YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

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 前回人生初の漢詩(七言絶句)を披露して以来、8ヵ月ぶりに第二作目が出来上がりました。(^^)b
 前回とは形式が違って、今回のは五言絶句です。
 字数こそ前作よりも八字分少ないですが、だからと言って、前作よりも楽に作詩出来た訳でもなく、頭を痛めた事に何ら変わりありませんでした。
 何せ一文字ごとに属する平仄・韻目を調べ上げなければならなかったのですから・・・。
 
 
 
 その平仄を始めとして、「偶数句(承句と結句)の押韻」「同字禁止」「冒韻(ぼういん)禁止」「下三連(かさんれん)禁止」「孤平(こひょう)禁止」「反法(はんぽう)と粘法(ねんぽう)」等の制約を全てクリアして、ようやく出来上がったのですから、随分悩みましたよ。
 平仄の配列を考えながら各位置に文字を当て嵌めていかねばならないので、使いたい字を好きな位置に挿入する訳には行かないのが漢詩の厄介な所です。
 そしてやっと出来上がったにしても、初心者ですから大した出来栄えではないのも言うまでもなく・・・・(^^;)。
 前出の制約を踏まえる事が精一杯でしたよ(ーー;)。
 
 
 
 それでは以下の通りに白文の画像を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 見れば分かる通り、五言絶句、すなわち一句につき五文字毎に、全部で四句。5×4の全20文字の形式の詩です。
 前回のも絶句でしたが、各句七文字ずつの全28文字でした。
 
 
 
 さて続いては、訓読と平仄配列と韻目を記した画像をどうぞ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 画像内の各字それぞれの右側には、白黒二色の丸が付いていますが、白丸(○)の付いた字が平字、黒丸(●)の付いた字が仄字です。
 起句(第一句)の二字目が平字か、それとも仄字かで、「平起式」と「仄起式」とに分かれます。
 それによって全体の平仄の配列がガラッと変わります。
 この詩は起句二字目の「富」が●(仄字)なので、形式は五言絶句仄起式となりますね。 
 
 
 
 それでは以下のように、詩文を書き起こしてみます。
 赤色の文字が白文(原文)、緑色の文字が訓読文(読み下し文)、オレンジ色の文字が現代語訳です。
 
 
 
 
 
詩題:
過 無 恙(かぶよう)
 
無恙(ぶよう)に過(す)ぐ
 
何事もなく日々を無事に過ごす
 
 
 
起句:
無 富 在 平 成
 
富(とみ)無(な)くも平成(へいせい)に在(あ)り
 
(自分は)金や財産など特にないけれど、(それでも幸いにも)平和な世に生きている。
 
 
 
承句:
有 安 過 日 鬻
 
安(やす)きを有(たも)ち、日(ひ)を鬻ひ(ひさい)で過(す)ぐ
 
安穏とした生活を維持しながら、その日その日を仕事をしながら(平凡に)過ごしている。
 
 
 
転句:
溢 歓 娯 酒 茶
 
歓(よろこ)び溢(あふ)る、酒茶(しゅちゃ)を娯(たの)しむれば
 
好きな酒や茶を味わい、楽しんでいる内に、喜ばしい気分に満ちて来る。
 
 
 
結句:
遠 禍 惟 求 福
 
禍(わざわい)を遠(とお)ざけ、惟(た)だ福(ふく)を求(もと)むるのみ
 
(普段思う事と言えば)災難を遠ざけて、ただ幸福を求めるだけである。
 
 
 
 
 
 以上です。
 詩の中身は特にドラマ性に富んでる訳でもない、気宇壮大な世界観もない、私の至って平凡な日常を詠んだだけの代物ですが、こんな出来具合でも本当に時間を掛けて苦労したのですよ。
 
 平仄や韻の関係で、使いたい字を使えず、やむを得ず却下した物が多いです。
 それで仕方なく全く別の字に差し替え、どうにか意味の通る文になるよう整える作業を、それこそ何度も何度も繰り返しました。
 
 
 
 さて、詩についての解説ですが・・・・ま、大した内容でもないので、本来なら不要かも知れませんが(^^;)、それでも一応はね・・・・。
 
 
 
 
 
詩題:
 
「無恙」とは、「恙無(つつがな)く」「恙無し」という言葉もあるように、「何事もなく無事に」という意味です。
 
 
 
起句:
 
 下二字の「平成」とは、元来は「内平外成(内平らかに外成る)」または「地平天成(地平らかに天成る)」という古典にある言葉が由来です。
 要は「国の内外、そして天地共に平和となっている」という意味になります。
 そしてこれが現在の元号「平成」の由来でもあります。
 いわば国家的規模の状態を表現する言葉なのに、たかが個人的境遇を表すのには大袈裟な表現かとも思えますが・・・・(^^;)。
 
 
 
 まあ「自分は現在、平穏な世に(少なくとも自分の周囲の空間の範囲では)生きている」という意味の他に、「自分は今、平成時代に生きている」という意味とも掛けた訳です。
 つまり和歌で言う所の「掛詞(かけことば)」の手法に相当しますか。いわばダジャレですね。
 
 
 
 当初はこれを起句(第一句)ではなく、承句(第二句)として使おうとしたんですけどね・・・・。
 けれど承句に持って来ると、最後の「成」が韻字(押韻の為の字)になってしまいます。
 すると結句(最後の第四句)の最後の字も、「成」と同じ音韻を持つ字を使わねばならなくなりますが、それだけでなく、すぐ上の「平」の字が使えなくなってしまいます。
 と言いますのも、「平」も「成」も同じく、三種類ある仄声の内の「入声(にゅうせい)」、その「入声」の内の「一屋」という韻目(同じ音韻を持つ漢字のグループ)に分類されるからです。
 
 
 
 漢詩には本稿の最初の方でも様々な制約を列挙しましたが、その中に「冒韻禁止」のルールがあります。
「冒韻」とはその詩で押韻として使われた字と同じ音韻を持つ(同じ韻目に属する)字を、押韻以外の位置で使う事です。
 韻字と同韻の字は、押韻以外の位置では使ってはいけないという、面倒臭い決まり事がありまして・・・(ーー;A)。
 五言絶句においては偶数句、すなわち承句と結句の句末の字の位置が押韻となります。
 
 
 
 
「平成」の語だけはどうしても使いたかったので、「成」が韻にならないで済むよう奇数句、すなわち起句か転句(第三句)のどちらかに移すしかなかったのです。
 このように漢詩の作詩とは、和歌以上にややこしくて大変なのです・・・・(ーー;A)。
 
 
 
 他にややこしいのは、同じ字でも、平仄両面に属する字がたくさんあるという事です。
 同じ字でもどの意味で使うかによって、あちらでの発音と、平仄及び属する韻目が変わるそうで。
 三字目の「在」は「在る(ある)」「居る」という動詞の意味だと「上声(じょうせい)」の内の「十賄」という韻目に属し、「所在」という名詞の意味だと「去声(きょせい)」の内の「十一隊」という韻目に属します。けどどっちにしても仄字ですけど。
 
 
 
承句:
 
 一字目の「有」は「有る(ある)」の他にも、「有つ(もつ、たもつ)」とも読みます。「保つ」と同じ意味です。
 
 
 
 三字目の「過」は、平仄両方の韻を持っています。
「過ぎる」という動詞の意味だと、「下平声(かへいせい)」の内の「五歌」に属し、「過ち」という名詞の意味だと、「去声」の内の「二十一箇」に属します。
 ここでは前者の意味なので、「五歌」の平字となります。
 
 
 
「鬻」とは「かゆ」とも読み、「粥」すなわち水分多く、ドロドロしたペースト状の御飯をも意味しますが、ここでは「鬻ぐ」と書いて「ひさぐ」と読みます。
 意味は「物を売る」「商売する」という意味です。
 いや、だからと言って何も、私は実際に店に立って、何か物を売る仕事をしている訳ではありません。
 ここではあくまでも、「仕事をしている」という意味の比喩として使いました。
 
 
 
転句:
 
 私は日本茶や紅茶、コーヒー等の茶類が好きでして。
 まあ酒も好きですが、そんな頻繁には飲みませんね。
 けれど茶も酒も美味いとやはり気分は良いですね。
 
 
 
 少々取って付けたような一文ですが、他に色々と作ってみたけど、平仄が合わず、残念ながら次々没にして、ようやく平仄の合ったのがこれだったのですよ(^^;)。
 
 
 
結句:
 
 最初の一字目「遠」も音韻が二種類ありますが、どちらも仄字です。
「遠い」という形容詞の意味だと、「上声」の内の「十三阮」に属し、「遠ざける」という動詞の意味だと、「去声」の「十四願」に属します。
 ここでは後者の意味なので、「十四願」の仄字となります。まあどっちにしたって仄字なんですけど。
 
 
 
 結句末の字も韻字になります。
 承句末の位置に「鬻」を当てた以上、これと同じ韻目(入声:一屋)に属する字の中から選んで押韻するしかなく、その中に「福」の字があったので選びました。
 この「福」を結句末に置いて、尚且つ平仄が整った上に、ちゃんと意味も通る一文にしようとしたら、こんな風になったという事です。
 
 
 
 
 
 さて、以上がこの五言絶句仄起式の漢詩の詳細です。
 やはり初心者ではこの程度が限界でしょうかね・・・・。
 それに詩語とかを全く使ってないから、どうにも洗練された、風雅な趣に欠けるなあと、自分でも思いますしね・・・・(^^;)。

#341
若者の燃え滾る情熱は、老人の冷め切った精神程には、
魂の救済の障害とはならない。






#342
出身地の御国訛りは話し言葉の中だけでなく、
思考や感性の中にも同じように残る。



※ 著者ラ・ロシュフコーの政敵であった、
イタリア人枢機卿ジュール・マザラン(ジュリオ・マッツァリーノ)を念頭に
置いたと見る説もある。

マザランは太陽王ルイ14世の教育係を務め、またリシュリュー亡き後の
フランスの実質上の宰相でもあった。

だがマザランは祖国のイタリア語訛りや、イタリア的な言動が、いつまで
経っても抜けなかったと言う。

他には当時「御国訛り」とは、出身階層に関しても比喩的に
使われていた。








#343
偉大な人物になる為には、自分の持てる運を全て
使い切れるだけの術を知らねばならぬ。






#344
大多数の人間は、植物と同様にそれぞれ隠れた
特性を秘めている。

そしてそれらは予期しなかった、偶然の時に
露わとなる。






#345
ふとした切っ掛けが己を他者に知らしめる。

それ以上に己自身に己の事を知らしめる。






#346
女の思考や心情に、法則などというものは存在しない。

それらより先に、必ず体質が同意してからあり始める。



※ もしかしたらラ・ロシュフコーは生前に、気分の変わり易い女性に
振り回されて、辟易させられた経験があるのかも知れない。








#347
我々は己と見解を共有しない者を、良識ある者とは
認めない。



※ 確かに人にはそういう傾向がありがちである。







#348
人は恋愛をすると、最も信じている事までしばしば
疑うようになる。






#349
恋愛が起こす最大の奇蹟とは、コケットリー(媚)を
なくす事である。






#350
我々は自身を策略に掛けようとする者たちに対して、
甚く激昂する。

その理由はそういう連中が、我々よりも上手だと
思い込んでいる事が、癪に障るからである。

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第二二計 関門捉賊







♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓
 計略名の寓意は、城内や邸内に賊が忍び込んだ時、どのように対処するか?の答えである。
 侵入した賊を捕える(捉える)時に、どうやって捕えるか?
 大声を張り上げて、賊が侵入した事を触れ回るか?
 あるいは脇目も振らず、ただひたすら追い掛けるか?
 それらは決して賢明な手段とは言えない。



 逃げようとする賊は、どこかの出入口から素早く逃げ出そうとするので、必ずしも捕えられるとは限らない。
 しかも賊が必死になって逃げようとしている時は、「窮鼠、猫を噛む」とも言うように、助かる為に何をするか分かったものではなく、危害を加えられる危険性が高くなる。
 捕えようとする側が、どのような手酷い反撃を喰らい、どれ程の酷い傷を負うか分かったものではない。最悪殺されてしまう事だってある。
 それでは例え賊を取り押さえられたとしても、決して利口な遣り方とは言えない。



 そこでそんな時は先ず、慌てず騒がず、賊にこちらの動きを気付かれないよう留意しながら、秘かに門やあらゆる出入口を閉じて、賊の逃走経路を塞ぐ事である。
 退路を断たれた事に気付かれれば、自暴自棄となり、忽ち「窮鼠、猫を噛む」の精神状態となり、死に物狂いで暴れ出す恐れがあるからである。
 そうして賊を外へ逃げられなくしてから、居場所に見当を付け、徐々に捜索の範囲を狭め、絞って行く。
 そうする事によって取り逃す事もなく、無闇に狂暴化させる事もなく、確実に賊を捕えられるという訳である。
 こういった行き方を、軍事面やそれ以外の側面でも応用するのが、この計略の趣旨である。



 兵法書『呉子(ごし)』の第六篇【励士篇(れいしへん)】の中の一節に、こう書き記されている。





『呉子』の励士篇

>>>>>
 今、一死(いっし)賊(ぞく)をして曠野(こうや)に伏せ、千人(せんにん)之(これ)を追わしむるも、梟視狼顧(きょうしろうこ)せざる莫(なか)らん。
 何となれば、其(そ)の暴に起ちて己を害せんことを恐るれば也(なり)。
 是(これ)を以て一人(いちにん)、命を投ぜば、千夫(せんぷ)を懼(おそ)れしむるに足る。
<<<<<



【現代語訳:例えば今、死に物狂いとなった一人の賊が、広野に逃れて身を隠したとする。
 この賊を捕える為に、千人もの追手を差し向けたとしても、寧ろ追手の方こそびくびくと怯える事となる。
 何故ならば突如賊が姿を現し、追手に襲い掛かって来る事を恐れるからである。
 このように、たった一人の賊でさえも、命を投げ捨てる覚悟を固めて立ち向かえば、千人もの相手を震え上がらせる事が出来る。】





 上記引用文はたった一人の賊に喩えているが、これを戦に置き換えると、敵軍がどこかに隠れていて、その居場所が分からず、必死の覚悟を決めている。
 しかもいつでもこちらを奇襲出来る態勢にある。そんな敵軍を追跡するのは甚だ危険であり、効率も悪い。
 殲滅出来るならば、決して逃がさず殲滅する事こそが理想である。
 だが図らずも取り逃してしまったならば、手負いの獣と化した敵軍に逆襲され、傷を負わされる危険性があるので、徒に急追するのは避けるべきとなる。
 すなわちそうなったら関門捉賊路線ではなく、反対の【第一六計 欲擒姑縦】の路線で行くべきである。



 このように「門を閉じて、賊を外へ逃すべきではない」と言うのは、賊の逃走そのものを恐れるのではなく、上手く逃げ果せたその賊が、早かれ遅かれ、将来自分に危害を加えようとするのを恐れる事に拠る。
 歴史を顧みても、トドメを刺すべき時にきちんと仕留めておかなかったばかりに、後々自身に禍を招いてしまった、という例はたくさんある。
 だからこそ将来の禍根を断つ為に、トドメを刺せる時には躊躇わずにトドメを刺せ、という教えである。



 続いて兵法書『孫子(そんし)』の第三篇【謀攻篇(ぼうこうへん)】の中の一節では、次のように説いている。





『孫子』の謀攻篇

>>>>>
 故に兵を用うるの法、十なれば則(すなわ)ち之(これ)を囲み、五なれば則ち之を攻め、倍すれば則ち之を分かち、敵すれば則ち能(よ)く之と戦い、少なければ則ち能く之を逃れ、若(し)かざれば則ち能く之を避(さ)く。
 故に小敵は大敵の擒(きん)也(なり)。
<<<<<



【現代語訳:故に戦い方の原則とは、次の挙げる通りになる。
(自軍が敵軍よりも)十倍もの兵力ならば、包囲する。五倍もの兵力ならば、攻撃を加える。
 二倍もの兵力ならば、分断させる。同等の兵力ならば、奮戦する。
 劣勢で不利ならば、退却する。勝算が立たなければ、最初から戦いを避ける。
 以上の事から、自軍の兵力を弁えず、強大な敵軍に徒に挑むのは、却って餌食とされるのが落ちである。】





 更には同書の第七篇【軍争篇(ぐんそうへん)】の中の最後の一節では、「こういった状態にある敵には、決して攻撃を仕掛けてはならない。」という趣旨の記述がある。
 すなわち戦闘に際して敵軍への攻撃を避けるべきである、八種類の状況を列挙している。





『孫子』の軍争篇

>>>>>
 故に兵を用うるの法は、高陵(こうりょう)には向かう勿(なか)れ。丘を背にするには逆(むか)う勿れ。
 佯(いつわ)り北(に)ぐるには従う勿れ。鋭卒(えいそつ)には攻むる勿れ。
 餌兵(じへい)には食らう勿れ。帰師(きし)には遏(とど)むる勿れ。
 囲師(いし)には必ず闕(か)く。窮寇(きゅうこう)には迫る勿れ。此(こ)れ兵を用うるの法なり。
<<<<<



【現代語訳:従って軍を動かすに当たって、守るべき原則には、以下に挙げる事柄がある。
(第一に)高地に布陣した敵軍を攻めてはならない。(第二に)丘を背にした敵軍を攻めてはならない。
(第三に)敗走を偽装して退却する敵軍を追ってはならない。(第四に)鋭気に満ち、戦意盛んな敵軍を攻めてはならない。
(第五に)囮として投じられた敵の一団に飛び付いてはならない。(第六に)自国への帰還途上にある敵軍の前に、立ち塞がってはならない。
(第七に)敵軍を包囲したなら、必ず敵軍が逃げる退路を残しておかねばならない。(第八に)窮地に追い詰められた敵軍を攻めてはならない。
 以上(の八点)が戦闘に際し、守るべき原則である。】





【謀攻篇】からの引用で、『十なれば則ち之を囲み(十倍もの兵力ならば、包囲する)』の箇所こそは、この関門捉賊策にも通じる。
 そこまでの圧倒的な力の差を見せ付けてこそ、敵の反撃する意志を挫かせ、どう足掻いても勝ち目はないと観念させる事が出来る。
 そしてそれ程までの逆転不可能な力の差がある時こそ、攻撃を加える絶好の機会であり、一気に殲滅して後々の禍根を断つのである。






【軍争篇】からの引用で、『囲師には必ず闕く(敵軍を包囲したなら、必ず敵軍が逃げる退路を残しておかねばならない。)』『窮寇には迫る勿れ(窮地に追い詰められた敵軍を攻めてはならない)』の箇所は、反対に欲擒姑縦策の趣旨に通じる。
 これらの対応は、彼我にそれ程までの歴然とした優劣ぶりがない場合は、攻撃したらこちらもそれ相応の犠牲が出るので、よほどの事情がない限りは無理な力押しは避けた方が良い、という趣旨である。だがこれらの禁止事項も、圧倒的な兵力差があれば話は変わって来る。
 自軍が敵軍と比べて、それ程までに圧倒的に優勢な力があれば、敵軍の戦意も喪失させられ、「窮鼠、猫を噛む」ような事態を恐れる必要もなくなって来るからである。



 この計略を用いるべき時とは、どういう状況の時か?まずは次の二点の条件を満たしている事である。





㊀彼我の間に著しく隔絶した力の差がある事。
 手負いと化し、牙を剝き出した相手の逆襲を、簡単に捻じ伏せられるだけの圧倒的な力の差がある事。
 敵がある一定以上の強大な力を持っていたり、戦意旺盛な場合には用いるべきではない。仮に実行してみても成功しない。



㊁逃してしまったら、将来に亘って大きな禍に見舞われる事が予め分かり切っている事。
 そんな時は例え周囲が何を言おうと躊躇してはならず、一切の逃げ道を塞ぎ、非情に徹して息の根を止める。





 以上示した事柄から、関門捉賊路線で一気に敵を殲滅して決着を付けるか、欲擒姑縦路線で徐々に敵の力を削いで行ってから、遠回りに決着を付けるかは、その時その時の状況から判断して決定する。



 手負いの獣や窮鼠と化した敵の反撃を、恐れる必要もない位の圧倒的な力の差がある時は関門捉賊路線を選択する。
 そして躊躇わずに一気に終わらせて、徒に戦いを長引かせる事を避けるべきである。



 だが彼我の力にそこまでの隔絶した差がなく、精々敵よりも比較的優勢だという程度の差である限りは、欲擒姑縦路線を選択する。
 そして強引で性急な力押しを避け、直線的な勝利ではなく、「急がば回れ」で迂回しながらの勝利を目指すべきである。
♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓
☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯
第二二計
☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯
関門捉賊
☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯


かんもんそくぞく


門を関じて賊を捉ふ


門(もん)を関(と)じて賊(ぞく)を捉ふ(とらう)






不明。






☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷
 小敵は之を困(こん)じて剝(は)ぐ。
 往(ゆ)く攸(ところ)有るには利ならず。
☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷
 弱小な敵は包囲し、一気に殲滅する。
 但(ただ)し追い詰められ、死に物狂いとなった敵軍に対しては、深追いは不利となるので避けねばならない。
☰  ☴  ☲  ☶  ☱  ☵  ☳  ☷

#331
女に愛されている時の方が、素気(すげ)無くされている
時よりも、却って女に対して誠実でい難い。






#332
女は己のコケットリー(媚)について、全て知ってる
訳ではない。



※ クリスティナ女王評。「私はそうではないと思う。」
 同時代の一読者評。「男と同様に。」








#333
女というのは相手の事を完全に嫌っていない限りは、
そうそうつれない態度を取ったりはしないものだ。






#334
女にとってコケットリー(媚)を抑制する事は、恋愛の
情熱を抑制する以上に困難である。






#335
恋愛においては相手を騙す手練手管の方が、相手を
疑う警戒心よりも、常に一枚上手を行く。



※ 「恋は盲目」と言いたいのだろうか?







#336
嫉妬というものを一切抱く事もない、徹底した恋も
存在する。






#337
ある種の優れた資質や美点は、生来備わった五感の
ようなものである。

それを欠く者には、それらの資質や美点を感じ取る
事も、理解する事も出来ない。






#338
余りに激しい憎悪を抱く時、その憎悪は我々の程度を、
我々が憎む相手よりも更に低位に落とさせる。



※ 何とも耳の痛い箴言である。







#339
我々は幸運も不運も、己の持つアムール・プロプル
(自己愛)の量に相応な程度にしか感じられない。



※ つまり何か?自己愛が強くないと、幸福感も不幸感も大して
実感出来ない、とでも言うのだろうか?








#340
ほとんどの女の才気は、理性よりも狂気を強めるのに
役立つ。



※ クリスティナ女王評。「誠に言い得て妙。」


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