YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第五計 趁火打劫

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承前  故事其之壹 ─ 壬





 ♘ 晩年と後世の末裔

 そして孔丘が当時の基準からだと、父・孔紇同様に破格の長寿だった為か、孔丘の長男・孔鯉は父や祖父程には長生き出来ず、紀元前481年に父に先立って死んだ。
「50歳で死んだ」となっているが、前述の通りの紀元前533年生まれなら53歳の筈である。そして孔丘はその2年後の、紀元前479年に74歳で死んだ。


 孔鯉には孔伋【姓は子(し)、氏は孔(こう)、名は伋(きゅう)、字は子思(しし)】という子がいて、まだ幼い息子を遺したまま孔鯉は死んだ。
 孔伋の生年は紀元前483年となっている。だとしたら父・孔鯉が死んだ時は3歳で、祖父・孔丘が死んだ時は5歳だった事になる。
 祖父の孔丘とはほとんど面識はなかったそうだが、父や祖父の死後、孔伋は祖父の門人の一人である曾参【姓又は氏は曾(そう)、名は参(しん)、字は子與(しよ)】に師事(弟子入り)して儒教を学んだ。
 祖父の才覚や血を、父よりも濃く受け継いだのか、孔伋は儒家として大成したようである。


 孔丘を始祖、すなわち孔氏一族の宗家(総本家)の初代当主とするなら、孔鯉が第2代当主、孔伋が第3代当主となり、以後はこのラインの直系の男系男子が代々当主を継いで行き、21世紀現在にまで至る。
 ギネス世界記録において、儒教の祖・孔子以来の系譜は「世界一長い家系図」として認定されている。
 現在孔子の直系子孫は、嫡系・傍系問わず、男女も問わなければ、実に200万人以上もいると言う。


 そして当代の宗家は、1975年生まれの第79代当主・孔垂長【姓は孔(こう)、名は垂長(すいちょう)】の代であり、祖父である第77代当主・孔徳成【姓は孔(こう)、名は徳成(とくせい)】が大陸から台湾に移住して以来、代々台湾で暮らしている。
 孔垂長は2009年以来、台湾総統府の国策顧問に就任し、台湾総統・馬英九【姓は馬(ば)、名は英九(えいきゅう)】に意見を上申している。2015年現在でもその地位に在る。
 孔垂長には2006年に、跡継ぎとなる長男・孔佑仁【姓は孔(こう)、名は佑仁(ゆうじん)】が生まれている。将来に丁度第80代当主となる予定である。
 こうして生母が燕の卵を呑み込んだ事で生まれた、伝説の子姓の始祖・契から始まる男系男子の血脈や系譜は、殷王朝、宋公室と通じて、枝分かれして孔家が生まれ、21世紀現在まで奇跡的に存続している。





♙ 宋人への蔑視

 恐らく実話ではなく創作の説話であろうが、宋の人間を滑稽に描き、揶揄し、嘲弄する逸話が古典には見受けられる。
 本故事の「宋襄の仁」によっても、宋襄公は頑迷な愚か者だと馬鹿にされ、笑い者にされているように、宋は前時代の滅びた王朝の血脈の国であるせいなのか、宋の国や宋の人間に対する他国からの差別意識があった事を窺わせる。
 宋人は亡国の遺民、現代風な言い回しを使えば、いわゆる「負け組」といった目で見られていたのだろう。
 そして愚か者、間抜けな連中といった、蔑んだ目で見られていたのであろう。


 それらの古典に収録されている説話で、宋人を愚者に描いて嘲笑した事でよく知られた、代表的な説話を三本ばかり取り上げてみる。
『荘子(そうし)』の【逍遥遊(しょうゆうゆう)】から≪章甫(しょうほ)の冠≫の説話を、『孟子(もうし)』の【公孫丑上(こうそんちゅうじょう)】から≪助長(じょちょう)≫の説話を、『韓非子(かんぴし)』の【五蠹(ごと)】から≪守株(しゅしゅ)≫の説話を、それぞれ紹介する。





♚ 章甫の冠

 まずは『荘子』の【逍遥遊】篇の一節より≪章甫の冠≫を。


>>>>>
 宋人(そうひと)、章甫(しょうほ)を資として諸越(しょえつ)に適(ゆ)けり。
 越人(えつひと)は断髪文身(だんぱつぶんしん)にして、これを用うる所なし。
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【現代語訳:宋のとある男が、売る為に章甫の冠を仕入れ、南方の越まで売りに行った。
 だが越人の風習は断髪文身──────髪を短く切り、全身に刺青を施している有り様──────の風体であったので、章甫の冠も越人にはまるで用のない代物であった。】


「章甫」とは殷代に用いられていた冠の一種で、儒教の創始者・孔子が被っていた事から、後世多くの儒者が被るようになった。
 つまりいくら立派な冠であろうと短髪な為に、章甫の冠を被れるだけの長さの髪を持たない越人にとっては、無用の長物でしかなかったという落ちである。





♛ 助長(抜苗助長)──────苗を抜いて長ずるを助く

 次に『孟子』の【公孫丑上】篇の一節より≪助長≫を。


>>>>>
 宋人(そうひと)にその苗の長ぜざるを閔(うれ)えて、これを揠(ぬ)く者あり。
 芒芒然(ぼうぼうぜん)として帰り、その人に謂(い)いて曰く、

「今日(こんにち)病(つ)かる。予(われ)苗を助けて長(ちょう)ぜしむ。」

と。その子趨(はし)りて往(ゆ)きてこれを視(み)れば、苗則(すなわ)ち槁(か)れたり。
<<<<<

【現代語訳:宋人のある男で、苗が一向に生長しないのを憂えて、自分の手で苗を引っこ抜いた者がいた。
 作業が終わり、すっかり疲れ切って家に帰ると、男は家族に言った。

「今日は本当に疲れたぞ。儂は苗が早く生長するよう、手助けしてやったわい。」

 それを聞いて、男の息子が田畑まで走って行き、田畑を見ると、抜かれた苗は全て枯れてしまっていた。】


 この逸話から「助長」「苗助長(びょうじょちょう)」という故事成語、「揠苗助長(あつびょうじょちょう)」「抜錨助長(ばつびょうじょちょう)」という四字熟語が誕生した。
 我が国では「物事の成長や発展を助ける事」といった良い意味で使われているが、元来は「余計な事をして、却って物事を損ねてしまう事」という悪い意味である。
 故に前者の意味で用いるのは正しくなく、誤用であると言わざるを得ない。
 近い意味の故事成語・四字熟語に、「角を矯めて牛を殺す」「矯角殺牛(きょうかくさつぎゅう)」がある。





♜ 守株(守株待兎)──────株を守りて兎を待つ

 そして最後に『韓非子』の【五蠹】篇の一節より≪守株≫を。


>>>>>
 宋人(そうひと)に田(でん)を耕す者有り。
 田中に株有り、兎走りて株に触れ、頸(くび)を折りて死す。
 因(よ)りてその耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得んことを冀ふ(ねがう)。
 兎復たは得可(うべ)からずして、身は宋国の笑いと為る。
 今、先王の政(まつりごと)を以て当世の民を治めんと欲するは、皆株を守るの類なり。
<<<<<

【現代語訳:宋人で田畑を耕す男がいた。男の田畑の中には切り株があった。
 ある日の事、一匹の兎が走って来て、その切り株に勢い良くぶつかった事で、兎は首を折って死んでしまった。
 思いも掛けない幸運により、労せずして兎を得られたその男は、その事にすっかり味を占めるようになった。
 以来鋤を捨てて耕作を辞め、ずっと切り株を見守り、再び兎を得られる事を願うようになった。
 だが兎は二度と得られる事はなかったので、忽ち男は国中の笑い者となった。
 今、古の聖王の政治を手本として、当世の民衆を統治しようと思うのは、この切り株を見守るのと同じ類の愚行である。】


 以上の説話から「守株」──────株を守る──────という故事成語が生まれ、四字熟語だと「守株待兎(しゅしゅたいと)」──────株(くいぜ)を守りて兎を待つ──────となる。
 意味は「頑なに古い行き方に囚われて、柔軟性を欠いている事」又は「偶然の僥倖(幸運)に味を占めて、同じ事が続けて起こる事を期待する愚かさの事」といった意味である。
 我が国の諺にある「棚から牡丹餅(ぼたもち)」とやや似ているが、この「守株」の説話は偶然の僥倖のみを当てにする愚かさを戒めているので、そういった教訓めいた意味合いを持たない「棚から牡丹餅」とは趣が異なる。


 ちなみにこの「守株(守株待兎)」という説話は、我が国において唱歌(童謡)の題材となっている。
 大正13(1924)年に発表された、北原白秋(きたはらはくしゅう)作詞・山田耕筰(やまだこうさく)作曲の『待ちぼうけ』である。
 以下の通り全ての歌詞を掲載した後に、この歌の動画を掲載する。





1.
待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと 野良稼ぎ
そこに兔が とんで出て
ころりころげた 木の根っこ



2.
待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめたこれから 寝て待とうか
待てば獲物が 驅(か)けてくる
兔ぶつかれ 木の根っこ



3.
待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日鍬取り 畑仕事
今日は頬づゑ(ほおづえ) 日向ぼこ
うまい切り株 木の根っこ



4.
待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日は今日はで 待ちぼうけ
明日は明日はで 森のそと

兔待ち待ち 木のねっこ



5.
待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい 黍畑(きびばたけ)
今は荒野(あれの)の 箒草(ほうきぐさ)
寒い北風 木の根っこ









♝ もう一つの王朝の血胤

 以上の三本の説話に代表されるように、当時の宋人に対する蔑視や嘲笑は、宋の国及び宋人が、滅びた前時代の王朝の末裔であり、亡国の遺民である事が原因となっていたのかと思われる。
 いわゆる「負け組」への差別感・侮蔑感が根底にあったのではないだろうか。
 古い慣習や思考を頑なに変えずにいた面があったのかも知れない。そんな所も時代錯誤だと馬鹿にされていたのであろうか。


 そして周代の諸侯国には宋の他にも、嘗て滅びた王朝の血脈の国があった。
 杞(き)と越(えつ)と鄶(しょう)の三国がそうで、これらの国姓は姒、すなわち殷(商)王朝よりも前代の夏王朝の姓である。この三国の公室は夏王朝の末裔という事になる。
 その中の杞もまた宋と同様に、説話の中で愚か者扱いされて嘲笑されている。


『史記』の【陳・杞世家(ちん・きせいか)】の記述によると、杞は周が殷を滅ぼした後に、諸侯として立てられた。
 周武王が夏禹王の子孫である東楼公【姓は姒(じ)、氏は杞(き)、名は不明、諡号(又は称号)は東楼公(とうろうこう)】を探し出して、現在の河南省開封市杞県(かなんしょうかいほうしきけん)の地に封じたのが杞の始まりである。
 初代国君の東楼公以降、全部で19代続き、紀元前445年に楚恵王【姓は羋(び)、氏は熊(ゆう)又は楚(そ)、名は章(しょう)、諡号は楚恵王(そのけいおう)】によって滅ぼされた。
【陳・杞世家】の杞に関する記述の最後は、


『杞は小(しょう)にして微(び)なり。その事は称述(しょうじゅつ)するに足らず。』

【現代語訳:杞は小さな国なので、その事跡は殊更に書き立てる程のものはない。】


と締め括られているように、国も小さく、特筆すべき事績がないので、【陳・杞世家】での記述は余りにも少なく、実態がよく摑めない。


 同姓の国である鄶は『史記』の世家に記録がなく、どのような経緯で建国されたのかは不詳である。


 最後の越は一時期天下の覇者となっただけあって、姒姓の国の中では唯一記録が豊富にある。
「呉越同舟」「臥薪嘗胆」「会稽の恥(を雪ぐ)」「顰(ひそみ)に倣う」等の故事成語で御馴染みの越である。





後続  故事其之壹 ─ 子

「第五計 趁火打劫」書庫の記事一覧

閉じる コメント(8)

私は文法的な誤用については自身のブログでいろいろと大手メディアや知識人、さらにはマジョリティ社会の多様について俎上にのせてきました。

しかるに一部の知識人の中にはさらに目くじらを立てて、「本来そのような用途でつかわれていたのではない」ゆえに間違いとしてきするものまでいます。

ただそうなるとその本来にあたる部分がどこまでさすのかと言う問題にぶち当たります。

特に上記のようにシナの古典にその源流があるものの場合、その学者はそこまで調べているのか疑問であり、原点の日本への引用自体が間違っているケースもあるのです。

それゆえ私は文法・意味合い以外の誤用については沈黙を保っています。

2015/5/20(水) 午前 3:30 [ 彩帆好男 ]

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私はそうですねえ・・・なるたけ原点である支那の古典が由来の意味で使いたいですね。
日本でも輸入されてからかなり古くなってるので、誤った意味で使用されていても、今更元の使い方に矯正するのが困難になってるのかも知れませんが、少しずつ修正して行くべきでしょうか・・・・

あまり穿った事は言えませんが。

2015/5/20(水) 午前 11:04 ZODIAC12

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孔子の末裔が台湾に居るという話は聞いたことがあります。こうしてみると不思議。故宮に通じるものがありますね。多分シナ大陸に居たら文革でやられていたでしょう。台湾に居たから続いていると思いますね。

台湾には昔の日本だけでなくシナも残っていると言えるかもしれません。

2015/5/20(水) 午後 0:25 千葉日台

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ナイス☆どうもありがとうございました。

そう言えば先日の片倉さんの講演会でも、そのような御話が出てたような気が・・・
文化大革命なんて、あんなものは毛沢東の自分への批判逸らしと、一種の集団ヒステリーのヤケクソですね。

もし孔家の人たちが大陸に居残っていたら、かなりの確率で命はなかったかと思いますし、故宮に収蔵されている芸術品だって、権力者に私物化されたり、売り払われたりしてたかと。
あらゆる物事が権力者の御都合主義で左右される。人治主義の恐ろしさですよ。

台湾人の伝統保存の精神に富んでいるのか、そういう馬鹿げた破壊行為はしないですね。やはり特亜のヒトモドキ地域とは完全に別物です。

2015/5/20(水) 午後 9:39 ZODIAC12

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>2015/5/20(水) 午後 10:37の内緒さん

外見上の区別は付かずとも、間違いなく両者は別人種ですよね。

ウ〜〜〜ン・・・・・どうなんでしょうね?私にも断言出来ませんが・・・・

2015/5/21(木) 午前 10:52 ZODIAC12

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良かれと思ってやったことが裏目に出る・・・一番は戦後の沖縄政策です。その対応を間違えた事が今の混乱の根本かもしれません。

その結果、ウサギを切株で待つような、政府のカネをあてにするような体質が芽生えたのでしょう。

沖縄の全員とは言いませんが、そんな怠け者が増えた感じがしますね。

それで琉球独立・・・米軍も自衛隊もいなくてどうして自国を守るのでしょうね、と思います。

少しは自分の頭で考える事をしなければ・・・人を当てにしてばかりではよくないですね。

2015/5/24(日) 午後 5:14 千葉日台

返礼TB、感謝致します!


沖縄問題には疎いですが、戦後アメリカ軍が駐留した影響でそうなったのか、それとも自民党の金権政治の影響でそうなったのか、までは何とも解りません。

聞けば沖縄の米軍基地周辺の地域は、米軍関係で潤っているから、米軍がいなくなると商売上がったりになるとか。それって米軍に依存してる事にならないでしょうか?
アメリカに依存しなくても生計が立てられるようにしようとは考えないのでしょうか?
株を守って兎を待っているのとは違うと思いますが、第二、第三の手段も練っておいた方が良くないですかね?まあ大きなお世話かもしれませんが。


沖縄には左翼やプロ市民が多いですね。どうせ地元民なんてほとんどいなくて、大部分は本土から渡って来た他所者ばかりでしょうけど。
沖縄の独立など絶対に認めてはいけません。それは左翼とそのバックにいる支那の謀略ですから。

2015/5/25(月) 午後 3:37 ZODIAC12

昨年イギリスでもスコットランド独立騒ぎがありましたけど、そんな住民投票自体を許してはいけません。
保守思想に照らし合わせてみて、それは保守思想の根幹である不文法や伝統主義の否定です。

もし独立が成功してたら、沖縄も勢い付いたかもしれませんし、道州制だの大阪都構想だのも勢い付いたかもしれません。否決されて良かったですよ。


>それで琉球独立・・・米軍も自衛隊もいなくてどうして自国を守るのでしょうね、と思います。

沖縄はその仮定を考えるべきではありますが、現実的には不可能かと思います。
仮に沖縄が住民投票とかで独立する事が可決されたとしたら、日本政府は自衛隊を派遣してでも、沖縄を武力で鎮圧しなければならなくなりますから。

そうなったら沖縄に勝ち目はありません。独立計画は忽ち潰され、県知事及び関係者たちは、内乱罪だか外患誘致罪だかで極刑に処すべきです。

2015/5/25(月) 午後 3:38 ZODIAC12

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