YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

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2018年08月

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前編からの続き
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 統治には一種の宗教的な祭儀が不可欠である事は、古今東西を問わぬ事実である。
 無宗教の共産圏でも、例えばレーニンの屍体をミイラにして、一種のピラミッドに安置し、その屋上に指導者が並んで人民の行進を閲するのは、まさにファラオの時代を思わせる祭儀である。
 
 誤解されては困るが、私は絶対にこういった行為を野蛮だと言っているのではない。
 蛮行とはもっと別の事であって、このような祭儀行為とこの祭儀をを主宰する権限とは、常に最高の統治権者が把持して来た、非常に重要な権限だ、という事実を述べているのである。
 
 だが祭儀権と行政権は分立させねば独裁者が出て来る。
 この危険を避ける為、両者を別々の機関に掌握させ、この二機関を平和裡に共存させるのが良い、と考えた最初の人間は、ユダヤ人の預言者ゼカリヤであった。
 
 近代的な三権分立の前にまず、二権の分立があらねばならない。
 二権の分立がない所で、形式的に三権を分立させても無意味である。
 それが如何に無意味かは、ソヴェトの多くの裁判を振り返ってみれば明らかであろう。
 
 西欧の中世において、この事を早くから主張したのはダンテである。
 彼はこの二権の分立を、教権と帝権即ち法皇と皇帝の併存という形に求めた。
 法皇は一切の俗権が停止されねばならぬ。皇帝は法皇に絶対に政治的圧力を加えてはならぬ。
 そして両者が車の両輪の如くになって、新しい帝国が運営されるべきである、と考えた。
 
 だがダンテの理想は夢で終わった。彼が日本の朝廷・幕府制度の事を知ったら、羨望の余り、溜め息を吐いたであろう。
 ダンテの夢が夢で終わったように、ゼカリヤの夢も夢で終わった。
 
 日本の天皇はヨーロッパ的意味での皇帝ではない。少なくともインペラトールではない。
 美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は、絶対に日本の天皇にはない。
 
 私は随分探したのだが、まだ鎧をつけた天皇の像を見た事がない。天皇は必ず「こし」に乗っている。
 その外容はヨーロッパ的に見れば、皇帝よりも寧ろ法皇に近い。
 私は天皇を、後述する日本教の大祭司だと考えている。そして将軍はまさに総督である。
 
 この素晴らしい制度は、一体どんな政治哲学に基いて、誰が考案したものであろうか。
 事実、祭儀と行政司法と宮廷生活とが混合していた中世ヨーロッパの政府は、政府などと言える代物ではなかった。
 それに比べれば幕府即ち頼朝政府は、何と素晴らしいものであったろう。恐らく当時の世界の模範であったに相違ない。
 
 これは絶対に私の独断ではない。少しでも日本の歴史を知っている外国人なら、皆同じ感慨を持つだろう。
 政治というものが実務としてある以上、能力ある者がこれを担当するのが当然の事である。
 
──────これらの政治理念が、中世ヨーロッパの皇帝や宰相や騎士団の考え方とは、雲泥の差がある事は言うまでもない。──────
 
 日本人が二権分立という、ユダヤ人が夢見て果たせなかった制度を、何の予習もせずにいとも簡単にやってのけ、しかも自らは少しもそれを高く評価してないという事実は、中扉に載せたラビ・ハニナ・ベン・ドーサの言葉を思い起こさせるという事を指摘するに止めよう。
 
『その人の行いがその人の知識より偉大な時は、その知識は有益である。しかしその人の知識がその人の行いより大になる時は、その知識は無益である。』
 
 日本人自身がこの事を少しも高く評価しない、天才というものはそういうものなのであろうか。──────天才乃至は天才的人間の特徴は、自分のやった事を少しも高く評価しない点にある。──────(五五頁〜五九頁)
 
≪引用終了≫
============
 
 
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 一旦は区切ります。とまあ、イザヤ・ベンダサン(実は山本七平)の著書からの引用が少し長くなってしまいましたが、次もまた戸松氏以外からの引用です。
 
 
 
<<<<<P.152〜P.155より抜粋開始>>>>>
 日本人が自己の優れた天才的能力を少しも気付いていないという点について、アメリカのJWT・メーソンも著書『神ながらの道』おいて次のように指摘している。
 
 
「日本人は外来文化思想を自覚し、且つそれを表現する能力においては、他国の追随を許さぬ程優れた物を持っているが、どういう訳か自国の思想・神道については、全く自覚もしなければ、また表現する事も実に拙劣である。
 
 日本人は好んで仏教教義の深遠さを説き、儒教の優秀性、西洋科学の卓越性を讃えるが、神道が仏教よりも遥かに優れた精神的原理を有し、儒教よりも内面的見解において深遠であり、又西洋文化よりも一層物質的進歩と精神的理想主義とを調和せしめる力を持っている事に気付いていない。
 
──────もし日本人が潜在意識的直観を持って、しかも同時に自覚的自己表現的分析力を発達せしめ得るとすれば、日本文化は未だ嘗て他民族の企て及ばざりし高所に達するであろう。
 
 しかし日本人が自己の内なる独創力を発揮する事なく、徒に外国文化に囚われるならば、神道の創造的精神は硬化埋没し、日本は次第次第に無力になって行くであろう。
 何故なら進歩は自己発展、固有性の発揮を通してのみ起こるものだからである。」
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 そして次からは戸松氏の論、本題の「治らす」「領く」の話に戻ります。そしてこれが本稿最後の引用となります。
 
 
 
<<<<<P.153〜P.155より抜粋開始>>>>>
 治ろしめすと領くは、ベンダサンの言うような祭儀権と行政権に区分されるべき単純なものでないが、多少はそうした意味も含んでいるので、大いに耳を傾け、参考にすべきであると思う。
 
 国民を同化統一し、万民悉く生成化育するには、道(道義・原則・法則)と力(権力・武力・財力)の併存両立を図らねばならないが、国家の統治に当たって力の重大さを軽視してはならない。
 その点を大国主命は国土奉還の条件に、
 
 
「私も子等と同様喜んで葦原中国(あしはらのなかつくに)を奉還しましょう。
 
 ただ私の住む所の為に、天津神の御子の代々御世を継ぎ給うべき天津日嗣の、その御膳を御作りする御厨(みくりや)である、煙立ち上る、富足りた、天之御巣の壮大な備えと同じ程に、地の底の岩根までも深く宮柱を埋め、高天原に千木の届く程に屋根の高い、立派な宮殿を築いて私を祭って下さるならば、私は百に足らぬ八十の曲がりくねった道また道を訪ねて行き、遠い黄泉国(よみのくに)に身を隠す事に致しましょう。
 
 また私の子供である百八十人の神々は、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が先駆となり殿(しんが)りとなって、必ず御仕え致すでしょう。
 一人も背く者はありますまい。」
 
 
と述べている。これが日本民族の奉還思想である。
 
 全個の関係を治ろしめて行く原理は、私有領有でもなく、単なる公有国有でもない。公私の分も明らかにして結ぶ、公私一体の原理を成り立てる事である。
 従って奉還すると言っても、決して領土を返還する事ではなくて、そのまま統治を委任されるのである。
 
 唯統治上の精神が領くではなく治ろしめすに変わるのである。道を主とし力を従として、両立へ依存せしめるのが天皇の構造である。
 
 日本の原理は天皇を始め道を践み行うものであって、力、権力、武力、財力を私有領有するものではなく、全て万民を生成化育発展せしめる為に駆使すべきものである。
 
 日本は古来道と力、文と武を分け、道を以て力を正し、文を以て武を制して来た国である。
 法皇と皇帝の関係が多少これに似ているが、本質は全く違う。
 
 この二つの関係を明治憲法は一つにし、やがて文は武に吸収され、道は力に屈した形で天皇制を作った。
 それは山縣有朋の作った軍人勅諭に明示されている。
 日本本来の精神に立ち返る為には、現憲法ばかりではなく、明治憲法をも根本的に見直し改め直さねばならない。
 
 日本は何時も天皇を「治ろしめす」として把握し、将軍を「領く」に表現して来た。
 明治になって西洋化され、「領く」形式を排し、「治ろしめす」に改めたのであるが、事実は「治ろしめす」天皇が「領く」の将軍の地位に落とされて来たのである。
 大元帥陛下が何よりの証拠である。道統や国学を知らぬ法理論者が、天皇を機関即ち地位の上に固定したのも、こうした所に発生しているのである。
 
 又これを否定攻撃した連中も、治ろしめす、領くの区別を明らかにせず、単に感情的に騒ぎまくったに過ぎなかった。
 ここに天皇観の本格的堕落が起こったのであり、近代日本の無知と悲劇があった訳である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 さて、皆さん如何でしたでしょうか?
 以上の事柄が、我が国固有の統治原理である「シラス(治らす/知らす)」「ウシハク(領く)」の要諦です。
 この原理を把握している人は、日本人でも少ないのではないでしょうか?
 ましてや外国人なら尚更でしょう。
 
 
 
 つまり我が国が古来より、外国のような専制支配に陥った時代は一度もなく、我が国の過去をいつの時代であれ、そのような目で見ている人は、単に外国の目線や感覚のフィルターを掛けて見ている、という事になるので、最初から見えている像が歪んでいる事になります。
 我が国では神代より、天皇による治ろしめす統治が布かれ、その帝が治ろしめされておられるのを背景として、その理念から逸脱する事のないよう、その時その時の為政者が実質的な力を行使して、領いて来たというのが実態なのです。
 現代日本では内閣総理大臣が領く存在です。
 
 
 
 単に領く原理だけだったら、すなわち治らす原理の裏付けのない、剥き出しの領く統治では、やがては腐敗し、専制支配の惨禍を及ぼしていたでしょう。
 シラスとウシハクはどちらか一方が欠けてても良くない、いわば車の両輪の関係、相互補完の関係にあります。
 
 
 
 外国は治ろしめす原理がなく、専ら領く原理のみだから、我が国と比べると支配者の締め付けがキツイのではないでしょうか?
 その領く権力の暴走を抑制するブレーキや鞘となる力が治ろしめす原理なのです。
 
 
 
 このシラス・ウシハクを現代で言い換えれば、「権威と権力の分離」「立憲君主制」となるかと思いますが、やはり似てるようで我が国のシラス・ウシハク式の統治とは、どこか異なると思います。
 それはイギリスを始めとした海外の立憲君主たちは、権力こそ放棄して権威を留めるのみの存在となったとしても、我が国の天皇のように祭祀を行わないからではないかと。
 すなわち「君臨すれども統治せず」な状態となっているからだと。
 
 
 
 しかし我が国の天皇はそれとは異なり、「統治すれども親裁(親政)せず」です。
 すなわち天皇は君臨しているだけでなく、統治もされています。その統治が領く統治ではなく、治らす統治だという事です。
 ただ親政(親裁)、すなわち実際の行政実務だけは臣下に御任せになられています。
 よほどの事態でもない限りは、一々政務を直接的に手掛けられる事は、厳に慎まれているという事です。
 
 
 
 何故なら古来より天皇が治らす統治を担われ、為政者が領く統治を担うという分担制であり、御互いの領域には決して立ち入らない事を不文律として遵守されて来たのですから。
 天皇以外の者が治らす領域に足を踏み入れる事が許されないのは勿論、天皇の方も領く領域に足を踏み入れられる事を固く慎まれていたのです。
 
 
 
 もし天皇が親政をしたり、実際の政務に口出しをされたとなると、それは天皇が領く領域に入って来られた事になり、シラス・ウシハクの統治原理が崩れてしまい、天子としての威厳や神聖性が損なわれてしまいます。
 故に天皇親政というのはよほどの例外、異常事態なのです。
 
 
 
 以上の事から我が国の天皇は、外国の君主と違って君臨されているだけでなく、統治までもされていますが、よほどの特殊な事情でもない限りは、政務を直接的に執られる事や、何らかの介入をされたりする事だけは、固く控えておられるだけに過ぎません。
 
 
 
 以上を以て、本稿#4を終わります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、本稿では早くも、極めて重要な理論を紹介します。
 
 
 
 神話の時代より我が国の根幹を為す統治原理として、代々受け継がれて来た理想的な政治理念であり、最も安定した統治の極意とも言うべき、究極的な統治の秘訣──────それこそが「シラス(治らす/知らす)」と「ウシハク(領く)」の理念です。
 
 
 
 両者の違いを弁え、両者を混同させる事なく両立させて来たのが我が国の歴史です。これは現代でも変わりません。
 このシラス・ウシハク論のシラスこそ、天皇統治の本質の中核を成すと言っても過言ではない位に重要です。
 
 
 
 当記事ではこれより何度かに分けて抜粋しますが、抜粋する箇所は原本のページの若い順ではなく、順不同に抜粋します。
 
 
 
<<<<<P.124より抜粋開始>>>>>
 天皇の本質である精神は、また「しろしめす」という古語によく現われている。
 
 しろしめすの義は、万邦をしてその所を得せしめ、兆民をしてその堵に安んぜしむるのであって、人の天分を発揮せしめ、個性を明かにし、人をしてその所を得せしめる事である。
  権力、権勢、武力、財力、征服、支配によって占領統一する事ではない。
 
「しろしめす」「しらす」は、「うしはく」領有私有と違って、自己を空しうして宇宙万物を生成化育する精神を以って治めるという意味である。
  しろし、しらしは、知らし、知る、治(し)ろしめすという義である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
<<<<<P.48〜P.49より抜粋開始>>>>>
天皇の本義
 
 天皇の本義は、すめらみこと、及び「知らす、聞こしめす、見そなわす」に示されている。
 すめらみこととは、知る、澄ます、統べる、治ろしめすの意であって、
 
 第一義は宇宙実在の実相とその作用を知ると共に、これを掌っている法則を知る事である。
 
 転じて国民生活の実体を知り、国民の希望念願を知り尽くして、それを叶えてやると同時に、天皇の本意を国民全体に知らしめる事である。
 
 第二義は澄まし清める。
 
 みそぎ、はらひ(はらい)の神事に見られるように、清さとけがれ、美と醜、明と暗、直と曲が神道を支える観念であって、魂を清め、心身の修行を積み、不浄、汚濁、不潔、醜悪のものを清め、かつ鎮めて、情義の美しい同胞社会を顕現しようとする。
 
 みそぎ、はらひの行事は、いざなぎのみことの神話伝承が起源とされているが、古来よりの日本人は神聖なものを美として眺め、神は宇宙のあらゆるところ、海にも、山にも、田にも、川にも、井戸にも、水屋にも、かまどにも、厠(かわや)にも宿るものと信じ、そこを美麗にしておかなければならないと考えて神を祀ったのである。
 
 心清く、美しく、直ければ、必ず神の助けがあり、心汚く、濁れ、曲がっておれば、神罰を受けるものとされ、常に清く、美しく、直く、明るくする事に心掛けてきた。
 天皇は国民の中心であり雛形であるため、清浄無垢、無私無欲無我に徹してきたのである。
 
 第三義は統べる。
 
 一切を知り、知らしめ、清く明るく直く美しい心を以って、国民精神の統一を図り、国民生活の統合を図る。
 
 第四義の治ろしめすは、道を真中に立てて、治者と被治者の一体を実現する事を言うのである。
 
 更にまた知らす、聞こしめす、見そなわすは、範を万民に垂れ、万民の中心となって道を践み行う原理を示すものである。
 
 知らすは既に述べた通りであり、聞こしめすは天の声、地の声、人の声ばかりでなく、宇宙間に存在する森羅万象ことごとくの声なき声を聞くという事であり、ましてや国民全体の声を聞かずにはいないという事である。
 
 見そなわすというのは、知る、聞くと同じく、全てのものを見ると同時に、天皇の御心、態度、行為を見て貰うという意味である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 以上のように、これが「シラス」の意味とシラス型統治の根本です。
 一般にイメージされる「統治」とは、これとは本質的に異なるウシハク型統治でしょうか。
 
 
 
<<<<<P.49〜P.50より抜粋開始>>>>>
治ろしめす・領く
 
 日本の政ごとは、諸外国に行われている政治権力を中心に、武力財力等の力を以って社会整理を行い、秩序を維持するというものではなく、天皇が祭祀によって体得した神人不二一体の境地即(すなわ)ち治ろしめすという理念(道)を基盤にして、権力武力財力等の領く力を活用して統治する。 
 いわゆる道と力、治ろしめすと領く、祭と政の併存両立を建前とするものである。
 
  これは高天原(たかまがはら)の理想治ろしめすと、出雲(いずも)の原理領くとの融合結体によって形成せられたものであり、奉還思想の原理を示すものである。
  これは他国に類例を見ない、日本独特の政治原理である。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 そうです。シラス(知らす、治らす)とウシハク(領く)は水と油の如く、互いに相容れない反撥し合う関係、否定し合う対立関係ではなく、両立して互いの欠ける所を補い合う、相互補完関係にあるのです。
 どちらが良くて、どちらが悪い、どちらが優れていて、どちらが劣っている、という性質のものではありません。
 
 
 
 さてさて、以降は【第三章 天皇の本質】の中の、P.147〜P.155に及んで展開されている【第三節 天皇の構造】より抜粋、と言うより全文丸ごと転載しますが、長過ぎるので、丁度良い所で何度か区切りながらにします。
 
 
 
<<<<<P.147〜P.149より抜粋開始>>>>>
【第三節 天皇の構造】
 
 南方文明を代表する天照大御神と、北方文明を代表する須佐之男命(すさのおのみこと)のうけひ(受霊)【註:「うけひ」は「うけい」と読む。】によって、両文明が融合一体化し、八神を産み、それぞれの使命任務を発揮して大いに神ながらの道を発展せしめた事は、八幡神の活躍によって知る事が出来る。
 
 八神の内、男神五柱は天照大御神の物実(ものざね)・剣より生まれたものであるが、天照大御神とのうけひによったものである。 
「うけひ」とは、一方が他方の霊を受け入れて新文化を創るという事であって、要約すれば二つの文化が融合一体化して更に一段と高い文化を創造するという事である。
 
 この南方文明の天照大御神と北方文明の須佐之男命のうけひは、神道理念にとっては極めて重大な意義を持つものである事は、後に出て来る国譲りと共に、神道の基本構造たる、道と力、権威と権力、治ろしめすと領くを規定し、形成するものだからである。 
 道を代表する天照大御神と力を代表する須佐之男神のうけひによって、権力の統治が時と所によっては道義の統治よりも効果的である事実を証明する事が出来た。
 
 大御神もその価値効用を十分認められた為、すっかり気を良くした須佐之男神は、知らず識らずの間に慢心し、やがて生産を妨害する天つ罪を犯す事になって、遂に高天原の神々の怒りを蒙り、追放せられる事となった。 
 放逐された須佐之男神は、各地を彷(さまよ)い歩いた末、出雲(いずも)の国に辿り着いたのである。 
 
 そこで善良な農民たちを虐げ苦しめる、やまたのおろちという没義道な集団を目の当たりに見、これを退治して農民を安堵させると共に、おろちの持っていた統一力団結力、いわゆる三種の神器の叢雲(むらくも)の剣を高天原の大御神に献上して、爾後(じご)の統治における原則たらしめた。
  そして自らは農民たちの良き指導者となって、その地方を安住の地たらしめたのである。それが出雲の国である。
 
 ところが大国主命(おおくにぬしのみこと)の時代になって、天照大御神は大和島根を合体して全国を統一すべく、出雲に使者を送り交渉を重ねてたが、仲々進捗しなかった。 
 最後に建御雷神(たけみかずちのかみ)が天鳥船神(あめのとりふね)を随(したが)え、条理を説いてようやく大国主命の賛同を得、国譲りの実を挙げる事が出来た。
 
 この時の説得の言葉に、
 
「汝(いまし)が領(うしは)ける葦原中つ国(あしはらのなかつくに)は、我が御子(みこ)の治(し)ろしめさん国と言(こと)よさし給へり(たまえり)。かれ汝が心いかにぞ。」
 
 即ち前述せる通り「うしはく」は所有、領有、私有するの意で「うし」は主、「はく」は下駄をはく、靴をはく、太刀を佩(は)くなどの「はく」事で、いわゆる物を身に付ける事を言うのである。
 
 要するに力で国土を領有支配する事を言い、転じて権力、武力、財力等の力による統治を言うのである。
 
 これに対して「治ろしめす」は知る、知らしめる、真実、事実、真理、真相を知ると同時に知らしめ、理解させる。
 
 自他を知り、事物を知り、過去現在を知り、未来を察知し、内外の別なく、有形無形との論なく、よく熟知しなければ、国民全体を同化し統一して、生成発展せしめる事が出来ない。
 
 と同時に清澄・統べる・純粋の心を合わせるという事を言っているのであり、いわゆる万人一人の漏れなく等しく認める道義、理念、原理、法則等の道による統治を言うのである。
 
 これによって分かる通り、高天原は道を以て統治の原則とするに対し、出雲は力を以て統治の原則としていたが、文化の流動は道と力を一体化し、道義・権威・法則を主となし、権力・武力・財力を従と為して、各々の分を成り立てて来た。
  道と力の併存両立する国は、我が国を除いて他にないのである。
 
 これが即ち天皇の構造を形成する基本の原理である。と共に、世界史上嘗て見る事のなかった冠絶した原理でもある。
<<<<<抜粋終了>>>>>
 
 
 
 と、ここらで一休みしましょうか。
 如何でしたか?上記抜粋文の中の赤い大文字で表記してある箇所は重要ではないでしょうか?
 これこそが「治らす」「領く」の定義ですから。
 
 
 
 では続いて・・・・
 
 
 
<<<<<P.149〜P.152より抜粋開始>>>>>
 この事をイザヤ・ベンダサンはその著『日本人とユダヤ人』の中で次のように述べている。
 
 
============
≪引用開始≫
 
 朝廷・幕府併存という不思議な政治体制である。これは七百年以上続いた訳だから、日本の歴史の大部分はこの制度の下にあったと言える。
 これは一体誰のアイディアなのだろう。考えてみれば不思議である。
 しかしこの独創的政治制度も、戦前は我が国の国体に悖るものとされ、あの軍人勅諭では、
 
『世の様の移り変わりてかくなれるは、人の力もて引き返すべきにはあらねども、まことに浅ましき次第なりき』
 
とされていて、出来る事なら消してしまいたい事態だとされている。
 変わって戦争後ともなると、何もかも一緒にして封建的の一言で片付けられ、この不思議な制度は常に無視され、黙殺されているのである。
 
 朝廷・幕府の併存とは、一種の二権分立と言える。
 朝廷が持つのは祭儀・律令権とも言うべきもので、幕府が持つのは行政・司法権とでも言うべきものである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後編へ続く
 前回人生初の漢詩(七言絶句)を披露して以来、8ヵ月ぶりに第二作目が出来上がりました。(^^)b
 前回とは形式が違って、今回のは五言絶句です。
 字数こそ前作よりも八字分少ないですが、だからと言って、前作よりも楽に作詩出来た訳でもなく、頭を痛めた事に何ら変わりありませんでした。
 何せ一文字ごとに属する平仄・韻目を調べ上げなければならなかったのですから・・・。
 
 
 
 その平仄を始めとして、「偶数句(承句と結句)の押韻」「同字禁止」「冒韻(ぼういん)禁止」「下三連(かさんれん)禁止」「孤平(こひょう)禁止」「反法(はんぽう)と粘法(ねんぽう)」等の制約を全てクリアして、ようやく出来上がったのですから、随分悩みましたよ。
 平仄の配列を考えながら各位置に文字を当て嵌めていかねばならないので、使いたい字を好きな位置に挿入する訳には行かないのが漢詩の厄介な所です。
 そしてやっと出来上がったにしても、初心者ですから大した出来栄えではないのも言うまでもなく・・・・(^^;)。
 前出の制約を踏まえる事が精一杯でしたよ(ーー;)。
 
 
 
 それでは以下の通りに白文の画像を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 見れば分かる通り、五言絶句、すなわち一句につき五文字毎に、全部で四句。5×4の全20文字の形式の詩です。
 前回のも絶句でしたが、各句七文字ずつの全28文字でした。
 
 
 
 さて続いては、訓読と平仄配列と韻目を記した画像をどうぞ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 画像内の各字それぞれの右側には、白黒二色の丸が付いていますが、白丸(○)の付いた字が平字、黒丸(●)の付いた字が仄字です。
 起句(第一句)の二字目が平字か、それとも仄字かで、「平起式」と「仄起式」とに分かれます。
 それによって全体の平仄の配列がガラッと変わります。
 この詩は起句二字目の「富」が●(仄字)なので、形式は五言絶句仄起式となりますね。 
 
 
 
 それでは以下のように、詩文を書き起こしてみます。
 赤色の文字が白文(原文)、緑色の文字が訓読文(読み下し文)、オレンジ色の文字が現代語訳です。
 
 
 
 
 
詩題:
過 無 恙(かぶよう)
 
無恙(ぶよう)に過(す)ぐ
 
何事もなく日々を無事に過ごす
 
 
 
起句:
無 富 在 平 成
 
富(とみ)無(な)くも平成(へいせい)に在(あ)り
 
(自分は)金や財産など特にないけれど、(それでも幸いにも)平和な世に生きている。
 
 
 
承句:
有 安 過 日 鬻
 
安(やす)きを有(たも)ち、日(ひ)を鬻ひ(ひさい)で過(す)ぐ
 
安穏とした生活を維持しながら、その日その日を仕事をしながら(平凡に)過ごしている。
 
 
 
転句:
溢 歓 娯 酒 茶
 
歓(よろこ)び溢(あふ)る、酒茶(しゅちゃ)を娯(たの)しむれば
 
好きな酒や茶を味わい、楽しんでいる内に、喜ばしい気分に満ちて来る。
 
 
 
結句:
遠 禍 惟 求 福
 
禍(わざわい)を遠(とお)ざけ、惟(た)だ福(ふく)を求(もと)むるのみ
 
(普段思う事と言えば)災難を遠ざけて、ただ幸福を求めるだけである。
 
 
 
 
 
 以上です。
 詩の中身は特にドラマ性に富んでる訳でもない、気宇壮大な世界観もない、私の至って平凡な日常を詠んだだけの代物ですが、こんな出来具合でも本当に時間を掛けて苦労したのですよ。
 
 平仄や韻の関係で、使いたい字を使えず、やむを得ず却下した物が多いです。
 それで仕方なく全く別の字に差し替え、どうにか意味の通る文になるよう整える作業を、それこそ何度も何度も繰り返しました。
 
 
 
 さて、詩についての解説ですが・・・・ま、大した内容でもないので、本来なら不要かも知れませんが(^^;)、それでも一応はね・・・・。
 
 
 
 
 
詩題:
 
「無恙」とは、「恙無(つつがな)く」「恙無し」という言葉もあるように、「何事もなく無事に」という意味です。
 
 
 
起句:
 
 下二字の「平成」とは、元来は「内平外成(内平らかに外成る)」または「地平天成(地平らかに天成る)」という古典にある言葉が由来です。
 要は「国の内外、そして天地共に平和となっている」という意味になります。
 そしてこれが現在の元号「平成」の由来でもあります。
 いわば国家的規模の状態を表現する言葉なのに、たかが個人的境遇を表すのには大袈裟な表現かとも思えますが・・・・(^^;)。
 
 
 
 まあ「自分は現在、平穏な世に(少なくとも自分の周囲の空間の範囲では)生きている」という意味の他に、「自分は今、平成時代に生きている」という意味とも掛けた訳です。
 つまり和歌で言う所の「掛詞(かけことば)」の手法に相当しますか。いわばダジャレですね。
 
 
 
 当初はこれを起句(第一句)ではなく、承句(第二句)として使おうとしたんですけどね・・・・。
 けれど承句に持って来ると、最後の「成」が韻字(押韻の為の字)になってしまいます。
 すると結句(最後の第四句)の最後の字も、「成」と同じ音韻を持つ字を使わねばならなくなりますが、それだけでなく、すぐ上の「平」の字が使えなくなってしまいます。
 と言いますのも、「平」も「成」も同じく、三種類ある仄声の内の「入声(にゅうせい)」、その「入声」の内の「一屋」という韻目(同じ音韻を持つ漢字のグループ)に分類されるからです。
 
 
 
 漢詩には本稿の最初の方でも様々な制約を列挙しましたが、その中に「冒韻禁止」のルールがあります。
「冒韻」とはその詩で押韻として使われた字と同じ音韻を持つ(同じ韻目に属する)字を、押韻以外の位置で使う事です。
 韻字と同韻の字は、押韻以外の位置では使ってはいけないという、面倒臭い決まり事がありまして・・・(ーー;A)。
 五言絶句においては偶数句、すなわち承句と結句の句末の字の位置が押韻となります。
 
 
 
 
「平成」の語だけはどうしても使いたかったので、「成」が韻にならないで済むよう奇数句、すなわち起句か転句(第三句)のどちらかに移すしかなかったのです。
 このように漢詩の作詩とは、和歌以上にややこしくて大変なのです・・・・(ーー;A)。
 
 
 
 他にややこしいのは、同じ字でも、平仄両面に属する字がたくさんあるという事です。
 同じ字でもどの意味で使うかによって、あちらでの発音と、平仄及び属する韻目が変わるそうで。
 三字目の「在」は「在る(ある)」「居る」という動詞の意味だと「上声(じょうせい)」の内の「十賄」という韻目に属し、「所在」という名詞の意味だと「去声(きょせい)」の内の「十一隊」という韻目に属します。けどどっちにしても仄字ですけど。
 
 
 
承句:
 
 一字目の「有」は「有る(ある)」の他にも、「有つ(もつ、たもつ)」とも読みます。「保つ」と同じ意味です。
 
 
 
 三字目の「過」は、平仄両方の韻を持っています。
「過ぎる」という動詞の意味だと、「下平声(かへいせい)」の内の「五歌」に属し、「過ち」という名詞の意味だと、「去声」の内の「二十一箇」に属します。
 ここでは前者の意味なので、「五歌」の平字となります。
 
 
 
「鬻」とは「かゆ」とも読み、「粥」すなわち水分多く、ドロドロしたペースト状の御飯をも意味しますが、ここでは「鬻ぐ」と書いて「ひさぐ」と読みます。
 意味は「物を売る」「商売する」という意味です。
 いや、だからと言って何も、私は実際に店に立って、何か物を売る仕事をしている訳ではありません。
 ここではあくまでも、「仕事をしている」という意味の比喩として使いました。
 
 
 
転句:
 
 私は日本茶や紅茶、コーヒー等の茶類が好きでして。
 まあ酒も好きですが、そんな頻繁には飲みませんね。
 けれど茶も酒も美味いとやはり気分は良いですね。
 
 
 
 少々取って付けたような一文ですが、他に色々と作ってみたけど、平仄が合わず、残念ながら次々没にして、ようやく平仄の合ったのがこれだったのですよ(^^;)。
 
 
 
結句:
 
 最初の一字目「遠」も音韻が二種類ありますが、どちらも仄字です。
「遠い」という形容詞の意味だと、「上声」の内の「十三阮」に属し、「遠ざける」という動詞の意味だと、「去声」の「十四願」に属します。
 ここでは後者の意味なので、「十四願」の仄字となります。まあどっちにしたって仄字なんですけど。
 
 
 
 結句末の字も韻字になります。
 承句末の位置に「鬻」を当てた以上、これと同じ韻目(入声:一屋)に属する字の中から選んで押韻するしかなく、その中に「福」の字があったので選びました。
 この「福」を結句末に置いて、尚且つ平仄が整った上に、ちゃんと意味も通る一文にしようとしたら、こんな風になったという事です。
 
 
 
 
 
 さて、以上がこの五言絶句仄起式の漢詩の詳細です。
 やはり初心者ではこの程度が限界でしょうかね・・・・。
 それに詩語とかを全く使ってないから、どうにも洗練された、風雅な趣に欠けるなあと、自分でも思いますしね・・・・(^^;)。

#341
若者の燃え滾る情熱は、老人の冷め切った精神程には、
魂の救済の障害とはならない。






#342
出身地の御国訛りは話し言葉の中だけでなく、
思考や感性の中にも同じように残る。



※ 著者ラ・ロシュフコーの政敵であった、
イタリア人枢機卿ジュール・マザラン(ジュリオ・マッツァリーノ)を念頭に
置いたと見る説もある。

マザランは太陽王ルイ14世の教育係を務め、またリシュリュー亡き後の
フランスの実質上の宰相でもあった。

だがマザランは祖国のイタリア語訛りや、イタリア的な言動が、いつまで
経っても抜けなかったと言う。

他には当時「御国訛り」とは、出身階層に関しても比喩的に
使われていた。








#343
偉大な人物になる為には、自分の持てる運を全て
使い切れるだけの術を知らねばならぬ。






#344
大多数の人間は、植物と同様にそれぞれ隠れた
特性を秘めている。

そしてそれらは予期しなかった、偶然の時に
露わとなる。






#345
ふとした切っ掛けが己を他者に知らしめる。

それ以上に己自身に己の事を知らしめる。






#346
女の思考や心情に、法則などというものは存在しない。

それらより先に、必ず体質が同意してからあり始める。



※ もしかしたらラ・ロシュフコーは生前に、気分の変わり易い女性に
振り回されて、辟易させられた経験があるのかも知れない。








#347
我々は己と見解を共有しない者を、良識ある者とは
認めない。



※ 確かに人にはそういう傾向がありがちである。







#348
人は恋愛をすると、最も信じている事までしばしば
疑うようになる。






#349
恋愛が起こす最大の奇蹟とは、コケットリー(媚)を
なくす事である。






#350
我々は自身を策略に掛けようとする者たちに対して、
甚く激昂する。

その理由はそういう連中が、我々よりも上手だと
思い込んでいる事が、癪に障るからである。

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第二二計 関門捉賊







♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓
 計略名の寓意は、城内や邸内に賊が忍び込んだ時、どのように対処するか?の答えである。
 侵入した賊を捕える(捉える)時に、どうやって捕えるか?
 大声を張り上げて、賊が侵入した事を触れ回るか?
 あるいは脇目も振らず、ただひたすら追い掛けるか?
 それらは決して賢明な手段とは言えない。



 逃げようとする賊は、どこかの出入口から素早く逃げ出そうとするので、必ずしも捕えられるとは限らない。
 しかも賊が必死になって逃げようとしている時は、「窮鼠、猫を噛む」とも言うように、助かる為に何をするか分かったものではなく、危害を加えられる危険性が高くなる。
 捕えようとする側が、どのような手酷い反撃を喰らい、どれ程の酷い傷を負うか分かったものではない。最悪殺されてしまう事だってある。
 それでは例え賊を取り押さえられたとしても、決して利口な遣り方とは言えない。



 そこでそんな時は先ず、慌てず騒がず、賊にこちらの動きを気付かれないよう留意しながら、秘かに門やあらゆる出入口を閉じて、賊の逃走経路を塞ぐ事である。
 退路を断たれた事に気付かれれば、自暴自棄となり、忽ち「窮鼠、猫を噛む」の精神状態となり、死に物狂いで暴れ出す恐れがあるからである。
 そうして賊を外へ逃げられなくしてから、居場所に見当を付け、徐々に捜索の範囲を狭め、絞って行く。
 そうする事によって取り逃す事もなく、無闇に狂暴化させる事もなく、確実に賊を捕えられるという訳である。
 こういった行き方を、軍事面やそれ以外の側面でも応用するのが、この計略の趣旨である。



 兵法書『呉子(ごし)』の第六篇【励士篇(れいしへん)】の中の一節に、こう書き記されている。





『呉子』の励士篇

>>>>>
 今、一死(いっし)賊(ぞく)をして曠野(こうや)に伏せ、千人(せんにん)之(これ)を追わしむるも、梟視狼顧(きょうしろうこ)せざる莫(なか)らん。
 何となれば、其(そ)の暴に起ちて己を害せんことを恐るれば也(なり)。
 是(これ)を以て一人(いちにん)、命を投ぜば、千夫(せんぷ)を懼(おそ)れしむるに足る。
<<<<<



【現代語訳:例えば今、死に物狂いとなった一人の賊が、広野に逃れて身を隠したとする。
 この賊を捕える為に、千人もの追手を差し向けたとしても、寧ろ追手の方こそびくびくと怯える事となる。
 何故ならば突如賊が姿を現し、追手に襲い掛かって来る事を恐れるからである。
 このように、たった一人の賊でさえも、命を投げ捨てる覚悟を固めて立ち向かえば、千人もの相手を震え上がらせる事が出来る。】





 上記引用文はたった一人の賊に喩えているが、これを戦に置き換えると、敵軍がどこかに隠れていて、その居場所が分からず、必死の覚悟を決めている。
 しかもいつでもこちらを奇襲出来る態勢にある。そんな敵軍を追跡するのは甚だ危険であり、効率も悪い。
 殲滅出来るならば、決して逃がさず殲滅する事こそが理想である。
 だが図らずも取り逃してしまったならば、手負いの獣と化した敵軍に逆襲され、傷を負わされる危険性があるので、徒に急追するのは避けるべきとなる。
 すなわちそうなったら関門捉賊路線ではなく、反対の【第一六計 欲擒姑縦】の路線で行くべきである。



 このように「門を閉じて、賊を外へ逃すべきではない」と言うのは、賊の逃走そのものを恐れるのではなく、上手く逃げ果せたその賊が、早かれ遅かれ、将来自分に危害を加えようとするのを恐れる事に拠る。
 歴史を顧みても、トドメを刺すべき時にきちんと仕留めておかなかったばかりに、後々自身に禍を招いてしまった、という例はたくさんある。
 だからこそ将来の禍根を断つ為に、トドメを刺せる時には躊躇わずにトドメを刺せ、という教えである。



 続いて兵法書『孫子(そんし)』の第三篇【謀攻篇(ぼうこうへん)】の中の一節では、次のように説いている。





『孫子』の謀攻篇

>>>>>
 故に兵を用うるの法、十なれば則(すなわ)ち之(これ)を囲み、五なれば則ち之を攻め、倍すれば則ち之を分かち、敵すれば則ち能(よ)く之と戦い、少なければ則ち能く之を逃れ、若(し)かざれば則ち能く之を避(さ)く。
 故に小敵は大敵の擒(きん)也(なり)。
<<<<<



【現代語訳:故に戦い方の原則とは、次の挙げる通りになる。
(自軍が敵軍よりも)十倍もの兵力ならば、包囲する。五倍もの兵力ならば、攻撃を加える。
 二倍もの兵力ならば、分断させる。同等の兵力ならば、奮戦する。
 劣勢で不利ならば、退却する。勝算が立たなければ、最初から戦いを避ける。
 以上の事から、自軍の兵力を弁えず、強大な敵軍に徒に挑むのは、却って餌食とされるのが落ちである。】





 更には同書の第七篇【軍争篇(ぐんそうへん)】の中の最後の一節では、「こういった状態にある敵には、決して攻撃を仕掛けてはならない。」という趣旨の記述がある。
 すなわち戦闘に際して敵軍への攻撃を避けるべきである、八種類の状況を列挙している。





『孫子』の軍争篇

>>>>>
 故に兵を用うるの法は、高陵(こうりょう)には向かう勿(なか)れ。丘を背にするには逆(むか)う勿れ。
 佯(いつわ)り北(に)ぐるには従う勿れ。鋭卒(えいそつ)には攻むる勿れ。
 餌兵(じへい)には食らう勿れ。帰師(きし)には遏(とど)むる勿れ。
 囲師(いし)には必ず闕(か)く。窮寇(きゅうこう)には迫る勿れ。此(こ)れ兵を用うるの法なり。
<<<<<



【現代語訳:従って軍を動かすに当たって、守るべき原則には、以下に挙げる事柄がある。
(第一に)高地に布陣した敵軍を攻めてはならない。(第二に)丘を背にした敵軍を攻めてはならない。
(第三に)敗走を偽装して退却する敵軍を追ってはならない。(第四に)鋭気に満ち、戦意盛んな敵軍を攻めてはならない。
(第五に)囮として投じられた敵の一団に飛び付いてはならない。(第六に)自国への帰還途上にある敵軍の前に、立ち塞がってはならない。
(第七に)敵軍を包囲したなら、必ず敵軍が逃げる退路を残しておかねばならない。(第八に)窮地に追い詰められた敵軍を攻めてはならない。
 以上(の八点)が戦闘に際し、守るべき原則である。】





【謀攻篇】からの引用で、『十なれば則ち之を囲み(十倍もの兵力ならば、包囲する)』の箇所こそは、この関門捉賊策にも通じる。
 そこまでの圧倒的な力の差を見せ付けてこそ、敵の反撃する意志を挫かせ、どう足掻いても勝ち目はないと観念させる事が出来る。
 そしてそれ程までの逆転不可能な力の差がある時こそ、攻撃を加える絶好の機会であり、一気に殲滅して後々の禍根を断つのである。






【軍争篇】からの引用で、『囲師には必ず闕く(敵軍を包囲したなら、必ず敵軍が逃げる退路を残しておかねばならない。)』『窮寇には迫る勿れ(窮地に追い詰められた敵軍を攻めてはならない)』の箇所は、反対に欲擒姑縦策の趣旨に通じる。
 これらの対応は、彼我にそれ程までの歴然とした優劣ぶりがない場合は、攻撃したらこちらもそれ相応の犠牲が出るので、よほどの事情がない限りは無理な力押しは避けた方が良い、という趣旨である。だがこれらの禁止事項も、圧倒的な兵力差があれば話は変わって来る。
 自軍が敵軍と比べて、それ程までに圧倒的に優勢な力があれば、敵軍の戦意も喪失させられ、「窮鼠、猫を噛む」ような事態を恐れる必要もなくなって来るからである。



 この計略を用いるべき時とは、どういう状況の時か?まずは次の二点の条件を満たしている事である。





㊀彼我の間に著しく隔絶した力の差がある事。
 手負いと化し、牙を剝き出した相手の逆襲を、簡単に捻じ伏せられるだけの圧倒的な力の差がある事。
 敵がある一定以上の強大な力を持っていたり、戦意旺盛な場合には用いるべきではない。仮に実行してみても成功しない。



㊁逃してしまったら、将来に亘って大きな禍に見舞われる事が予め分かり切っている事。
 そんな時は例え周囲が何を言おうと躊躇してはならず、一切の逃げ道を塞ぎ、非情に徹して息の根を止める。





 以上示した事柄から、関門捉賊路線で一気に敵を殲滅して決着を付けるか、欲擒姑縦路線で徐々に敵の力を削いで行ってから、遠回りに決着を付けるかは、その時その時の状況から判断して決定する。



 手負いの獣や窮鼠と化した敵の反撃を、恐れる必要もない位の圧倒的な力の差がある時は関門捉賊路線を選択する。
 そして躊躇わずに一気に終わらせて、徒に戦いを長引かせる事を避けるべきである。



 だが彼我の力にそこまでの隔絶した差がなく、精々敵よりも比較的優勢だという程度の差である限りは、欲擒姑縦路線を選択する。
 そして強引で性急な力押しを避け、直線的な勝利ではなく、「急がば回れ」で迂回しながらの勝利を目指すべきである。
♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓

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