YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第一計 瞞天過海

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趙の名将・李牧、防戦に徹した後に大勝する。





 ♚ 北方の雄国・趙

 時は紀元前3世紀の戦国時代後期の支那。
 この事例での話の明確な年は不明であるが、恐らくは紀元前265年から、紀元前245年に懸けての間の出来事であろうか。
 この丁度20年間は、趙の国の第8代国君・趙孝成王【ちょうのこうせいおう:姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、名は丹(たん)】の治世期間中だからである。


 戦国七雄の中の一角であり、中原北方に位置した強国・趙は、地理的な要因から、「狄(てき)」とか「匈奴(きょうど)」【※1】と呼ばれる、北方の遊牧騎馬民族の領域と国境を接していた。
 その為昔から、趙は屈強な異民族との争乱を絶えず繰り返していた。
 そういった地政学的な要因もあり、これより過去には趙武霊王【ちょうのぶれいおう:姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、名は雍(よう)】という一代の傑出した英君が、「胡服騎射(こふくきしゃ)」【※2】という画期的な軍制改革を成し遂げて、次々と領土を拡大して行き、趙を一躍天下の強国へと成長・発展させるに至った。
 この趙武霊王は趙の第6代国君であり、趙孝成王の祖父である。


 このように趙武霊王以降は特に軍事大国として栄え、廉頗(れんぱ)や趙奢(ちょうしゃ)と言った、天下に名高い英雄的な勇将・智将を輩出した。
 そんな趙において、趙最後の名将、趙最後の英雄とも言える将軍がいた。その名を李牧(りぼく)と言った。





 ♛ 李牧という武将

 李牧は出自は不明だが、趙きっての名将であった。北方の辺境で長く匈奴と戦っていた。
 嘗ての代(だい)【※3】雁門(がんもん)【※4】に駐在し、司令官としてそこの城市と周辺地域の守備を任され、匈奴の侵攻に常に備えていた。
 折を見ては適宜に吏(役人)を置き、市(市場)から上がった税収は、全て幕府(ばくふ)【※5】の府庫に納め、士卒の為に用いる経費とした。
 毎日数頭の牛を屠って、主に守備軍幹部たちの酒食として振る舞った。
 そして射騎(しゃき)【※6】を訓練させ、烽火に意を払い、敵情を探る間諜の数を増やし、戦士を厚遇した。
 しかしそれとは裏腹に李牧は軍令を下していた。


「もし匈奴が襲来して、家畜などを盗もうとしている場合は、急いで家畜を纏めて城市内へ逃げ込むのだ。くれぐれも匈奴兵を虜にしてやろうなどと思う者は斬る。」


 その指示通り、李牧は日頃から烽火(のろし)【※7】に絶えず意を払い、匈奴が来襲する度に家畜を城市内へ引き込ませた。
 そして城市内に立て籠もったまま、一切反撃に打って出ようとはしなかった。


 このような行き方を繰り返し、いつしか数年が経っていた。その間に雁門の官民に、損害らしい損害はなく、大過なく過ごせた。
 だがその代償として、匈奴は一向に戦おうともしないで、城市内に籠もってばかりいる李牧を臆病者と嘲った。
 更には配下である趙軍将兵までもが、自分たちの司令官を内心では臆病者だと思うようになっていた。
 趙の国君である趙孝成王は、李牧のやり方が大層不満で、李牧を難詰したが、それでも李牧は行き方を従来通り変える事はしなかった。
 それで趙孝成王は怒り、遂に堪忍袋の緒が切れて李牧を更迭してしまい、代わって新しく別の者を雁門防衛の司令官として派遣した。


 それから一年余り、その新任の守将は李牧とは正反対に、度々城市から打って出て、匈奴と交戦した。
 だが戦況は好転せず、戦うごとに負けた。侵攻が頻繁になり、雁門城市の周囲、国境付近では、農耕や牧畜もまともに出来なくなってしまった。その為損害は増すばかりであった。
 そのせいで軍民とも李牧を懐かしく思うようになった。





後続  故事其之壹 ─ 乙

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幕府〜もともとの意味は、こっちなんですよね^^

李牧のやり方は臆病に見えたけど、
実際は損害を最小に留めた最善の策だったということか。

でも、それを周囲は考えが及ばず、李牧を更迭してから気づいたって皮肉な話です。

後任が戦に勝ったとしても、農地や家畜に相応の被害が出ただろうから、
その損失を埋めるのが大変だったはずです。

復興したころに匈奴は来るだろうから、戦い続けたらキリないだろうしなぁ

さて次はどうなる?ヽ(*´∀`)ノ★ぽち

2012/8/5(日) 午前 11:22 栞

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いつも多忙な合間を縫って御越し下さり、そしてポチ感謝です。
リンク先の語句註釈まで読んで下さり、光栄です!解り辛い所はなかったでしょうか?


この李牧の例に限らず、消極的で防戦一方に徹する路線というのは、いつの時代でもどこの国でも不評を買い易いものです。
「ファビアン戦略」というのは兎角爽快感に欠けるものでしょう。

「ファビアン戦略」とは持久戦法の事ですが。
尤も「ファビアン戦略」とこの李牧の戦略は「ファビアン戦略」とは少々異なるのですが、それでも敢えて話しますと・・・・・・これは古代ローマとカルタゴが戦った第二次ポエニ戦争、別名「ハンニバル戦争」の時に、天才将軍ハンニバル率いるカルタゴ軍と戦った、ローマ軍の司令官であるクィントゥス・ファビウス・マクシムスの名に由来します。

ハンニバルたちは本国カルタゴから遠く離れたイタリア半島まで入り込んで来たので、兵站がネックとなっていました。
だからこそカルタゴ軍は行く先々で略奪とかして補給するしかないのですが、ファビウスはそこに目を着けました。

2012/8/6(月) 午前 10:05 ZODIAC12

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ハンニバルは戦争の天才なので、まともに勝負したらまず勝てないので、ファビウスはハンニバルと直接交戦する事を避け続けました。
その代わりにハンニバル軍の行軍路を予測し、略奪を阻止する為に行軍路上にある土地を全て焼き尽しました。いわゆる焦土作戦です。

狙い通り兵站の弱いハンニバル軍には効きました。
にも関わらず、これは散々な不評を買いました。
焦土化された土地の住民だけでなく、中央政府までも、あまりの消極的な戦いぶりに非難囂々でした。

その為にファビウス・マクシムスは「クンクタートル」という不名誉な綽名まで着けられてしまいました。
ラテン語で「グズ」「のろま」という意味です。

ファビウスの戦略を理解しないまま、中央はファビウスを更迭して、別の人間と交替させました。
勿論後任者はファビウスとは正反対に、積極的に戦いました。けれど結果的に致命的な大敗北を喫しました。

2012/8/6(月) 午前 10:08 ZODIAC12

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これによりハンニバルとは真正面から戦っても勝てない事をローマはようやく悟り、ファビウスの戦略の正しさを認めるようになったのです。
以来ファビウスに着けられた綽名「クンクタートル」は、「グズ」「のろま」という蔑称から、「細心」「周到」「慎重」といった意味に変わりました。

それでファビウスは司令官に再任され、再び同じ持久戦法を用いて、再びハンニバルたちを苦しめました。
そして最後まで決定的な一戦こそなかったものの、兵站を閉ざされてすっかり弱り切っていたカルタゴ軍は、それ以上の戦闘継続が不可能となり、ハンニバルは遂に断念して、カルタゴへ撤退する事になりました。
ローマ側の損害を最小限に抑えた上での戦略的勝利です。

2012/8/6(月) 午前 10:09 ZODIAC12

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積極的に攻撃を仕掛けてハンニバルをも閉口させた猛将マルクス・クラウディウス・マルケルスが「ローマの剣」あるいは「イタリアの剣」と呼ばれたのに対し、防御重視のファビウスは「ローマの盾」あるいは「イタリアの盾」と呼ばれました。
以上のこの話は、≪第一九計 釜底抽薪≫の故事として書き上げる予定です。

このクィントゥス・ファビウス・マクシムスと李牧の話はよく似てますが、両者を比べると、李牧は持久戦術の意図ももしかしたら多少はあったかも知れませんが、どちらかと言うと、長年懸けて匈奴を油断させるという意図が強かったと思います。

2012/8/6(月) 午前 10:12 ZODIAC12

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名将というのは、すべてを計算して、計画をたてるのでしょうが、衆人は
一部分のみを見て、判断するから、まさに燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、そのままの状態が起こりますね。
それにしても、君主は将軍の人となりをしっかりと見て、完全に信頼するということはないのでしょうか。自分の思い通りでないと、更迭したのでは、せっかくの計画も中途で挫折しますね。
明治天皇は、最後まで乃木将軍を信じて更迭されなかったのは、さすがですね。

2012/8/17(金) 午後 5:11 [ さざんか ]

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そうなのですよ。支那史上では頻繁に現れる事態でして、どうも君主の周囲が讒言するのですよ。
嫉妬だったり、私怨だったり、政敵を蹴落とす為だったり。

君主の側近(主に宦官)が前線まで監察に派遣されるのですが、その時にそこの司令官が監察官に賄賂を贈らないと、監察官が宮廷へ帰着してから、何を言われるか判ったものじゃありません。
ある事ない事織り交ぜられて、ボロクソ扱き下ろされますから。その司令官が君主に嫌われていると尚更です。

全体的に見て名君と評価出来る人物の中にも、しばしばそういった側近の讒言に惑わさてしまい、味噌を付けてしまった残念な君主もいます。勿論惑わされなかった君主もいますが。

2012/8/19(日) 午前 9:35 ZODIAC12

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明治天皇は真に偉大な帝王であられましたな。
そうですよ、乃木希典陸軍大将率いる第三軍団が旅順攻略に手間取り過ぎて、無駄に損失ばかり出していると、前線だけでなく世論でもそのように酷評されていた真っ只中にあって、明治天皇は「乃木だからこそ・・・」と全幅の信頼を置いていました。
これって凄い事だと思います。誰にでも出来る事ではありません。

『坂の上の雲』の中では乃木大将は、第三軍参謀長の伊地知幸介少将と揃って、ボロクソ扱き下ろされてましたけど。
だけど現在冷静に評価し直してみると、この時に乃木大将や伊地知少将を更迭しなくて正解だったかと思います。

2012/8/19(日) 午前 9:36 ZODIAC12

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戦略もなく感情に任せたやり方、どこかの国の火病みたいですが、一番損失を被るという事ですね。傑作&TBします。

2012/8/20(月) 午後 3:55 千葉日台

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早速来て下さり、どうもありがとうございました。(^^)ノ
まずは始めに連続ポチ&返礼TBを、纏めて感謝御礼申し上げます。

まあそうですね。その場の感情や勢いだけで、軽々しく開戦すべきではないですね。
ちゃんとした勝算を立てないと・・・・。

2012/8/21(火) 午前 8:18 ZODIAC12

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