| 31〜33枚目は好文亭の外観です。 |
| この好文亭とは、ここ偕楽園の創建者たる水戸藩第9代藩主の烈公こと徳川斉昭の別荘だったと。 |
| 烈公斉昭はここに、文人墨客、家臣、領民を集めて、詩歌や慰安会を催したそうです。 |
| つまり殿様の別荘兼多目的施設だったと理解して良いんですかね? |
| ここからは各間(各部屋)の写真の紹介です。 |
| それぞれ「●●の間(ま)」と名付けられていますが、それらの名は部屋の襖絵に描かれた花木に由来します。 |
| なので襖絵を見れば、部屋の名前の見当が付く訳です。 |
| 最後にこの『好文亭』の命名の由来は、晋武帝(しんのぶてい)の次の故事に由来するそうです。 |
| 『文を好めば則(すなわ)ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず。』 |
| 意味は「晋武帝が学問を好んでいた時分には梅が花咲いたけど、たちまち学問を止めたら、パタリと梅が花咲かなくなった。」と。 |
| これが史実かどうかは分りませんが、この一文が名の由来だと。 |
| 故にこの故事から、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」と言うのだそうです。 |
| まさしくこの梅の名所・偕楽園に相応しい名かと。 |
| ちなみに晋武帝とは、三国時代の乱世にあった支那を天下統一し、漢(後漢)・魏(曹魏)に続く王朝・晋(西晋)の初代皇帝(実質は四代目)となった人物で、本名は司馬炎(しばえん)です。 |
| 諸葛孔明(しょかつこうめい)のライヴァルでもあった、司馬仲達(しばちゅうたつ)こと司馬懿(しばい)の孫です。 |
| 今年のではなく、何年も前の古い写真群で何でしたが、フォト集40は以上です。 |
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