YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

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 まだ5月下旬だと言うのに、昨年と同様、もう夏のような暑さを感じられるようになりました。


 そんな今時分に、何とも季節外れな題材ですが、昨年の平成30(2018)年1月22日(月)の事、この日は数年に一度あるかないかの大雪が降り、車が動かせない程に深く積もりました。
 この日は職場へ朝出勤した時は車で通勤しましたが、帰りは大雪のせいで車が動かせなくなってしまいました。
 なのでやむなく車を職場に置いたまま、職場から歩きで帰宅する羽目になりましたよ(^^;)。


 そんな経緯を思い浮かべながら、詠んだ短歌は次の二首です。
 
 
 
 
 
一首目:
うくおもふ ゆきおつよみち あゆむなか いとけなきひぞ おもひいださる
 
≪憂く思ふ(おもう) 雪落つ夜道 歩む中 幼き日ぞ 思ひ(おもい)出(いだ)さる≫
 
雪の降り頻る夜道を、煩わしく思いながら(職場から自宅まで)歩いて帰っている最中、(雪が降ると無邪気に楽しい気分になっていた)幼い時分の事が思い出される。
 
 
 
 
 
二首目:
しろたへの ゆきよろこびき かのわらべ いまはかはりて うらめしきかな
 
≪白妙(しろたえ)の 雪喜びき 彼の童 今は変はりて(かわりて) 恨めしき哉≫
 
嘗ては雪を喜んでいたあの子供(少年時代の筆者自身)も、大人となった今ではすっかり心持ちも変わってしまい、(今は只々雪なんか降って欲しくないのにと)恨めしく思うばかりだなあ。
 

【註:「しろたへの(白妙の)」は次の「雪」に懸かる枕詞なので、特に意味はなし。】
 
 
 
 
 
 子供の頃は滅多に降らない雪が降れば、興奮したり雪で遊んだりしたものなのですが・・・・・
 けれどすっかり大人になった今となっては、車が動かせなくなるわ、家の前の雪掻きをしなきゃならないわで、ウンザリさせられるばかりですよ(^^;)。
 子供の時分の雪に喜んでいた純粋さや無邪気さがすっかり失われて、ただただ鬱陶しいとしか思えなくなった心境を自嘲して詠んだ歌です。
 
 
 そして本記事の次の記事は自作漢詩です。これと同じ題材を今度は漢詩で表現してみました。
 本当に漢詩は作詩が厄介で手古摺りますが(^^;)、苦労しながらもどうにか創ってみました。
 
 
 それでは次回記事もどうぞ御覧になってみて下さい。
遂に令和時代が、本日開幕しました。

昭和から平成へ、そして平成から令和へと、我が身は三世を経ました。

大正生まれの方だと何と、四世も経ました。何とも感慨深いものが・・・

何しろ一生に一度あるかないか、という時代の移り変わりを、二度も三度も体験した訳ですからね。









皇尊(上皇陛下及び新たな今上陛下)、彌榮、彌榮、彌榮

新時代令和、彌榮、彌榮、彌榮
 我が国の戦国時代の話に熱が入ると、巷間ではよく、
 
「武田信玄が後十年は長生きしていたら、天下を獲っていただろう、織田信長に武田家が滅ぼされる事はなかっただろう」
 
と言われてますよね。けれどそういった信玄ファン、武田贔屓の人たちには気の毒ですが、
 
「残念ながらそれはなかった」
 
としか言い様がありません。
 それは敗者への同情に基くただの判官贔屓でしょう。つまりただの感情論に過ぎない、と思います。
 
 信長と比べると武田信玄・上杉謙信たちはローカルレベルでの英雄であって、天下を獲れたりとか、新時代を築けるようなタマではなかった、という事です。
 上で言った「感情論、判官贔屓に過ぎない」の理由は、次の要因です。
 
 
◆信玄・謙信は経済政策・商業政策の感覚が古い。
 
◆信玄・謙信の軍は信長の軍と違って、常備軍(常設軍)ではない。
 
◆信玄・謙信は旧時代の権威(室町幕府・宗教勢力)や利権とくっ付き過ぎて、新時代に対する展望が欠けていた。
 
 
以上です。つまり信玄・謙信は、
 
 
★一地方だけでなく、天下の民衆の支持を得られる政策を取らなかった事
 
★旧来の手垢に塗れた権威に頼り過ぎて、新時代に相応しい在り方を意識していなかった事
 
★そして天下を獲る為に必要な軍制改革を怠った事
 
 
 これらが信長との決定的な差と言えるでしょうか。
 常備軍に関するキーワードは「シフトチェンジ」でしょうか。すなわち・・・・
 
 
重農主義経済から重商主義経済へのシフトチェンジ
 
封建軍(農民兵主体の軍)から常備軍(常時雇いの傭兵軍)へのシフトチェンジ
 
兼業(パートタイム労働)から専業(フルタイム労働)へのシフトチェンジ
 
封建体制から中央集権体制へのシフトチェンジ
 
 
 これらが天下統一を成功させる為の重要な鍵と言えるでしょうか。
 これは日本に限らず、中世ヨーロッパや東周時代(春秋戦国時代)の支那でも同様です。
 以下のように自問自答してみて辿って行くと、その根本原因に突き当たります。
 
 
 
Q.何故天下がいつまで経っても乱れているのか?
 
A.天下を一本に纏められる程の強い権力を、誰も持ってないから。
 
 
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Q.何故それだけの強力な権力者がいないのか?
 
A.軍隊が弱いから。天下を鎮められるだけの強力な武力がないから。
 
 
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Q.何故軍隊がそんな弱いのか?
 
A.どの大名の軍隊も、軍事活動する時期が極めて限られているから。
だから長期間に亘って、集中して活動が出来ないから。
 
 
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Q.何故軍事活動する時期がそんなに限られているのか?
 
A.どこの軍隊も兵士の圧倒的大多数が、元は領内の農民ばかりだから。
 農民たちに戦ばかりさせて農作業をさせないでいると、領内の田畑が荒れて、領内が飢餓状態に陥るから。そうなったら戦どころじゃなくなる。
 だから否応なしに軍事活動が可能な時期は、農閑期に限定されるので、いつまでも戦わせる訳にも行かない。
 
 
 ここらで一旦は区切ります。

 つまり信玄・謙信たちの兵は、こういう農民兵主体の封建軍だった為に、長期戦が不可能だったのです。
 
 だから五回にも亘って繰り広げられた「川中島の戦い」なんて、まさにそれの表れな訳ですよ。
 そんなに長引かせておきながら、とうとうハッキリとした決着が付けられなかったのは、どちらも季節に左右される農民たちが兵士だったからです。

 特に謙信の本拠である越後国なんて豪雪地帯ですから、冬は雪のせいで進軍出来なくなりますし。
 
 さて、ここで新たな切り口から自問自答を試みてみます。
 
 
 
Q.ではどうすれば季節に関係なく、軍を動かせられるようになるのか?
 
A.軍の主体を農民兵中心から、専業兵士中心に切り替える。
 農民は農業に専門的に従事させ、戦の事は専業の兵士たちに任せる(すなわち兵農分離の実践)。
 そうすれば季節に関係なく、軍を動かしたいと思った時に、いつでも動かせるし、兵士たちは戦の事以外に何も煩わされる事もないので、いつまでも従軍させる事が出来る(すなわち常備軍の創設)。
 
 
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Q.そんな利点があるのなら、何故誰もそれ(兵農分離、常備軍の創設)をやらなかったのか?
 
A.少数の親衛隊規模ならともかく、軍団規模の将兵たちを常時雇い続けるとなると、農民兵主体の封建軍よりもずっと莫大な経費が掛かる。
 どの大名もそこまでの財力がないから。
 
 
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Q.何故誰もそれだけの財力がないのか?
 
A.経済を農業経済に頼っているから。
 各領内の歳入が租税一本とかでは、年内に収入出来る時期が決まっているし、気候によってその年の豊作・不作が左右される。
 つまり農業経済(重農主義)では根本的に安定せず、たとえ豊作だったとしても、減税政策を施したとしても、さほど豊かな収入が見込めない。
 
 
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Q.ではどうすれば農業経済よりも安定してる上に、農業経済よりも豊かな財力を築けるか?
 
A.商業や商人階層を保護し、領内を自由経済政策で活性化させる。
 ギルドみたいな存在の力を制限し、自由経済活動の妨害をさせない。
 商業で得た売上の税を軽くし、経済全体を潤し、領内を豊かにする(すなわち楽市楽座の実践)。
 商業による歳入(売上から徴収した税)は、農業と違って季節に関係なく、年間を通して常時得られる。
 それにより、農業経済とは比較にならない程の莫大な富を得られて、常備軍を創れるようになる。
 
 
 
 以上です。つまり「重商主義」「自由経済」こそが常備軍創設の為の鍵です。

 信長は一代であそこまで織田家を勢力拡大させた位ですから、戦を徒に長期化させる事がなく、決着を付けるのが本当に早かったですよね。
 それもこのように築いた常備軍という下地があればこそ可能な話です。
 川中島での信玄・謙信とは正しく対照的です。
 やはり天下を獲るには常備軍でないとダメだという事です。
 
 ここからは農民兵主体のアマチュア軍隊である封建軍と比べて、職業兵士たちから成るプロフェッショナルの常備軍の何が優れているのか、思い付く限りそれらの要因を列挙してみます。
 
 
①収入源が租税(農業)とかではなく金銭(商業)なので、基盤となる財力が封建軍とは比較にならない位に豊富にある。
 
②財力が豊富にあるので、軍は良質の武器や装備を潤沢に揃えられ、優秀な人材を多く召し抱えられる。
 
③将兵たちは他の事を気にせず、軍事だけを専門的に行える。
 それに伴い、将兵たちの専門的な軍事能力が、封建軍とは比較にならない程に精度が上がる。
 
④軍事に専念出来るので、軍全体が季節に関係なく、補給の続く限りは、時期も無期限に活動出来る。
 その結果、他事(農業とか)に煩わされる事もなく、軍事作戦に全力集中が出来るので、比較的早く決着が付けられるようになる。
 
⑤財力が豊富にあるので、末端の兵卒に至るまできちんと報酬が支給されるので、攻め込んだ先での略奪に頼らずに済む。
 もし将兵が軍紀違反を犯せば、遠慮なく処罰する事が出来る(武田・上杉の兵は、末端の兵士は現地での略奪で賄っていたのに比し、信長は「一銭斬り」とかの逸話でも知られるように、乱暴狼藉を働いた兵士を容赦なく厳罰に処している)。
 この結果、現地住民からの恨みを買わずに済むし、支持を得られ易くなる。それにより占領先での統治が比較的円滑に進む。
 
⑥常備軍なので、平時でも軍を解散させたりしない。
 すなわち有事の時にいちいち招集する手間が省け、常時いつでも動かせる態勢となっている(封建軍は戦がある時だけ軍を招集し、戦が終わったら解散させる)。
 
⑦戦がない時は野盗化しがちな兵士を、野放しにする事なく食わせて行けるので、治安の悪化を阻止出来る。
 軍で雇い続けられる限りは、軍律の統制下に置く事が出来る。
 
⑧常備軍は完全に君主に直結し、指揮命令系統が君主の一元管理下に置かれているので、雇用主である君主以外の命令は聞かない。
 よって謀反を企む臣下に兵権を握られる事がなく、逆に臣下たちを抑え、強力な統制を布く事が出来る(「本能寺の変」で明智光秀が率いた軍団は、あくまで光秀の私兵団であり、信長直属の軍団ではないのでこの限りではない)。
 
 
 以上列挙した要素を持つ常備軍があれば、封建軍を率いてる他の諸侯が太刀打ち出来なくなる程の、圧倒的な軍事力の差が生じるので、常勝無敗も夢ではなくなります。
 
 
 
 これらは中世から近世へ移行しようとする時期のヨーロッパでも概ね事情は同じでした。
 ヨーロッパの俗に「絶対王政」と呼ばれる状態は、この常備軍が土台になってます。
 
 国王などの一国の君主たちは、当初から絶対的な権力を握ってた訳ではありません。当初は他の封建諸侯と同じでした。
 それら封建諸侯たちの中の第一人者、首席、取り纏め役、諸侯会議の議長といった程度の弱い存在でした。
 
 国王は王冠や玉座という権威があるので、一応表面的には諸侯たちによって君主として立てられているものの、実力(軍事力、経済力)は、臣下の諸侯たちとは五十歩百歩で大差なかったのです。
 
 何せ国王が直接統治する領内も、臣下の諸侯たちが統治する領内も、その経済システムが同じ重農主義であり、歳入を同じく租税に頼っていました。
 そして軍の兵士も騎士以上に、領内の領民たちが大多数だったというのも同じ事情でした。
 だから国王と諸侯の違いと言えば、「王冠を被っているかいないか」「玉座に坐っているかいないか」の違いだけでした。
 
 国王はそんな封建諸侯連合(それもかなり緩やかな)の盟主という存在に過ぎず、中には国王を上回る実力を持った諸侯もいたりしました。
 だから中世時代までの国王たちは、御輿に担がれて、その権威を利用されがちな、意外と弱い存在だったのです。
 
 臣下の諸侯たちとの間に圧倒的な実力差がなかったので、いくら国王とは言っても、諸侯たちに対し頭ごなしに命令など出来ませんでした。
 それが上記で列挙した過程を経て、諸侯たちの実力に特に変化はなくとも、国王の実力が大幅に向上した事で、諸侯の実力が相対的に弱体化して行きました。
 
 それを元に国王がその強大な軍事力を背景に、行政・軍事・司法の権限を諸侯たちから徐々に取り上げて行き、それらの権限や命令系統を、国王を頂点とした一元管理として行きました。
 そうする事で、諸侯が下剋上やクーデター、その他好き勝手な行動を起こしたくとも起こせなくなってしまい、諸侯は国王に対して否応なしに服従せざるを得なくなって行きました。
 
 つまりは権力の主体(突き詰めれば軍事力を持った主体)が複数並び立っていて、権力の出所がいくつにも分散しているようでは、国力を削がれてばかりなのでダメだという事ですね。
 だから権力の主体を分かり易く一本化し、統一国家を作らねばならないのです。

 以上が粗雑で簡略化した説明ですが、これがヨーロッパ諸国の絶対主義、絶対王政とか呼ばれる、封建体制を脱して中央集権体制が成立する、大まかな過程でしょうか。
 
 
 
 フランスなんかは特に、宿敵イギリスと英仏百年戦争を戦い抜いた事で、絶対王政を築きました。
 イギリスは逸早く常備軍を創設していたので、当初常備軍を持たなかったフランスは、イギリスに連戦連敗でした。
 しかしどうにか国を奪われずに持ち堪えられました。
 
 長く戦乱が続いた事でフランスは、各地方の封建領主たちが、それぞれ独立した状態で好き勝手な事ばかりしていてはダメだという事、国全体が国王を中心として、一本に纏まらなくては効率が悪く、国全体も発展せず、戦争にも勝てないという事を学びました。
 それで最終的にはどちらの国も全体的に、階級の上下を超えた一体感、同じイギリス人同士、同じフランス人同士という最初の国民意識、同胞意識、連帯感等が生じて、後世の近代国民国家の原型が出来上がりました。
 
 英仏百年戦争終結後に、両国ともそれぞれ国王を中心とした中央集権化が大きく進み、フランスにも常備軍が正式に創設されました。
 以降はそれがキッカケで、イギリスとフランスは一般的には「絶対王政」とも呼ばれる時代を到来させ、他よりも早くから近代的な国民国家の最初の基礎を築けました。
 
 英仏百年戦争を境に、英仏両国は他のヨーロッパ諸国との国力に差を付けて、一躍ヨーロッパの強大な軍事大国(列強国)へと成長発展しました。
 英仏両国は後世の帝国主義時代でも突出した存在として、その存在感を見せ付けましたが、その基礎工事は英仏百年戦争を戦い抜き、いち早く封建体制から脱皮し(100%ではありませんが)、中央集権体制を築く事に成功した、というのが大きな要因であります。
 
 
 以上語った事はヨーロッパに限らず、中央集権体制を築いた国なら、概ね共通しそうな事柄です。
 ただ成立過程が全ての国に100%ピッタリ当て嵌まるかというと、やはり国ごとに若干の差異があります。
 だとしても細かい違いを無視して大雑把に要約すれば、大体こんな感じで合っていると思います。
中編からの続き





 いよいよ後編です。





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 31〜33枚目は好文亭の外観です。
 この好文亭とは、ここ偕楽園の創建者たる水戸藩第9代藩主の烈公こと徳川斉昭の別荘だったと。
 烈公斉昭はここに、文人墨客、家臣、領民を集めて、詩歌や慰安会を催したそうです。
 つまり殿様の別荘兼多目的施設だったと理解して良いんですかね?



 ここからは各間(各部屋)の写真の紹介です。
 それぞれ「●●の間(ま)」と名付けられていますが、それらの名は部屋の襖絵に描かれた花木に由来します。
 なので襖絵を見れば、部屋の名前の見当が付く訳です。





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 34枚目は『梅の間』です。





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 35枚目は『桜の間』です。





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 36枚目は『菊の間』です。





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 37枚目は『桃の間』です。





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 38枚目は『つつじの間』です。





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 39枚目は『松の間』です。





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 40枚目は『紅葉(もみじ)の間』です。





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 41枚目は『竹の間』です。





 以上で好文亭の写真の紹介を終わります。



 最後にこの『好文亭』の命名の由来は、晋武帝(しんのぶてい)の次の故事に由来するそうです。

『文を好めば則(すなわ)ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず。』

 意味は「晋武帝が学問を好んでいた時分には梅が花咲いたけど、たちまち学問を止めたら、パタリと梅が花咲かなくなった。」と。
 これが史実かどうかは分りませんが、この一文が名の由来だと。
 故にこの故事から、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」と言うのだそうです。
 まさしくこの梅の名所・偕楽園に相応しい名かと。



 ちなみに晋武帝とは、三国時代の乱世にあった支那を天下統一し、漢(後漢)・魏(曹魏)に続く王朝・晋(西晋)の初代皇帝(実質は四代目)となった人物で、本名は司馬炎(しばえん)です。
 諸葛孔明(しょかつこうめい)のライヴァルでもあった、司馬仲達(しばちゅうたつ)こと司馬懿(しばい)の孫です。



 今年のではなく、何年も前の古い写真群で何でしたが、フォト集40は以上です。





【水戸偕楽園】HP
https://www.ibarakiguide.jp/kairakuen.html





フォト集40 完
前編からの続き





 さて、本稿中編での写真は全部で13枚。
 全て好文亭の内側から、外の景色を撮影したものです。





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 18〜25枚目は一階から眺めた中庭です。





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 26〜30枚目は二階から遠くを眺めた風景です。千波湖が見えます。





後編へ続く

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