YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第八計 暗渡陳倉

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承前  故事其之壹 ─ 丙





 二人目は淮陰県の南昌郷の亭長であった。
 信用がなかったので生業に就けないでいた韓信は、居候としてこの亭長の家に上り込んだ。
 最初は韓信の面倒を見ていたものの、理由は不詳だが次第に韓信を疎んじるようになった。
 そして遂には面倒になって食事も出さなくなり、そんな邪険な扱いに怒った韓信は、亭長の家を出て行った。



 そんな含む所のある相手であるが、曲がりなりにも世話になった事に変わりはないので、この南昌の亭長も召して御礼をしたのであった。
 楚王信は亭長に百銭を下賜しながら、こうも付け加えた。



「貴公は小人(しょうじん)【※38】であるな。折角我に徳行を施しながらも、最後までそれを貫き通せなかった。
 一旦世話を引き受けたのならば、最後までし通すものだ。」



 こう言われて、亭長は何ともばつの悪い思いとなった。



 そして最後の三人目は意外な事に、淮陰で屠殺業をしている若い男であった。
 嘗て衆人環視の中で韓信に股下を潜らせて大恥を掻かせた、気性の荒い無頼漢であった。
 つまり韓信に「股夫(臆病な股潜り男)」という不名誉な綽名と評判を、世間に浸透させた張本人である。



 現在一国の王となった韓信ならば、王としての権力を用いれば、この男を殺すなり何なりと容易に意趣返しが出来る。
 男は目前の玉座に坐している人物の正体が、最初は知れなかった。
 だが間もなくして、嘗て自分の股を潜らせて恥を掻かせたあの韓信だと知り、大いに驚き、それと同時に恐怖ですっかり蒼褪めてしまった。
 楚王が韓信であるならば、何故自分がこうして宮中に召し出されたのか、その理由は誰でも察しが付くというものである。



(あんな真似をやらかしたからにゃ、俺はもう生きちゃおれん・・・・これから間違いなく殺される・・・)



 男はすっかり絶望し、死を覚悟した。



 だが楚王信はこの男に復讐する所か、逆に中尉(ちゅうい)【※39】の官職を授けたのであった。
 これにはさすがに男も大いに面喰い、言葉もなかった。楚王信は大臣・将軍たちにこのように告げた。



「この者こそは壮士であるぞ。
 嘗てこの者が我に股下を潜らせ、我を辱めた時、どうしてこの者を殺す事が出来なかったであろうか?
 殺そうと思えばあの時に、いくらでも容易く殺せたのだ。
 だがそこでこの者を殺した所で、何の名声も功も得られなかったばかりか、罪人として捕えられた挙句、刑を下されて終わっていたであろう。
 それ故にこれまでその屈辱を堪え忍び続けて来た事で、今こうして王にまでなれたのだ。」



 これは推測だが、韓信がこの無頼漢の荒くれ者を中尉に任じたのは、逆説的であるが自分を恥辱に堪え忍ぶ事を覚えさせた結果、王にまで立身出世が出来た事に対する感謝を表したのではなかろうか?
 こうしてこの屠殺業上がりの新米中尉は、恐懼しながらも甚く感激し、楚王信に感謝した。



 こうして楚王信は三者三様に応じて、それぞれの恩義に酬いたのであった。
 それ以降この三者の消息は、史書には記述されていないので不詳である。





 ♘ 結

 韓信が史上最初の暗渡陳倉策を用いて三秦を平定した翌年(紀元前205年)の事。
 劉邦が「彭城の戦い(睢水の戦い)」で項羽に惨敗した事で、劉邦の下を離反した魏を攻める為に、韓信は漢軍を率いて赴いた。
 そして今度は魏軍を相手にまたも奇想天外な策を講じ、鮮やかに魏軍を破り、稀代の天才兵略家としての凄味を再度示す事となる。
 この話の詳細は本書庫の次回の故事(リンク先工事中)で語る。





この計略名の由来となった故事「明修桟道、暗渡陳倉」──────天才兵略家・韓信の巧妙な陽動と隠密奇襲作戦。

「第八計 暗渡陳倉」書庫の記事一覧

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ふ〜〜この書庫起ち上げてからのこの5年間、ずっと初っ端の概論記事だけだったけど、こうして初めて故事の記事がようやくアップ出来て、気分スッキリだなあ〜〜!!

2017/7/10(月) 午前 10:50 ZODIAC12

韓信程の権力者故、この式典のあと毒殺でもなんでもできたことでしょう。いつの時代も権力者に不都合な史実は残そうとしませんから。

2017/7/13(木) 午後 11:46 [ 彩帆好男 ]

暫くぶりです。

韓信といえど支那人ゆえにさもありなん、と思われるのは解るのですが、恐らくそれはないかと思います。
何せ韓信はその「不都合な史実」とやらを揉み消せる立場ではなかったからです。それが出来るとしたら、実際に天下を獲った劉邦でしょう。

韓信は劉邦サイド(厳密には呂后の独断)によって誅殺されてしまったのですから、もしそんな芳しくない史実があったのなら、寧ろ誅殺の正当性、大義名分の為の宣伝材料の一つとして拡散されてたでしょうから。
そんな事実が民間の噂レベルですら存在しない以上、そういった事実はなかったと見ていいのではないでしょうか。

2017/7/15(土) 午前 0:55 ZODIAC12


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