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東周王朝自体が現在の東京都程度の領域になっていたのに、そこからされに東西二周の君公国を分封するのは狂気の沙汰でしたね。 もっとも東遷した時点で歴史的使命を終えていたのかもしれませんが…。 私は鄭の独立が一番痛かったと思います。 いいね!
2012/6/28(木) 午後 7:26 [ 鳳山 ]
ようこそいらっしゃいませ!!(^^)ノ 「傑作」・・・・じゃなくてイイネ!もありがとうございます。 どうやら一気に読み通されたようで、誠に光栄です! そうですよね。たださえ小さい領土なのに、何で分封しちゃったのか不可解です。普通は中央集権をより強化する所でしょうに・・・・・。 鄭の独立ですか。これも認めるべきではなかったと思われますか? まあ最終的に、新興国だった韓に滅ぼされましたけど。 おまけに鄭がどうにか良かったのは最初の頃、3代目の鄭荘公まで。 後は内紛グダグダのモメモメの連続(笑)、節操なしの二股外交の連続。 結果を見れば、独立認めずに一つに纏まってた方が、幾分かマシだったかも(^^;A)。
2012/6/28(木) 午後 8:33
しかし今から考えてみれば名目だけとはいえよく790年も王朝が続きましたね。おそらくこれは前漢と後漢をあわせたよりも長いのではないでしょうか。 分家に本家が乗っ取られるのは日本の織田家も同じでしたね。
2012/6/29(金) 午前 9:13 [ 彩帆好男 ]
明らかに前後両漢よりも長いですね。破格の長さでしょう。 周代より前の夏・殷よりも長いでしょうし、後世の歴代王朝だって、どんなに長くても三百何十年ですし。 周みたいに八百年近いのは皆無ですよ。その原因がよく解りませんが、恐らくは秦に始まる統一王朝が出来上がるまでの過渡期だったのもあるんじゃないでしょうか? 封建制に代わって、広大な天下を統治運営して行く為のノウハウが確立されていなかったからかと。 分家が本家を簒奪するのは、乱世の常かも知れません。春秋戦国時代でも御家騒動が日常茶飯事でしたから。 それを防ぐコツは、「武力を持たせない事」ですかね。 つまり軍隊を本家で独占して、分家には一切持たせない。いわば中央集権体制を確立させるという事でしょうか。
2012/6/29(金) 午前 10:31
あ、九鼎が湖に沈んだのは、秦が滅ぶ時だったですかね。周が滅ぶときには、秦がこれを奪っただけでしたっけ。 それにしても、周王室というものは、権力のない権威だけの状態が続いて、まるで日本の皇室の武家政権時代のような状態ですが、その権威がただの九鼎を持っているに過ぎない家柄で、結局最後には、滅んでしまったのは、日本の皇室と何が違うのかと考えれば、もちろん天子自身の資質がまったく違うのは根本的ですが、それ以外にこの権威を支えるものとしての民族的な神話の存在でしょうか。さらには易姓革命は儒学とともにわが国にもはいって来たはずですが、わが国では否定されたのは、やはり天子を滅ぼすということへの畏れはシナ以上に強かったというか、道徳的に非常なマイナスイメージがあったということでしょうね。やはりこれも神話の存在感ですかね。神話の持つ不文憲法としての強さですね。 さらには、周王室自体が、殷を滅ぼしていますから、或る意味因果応報ですね。
2012/7/21(土) 午後 11:17 [ さざんか ]
>九鼎が湖に沈んだのは、秦が滅ぶ時だったですかね。周が滅ぶときには、秦がこれを奪っただけでしたっけ。 秦が九鼎を奪った時ですね。周から秦へ運搬する最中に、河川へ落ちて沈んでしまったようで。 それで仕方なく、新しく玉璽を鋳造したのです。平たく言えば「天子専用の判子」ですが。 以後はこれが天子(皇帝)の権威と権力の象徴となりました。 >結局最後には、滅んでしまったのは、日本の皇室と何が違うのかと考えれば、もちろん天子自身の資質がまったく違うのは根本的ですが、それ以外にこの権威を支えるものとしての民族的な神話の存在でしょうか。 >さらには易姓革命は儒学とともにわが国にもはいって来たはずですが、わが国では否定されたのは、やはり天子を滅ぼすということへの畏れはシナ以上に強かったというか、道徳的に非常なマイナスイメージがあったということでしょうね。やはりこれも神話の存在感ですかね。神話の持つ不文憲法としての強さですね。 >さらには、周王室自体が、殷を滅ぼしていますから、或る意味因果応報ですね。
2012/7/22(日) 午前 11:09
原因は多々あるでしょう。さざんかさんの指摘されてる事もあるのではないかと思います。 それに支那の神話には堯(ぎょう)から舜(しゅん)へ、舜から夏王朝初代・禹王(うおう)へと、天子の地位を譲り渡して行ったという、「禅譲」の観念があります。夏禹王は王朝を開き、以後は世襲になりましたが。 尤もこの話、神話の中の事であって、実際には本当に禅譲したかどうかも判然とはしません。 以後は孟子が唱えた易姓革命論によって正当化された「湯武放伐論」が浸透しました。 「湯」は商(殷)王朝初代の天子である湯王(とうおう)であり、「武」はこの記事シリーズでも名前を出した、周王朝初代の武王の事です。 そして「放」が「追放、放逐」で、「伐」が「討つ、殺す」という事です。 湯王は夏王朝最後の天子となった暴君・夏桀王(かのけつおう)を放逐して夏王朝を滅ぼし、新しく殷(商)王朝を建てました。 そして時代が下り、周武王は殷王朝最後の天子となった暴君・殷紂王(いんのちゅうおう)を討伐して殷王朝を滅ぼし、新しく周王朝を建てました。
2012/7/22(日) 午前 11:10
このように血生臭い反乱の繰り返しですからね、支那の歴代王朝は。 前漢を簒奪した王莽は実力と天下の支持を背景に、前漢皇室を恫喝して、禅譲を迫りました。 こうして前漢は滅び、王莽は「新(しん)」という王朝を開いたのですが、政治がデタラメ過ぎて、僅か15年で滅びました。その後に後漢王朝が立ったのです。 その後漢王朝も、曹操の息子の曹丕によって簒奪されました。 曹丕は禅譲という体裁の下で、後漢最後の皇帝・献帝を強制的に退位させ、自分が皇帝になりました。 その曹丕が開いた魏王朝も、司馬仲達の孫・司馬炎に簒奪されましたが、この時も同じく禅譲の形式を採っています。 このように偽善的な政治的パフォーマンスが繰り返されました。 禅譲とは神話では、天子に相応しい高徳の人物に譲るのが趣旨でしたが、後世では形骸化し、「徳を失ったからこそ、徳のある相手に譲った」という建前で奪い取っていました。 勿論無学な庶民ですらも、そんな事を信じてはいなかったですが。
2012/7/22(日) 午前 11:12
このように支那では、天下を支配する正統性の根拠とは、「徳のあるなし」です。単なる建前と化していますが。 けどそんなのを科学的・客観的に測定する手段などありません。 だから結局は実力行使で奪い、戦乱を勝ち抜いたりして、「徳があるからこそ天下を得た」とか後付けの理屈を付けるのです。 「徳のあるなし」では結局は人治主義になってしまい、永久に安定はしません。 力を持った人間が、「今の支配者には徳がなく、自分こそ徳がある」と勝手に思い込んだら、力に物言わせて奪う事も許されてしまいますから。 現代でも支那が人治主義なのはその伝統のせいでしょうか。 日本の皇室の場合は、「天壌無窮の神勅」が効いているのかとも思えます。 「天壌(天地)が尽きて無くなるまで、この地は天照大神の子孫のもの」という神勅が皇室の正統性を保証している訳ですから、「徳のあるなし」が基準ではありません。 けれど政治家や官僚には、以前に効用均衡理論でも語ったように、「徳と官と相配し、功と賞と相対す」が原則になってなくてはなりませんが。
2012/7/22(日) 午前 11:13
天壌無窮の神勅と言うのは、これは一見徳のある無しを問題にしていないように思えて、徳を保証しているのではないかと言う気がします。と言うのは、日本式経営で、昔は年功序列の終身雇用でしたが、これは従業員の能力に関係ない制度として、欧米に比べると合理性が無いように見えて、社員はこれによって、雇用が安定するので、会社に対して帰属意識が強くなり忠誠心が出て、かえって一所懸命にやるとか、あるいは新しい技術導入の際にも、それによって雇用を奪われる心配がないので、素直に受け入れるとかそういうメリットがあると聞きました。こういうシステムと比べては不敬になる気もしますが、皇位の安定は特殊な帝王学を生み出し、帝王としての生まれながらの心構えが備わってくるようにも思います。 神話をもとにした神道の祭祀をずっと継承していくと、こういう人柄を産み出すのではないでしょうか。 効用均衡理論は、あれは聞いた時にすごいと思いました。江戸幕府は誰が考えだしたかわかりませんが、力の分散はほんとに見事でしたね。腐敗を防止する工夫として、憲法破棄復活の後にはぜひ取り入れて欲しいですね。
2012/7/27(金) 午後 3:35 [ さざんか ]
どうも御待たせしました。 >天壌無窮の神勅と言うのは、これは一見徳のある無しを問題にしていないように思えて、徳を保証しているのではないかと言う気がします。 さざんかさんはそのように見ますか。 >と言うのは、日本式経営で、昔は年功序列の終身雇用でしたが(中略)それによって雇用を奪われる心配がないので、素直に受け入れるとかそういうメリットがあると聞きました。 能力主義・実力主義のイメージが強いアメリカでも、田舎ではそういう事業所がほとんどだそうで。 街中の零細な個人経営の所とか、先祖代々継がれて来た所なんて特に。 冷徹な能力主義・実力主義のイメージは、主に大都会の高層ビルにオフィスを構えてるような所でしょうね。 >こういうシステムと比べては不敬になる気もしますが、皇位の安定は特殊な帝王学を生み出し、帝王としての生まれながらの心構えが備わってくるようにも思います。 >神話をもとにした神道の祭祀をずっと継承していくと、こういう人柄を産み出すのではないでしょうか。
2012/7/29(日) 午前 11:05
皇室とか君主レヴェルの話でなくとも、先祖代々受け継がれて来た所というのは、多かれ少なかれ、そういう意識が生まれるみたいですね。 皇室が「特殊な帝王学」を持っているというのは当たってますね。 別の言い回しでいう「シラス」「祭政一致」の理念ですか。これは支那は勿論、世界中どこの国にもないですね。 エジプトのファラオなんかがその良い例ですが、君主を「現人神」「神そのもの」と崇拝してはいても、日本の天皇とはやはり異質だと思います。 >効用均衡理論は、あれは聞いた時にすごいと思いました。江戸幕府は誰が考えだしたかわかりませんが、力の分散はほんとに見事でしたね。
2012/7/29(日) 午前 11:06
やはりこれは家康ですね。謀臣の本多佐渡守正信辺りも考えてたのではないでしょうか? 正信は陰謀家のイメージが強くて嫌われてましたけど、功績が多大であるにも関わらず、決して高い石高を受け取ろうとはしませんでしたから。 家康のすぐ脇で権勢を揮ってる分、嫉妬や恨みも買い易いので、それを最大限かわす為に、一万だか二、三万石までしか受け取ろうとしませんでした。 それを息子の本多正純にも遺言したのですが、正純は従わずに十五万石も受け取ってしまったので、後年失脚と破滅が訪れました。 やはり権限と報酬は、上へ行く程分散した方が良いのでしょう。
2012/7/29(日) 午前 11:07
日本の皇室と同じようなタイプは世界中探しても見つかりませんね。天皇が非常に謙虚で、神を祀り自らの身を律して民を大御宝として神からあずかっているという意識でいるというのは、すごいことです。君民同治というか、君と民の意識が呼応しあっている様な状態で調和している関係というのは、まさに理想的ですね。 効用均衡理論というのは、力の分散で腐敗を防ぐこともさることながら、結局は長い目で見たときに力の保持者を世間の恨みや嫉妬から守るということにも繋がりますよね。不自然な集中はいつかはその権力の覆る状態を招くでしょうからね。結局は自分が腐敗するのを抑止するためとも言えますね。 これは是非、今後の官僚機構とかに取り入れてほしいものですね。
2012/8/4(土) 午後 5:37 [ さざんか ]
ええ、そうですね。本当に世界の奇蹟としか言い様のない存在ですよね、我が国の皇室は。 世界中のどの国にも類例を見ない統治形態ですよね。絶対に絶やしてはならない有り様です。 これを損ねようとする左翼や外国の屁理屈など、徹底的に排除すべきです。 効用均衡理論というのは、正しくその通りだと思います。 外国ではその類型を思い付かないのですよね。全てを得ようと欲張る習性を、疑いもしないのでしょうか?? >力の分散で腐敗を防ぐこともさることながら、結局は長い目で見たときに力の保持者を世間の恨みや嫉妬から守るということにも繋がりますよね。 >不自然な集中はいつかはその権力の覆る状態を招くでしょうからね。結局は自分が腐敗するのを抑止するためとも言えますね。 しかしながら日本以外の世界中では、これが確立されていないせいか、革命やクーデターやテロが後を絶ちませんね。
2012/8/5(日) 午後 11:30
そうですよね、効用近郊論を外国で少しでも似たようなものを聞いたことはありませんね。江戸時代の武士は、武士道という倫理によって、経済的我欲というものを追求することを恥とするくらいの気持ちがありましたが、考えてみれば、これほどに支配階級が、倫理的な価値を追求した社会というのは、外国では例を見ませんね。 ある意味、効用近郊論というのは、倫理観が当然のように重視される社会だからこそ、それを受け入れたのかも知れませんね。独り占めしないという潔癖さのある日本人だからこそかも知れませんね。 もう一度、そのような社会を作りあげていかねばなりませんね。
2012/8/13(月) 午後 2:24 [ さざんか ]
どうも御待たせしました。 >これほどに支配階級が、倫理的な価値を追求した社会というのは、外国では例を見ませんね。 そう言えばそうですね。日本の武士が武士道という一大精神文化を生み出せた素地は一体何だったのかと思えます。 支那やヨーロッパにだって似たようなものがあるとは思うのですが、日本のはやはり独特さを感じますね。 「倫理観が当然のように重視される社会」というのも、外国にだって全くない訳でもないのに、日本で特に発達した要因は何なのか、私には解りませんが。 この効用均衡理論は、何も政府や官公庁だけでなく、民間企業やあらゆる組織・団体でも適用可能なのではないかと思えるのですが、如何でしょうか?
2012/8/15(水) 午前 8:50
宗家とか分家とか、どっちが生き残るかとか、 すごい好きです^^ 九鼎・・・ 日本なら三種の神器、島津なら御重物ですね^^ 知識が無さすぎなんで、記事へのコメントが出来ず申し訳ないです〜 東西周は、一連の記事の流れから察するに自分のツボっぽい感じなんですが、 いかんせん調べる余力がないので、せめて記事作成への労にナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち
2012/11/16(金) 午後 10:16
それは光栄な評価ですね!(^^)v 上のさざんかさんとの遣り取りでも言いましたように、九鼎は湖に沈んだので、秦代以降は玉璽(皇帝専用の印鑑)に代わります。 >宗家とか分家とか、どっちが生き残るかとか、すごい好きです^^ >東西周は、一連の記事の流れから察するに自分のツボっぽい感じなんですが すると私が以前書いた、南北朝の明徳の和約の話とか、室町将軍宗家と関東公方家との抗争の話とかもツボに嵌ってたのでしょうか?@@
2012/11/17(土) 午後 6:15
>2012/11/18(日) 午後 8:40の内緒さん オブリガード!(笑)
2012/11/19(月) 午前 0:52
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東周王朝自体が現在の東京都程度の領域になっていたのに、そこからされに東西二周の君公国を分封するのは狂気の沙汰でしたね。
もっとも東遷した時点で歴史的使命を終えていたのかもしれませんが…。
私は鄭の独立が一番痛かったと思います。
いいね!
2012/6/28(木) 午後 7:26 [ 鳳山 ]
ようこそいらっしゃいませ!!(^^)ノ
「傑作」・・・・じゃなくてイイネ!もありがとうございます。
どうやら一気に読み通されたようで、誠に光栄です!
そうですよね。たださえ小さい領土なのに、何で分封しちゃったのか不可解です。普通は中央集権をより強化する所でしょうに・・・・・。
鄭の独立ですか。これも認めるべきではなかったと思われますか?
まあ最終的に、新興国だった韓に滅ぼされましたけど。
おまけに鄭がどうにか良かったのは最初の頃、3代目の鄭荘公まで。
後は内紛グダグダのモメモメの連続(笑)、節操なしの二股外交の連続。
結果を見れば、独立認めずに一つに纏まってた方が、幾分かマシだったかも(^^;A)。
2012/6/28(木) 午後 8:33
しかし今から考えてみれば名目だけとはいえよく790年も王朝が続きましたね。おそらくこれは前漢と後漢をあわせたよりも長いのではないでしょうか。
分家に本家が乗っ取られるのは日本の織田家も同じでしたね。
2012/6/29(金) 午前 9:13 [ 彩帆好男 ]
明らかに前後両漢よりも長いですね。破格の長さでしょう。
周代より前の夏・殷よりも長いでしょうし、後世の歴代王朝だって、どんなに長くても三百何十年ですし。
周みたいに八百年近いのは皆無ですよ。その原因がよく解りませんが、恐らくは秦に始まる統一王朝が出来上がるまでの過渡期だったのもあるんじゃないでしょうか?
封建制に代わって、広大な天下を統治運営して行く為のノウハウが確立されていなかったからかと。
分家が本家を簒奪するのは、乱世の常かも知れません。春秋戦国時代でも御家騒動が日常茶飯事でしたから。
それを防ぐコツは、「武力を持たせない事」ですかね。
つまり軍隊を本家で独占して、分家には一切持たせない。いわば中央集権体制を確立させるという事でしょうか。
2012/6/29(金) 午前 10:31
あ、九鼎が湖に沈んだのは、秦が滅ぶ時だったですかね。周が滅ぶときには、秦がこれを奪っただけでしたっけ。
それにしても、周王室というものは、権力のない権威だけの状態が続いて、まるで日本の皇室の武家政権時代のような状態ですが、その権威がただの九鼎を持っているに過ぎない家柄で、結局最後には、滅んでしまったのは、日本の皇室と何が違うのかと考えれば、もちろん天子自身の資質がまったく違うのは根本的ですが、それ以外にこの権威を支えるものとしての民族的な神話の存在でしょうか。さらには易姓革命は儒学とともにわが国にもはいって来たはずですが、わが国では否定されたのは、やはり天子を滅ぼすということへの畏れはシナ以上に強かったというか、道徳的に非常なマイナスイメージがあったということでしょうね。やはりこれも神話の存在感ですかね。神話の持つ不文憲法としての強さですね。
さらには、周王室自体が、殷を滅ぼしていますから、或る意味因果応報ですね。
2012/7/21(土) 午後 11:17 [ さざんか ]
>九鼎が湖に沈んだのは、秦が滅ぶ時だったですかね。周が滅ぶときには、秦がこれを奪っただけでしたっけ。
秦が九鼎を奪った時ですね。周から秦へ運搬する最中に、河川へ落ちて沈んでしまったようで。
それで仕方なく、新しく玉璽を鋳造したのです。平たく言えば「天子専用の判子」ですが。
以後はこれが天子(皇帝)の権威と権力の象徴となりました。
>結局最後には、滅んでしまったのは、日本の皇室と何が違うのかと考えれば、もちろん天子自身の資質がまったく違うのは根本的ですが、それ以外にこの権威を支えるものとしての民族的な神話の存在でしょうか。
>さらには易姓革命は儒学とともにわが国にもはいって来たはずですが、わが国では否定されたのは、やはり天子を滅ぼすということへの畏れはシナ以上に強かったというか、道徳的に非常なマイナスイメージがあったということでしょうね。やはりこれも神話の存在感ですかね。神話の持つ不文憲法としての強さですね。
>さらには、周王室自体が、殷を滅ぼしていますから、或る意味因果応報ですね。
2012/7/22(日) 午前 11:09
原因は多々あるでしょう。さざんかさんの指摘されてる事もあるのではないかと思います。
それに支那の神話には堯(ぎょう)から舜(しゅん)へ、舜から夏王朝初代・禹王(うおう)へと、天子の地位を譲り渡して行ったという、「禅譲」の観念があります。夏禹王は王朝を開き、以後は世襲になりましたが。
尤もこの話、神話の中の事であって、実際には本当に禅譲したかどうかも判然とはしません。
以後は孟子が唱えた易姓革命論によって正当化された「湯武放伐論」が浸透しました。
「湯」は商(殷)王朝初代の天子である湯王(とうおう)であり、「武」はこの記事シリーズでも名前を出した、周王朝初代の武王の事です。
そして「放」が「追放、放逐」で、「伐」が「討つ、殺す」という事です。
湯王は夏王朝最後の天子となった暴君・夏桀王(かのけつおう)を放逐して夏王朝を滅ぼし、新しく殷(商)王朝を建てました。
そして時代が下り、周武王は殷王朝最後の天子となった暴君・殷紂王(いんのちゅうおう)を討伐して殷王朝を滅ぼし、新しく周王朝を建てました。
2012/7/22(日) 午前 11:10
このように血生臭い反乱の繰り返しですからね、支那の歴代王朝は。
前漢を簒奪した王莽は実力と天下の支持を背景に、前漢皇室を恫喝して、禅譲を迫りました。
こうして前漢は滅び、王莽は「新(しん)」という王朝を開いたのですが、政治がデタラメ過ぎて、僅か15年で滅びました。その後に後漢王朝が立ったのです。
その後漢王朝も、曹操の息子の曹丕によって簒奪されました。
曹丕は禅譲という体裁の下で、後漢最後の皇帝・献帝を強制的に退位させ、自分が皇帝になりました。
その曹丕が開いた魏王朝も、司馬仲達の孫・司馬炎に簒奪されましたが、この時も同じく禅譲の形式を採っています。
このように偽善的な政治的パフォーマンスが繰り返されました。
禅譲とは神話では、天子に相応しい高徳の人物に譲るのが趣旨でしたが、後世では形骸化し、「徳を失ったからこそ、徳のある相手に譲った」という建前で奪い取っていました。
勿論無学な庶民ですらも、そんな事を信じてはいなかったですが。
2012/7/22(日) 午前 11:12
このように支那では、天下を支配する正統性の根拠とは、「徳のあるなし」です。単なる建前と化していますが。
けどそんなのを科学的・客観的に測定する手段などありません。
だから結局は実力行使で奪い、戦乱を勝ち抜いたりして、「徳があるからこそ天下を得た」とか後付けの理屈を付けるのです。
「徳のあるなし」では結局は人治主義になってしまい、永久に安定はしません。
力を持った人間が、「今の支配者には徳がなく、自分こそ徳がある」と勝手に思い込んだら、力に物言わせて奪う事も許されてしまいますから。
現代でも支那が人治主義なのはその伝統のせいでしょうか。
日本の皇室の場合は、「天壌無窮の神勅」が効いているのかとも思えます。
「天壌(天地)が尽きて無くなるまで、この地は天照大神の子孫のもの」という神勅が皇室の正統性を保証している訳ですから、「徳のあるなし」が基準ではありません。
けれど政治家や官僚には、以前に効用均衡理論でも語ったように、「徳と官と相配し、功と賞と相対す」が原則になってなくてはなりませんが。
2012/7/22(日) 午前 11:13
天壌無窮の神勅と言うのは、これは一見徳のある無しを問題にしていないように思えて、徳を保証しているのではないかと言う気がします。と言うのは、日本式経営で、昔は年功序列の終身雇用でしたが、これは従業員の能力に関係ない制度として、欧米に比べると合理性が無いように見えて、社員はこれによって、雇用が安定するので、会社に対して帰属意識が強くなり忠誠心が出て、かえって一所懸命にやるとか、あるいは新しい技術導入の際にも、それによって雇用を奪われる心配がないので、素直に受け入れるとかそういうメリットがあると聞きました。こういうシステムと比べては不敬になる気もしますが、皇位の安定は特殊な帝王学を生み出し、帝王としての生まれながらの心構えが備わってくるようにも思います。
神話をもとにした神道の祭祀をずっと継承していくと、こういう人柄を産み出すのではないでしょうか。
効用均衡理論は、あれは聞いた時にすごいと思いました。江戸幕府は誰が考えだしたかわかりませんが、力の分散はほんとに見事でしたね。腐敗を防止する工夫として、憲法破棄復活の後にはぜひ取り入れて欲しいですね。
2012/7/27(金) 午後 3:35 [ さざんか ]
どうも御待たせしました。
>天壌無窮の神勅と言うのは、これは一見徳のある無しを問題にしていないように思えて、徳を保証しているのではないかと言う気がします。
さざんかさんはそのように見ますか。
>と言うのは、日本式経営で、昔は年功序列の終身雇用でしたが(中略)それによって雇用を奪われる心配がないので、素直に受け入れるとかそういうメリットがあると聞きました。
能力主義・実力主義のイメージが強いアメリカでも、田舎ではそういう事業所がほとんどだそうで。
街中の零細な個人経営の所とか、先祖代々継がれて来た所なんて特に。
冷徹な能力主義・実力主義のイメージは、主に大都会の高層ビルにオフィスを構えてるような所でしょうね。
>こういうシステムと比べては不敬になる気もしますが、皇位の安定は特殊な帝王学を生み出し、帝王としての生まれながらの心構えが備わってくるようにも思います。
>神話をもとにした神道の祭祀をずっと継承していくと、こういう人柄を産み出すのではないでしょうか。
2012/7/29(日) 午前 11:05
皇室とか君主レヴェルの話でなくとも、先祖代々受け継がれて来た所というのは、多かれ少なかれ、そういう意識が生まれるみたいですね。
皇室が「特殊な帝王学」を持っているというのは当たってますね。
別の言い回しでいう「シラス」「祭政一致」の理念ですか。これは支那は勿論、世界中どこの国にもないですね。
エジプトのファラオなんかがその良い例ですが、君主を「現人神」「神そのもの」と崇拝してはいても、日本の天皇とはやはり異質だと思います。
>効用均衡理論は、あれは聞いた時にすごいと思いました。江戸幕府は誰が考えだしたかわかりませんが、力の分散はほんとに見事でしたね。
2012/7/29(日) 午前 11:06
やはりこれは家康ですね。謀臣の本多佐渡守正信辺りも考えてたのではないでしょうか?
正信は陰謀家のイメージが強くて嫌われてましたけど、功績が多大であるにも関わらず、決して高い石高を受け取ろうとはしませんでしたから。
家康のすぐ脇で権勢を揮ってる分、嫉妬や恨みも買い易いので、それを最大限かわす為に、一万だか二、三万石までしか受け取ろうとしませんでした。
それを息子の本多正純にも遺言したのですが、正純は従わずに十五万石も受け取ってしまったので、後年失脚と破滅が訪れました。
やはり権限と報酬は、上へ行く程分散した方が良いのでしょう。
2012/7/29(日) 午前 11:07
日本の皇室と同じようなタイプは世界中探しても見つかりませんね。天皇が非常に謙虚で、神を祀り自らの身を律して民を大御宝として神からあずかっているという意識でいるというのは、すごいことです。君民同治というか、君と民の意識が呼応しあっている様な状態で調和している関係というのは、まさに理想的ですね。
効用均衡理論というのは、力の分散で腐敗を防ぐこともさることながら、結局は長い目で見たときに力の保持者を世間の恨みや嫉妬から守るということにも繋がりますよね。不自然な集中はいつかはその権力の覆る状態を招くでしょうからね。結局は自分が腐敗するのを抑止するためとも言えますね。
これは是非、今後の官僚機構とかに取り入れてほしいものですね。
2012/8/4(土) 午後 5:37 [ さざんか ]
ええ、そうですね。本当に世界の奇蹟としか言い様のない存在ですよね、我が国の皇室は。
世界中のどの国にも類例を見ない統治形態ですよね。絶対に絶やしてはならない有り様です。
これを損ねようとする左翼や外国の屁理屈など、徹底的に排除すべきです。
効用均衡理論というのは、正しくその通りだと思います。
外国ではその類型を思い付かないのですよね。全てを得ようと欲張る習性を、疑いもしないのでしょうか??
>力の分散で腐敗を防ぐこともさることながら、結局は長い目で見たときに力の保持者を世間の恨みや嫉妬から守るということにも繋がりますよね。
>不自然な集中はいつかはその権力の覆る状態を招くでしょうからね。結局は自分が腐敗するのを抑止するためとも言えますね。
しかしながら日本以外の世界中では、これが確立されていないせいか、革命やクーデターやテロが後を絶ちませんね。
2012/8/5(日) 午後 11:30
そうですよね、効用近郊論を外国で少しでも似たようなものを聞いたことはありませんね。江戸時代の武士は、武士道という倫理によって、経済的我欲というものを追求することを恥とするくらいの気持ちがありましたが、考えてみれば、これほどに支配階級が、倫理的な価値を追求した社会というのは、外国では例を見ませんね。
ある意味、効用近郊論というのは、倫理観が当然のように重視される社会だからこそ、それを受け入れたのかも知れませんね。独り占めしないという潔癖さのある日本人だからこそかも知れませんね。
もう一度、そのような社会を作りあげていかねばなりませんね。
2012/8/13(月) 午後 2:24 [ さざんか ]
どうも御待たせしました。
>これほどに支配階級が、倫理的な価値を追求した社会というのは、外国では例を見ませんね。
そう言えばそうですね。日本の武士が武士道という一大精神文化を生み出せた素地は一体何だったのかと思えます。
支那やヨーロッパにだって似たようなものがあるとは思うのですが、日本のはやはり独特さを感じますね。
「倫理観が当然のように重視される社会」というのも、外国にだって全くない訳でもないのに、日本で特に発達した要因は何なのか、私には解りませんが。
この効用均衡理論は、何も政府や官公庁だけでなく、民間企業やあらゆる組織・団体でも適用可能なのではないかと思えるのですが、如何でしょうか?
2012/8/15(水) 午前 8:50
宗家とか分家とか、どっちが生き残るかとか、
すごい好きです^^
九鼎・・・
日本なら三種の神器、島津なら御重物ですね^^
知識が無さすぎなんで、記事へのコメントが出来ず申し訳ないです〜
東西周は、一連の記事の流れから察するに自分のツボっぽい感じなんですが、
いかんせん調べる余力がないので、せめて記事作成への労にナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち
2012/11/16(金) 午後 10:16
それは光栄な評価ですね!(^^)v
上のさざんかさんとの遣り取りでも言いましたように、九鼎は湖に沈んだので、秦代以降は玉璽(皇帝専用の印鑑)に代わります。
>宗家とか分家とか、どっちが生き残るかとか、すごい好きです^^
>東西周は、一連の記事の流れから察するに自分のツボっぽい感じなんですが
すると私が以前書いた、南北朝の明徳の和約の話とか、室町将軍宗家と関東公方家との抗争の話とかもツボに嵌ってたのでしょうか?@@
2012/11/17(土) 午後 6:15
>2012/11/18(日) 午後 8:40の内緒さん
オブリガード!(笑)
2012/11/19(月) 午前 0:52