YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

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承前  故事其之壹 ─ 己





 晋献公は卜偃に尋ねた。


「寡人はこの戦いに勝てるだろうか?」

「勝ちましょう。」

「それは何時になろうや?」

「童謡に歌われております。

『丙子(へいし)の晨(あした)に、龍尾(りゅうび)辰(しん)に伏す。
 均服(きんぷく)振振(しんしん)として、虢の旂(き)を取る。
 鶉(じゅん)の賁賁(ほんほん)たる、天策(てんさく)焞焞(とんとん)たり。
 火中するとき軍を成し、虢公其(そ)れ奔(はし)らん。』

【意味:丙子(ひのえね)の夜明けに、龍尾星が日の輝きに隠れて見えない。
 晋の均服(軍服)が振々と美しく盛んで、虢の軍旗を奪取する。
 鶉火星(じゅんかせい)が賁々と盛大に輝き、それに反して天策星(てんさくせい)は、焞々と輝きを失って行く。
 鶉火星が南方に輝く時に軍は勝ち、虢公は逃走するであろう。】

 故に九月と十月の間頃でございましょうか。丙子の朝に、日は龍尾星の位置に出て、月は天策星の位置にあります。
 鶉火星が南中(南方に輝く)時とは、きっとこの時でございましょう。」


 ここではそれぞれ、晋を「日(太陽)」「鶉火星」に、虢を「龍尾星」「天策星」に喩えている。
 そして卜偃の占い通りの結果となった。冬十二月丙子の朔【さく:一日(ついたち)の事。】に、晋軍は遂に上陽を陥落させたのであった。
 虢公醜【姫醜(きしゅう)】は命辛々、京師(けいし)【※17】へと亡命した。
 こうして晋・虞と同様、元は周王室に連なる血統の名門国・虢は滅び、その領土は晋に併呑されたのであった。





 ♕ 晋軍の帰途にて──────返す刀で虞を獲る

 虢との戦が終結して、晋へ帰国する途上で再び虞の領内を通り、まずは虞の領内で一時行軍を休ませるという名目で、虞公に領内に駐屯する旨を伝えた。
 いよいよ一連の計画の仕上げの段階が来たのである。虢を滅ぼした今となっては、晋にとって最早虞など用済みであった。
 そして休養を果たした直後、荀息との予てからの計画通り、晋献公は軍令を発した。
 言うまでもなく、今度は自国の晋に向かってではなく、虞の国都を目指して進軍した。
 そして虞の国都を奇襲した。全くの不意を衝かれた虞はどうする事も出来ず、晋軍に瞬く間に敗れ去った。
 そうして虞公と大夫の井伯(せいはく)と百里奚(ひゃくりけい)を捕虜として捕えた。こうして虢に続いて虞も滅亡したのであった。


 捕えられた虞の大夫・百里奚は、大夫から一介の奴僕に身分を落とされた後、晋献公の公女(娘)の穆姫【ぼくき:本名不明】の媵(よう)【※18】として、秦まで随行させられた。
 だがその事が切っ掛けで、百里奚は人生の大きな転換点を迎えた。
 行き先の秦において、名君・秦穆公【しんのぼくこう:本名は嬴任好(えいじんこう)】にその傑出した才覚を見い出され、「五羖大夫(ごこたいふ)」の異名を取るようになり、宰相にまで抜擢される。





後続  故事其之壹 ─ 辛(完結編)
承前  故事其之壹 ─ 戊





「寡人の執り行う祭祀は、供物が豊かで清らかである故、神霊は必ずや我が国を御加護下さるであろう。」


「臣はこうも聞いております。鬼神というのは人に親しむにあらず、有徳の者にこそ力を貸すと。さればこそ、『周書(しゅうしょ)』にも、

『皇天(こうてん)親(しん)無し、惟(た)だ徳を是(こ)れ輔(たす)く。』
【意味:皇天(天の神)は誰かに偏って親しむのではなく、ただ有徳の者を助けるのみ。】

 と。他には、

『黍稷(しょしょく)馨(かんば)しきに非(あら)ず、明徳惟(こ)れ馨し。』
【意味:御供え物の黍や稷などが芳しいのではなく、供える者の明徳こそが芳しいのである。】

 と。又は、

『民は物を易(か)えず、惟(た)だ徳繄(こ)れ物。』
【意味:民は自身等を治める制度等を変えずとも良い。民を治める者の徳こそ何よりである。】

 と。そうであらば、徳を用いなければ民は和せず、神霊は供物を御受けになりませぬ。
 神霊の憑依する処は、正しく祀る者の徳でございます。それ故にもしも晋が虞を攻め滅ぼしても、明徳を修め、馨しさの香る供物を捧げるとならば、どうして神霊がそれを拒みましょうや?」


 以上のように宮之奇は諌めたが、虞公はついぞ聞き入れなかった。
 そうしてとうとう晋の使者に対して、国内の通路を再び晋軍の行軍路として貸し与える事を許可してしまった。この瞬間を以って、虢のみならず、虞の滅亡は確定したのであった。
 度重なる諫言も斥けられた宮之奇は、最早これまでと虞の命運に見切りを着けて、一族を率いて国外へと亡命したのであった。
 そして宮之奇は、


「虞は臘(ろう)【※15】を行えないであろう。今度の行軍で晋は虞を滅ぼすであろう。晋はこれ以上、軍勢を動かす事はないであろう。」


 と予言した。





 ♔ 道を仮りて虢を伐つ──────虢の滅亡

 そして同年内に晋は、計画通りに軍を起こした。晋献公自ら軍を率いる親征であった。
 虞の協力により、当然ながら晋軍は、何の支障もなく虞の国内の道路を通過出来た。そうして虢に抜け出られた。
 そして八月甲午の日(十七日)に、晋軍は虢の国都・上陽(じょうよう)【※16】を包囲した。





後続  故事其之壹 ─ 庚
承前  故事其之壹 ─ 丁





 それを聞き、晋の卜偃(ぼくえん)は予言した。


「虢は必ずや滅びるであろう。(晋虞連合軍との戦いで)下陽の地を失ったばかりだと言うのに、それを憂え顧みる事なく、戎を破り功を立てた。
 これは天が虢から(己の得失を照らす)鏡を奪いて、虢に自省させる機会を奪い、その驕慢の病を深くさせるものである。
 虢公は必ずや晋を侮り、己が民をも顧みぬようになるであろう。斯様な有り様では、虢は五年と保つまい。」


 この予言は後に的中する事となる。





 ♟ 「唇歯輔車」──────宮之奇の諫言

 紀元前655年の事。この年こそ遂に全てに決着が付いた年となった。
 晋は再び虞の許可を得て、再び虞の領内を通過して虢を攻めた。虞の賢大夫・宮之奇は、今度も虞公を諌めた。


「虢は虞にとっては表(ひょう)【※12】の如きものでございます。虢が滅べば、我が虞も同様に滅ぶのでございます。
 それ故に決して晋を手引きしてはなりませぬぞ。侵略者に決して馴れ親しんではなりませぬぞ。
 一度道を貸しただけでさえも、甚だしく不祥でありますのに、ましてや再び貸し与える事など、以っての他の所業にござります。
 諺にこうありますぞ。「輔車(ほしゃ)相依(あいよ)り、唇亡(くちびるほろ)ぶれば歯寒し。」と。これは正に虞と虢の関係を表しております。」


「車」は車台、「輔」は車を補強する添え木、又は荷物が落ちるのを防ぐ、車台上の添え板の事である。
「輔車相依る」とは、御互いに離れ難い密接な関係にあり、御互いに助け合って存在している事の比喩である。
 それと並立させて同じ意味で、唇と歯の関係を比喩に用いている。
 この事からどれも同じ意味で、「唇歯輔車(しんしほしゃ)」「輔車相依(ほしゃそうい)」「唇亡歯寒(しんぼうしかん)」等の四字熟語が生まれた。


「晋は我が虞と同じ宗族ではないか。何ゆえ我が国を害すると言うか?」


 すなわち虞・晋両国の公室とも、同姓の姫姓同士であり、そのルーツは同じ周王室から枝分かれした血統であるという意味である。


「周王室の祖先たる太伯・虞仲は、太王(古公亶父)の子でございました。しかし太伯は父の命に敢えて従わず、家を嗣がずに呉へと逃れました。
 弟の虞仲も太伯に随い、家を嗣がずに同様に呉へと行きました。それで末子の季歴が家を嗣いだのでございます。
 虢仲・虢叔は季歴の子であり、長兄たる周文王の卿士(けいし)【※13】となり、周文王を輔佐して功を立てました。それを記した文書が盟府(めいふ)【※14】に所蔵されております。
 晋は今、虞よりも血縁の近い虢を滅ぼそうとしております。虢ですらそうですのに、何故に血縁の遠い虞などを愛する事がありましょうや?
 それに虞は、晋にとっては「桓・荘の族」よりも親しい事はございません。
 晋公が「桓・荘の族」を愛したというならば、かの者たちは一体如何なる罪を以って、晋公に誅戮せられたのでありましょうや?
 かの族の者たちは、単に勢力が盛んになった事で力が晋公室に迫っただけでございます。
 血族である親愛ぶりや君寵を恃んで、公室に迫っただけでも誅されたのでございます。況してや他所の国である虞に対してなど、論ずるまでもなかろうかと存じます。」


「桓・荘の族」云々については、先述の通り【第三五計 連環計】の故事で語った通り。





後続  故事其之壹 ─ 己
承前  故事其之壹 ─ 丙





 それは晋軍が虢へ抜け出る為には、晋と虢の両国を挟んで位置する国である、虞(ぐ)の領内を通過しなければならないので、進軍の道を借りる為に虞公に、屈産の乗(くつさんのじょう)【※4】垂棘の璧(すいきょくのへき)【※5】を贈る事を進言した。しかし晋献公は、


「それは我が貴重な宝ゆえ手放せぬな。」


 と渋った。そこで荀息は答えた。


「もし虞の道を得られれば、虞は国外の府庫(倉庫、蔵)の如きものにござります。」


 その意味する処はすなわち、

「虞を通過して虢を討伐する事が出来れば、やがては虞も滅ぼせ、虢と同様に虞の領土をも併呑出来る。
 そうなれば必然的に、贈った宝も晋献公の手元に戻って来る事になる。
 つまり宝物を賂として虞に贈ったとは言っても、実質的には国外にある府庫に、一時的に宝を保管しただけも同然である。」

 という事になる。それでも晋献公は言う。


「そうは申しても、虞には宮之奇(きゅうしき)がおるではないか。」


 荀息はまた答えて言う。


「宮之奇の人となりは、気や押しが弱いので、虞公を強く諌める事が出来ませぬ。
 それに宮之奇は幼き頃より虞公のすぐ側で育って来ましたので、虞公は宮之奇にすっかり馴れ親しんでおります。
 それ故例え宮之奇が虞公を諌めた処で、虞公は宮之奇の諫言に耳を傾けますまい。」


 と荀息は断言した。それで決断した晋献公は荀息に命じて、馬と璧を虞公への贈り物として持参させ、虞への使者として派遣した。
 さて荀息は虞公の前に出て、馬と璧を献上した。それを見て虞公は大層喜んだ。
 そうして荀息は交渉を始めた。


冀(き)【※6】は無道を為して、貴国のテン軨(てんれい)【※7】から攻め入り、鄍の三門(べいのさんもん)【※8】にまで兵を進めましたが、その冀が弱っておりますのは、君公(虞公)がその報復を為されたからにございます。
 今同じく、虢が無道を為して我が晋の南部を侵攻しております。そこで何とぞ、貴国の領内の道を御借りしたく存じます。
 そして虢が何故我が晋を攻めるのか、その訳を問い質したく思います。」


 それを聞き虞公は、晋に対して道を通過する許可を与えたばかりか、晋と共に軍を率いて虢を討ちたいものだと言い出した。
 宮之奇は虞公を諌め、考え直すよう迫ったが、虞公は聞く耳持たなかった。





 ♞ 虞に道を借りる

 そして虞公は公言通り、虢討伐の軍を起こした。同年内に晋軍は荀息と里克(りこく)に率いられ、虞軍と連合を組んで虢に攻め入った。
 そうしてまずは、虢の下陽(かよう)【※9】という邑を攻め滅ぼした。
 同年内に虢は、自国内の桑田(そうでん)【※10】という地で、戎(じゅう)【※11】を撃破した。





後続  故事其之壹 ─ 戊
承前  故事其之壹 ─ 乙





 ♜ 周宗室と姫姓諸侯の系統

 以上語った血統を、系図で以下のように纏めてみる。「⇒⇒⇒」は「親から子へ」「先祖から子孫へ」。



1.古公亶父⇒⇒⇒2


2.太伯(呉を建国。死後に次弟の虞仲が呉を継ぐ。)
2.虞仲⇒⇒⇒子孫は呉と虞を継ぐ。
2.季歴⇒⇒⇒3


3.姫昌(周文王)⇒⇒⇒4
3.虢仲⇒⇒⇒西虢の国祖。子孫は南虢・北虢を建国。
3.虢叔⇒⇒⇒東虢の国祖。東虢は代々子孫が継ぐ。


4.姫発(初代・周武王)⇒⇒⇒5


5.姫誦(第2代・周成王)⇒⇒⇒周王朝宗室。天子の座を代々子孫が継ぐ。
5.姫虞(晋の国祖・唐叔虞)⇒⇒⇒晋の国祖。晋は代々子孫が継ぐ。



 故に周王朝宗室の直系ラインは、古公亶父⇒⇒⇒季歴⇒⇒⇒姫昌(周文王)⇒⇒⇒姫発(初代・周武王)⇒⇒⇒姫誦(第2代・周成王)となる。


 当初は一族として結束を固めるよう努めていた周王朝と同姓諸侯国も、時代が下るに連れて同族意識や親近感が希薄化して行き、周宗室をも上回る実力を蓄えて来た事により、徐々に従順さを欠くようになって来た。
 そして春秋時代という争乱の時代へと突入した事で、姫姓の諸侯に限らず、他姓の諸侯も互いに同姓の国同士で争うような事もあった。
 晋・虢・虞も御互いに古い親戚同士とは言っても、親近感や同族意識はほぼ皆無であった。


 この故事の当事者は、初代・唐叔虞から数えて第19代国君である晋献公【しんのけんこう:本名は姫詭諸(ききしょ)】である。
 紀元前676年に即位し、その治世において、【第三五計 連環計】の故事で語ったように「桓・荘の族(かん・そうのぞく)」を滅ぼしたり、【第二〇計 混水摸魚】の故事(リンク先工事中)で語ったように「驪姫の乱(りきのらん)」を引き起こす結果を招き、自らの太子申生【姫申生(きしんせい)】を死に追いやった。


 これらの逸話の時系列を言えば、前者は治世8年目の紀元前669年の事であり、後者は(太子申生が死んだ年に限定すれば)治世21年目の紀元前656年の事である。
 そして本故事で語る、虢・虞の二国を立て続けに攻め滅ぼした年が治世22年目の紀元前655年の事である。





 ♝ 国外の府庫──────虞公へ賂を贈る

 晋献公の治世10年目の紀元前667年の事。度々晋を攻めて来る虢に対して、晋献公は討伐の軍を起こそうとした。賢大夫・士蔿(しい)は反対し、晋献公を諌めた。


「君公よ、なりませぬ。虢公は度々我が国に攻め入り、勝ち続けておりますゆえ、驕り高ぶっております。
 いずれは民を棄てて顧みなくなるでありましょう。そうとなれば、虢の民心は虢公から離れて行きます。
 そうなった後に虢を討たれるのであれば、我が晋軍を防ごうとしても、一体誰が手を貸すでありましょうや?
 君主たる者が礼楽慈愛を以って民を治めるは、いざ戦に備えて平素より養っておくべき事柄でございます。
 その成果として、民が互いに事を譲り合い、和を楽しみ、肉親を愛し、死者を悼むようになってこそ、初めて戦にて民を用いられるようになるのです。
 ですのに虢はそのようには致しておりませぬ。そのような有り様では、戦を重ねる度に、士気が衰えて行く事でございましょう。」


 そうしてやがて時が経った。紀元前658年の事、晋の大夫・荀息(じゅんそく)は虢討伐に関して、晋献公に献策した。





後続  故事其之壹 ─ 丁

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