YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

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第二九計
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樹上開花
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じゅじょうかいか


樹上に花を開す


樹上(じゅじょう)に花(はな)を開(さか)す






 計略名の由来は定かではないが、宋代の仏教書である『碧厳録(へきがんろく)』あるいは『五灯会元/五燈會元(ごとうえげん)』に収録されている四字熟語の、「鉄樹開花(てつじゅかいか)」または「石樹開花(せきじゅかいか)」ではないかと推測されるが、真相は不詳。
 ちなみに「鉄樹」とは読んで字の如く、「鉄で出来た木」という意味の他に、広西地方に産すると言われているが、実際にどのような木なのかは不詳。
 事実かどうか、鉄樹は六十年に一度だけ花が咲くと言われる。
 故に「いつまで待っても見込みがない事」「極めて稀な事」「不変だと思われていた事が、実は変わるもの」だという事の喩えとして用いられる。
 だが『碧厳録』『五灯会元(五燈會元)』のどちらにしろ、元来は仏教由来の語であり、本計略の「樹上開花」とは意味が異なる。






☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷
 局を借りて勢(せい)を布(し)けば、力小なれども勢大なり。
 鴻(かり)、逵(き)に漸(すす)む、その羽用(も)って儀と為す可(べ)し。
☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷
 その場の局面を借りて陣形を布けば、例え実際の兵力が弱小であっても、強大な勢力に見せ掛ける事が出来る。
 雁が空を飛ぶ姿を見れば、その羽を目一杯に拡げ、意気盛んな様を見せている。
 その姿を手本として倣うべきである。
☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷
 嘗て平成27(2015)年5月2日(土)午前0時33分に投稿した動画記事の再掲載ですが・・・
 
 
 これまでは書庫【仮設・暫定・臨時】にずっと放置してたままでしたが、改めて本書庫の記事として、再度アップします。中身(掲載動画群)は全く一緒です。
 
 
 改めて本稿をアップした事により、【仮設・暫定・臨時】の書庫に収録してあった旧来のものは、削除しました。
 
 
 
 
 
1.【ポーロヴェツ人の踊り(韃靼人の踊り)】 
 
 
 
 
 
 
 
2.【There Must Be An Angel(ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3.【Lovin’ You(ラヴィン・ユー)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4.【A Place In The Sun(ア・プレイス・イン・ザ・サン)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5.【Mamma Mia(マンマ・ミーア)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6.【La Bamba(ラ・バンバ)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7.【Over The Hills And Far Away(オーヴァー・ザ・ヒルズ・アンド・ファー・アウェイ)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8.【It’s A Long Way To Tipperary(イッツ・ア・ロング・ウェイ・トゥ・ティペラリー)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9.【When Johnny Comes Marching Home(ウェン・ジョニー・カムズ・マーチング・ホーム)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10.【Dixie(ディキシー)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11.【We Are In Love(ウィー・アー・イン・ラヴ)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12.【Take Five(テイク・ファイヴ)】
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
13.【A Lover’s Concerto(ア・ラヴァース・コンチェルト)】
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第116話
蟹と狐
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 蟹が海から上がって来て、浜辺で餌を漁っていた。
 その様子を腹を空かせた狐に見付けられてしまい、狐は駆け寄って蟹を捕えた。



 今にも食われようとなった蟹は言った。



「これも自業自得と言うものだ。海の者が陸の者になろうとしたのだから。」



 このように人間の場合でも、本業を放棄して、全く柄にもない事に手を出すような者は、失敗して当然なのだ。





















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第117話
角を欲しがる駱駝
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 駱駝が角を自慢する牛を見て、羨ましく思い、己も角を欲しがるようになった。
 そこで主神ゼウスの下まで赴き、自分にも角を授けて欲しいと頼んだ。



 するとゼウスは、



「その大きな体と強い力に満足せず、余分な物まで望むなどとは言語道断である!」



と、大層怒り、角を与えなかったばかりか、耳の一部を取り去ってしまった。



 このように多くの者は、欲が高じて他者の物まで手に入れようと望み、遂には己の物まで失う羽目となる事に気付かない。




















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第118話
海狸(ビーバー)
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 海狸(ビーバー)は湖に棲息する四足の獣である。
 その生殖器はある種の病気に有効だと言われている。



 なので人間が海狸を見付けて追い掛けると、自身は何故追われているのか、その理由を理解しているので、ある程度までは足の速さを恃みにして逃げ、身体の無傷を保つ。
 しかしいよいよ追い付かれそうになると、自ら生殖器を切り取って投げ、命だけは全うしようとする。



 このように人間の場合でも、財産を狙われた時には、己の命を危険に晒さず、財産の方を切り捨てられる人こそが、寧ろ賢明な人なのだ。




















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第119話
野菜に水をやる庭師
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 庭師が野菜に水を与えていると、ある者が足を止めて尋ねた。



「野に生えてる草は頑健なのに、庭の野菜がひょろっと萎(しな)びているのは何故なのだ?」



 庭師は答えた。



「大地というのは一方に取って母であるが、もう一方にとっては継母(ままはは)であるからだよ。」



 このように子供の場合でも、継母に養育されている子は、実母に育てられてる子と同じよおうには育たないのである。




















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第120話
庭師と犬
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 飼い犬が井戸に嵌ってしまった。
 そこで飼い主である庭師は引き上げてやろうとして、後を追って井戸の中へ降りて行った。



 犬は立ち往生していたが、主人の庭師が近付いて来ると、水に沈められると思い込み、主人に噛み付いた。
 予想もしなかった酷い目に遭って、庭師は言った。



「やれやれ、こんな目に遭うのも仕方ないか・・・。
 お前さんが頭から落ちる時に、何で危険から救ってやろうとしなかったんだろうかな?」



 恩を仇で返すような恩知らずに向けて、の話である。
前編からの続き
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 統治には一種の宗教的な祭儀が不可欠である事は、古今東西を問わぬ事実である。
 無宗教の共産圏でも、例えばレーニンの屍体をミイラにして、一種のピラミッドに安置し、その屋上に指導者が並んで人民の行進を閲するのは、まさにファラオの時代を思わせる祭儀である。
 
 誤解されては困るが、私は絶対にこういった行為を野蛮だと言っているのではない。
 蛮行とはもっと別の事であって、このような祭儀行為とこの祭儀をを主宰する権限とは、常に最高の統治権者が把持して来た、非常に重要な権限だ、という事実を述べているのである。
 
 だが祭儀権と行政権は分立させねば独裁者が出て来る。
 この危険を避ける為、両者を別々の機関に掌握させ、この二機関を平和裡に共存させるのが良い、と考えた最初の人間は、ユダヤ人の預言者ゼカリヤであった。
 
 近代的な三権分立の前にまず、二権の分立があらねばならない。
 二権の分立がない所で、形式的に三権を分立させても無意味である。
 それが如何に無意味かは、ソヴェトの多くの裁判を振り返ってみれば明らかであろう。
 
 西欧の中世において、この事を早くから主張したのはダンテである。
 彼はこの二権の分立を、教権と帝権即ち法皇と皇帝の併存という形に求めた。
 法皇は一切の俗権が停止されねばならぬ。皇帝は法皇に絶対に政治的圧力を加えてはならぬ。
 そして両者が車の両輪の如くになって、新しい帝国が運営されるべきである、と考えた。
 
 だがダンテの理想は夢で終わった。彼が日本の朝廷・幕府制度の事を知ったら、羨望の余り、溜め息を吐いたであろう。
 ダンテの夢が夢で終わったように、ゼカリヤの夢も夢で終わった。
 
 日本の天皇はヨーロッパ的意味での皇帝ではない。少なくともインペラトールではない。
 美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は、絶対に日本の天皇にはない。
 
 私は随分探したのだが、まだ鎧をつけた天皇の像を見た事がない。天皇は必ず「こし」に乗っている。
 その外容はヨーロッパ的に見れば、皇帝よりも寧ろ法皇に近い。
 私は天皇を、後述する日本教の大祭司だと考えている。そして将軍はまさに総督である。
 
 この素晴らしい制度は、一体どんな政治哲学に基いて、誰が考案したものであろうか。
 事実、祭儀と行政司法と宮廷生活とが混合していた中世ヨーロッパの政府は、政府などと言える代物ではなかった。
 それに比べれば幕府即ち頼朝政府は、何と素晴らしいものであったろう。恐らく当時の世界の模範であったに相違ない。
 
 これは絶対に私の独断ではない。少しでも日本の歴史を知っている外国人なら、皆同じ感慨を持つだろう。
 政治というものが実務としてある以上、能力ある者がこれを担当するのが当然の事である。
 
──────これらの政治理念が、中世ヨーロッパの皇帝や宰相や騎士団の考え方とは、雲泥の差がある事は言うまでもない。──────
 
 日本人が二権分立という、ユダヤ人が夢見て果たせなかった制度を、何の予習もせずにいとも簡単にやってのけ、しかも自らは少しもそれを高く評価してないという事実は、中扉に載せたラビ・ハニナ・ベン・ドーサの言葉を思い起こさせるという事を指摘するに止めよう。
 
『その人の行いがその人の知識より偉大な時は、その知識は有益である。しかしその人の知識がその人の行いより大になる時は、その知識は無益である。』
 
 日本人自身がこの事を少しも高く評価しない、天才というものはそういうものなのであろうか。──────天才乃至は天才的人間の特徴は、自分のやった事を少しも高く評価しない点にある。──────(五五頁〜五九頁)
 
≪引用終了≫
============
 
 
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 一旦は区切ります。とまあ、イザヤ・ベンダサン(実は山本七平)の著書からの引用が少し長くなってしまいましたが、次もまた戸松氏以外からの引用です。
 
 
 
<<<<<P.152〜P.155より抜粋開始>>>>>
 日本人が自己の優れた天才的能力を少しも気付いていないという点について、アメリカのJWT・メーソンも著書『神ながらの道』おいて次のように指摘している。
 
 
「日本人は外来文化思想を自覚し、且つそれを表現する能力においては、他国の追随を許さぬ程優れた物を持っているが、どういう訳か自国の思想・神道については、全く自覚もしなければ、また表現する事も実に拙劣である。
 
 日本人は好んで仏教教義の深遠さを説き、儒教の優秀性、西洋科学の卓越性を讃えるが、神道が仏教よりも遥かに優れた精神的原理を有し、儒教よりも内面的見解において深遠であり、又西洋文化よりも一層物質的進歩と精神的理想主義とを調和せしめる力を持っている事に気付いていない。
 
──────もし日本人が潜在意識的直観を持って、しかも同時に自覚的自己表現的分析力を発達せしめ得るとすれば、日本文化は未だ嘗て他民族の企て及ばざりし高所に達するであろう。
 
 しかし日本人が自己の内なる独創力を発揮する事なく、徒に外国文化に囚われるならば、神道の創造的精神は硬化埋没し、日本は次第次第に無力になって行くであろう。
 何故なら進歩は自己発展、固有性の発揮を通してのみ起こるものだからである。」
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 そして次からは戸松氏の論、本題の「治らす」「領く」の話に戻ります。そしてこれが本稿最後の引用となります。
 
 
 
<<<<<P.153〜P.155より抜粋開始>>>>>
 治ろしめすと領くは、ベンダサンの言うような祭儀権と行政権に区分されるべき単純なものでないが、多少はそうした意味も含んでいるので、大いに耳を傾け、参考にすべきであると思う。
 
 国民を同化統一し、万民悉く生成化育するには、道(道義・原則・法則)と力(権力・武力・財力)の併存両立を図らねばならないが、国家の統治に当たって力の重大さを軽視してはならない。
 その点を大国主命は国土奉還の条件に、
 
 
「私も子等と同様喜んで葦原中国(あしはらのなかつくに)を奉還しましょう。
 
 ただ私の住む所の為に、天津神の御子の代々御世を継ぎ給うべき天津日嗣の、その御膳を御作りする御厨(みくりや)である、煙立ち上る、富足りた、天之御巣の壮大な備えと同じ程に、地の底の岩根までも深く宮柱を埋め、高天原に千木の届く程に屋根の高い、立派な宮殿を築いて私を祭って下さるならば、私は百に足らぬ八十の曲がりくねった道また道を訪ねて行き、遠い黄泉国(よみのくに)に身を隠す事に致しましょう。
 
 また私の子供である百八十人の神々は、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が先駆となり殿(しんが)りとなって、必ず御仕え致すでしょう。
 一人も背く者はありますまい。」
 
 
と述べている。これが日本民族の奉還思想である。
 
 全個の関係を治ろしめて行く原理は、私有領有でもなく、単なる公有国有でもない。公私の分も明らかにして結ぶ、公私一体の原理を成り立てる事である。
 従って奉還すると言っても、決して領土を返還する事ではなくて、そのまま統治を委任されるのである。
 
 唯統治上の精神が領くではなく治ろしめすに変わるのである。道を主とし力を従として、両立へ依存せしめるのが天皇の構造である。
 
 日本の原理は天皇を始め道を践み行うものであって、力、権力、武力、財力を私有領有するものではなく、全て万民を生成化育発展せしめる為に駆使すべきものである。
 
 日本は古来道と力、文と武を分け、道を以て力を正し、文を以て武を制して来た国である。
 法皇と皇帝の関係が多少これに似ているが、本質は全く違う。
 
 この二つの関係を明治憲法は一つにし、やがて文は武に吸収され、道は力に屈した形で天皇制を作った。
 それは山縣有朋の作った軍人勅諭に明示されている。
 日本本来の精神に立ち返る為には、現憲法ばかりではなく、明治憲法をも根本的に見直し改め直さねばならない。
 
 日本は何時も天皇を「治ろしめす」として把握し、将軍を「領く」に表現して来た。
 明治になって西洋化され、「領く」形式を排し、「治ろしめす」に改めたのであるが、事実は「治ろしめす」天皇が「領く」の将軍の地位に落とされて来たのである。
 大元帥陛下が何よりの証拠である。道統や国学を知らぬ法理論者が、天皇を機関即ち地位の上に固定したのも、こうした所に発生しているのである。
 
 又これを否定攻撃した連中も、治ろしめす、領くの区別を明らかにせず、単に感情的に騒ぎまくったに過ぎなかった。
 ここに天皇観の本格的堕落が起こったのであり、近代日本の無知と悲劇があった訳である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 さて、皆さん如何でしたでしょうか?
 以上の事柄が、我が国固有の統治原理である「シラス(治らす/知らす)」「ウシハク(領く)」の要諦です。
 この原理を把握している人は、日本人でも少ないのではないでしょうか?
 ましてや外国人なら尚更でしょう。
 
 
 
 つまり我が国が古来より、外国のような専制支配に陥った時代は一度もなく、我が国の過去をいつの時代であれ、そのような目で見ている人は、単に外国の目線や感覚のフィルターを掛けて見ている、という事になるので、最初から見えている像が歪んでいる事になります。
 我が国では神代より、天皇による治ろしめす統治が布かれ、その帝が治ろしめされておられるのを背景として、その理念から逸脱する事のないよう、その時その時の為政者が実質的な力を行使して、領いて来たというのが実態なのです。
 現代日本では内閣総理大臣が領く存在です。
 
 
 
 単に領く原理だけだったら、すなわち治らす原理の裏付けのない、剥き出しの領く統治では、やがては腐敗し、専制支配の惨禍を及ぼしていたでしょう。
 シラスとウシハクはどちらか一方が欠けてても良くない、いわば車の両輪の関係、相互補完の関係にあります。
 
 
 
 外国は治ろしめす原理がなく、専ら領く原理のみだから、我が国と比べると支配者の締め付けがキツイのではないでしょうか?
 その領く権力の暴走を抑制するブレーキや鞘となる力が治ろしめす原理なのです。
 
 
 
 このシラス・ウシハクを現代で言い換えれば、「権威と権力の分離」「立憲君主制」となるかと思いますが、やはり似てるようで我が国のシラス・ウシハク式の統治とは、どこか異なると思います。
 それはイギリスを始めとした海外の立憲君主たちは、権力こそ放棄して権威を留めるのみの存在となったとしても、我が国の天皇のように祭祀を行わないからではないかと。
 すなわち「君臨すれども統治せず」な状態となっているからだと。
 
 
 
 しかし我が国の天皇はそれとは異なり、「統治すれども親裁(親政)せず」です。
 すなわち天皇は君臨しているだけでなく、統治もされています。その統治が領く統治ではなく、治らす統治だという事です。
 ただ親政(親裁)、すなわち実際の行政実務だけは臣下に御任せになられています。
 よほどの事態でもない限りは、一々政務を直接的に手掛けられる事は、厳に慎まれているという事です。
 
 
 
 何故なら古来より天皇が治らす統治を担われ、為政者が領く統治を担うという分担制であり、御互いの領域には決して立ち入らない事を不文律として遵守されて来たのですから。
 天皇以外の者が治らす領域に足を踏み入れる事が許されないのは勿論、天皇の方も領く領域に足を踏み入れられる事を固く慎まれていたのです。
 
 
 
 もし天皇が親政をしたり、実際の政務に口出しをされたとなると、それは天皇が領く領域に入って来られた事になり、シラス・ウシハクの統治原理が崩れてしまい、天子としての威厳や神聖性が損なわれてしまいます。
 故に天皇親政というのはよほどの例外、異常事態なのです。
 
 
 
 以上の事から我が国の天皇は、外国の君主と違って君臨されているだけでなく、統治までもされていますが、よほどの特殊な事情でもない限りは、政務を直接的に執られる事や、何らかの介入をされたりする事だけは、固く控えておられるだけに過ぎません。
 
 
 
 以上を以て、本稿#4を終わります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、本稿では早くも、極めて重要な理論を紹介します。
 
 
 
 神話の時代より我が国の根幹を為す統治原理として、代々受け継がれて来た理想的な政治理念であり、最も安定した統治の極意とも言うべき、究極的な統治の秘訣──────それこそが「シラス(治らす/知らす)」と「ウシハク(領く)」の理念です。
 
 
 
 両者の違いを弁え、両者を混同させる事なく両立させて来たのが我が国の歴史です。これは現代でも変わりません。
 このシラス・ウシハク論のシラスこそ、天皇統治の本質の中核を成すと言っても過言ではない位に重要です。
 
 
 
 当記事ではこれより何度かに分けて抜粋しますが、抜粋する箇所は原本のページの若い順ではなく、順不同に抜粋します。
 
 
 
<<<<<P.124より抜粋開始>>>>>
 天皇の本質である精神は、また「しろしめす」という古語によく現われている。
 
 しろしめすの義は、万邦をしてその所を得せしめ、兆民をしてその堵に安んぜしむるのであって、人の天分を発揮せしめ、個性を明かにし、人をしてその所を得せしめる事である。
  権力、権勢、武力、財力、征服、支配によって占領統一する事ではない。
 
「しろしめす」「しらす」は、「うしはく」領有私有と違って、自己を空しうして宇宙万物を生成化育する精神を以って治めるという意味である。
  しろし、しらしは、知らし、知る、治(し)ろしめすという義である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
<<<<<P.48〜P.49より抜粋開始>>>>>
天皇の本義
 
 天皇の本義は、すめらみこと、及び「知らす、聞こしめす、見そなわす」に示されている。
 すめらみこととは、知る、澄ます、統べる、治ろしめすの意であって、
 
 第一義は宇宙実在の実相とその作用を知ると共に、これを掌っている法則を知る事である。
 
 転じて国民生活の実体を知り、国民の希望念願を知り尽くして、それを叶えてやると同時に、天皇の本意を国民全体に知らしめる事である。
 
 第二義は澄まし清める。
 
 みそぎ、はらひ(はらい)の神事に見られるように、清さとけがれ、美と醜、明と暗、直と曲が神道を支える観念であって、魂を清め、心身の修行を積み、不浄、汚濁、不潔、醜悪のものを清め、かつ鎮めて、情義の美しい同胞社会を顕現しようとする。
 
 みそぎ、はらひの行事は、いざなぎのみことの神話伝承が起源とされているが、古来よりの日本人は神聖なものを美として眺め、神は宇宙のあらゆるところ、海にも、山にも、田にも、川にも、井戸にも、水屋にも、かまどにも、厠(かわや)にも宿るものと信じ、そこを美麗にしておかなければならないと考えて神を祀ったのである。
 
 心清く、美しく、直ければ、必ず神の助けがあり、心汚く、濁れ、曲がっておれば、神罰を受けるものとされ、常に清く、美しく、直く、明るくする事に心掛けてきた。
 天皇は国民の中心であり雛形であるため、清浄無垢、無私無欲無我に徹してきたのである。
 
 第三義は統べる。
 
 一切を知り、知らしめ、清く明るく直く美しい心を以って、国民精神の統一を図り、国民生活の統合を図る。
 
 第四義の治ろしめすは、道を真中に立てて、治者と被治者の一体を実現する事を言うのである。
 
 更にまた知らす、聞こしめす、見そなわすは、範を万民に垂れ、万民の中心となって道を践み行う原理を示すものである。
 
 知らすは既に述べた通りであり、聞こしめすは天の声、地の声、人の声ばかりでなく、宇宙間に存在する森羅万象ことごとくの声なき声を聞くという事であり、ましてや国民全体の声を聞かずにはいないという事である。
 
 見そなわすというのは、知る、聞くと同じく、全てのものを見ると同時に、天皇の御心、態度、行為を見て貰うという意味である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 以上のように、これが「シラス」の意味とシラス型統治の根本です。
 一般にイメージされる「統治」とは、これとは本質的に異なるウシハク型統治でしょうか。
 
 
 
<<<<<P.49〜P.50より抜粋開始>>>>>
治ろしめす・領く
 
 日本の政ごとは、諸外国に行われている政治権力を中心に、武力財力等の力を以って社会整理を行い、秩序を維持するというものではなく、天皇が祭祀によって体得した神人不二一体の境地即(すなわ)ち治ろしめすという理念(道)を基盤にして、権力武力財力等の領く力を活用して統治する。 
 いわゆる道と力、治ろしめすと領く、祭と政の併存両立を建前とするものである。
 
  これは高天原(たかまがはら)の理想治ろしめすと、出雲(いずも)の原理領くとの融合結体によって形成せられたものであり、奉還思想の原理を示すものである。
  これは他国に類例を見ない、日本独特の政治原理である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 そうです。シラス(知らす、治らす)とウシハク(領く)は水と油の如く、互いに相容れない反撥し合う関係、否定し合う対立関係ではなく、両立して互いの欠ける所を補い合う、相互補完関係にあるのです。
 どちらが良くて、どちらが悪い、どちらが優れていて、どちらが劣っている、という性質のものではありません。
 
 
 
 さてさて、以降は【第三章 天皇の本質】の中の、P.147〜P.155に及んで展開されている【第三節 天皇の構造】より抜粋、と言うより全文丸ごと転載しますが、長過ぎるので、丁度良い所で何度か区切りながらにします。
 
 
 
<<<<<P.147〜P.149より抜粋開始>>>>>
【第三節 天皇の構造】
 
 南方文明を代表する天照大御神と、北方文明を代表する須佐之男命(すさのおのみこと)のうけひ(受霊)【註:「うけひ」は「うけい」と読む。】によって、両文明が融合一体化し、八神を産み、それぞれの使命任務を発揮して大いに神ながらの道を発展せしめた事は、八幡神の活躍によって知る事が出来る。
 
 八神の内、男神五柱は天照大御神の物実(ものざね)・剣より生まれたものであるが、天照大御神とのうけひによったものである。 
「うけひ」とは、一方が他方の霊を受け入れて新文化を創るという事であって、要約すれば二つの文化が融合一体化して更に一段と高い文化を創造するという事である。
 
 この南方文明の天照大御神と北方文明の須佐之男命のうけひは、神道理念にとっては極めて重大な意義を持つものである事は、後に出て来る国譲りと共に、神道の基本構造たる、道と力、権威と権力、治ろしめすと領くを規定し、形成するものだからである。 
 道を代表する天照大御神と力を代表する須佐之男神のうけひによって、権力の統治が時と所によっては道義の統治よりも効果的である事実を証明する事が出来た。
 
 大御神もその価値効用を十分認められた為、すっかり気を良くした須佐之男神は、知らず識らずの間に慢心し、やがて生産を妨害する天つ罪を犯す事になって、遂に高天原の神々の怒りを蒙り、追放せられる事となった。 
 放逐された須佐之男神は、各地を彷(さまよ)い歩いた末、出雲(いずも)の国に辿り着いたのである。 
 
 そこで善良な農民たちを虐げ苦しめる、やまたのおろちという没義道な集団を目の当たりに見、これを退治して農民を安堵させると共に、おろちの持っていた統一力団結力、いわゆる三種の神器の叢雲(むらくも)の剣を高天原の大御神に献上して、爾後(じご)の統治における原則たらしめた。
  そして自らは農民たちの良き指導者となって、その地方を安住の地たらしめたのである。それが出雲の国である。
 
 ところが大国主命(おおくにぬしのみこと)の時代になって、天照大御神は大和島根を合体して全国を統一すべく、出雲に使者を送り交渉を重ねてたが、仲々進捗しなかった。 
 最後に建御雷神(たけみかずちのかみ)が天鳥船神(あめのとりふね)を随(したが)え、条理を説いてようやく大国主命の賛同を得、国譲りの実を挙げる事が出来た。
 
 この時の説得の言葉に、
 
「汝(いまし)が領(うしは)ける葦原中つ国(あしはらのなかつくに)は、我が御子(みこ)の治(し)ろしめさん国と言(こと)よさし給へり(たまえり)。かれ汝が心いかにぞ。」
 
 即ち前述せる通り「うしはく」は所有、領有、私有するの意で「うし」は主、「はく」は下駄をはく、靴をはく、太刀を佩(は)くなどの「はく」事で、いわゆる物を身に付ける事を言うのである。
 
 要するに力で国土を領有支配する事を言い、転じて権力、武力、財力等の力による統治を言うのである。
 
 これに対して「治ろしめす」は知る、知らしめる、真実、事実、真理、真相を知ると同時に知らしめ、理解させる。
 
 自他を知り、事物を知り、過去現在を知り、未来を察知し、内外の別なく、有形無形との論なく、よく熟知しなければ、国民全体を同化し統一して、生成発展せしめる事が出来ない。
 
 と同時に清澄・統べる・純粋の心を合わせるという事を言っているのであり、いわゆる万人一人の漏れなく等しく認める道義、理念、原理、法則等の道による統治を言うのである。
 
 これによって分かる通り、高天原は道を以て統治の原則とするに対し、出雲は力を以て統治の原則としていたが、文化の流動は道と力を一体化し、道義・権威・法則を主となし、権力・武力・財力を従と為して、各々の分を成り立てて来た。
  道と力の併存両立する国は、我が国を除いて他にないのである。
 
 これが即ち天皇の構造を形成する基本の原理である。と共に、世界史上嘗て見る事のなかった冠絶した原理でもある。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 と、ここらで一休みしましょうか。
 如何でしたか?上記抜粋文の中の赤い大文字で表記してある箇所は重要ではないでしょうか?
 これこそが「治らす」「領く」の定義ですから。
 
 
 
 では続いて・・・・
 
 
 
<<<<<P.149〜P.152より抜粋開始>>>>>
 この事をイザヤ・ベンダサンはその著『日本人とユダヤ人』の中で次のように述べている。
 
 
============
≪引用開始≫
 
 朝廷・幕府併存という不思議な政治体制である。これは七百年以上続いた訳だから、日本の歴史の大部分はこの制度の下にあったと言える。
 これは一体誰のアイディアなのだろう。考えてみれば不思議である。
 しかしこの独創的政治制度も、戦前は我が国の国体に悖るものとされ、あの軍人勅諭では、
 
『世の様の移り変わりてかくなれるは、人の力もて引き返すべきにはあらねども、まことに浅ましき次第なりき』
 
とされていて、出来る事なら消してしまいたい事態だとされている。
 変わって戦争後ともなると、何もかも一緒にして封建的の一言で片付けられ、この不思議な制度は常に無視され、黙殺されているのである。
 
 朝廷・幕府の併存とは、一種の二権分立と言える。
 朝廷が持つのは祭儀・律令権とも言うべきもので、幕府が持つのは行政・司法権とでも言うべきものである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後編へ続く

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