YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第四計 以逸待労

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承前  故事其之壹 ─ 丙





 突き付けながら曹沫は、


「さあ!斉公(斉桓公)よ!これまでに魯から奪い取って来た土地を、全て我が魯に御返し願いましょうぞ!」


と、殺気を込めながら、物凄い剣幕で一喝した。
 脅迫に恐れ慄いた斉桓公は、やむを得ずこれを承諾し、当初の思惑とはあべこべに、折角獲得した領土を返還する誓約を交わす羽目となった。


 曹沫にしてみれば、敗戦して領土を次々失ってしまった落とし前を着け、失地を取り戻したのであった。
 衆人の前で斉桓公に誓いを立てさせ、目的を果たした曹沫は、匕首を捨てて再び群臣一同の席に戻った。こうして会盟は魯側の逆転勝利で終わった。


 後日斉桓公は、この事を恥じ、怒りに震えた。
「刃を突き付けられ、無理矢理交わさせられた誓いなど、守る必要はあるまい!」と言い、魯に領土など返さず、そして満座の中で恥を掻かせた曹沫を殺そうと思った。
 だが宰相の管仲がそれを諌めた。


「如何に脅された上での事とは言え、一旦これを承諾しながら、後になってから信義に背いて殺すのは、一時の些細な快を得るに過ぎませぬ。
 その代償として、諸侯からの信用を失い、天下からの支持を失いましょう。それはなりませぬ。」


 それを聞き斉桓公は思い直し、嘗て曹沫が三度戦い、三度敗れて失った魯の領土を、誓約通りに履行し、全て魯に返還したのであった。
 これにより斉桓公の名声は天下中に響き渡り、諸侯は斉桓公に信頼を寄せ、斉桓公が春秋最初の覇者となる足掛かりの一つとなったのであった。
 正しく「禍転じて福と為す」を地で行ったのであった。
 一国の君主相手に堂々と刃を突き付けて領土を奪い返したという、並外れた胆力の曹沫も、それを逆手に取り、主君に天下の名声を博させた管仲も、一時の恥と損失を忍んで、管仲の献策を容れる度量を見せた斉桓公も、三者三様ながら然(さ)る者であったと言う他ない。


 その後の曹沫がどのような生涯を送ったか、いつ死んだのかも不明である。
 だがこれ以降、魯は古い体質や因習に囚われて、国力を次々衰退させて行き、反対に斉は管仲の一連の国政改革を土台として、管仲や斉桓公の死後も、天下有数の強国として存続して行く事になる。
「長勺の戦い」を最後に、魯が斉に対して優位に立てた例は、遂に訪れる事はなかった。





「長勺の戦い」──────曹沫の疲弊待ち戦術。攻撃を二度待って、強敵・斉軍に圧勝する。

「第四計 以逸待労」書庫の記事一覧

閉じる コメント(15)

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つくづく今のシナに管仲のような指導者がいてくれたならと思います。そうすれば例の歴史的因縁などいわなくなるでしょう。現代史ではこれに近いといえばせいぜい周恩来程度でしょうか。

2012/7/3(火) 午前 4:40 [ 彩帆好男 ]

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何となくマトモで良識ありそうだった印象があるのは、共産党政権になってからだと周恩来ぐらいのものだったかも。趙紫陽もかな?

支那の悪政の原因は、太古の昔から人治主義だからでしょう。
しかし法治主義ならそれでOKかと言うと、違いますね。
法治主義以前に「コモンロー(法)の支配」が存在してないと。

支那は「コモンローの支配なき法治主義」です。
だから結局は人治主義になってしまうのです。

2012/7/3(火) 午前 9:03 ZODIAC12

長勺における曹沫の勝利は国力の差を跳ね返したものの結局は局地的勝利にすぎなかったということでしょうね。莱征服前の斉と魯では人口はそう変わらないような感じですが、管仲の改革で経済力で大差が付いていたという事でしょうか?

漢代の資料で若干当てにはなりませんが兗州で人口400万、青州で370万ですから。もちろん兗州のうち曹や衛の領域は除外しなければいけませんからそこから春秋時代の領域を考慮して斉・魯ともに200万くらいか…。

いいね!

2012/7/4(水) 午後 4:19 [ 鳳山 ]

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おお!具体的なデータの数字を、詳細に調べられてますか!
私はほとんどそういう事をしませんが(^^;)。


>長勺における曹沫の勝利は国力の差を跳ね返したものの結局は局地的勝利にすぎなかったということでしょうね。

>莱征服前の斉と魯では人口はそう変わらないような感じですが、管仲の改革で経済力で大差が付いていたという事でしょうか?

私もそういう事だと思います。莱征服前と、管仲の一連の政治改革の前は、差はあってもそれ程までの大きな差ではなかったかも知れません。
けれど管仲の改革で、経済力が増大すると共に、中央集権化が進んだのではないでしょうか?

長勺の戦いでは戦術の妙を発揮して、どうにか勝てたものの、最早戦術とか軍隊の巧妙な運用とかで勝てるレベルの話じゃなくなって来たのでしょう。
おまけに魯は記事にも登場している魯荘公の弟たちの子孫、つまり三桓氏が幅を利かせるようになりましたから、中央集権とは程遠かったでしょうし。


イイネ!どうもありがとうございます!

2012/7/5(木) 午前 8:37 ZODIAC12

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魯が滅びたのは判る気がします。

領地割譲の和睦案を提示する時点で、
挫けてますから。

前の会話に王と臣の違いのような遣り取りがあるけれど、魯王の器量の限界のように感じました。

記事にナイス

2013/1/2(水) 午後 3:19 栞

御待たせしました。まずはナイス☆ありがとうございます。


いやあ・・・・魯が滅びたのは、この魯荘公の死から413年も後の話でして・・・・。この事件の後にすぐ滅びた訳ではないです。


>前の会話に王と臣の違いのような遣り取り

??どこの箇所を指しているのか判りませんが。


この斉と魯の両国とも、何百年も前の周王朝創建の時に建国された名門の諸侯国です。

斉の初代国君が、周文王・周武王の親子二代に亘って仕え、天才的な軍略で商(殷)王朝を破った太公望です。
そして魯の始祖が、周文王の四男で、周武王の弟である周公旦です。

周王朝を開いた後、諸侯に封じられた者たちが、それぞれの任国に国君として統治に赴く事となりましたが、周公旦は摂政として中央朝廷に残らなければならなかったので、封国の魯へは行けず、代理として自身の長男の伯禽(はくきん)を派遣しました。

だからこの伯禽が魯の初代国君となりました。
以降代々の魯公は滅亡するまで、この周公旦・伯禽の直系子孫(勿論男系男子)です。

2013/1/5(土) 午前 2:07 ZODIAC12

さて、諸侯が統治を安定させ、軌道に乗せてから中央まで復命する事が義務付けられていたようなのですが、太公望が斉を僅か数ヵ月で平定させて中央へ報告に来たので、摂政の周公旦は「あまりに早い」と驚きました。

太公望は、

「礼法を簡素化し、元からの風俗・慣習には手を付けず、それを尊重しながら政務を捌いたので早く済んだのです。」

と答えました。

それに比べて周公旦の長男の伯禽は、三年経ってからようやく報告に来ました。
父親の周公旦は「随分と遅かったではないか。」と訝しそうに言いました。

伯禽は、

「礼法を新しく改め、風俗も新しく変えさせるのに、時間が掛かってしまったのです。」

と答えました。

2013/1/5(土) 午前 2:09 ZODIAC12

それを聞き、周公旦は嘆息しながら、

「ああ!いつの日か、魯は斉に仕えるようになるであろう。
政というのは簡潔で明快でなければ、民はついて来れない。
民というのは政が、簡潔で明快であればこそ従うのだ。」

と言いました。
斉が栄えて行き、魯が衰えて斉の風下に立つようになる未来を予見して嘆いたのです。

正しく周公旦の予感通りの歴史となりました。
と言っても、実際に魯が臣下の国になった訳ではないですが、実質斉とでは国力に大きな差が付いてしまいました。

2013/1/5(土) 午前 2:10 ZODIAC12

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これはすごいことですね。実力があるのに、報復せずに、長期的な視点で誓約を護るとは、理性でその時の私情をコントロールできたのは、助言されたとはいえ、大したものですね。
とにかく、曹沫がこの時に殺されなくてよかったです。
魯がこのあと衰退していったとはいえ、その衰退をほんの少しでも遅らせることが出来たのではないでしょうか。
このことがなければ、もっと衰退は早まったのではという気もします。
それにしても、国の基礎というのは、けっこう最初の出だしが意外と肝心なのでしょうね。
伯禽という人が、任された国を自分で一から作り上げたかったかもしれませんが、それを抑えて、従来のやり方を、民のためを考えて、変革を最小限にしていれば、良かったのに、急激な変革は、矢張り無理があるのでしょうね。

2013/2/15(金) 午後 2:53 [ さざんか ]

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やはり春秋最初の覇者になった位ですからね、斉桓公は。
そして斉桓公を覇者にまで押し上げた管仲は、最高峰の名宰相でした。
後世三国時代の諸葛孔明が、「自分が尊敬するのは管仲と楽毅の二人だ。」と言ったのは、知られた話です。


上の遣り取りまで目を通して下さり恐縮です。(^^)b

伯禽は元々政治家としての資質が余りなかったのか、それとも未熟な為に気負い込み過ぎたのか、政治の機微がよく解っていなかったのでしょう。


やはり国とか王朝とか、日本の藩でも、その性格とか体質とか風土とかは、大部分が創始者のパーソナリティや個性で決まるのではないでしょうか。
上で語ったそのエピソードの他にも、こういうものがあります。

ある時、斉の国祖である太公望と、魯の国祖である周公旦が、人事とか人材活用について論議しました。

2013/2/16(土) 午前 11:19 ZODIAC12

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まず周公旦が「身内や血縁者を優先すべきだ。」と言ったのに対し、太公望は「それでは外部との交流が乏しく、周辺諸国から領土を毟り取られて行くだろう。」と反対しました。
つまり太公望は血縁よりも、能力・実力に重点を置いた路線を選択すべきだという訳です。

それに対して周公旦は「そんな行き方では、やがては力を着けた臣下に国を奪われるだろう。」と否定しました。まあどちらにも一長一短あり、と言った所です。

結果はどちらも当たってしまいました。
魯は斉を始め、強国から次々侵略を受け続けて、とうとう強国の仲間入りを果たせませんでしたし、斉は最終的に、臣下であった田氏一族に国を奪われて滅びましたから。
尤もこれらは周公旦と太公望の死から何百年も経った後世の話ですけど。

2013/2/16(土) 午前 11:20 ZODIAC12

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なるほど、創始者の敷いたレールはけっこう後世までつづくのですね。日本と違って、世界の国は、必ず滅びるのが当然ですから、これは二人の主張が当たったというよりは、滅びるときには、その弱点によって滅びるのが普通なのだという話ではないかと思います。
二人は、それぞれの弱点を知りながら、どちらを選択するかという話ですが、二人の立場の違いがそのまま表れたような選択ですね。

2013/2/17(日) 午後 11:32 [ さざんか ]

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>滅びるときには、その弱点によって滅びるのが普通なのだという話ではないかと思います。

これは塩野七生も同じ事を言っていますね。
マキアヴェリも著書内で言ってたような気が・・・・どこでだったかは明確ではないですが(^^;)。
私も旧ブログで頻りに言いました。(^^)v


まあ太公望が封じられた斉は、今の山東省の辺りにあった国です。
海(渤海)に面していて、製塩や商業が盛んで、それで莫大に潤っていました。
ですのでそういった土地柄の気風の関係もあって、そういう体質の国になったのかも知れません。

2013/2/19(火) 午後 10:42 ZODIAC12

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弱点によって滅びる・・・

お、そうですか。けっこう皆同じ結論に行き着くものですね。

で、すぐ思い浮かんだのが、支那、韓国です。
なんかこうも弱点というか、ひどいというか、異常さを示しているのですから、もう時期が迫っているのですかね。

いまの支那に比べれば、斉も魯もはるかにまともですね。

2013/3/2(土) 午後 9:53 [ さざんか ]

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何だか特亜はもう・・・・末期症状みたいで(笑)。
擁護しようとしている反日マスゴミですらも、庇い切れなくなっている惨状を呈しているようで(笑)。


春秋戦国時代の人間にも、支那人特有の嫌らしさはあるのですが、それでも何だか・・・・・身分のない民間層ですらも、誇り高い人間がそれなりにいたという記述も結構見受けられます。

2013/3/3(日) 午前 9:53 ZODIAC12


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