしているのでしょうが、やはり心の何処かで、兄弟としてのライバル心があったのかもしれませんね。自分が無能ではないということを見せたい欲求があったのでしょうか?
2014/8/9(土) 午後 0:24 [ 木蓮 ]
あるいはそうかも知れません。また悉く諫言する公子目夷を、内心煩く思って反発していたのも手伝って、より依怙地になっていたのかも知れません。
2014/8/10(日) 午前 11:09
たしかに、そうなんでしょうね。
2014/8/18(月) 午後 0:33 [ 木蓮 ]
はい。
2014/8/18(月) 午後 5:27
勝機を逸すると言う事は致命的ですね。その逆が信長の桶狭間だったり或いは日露戦争の第一軍だったり、決して兵力が潤沢ではない中で一瞬のすきを逃さないピンポイント攻撃で流れが変わる事がありますね。TBします。
2014/10/8(水) 午前 7:23
返礼TB+1本分追加、どうもありがとうございました。






こちらからも後で伺いますので、今暫し御待ち下さい。
本当に宋襄公は勝機を逸してしまいました。尤も勝機とか勝算とか、そういう合理的思考の持ち主ではなかったので、記事にもあるように、忠告を受けても何の意味もなかった訳でして・・・・・。
やはり戦争は合理主義に徹すべきですね。でないと勝てる戦争も勝てなくなります。記事の時代の戦争は、まだ孫子が出現する前でして、そういった科学的合理的思考とは程遠い戦争スタイルでした。
2014/10/8(水) 午後 8:26