YAMINABE the Second Operation

この11年間の数多くの思い出を携え、私は新たな旅へと出発します。それでは皆さん、御達者で。

第二七計 仮痴不癲

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承前  故事其之壹 ─ 庚





『誅する所の者数百人、進むる所の者数百人(数百人を誅殺し、数百人を登用した)。』


 という記述と比べると大分スケールが落ちる。実際の所はどちらだったのか。


 この「三年鳴かず飛ばず」の後日譚である「問鼎(もんてい)」、すなわち「鼎の軽重を問う」の故事は、楚荘王の治世8年目の紀元前606年の出来事である。
 その経緯は【第二六計 指桑罵槐】の「鼎の軽重を問う」の故事で語る。





 ♗ 結

 全部で約800年もの歴史を持つ楚において、歴代中最高の英主と讃えられた名君・楚荘王の治世は、こうして本格的に始まった。
 この時の人材登用により、楚荘王はその23年もの長い治世において、楚史上800年の中で最も繁栄した黄金時代を築き上げる。
 そして楚荘王の死後、楚が滅亡するまでに全部で20人もの国君が立った。
 だがそれだけの数がいながら、楚荘王に匹敵するだけの器量・治績を有した国君は、遂に一人も現れなかった。


『鳥有り、阜に在り。三年蜚ばず、鳴かず。是れ何の鳥ぞや。』

『三年蜚ばず。蜚ばば、将に天に沖らんとす。三年鳴かず。鳴かば、将に人を驚かさんとす。』


 正しくこの言葉の通りであった。
 3年もの間、一向に飛び立ちもせず、一向に鳴きもしなかったその不思議な「鳥」は、一度羽ばたき、一度鳴き声を上げるや否や、楚国内はおろか、天下中をも大いに驚かせ、大いに恐れさせたのであった。





「三年鳴かず飛ばず」──────楚荘王、痴態の裏に傑出した器量を隠す。

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承前  故事其之壹 ─ 己





「何用か?」


 蘇従は楚荘王の淫蕩ぶりを諌めた。楚荘王はわざと語気を強め、


「そちは我が令(布告)を聞かなんだか!?」


 と一喝した。それに対して蘇従は答えた。


「例え我が身を殺してでも(死罪になっても)、我が君を賢明にする事こそ、臣の願いにございます。」


 そう言って蘇従は退出した。


 そしてそれ以降、楚荘王は淫楽やその他遊興三昧をピタリと止め、初めて本格的に親政を開始した。





 ♕ 鳥、羽ばたき鳴く──────親政の開始

 これまでの3年間、楚荘王は暗君の振りをして世間を欺き、油断させていた裏で、実情の調査を入念に進めていた。
 群臣の素行・行状・能力などを、つぶさに監察していたのであった。
 そうして3年が過ぎ、それらの秘密裏の調査が全て済み、最早暗愚を装う時期は終わった。
 そこで即位以来初めて、暗君の仮面を脱ぎ捨てて、本格的な執政を開始した。まずは論功行賞である。


 群臣は楚荘王を暗君だとすっかり侮り切っていたので、完全に裏を掻かれてしまい、不正の証拠を隠蔽する暇など全くなく、完全に追い詰められてしまった。
 あらゆる不正を犯していた悪臣たちを、数百人も一斉に誅殺した。
 そして先の伍挙と蘇従を始めとした人格・手腕に秀でた者たちを数百人も登用した。
 この快事に楚の民は大いに喜んだ。
 正しく楚荘王は「痴を仮るも癲せず」──────仮痴不癲策を見事に駆使して、国内に巣食う獅子身中の虫を炙り出し、国に有益な賢者を大勢発掘したのであった。


 ちなみに楚荘王に対して「三年鳴かず飛ばず」の謎掛けをした大夫・伍挙の子が伍奢(ごしゃ)で、その伍奢の次男が伍員(ごうん)、字が子胥(ししょ)である。
 字の方が有名なので歴史上は「伍子胥(ごししょ)」で通っている。
 この伍子胥が絡んだ逸話は、【第一一計 李代桃僵】の故事(リンク先工事中)を始めとして、何本かに分けて語る。


 以上が「鳴かず飛ばず」という故事成語の由来である。
 意味は「将来の活躍に備えて、その機会をじっと待っている様子」という意味である。
 よく「泣かず飛ばず」と表記されるが、これは誤りである。正しくは「鳴かず〜」である。
 元来はそういうポジティヴな意味の故事成語であるが、現在では意味もやや転化してしまい、「これと言って目立った仕事や活躍をしていない様子」「目立たず、人から忘れられている様子」等のネガティヴな意味で使われている。





 ♖ 『韓非子』での記述

 この楚荘王の最初の人事行賞の断行について、『韓非子(かんぴし)』の第二十一篇【喩老篇(ゆろうへん)】での記述では、以下のようになっている。


『廃止する所の者は十、起こす所の者は九、大臣を誅すること五、処士(しょし)を挙ぐること六、而(じ)して邦(くに)大いに治まる。』

【意味:廃止した案件が十件、新規に起ち上げた案件が九件、五人の大臣を誅殺し、在野の賢人を六人登用し、こうして国はよく治まった。】


 司馬遷(しばせん)の『史記(しき)』の【楚世家(そせいか)】では、以下の記述となっている。





後続  故事其之壹 ─ 辛(完結編)

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承前  故事其之壹 ─ 戊





 楚荘王は国中に布告した。


『敢えて諌むる者有らば、死し赦(ゆる)す無(な)からん。』

【意味:敢えて寡人(かじん)【※9】を諌める者は、容赦なく死罪とする。】


 その為に誰もが、楚荘王に対して何も諫言出来なくなってしまった。

 こうして即位以来、3年もの月日が流れた。太子時代は聡明である事から、その将来を嘱望されていたが、いざ即位してからと言うもの、政務を全く執る事なく、日々遊興に現(うつつ)を抜かして無為に過ごしていた。
 その為楚の国内は乱れ、佞臣・奸臣が蔓延り、不正が横行した。群臣はこの若い国君を愚者と侮り、軽んじた。




 ♔ 三年蜚ばず、鳴かず

 そんな楚荘王の治世3年目(紀元前613年)のある日の事。大夫の伍挙(ごきょ)が宮中に参内して、楚荘王の下まで訪れた。
 楚荘王は左に鄭(てい)の姫を抱き、右に越(えつ)の女を抱きながら、鐘(鉦)や太鼓を奏でさせて、酒席を楽しんでいた。
 楚荘王は酔いながら、伍挙をじろりと一睨みして、「無粋な奴め」と言わんばかりの咎めるような表情を見せた。


「何用か?そちは我が令(布告)を聞かなんだか?」


 伍挙は言った。


臣(しん)【※10】は諌めに参ったのではございませぬ。
 願わくは、大王様にある隠(いん)【※11】を申し上げとうございます。」

「ほう!?何だな?申してみよ。」


 意外な展開に興味をそそられた楚荘王は、話の続きを促した。楚荘王の承諾を得て、伍挙は謎掛けを切り出した。


『鳥有り、阜(おか)に在(あ)り。三年蜚(と)ばず(飛ばず)、鳴かず。是(こ)れ何の鳥ぞや。』

【意味:丘の上に一羽の鳥が棲んでございます。
 ところがどうした訳かこの鳥は、三年経っても一向に飛び立たず、三年経っても一向に鳴き声一つ上げませぬ。
 果たしてこの鳥は、何という鳥でございましょうや?】


 伍挙の隠(謎掛け)に楚荘王は少し考え込み、やがてその真意を悟り、微かに微笑を浮かべた。
 そして楚荘王は答えた。


『三年蜚ばず。蜚ばば、将(まさ)に天に沖(いた)らん(至らん)とす。三年鳴かず。鳴かば、将に人を驚かさんとす。』

【意味:その鳥は三年は飛ばぬが、一度(ひとたび)飛び立てば、正に天まで飛び上がろう。
 そしてその鳥は三年は鳴かぬが、一度鳴けば、正に人を驚かすであろう。】


 そう答えて楚荘王は、


「挙(伍挙)よ、退がるが良い。寡人にはそなたの言いたい事は分かっておるのだ。」


 と満足気に言い、伍挙を退出させた。


 それから数ヶ月経ったが、楚荘王の淫楽(いんがく)【※12】は止まず、益々酷くなるばかりであった。
 そこへある日の事、今度は大夫の蘇従(そしょう)が宮中に参内して、楚荘王の下まで訪れた。





後続  故事其之壹 ─ 庚

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承前  故事其之壹 ─ 丁





治世9年目(紀元前618年):
 臣下の范山(はんざん)の進言に従い、鄭を伐つ。
 公子堅【姓は姫(き)、氏は鄭(てい)、名は堅(けん)】と公子尨【姓は姫(き)、氏は鄭(てい)、名は尨(ぼう)】の鄭の二公子と楽耳(がくじ)の三将を虜にした。鄭は楚と和睦する。
 夏。陳を攻めてこれを降す。



治世10年目(紀元前617年):
 臣下の大夫・闘宜申【姓は羋(び)、氏は闘(とう)、名は宜申(ぎしん)、字は子西(しせい)】と同・子家【しか:本名不明】が楚穆王を弑殺しようと企んでいた事が発覚。
 楚穆王は両大夫を誅殺した。



治世11年目(紀元前616年):
 春。楚穆王は麇(きん)を攻めて討ち破った。



治世12年目(紀元前615年):
 夏。舒庸(じょよう)・舒鳩(じょきゅう)等の近隣諸国が楚に背いたので、楚穆王は舒(じょ)の国君【名は平(へい)】と宗(そう)の国君を捕え、引き続いて巣(そう)を攻めた。




 そうして治世13年目(紀元前614年)に楚穆王は死んだ。翌年(紀元前613年)に長男の太子侶が即位し、第23代国君・楚荘王となった。





 ♞ 謀反

 だが楚荘王が即位した初年から一波乱起こった。
 楚荘王の太傅(たいふ)【※3】となった公子燮【姓は羋(び)、氏は熊(ゆう)、名は燮(しょう)】が、大夫の闘克(とうこく)と語らって謀反を起こしたのである。


 公子燮は楚の最高位である令尹(れいいん)【※4】の地位を望んだが、無念にも得られなかった。公子燮はその事を恨んだのである。
 楚荘王の即位したこの年(紀元前613年)に、太師(たいし)【※5】の潘崇(はんすう)と令尹の成嘉(せいか)が外征に従事する事となり、公子燮と闘克は国内の留守を預かる事となった。
 ちなみに潘崇は【第一三計 打草驚蛇】の故事でも語った通り、先代・楚穆王の太子時代からの傅(守り役)であり、楚穆王の即位実現の最大の功労者でもあった。
 潘崇と成嘉の二人が出征の為に国外に出払っていた隙を狙って、公子燮と闘克は潘崇と成嘉に罪を着せて、二人の家財を横領した。
 そして国都・郢(えい)【※6】に堅固な城壁を築き、刺客を放って成嘉を亡き者にしようとしたが失敗した。


 そこで公子燮と闘克の二人は楚荘王を人質に取って郢を脱出し、商密(しょうみつ)【※7】へ逃れてそこを拠点としようとした。
 しかし途中の廬(ろ)【※8】という邑に立ち寄った時の事、そこを預かる大夫の戢黎(しゅうれい)と叔麇(しゅくきん)の二人が一計を案じた。
 戢黎と叔麇は策略を仕掛けて、公子燮と闘克を油断させ謀殺した。これにより楚荘王は身柄を解放されて助かったのであった。





 ♟ 遊蕩に耽る王

 この謀反の一件以来、楚荘王は一切政務を執る事なく、日夜遊蕩三昧の享楽に耽るようになった。





後続  故事其之壹 ─ 己

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承前  故事其之壹 ─ 丙





21−≪32≫中(ちゅう)[楚簡王(そのかんおう)]⇒⇒⇒22



22−≪33≫当(とう)[楚声王(そのせいおう)]⇒⇒⇒23



23−≪34≫疑(ぎ)[楚悼王(そのとうおう)]⇒⇒⇒24



24−≪35≫臧(ぞう)[楚粛王(そのしゅくおう)]
24−≪36≫良夫(りょうふ)[楚宣王(そのせんおう)]⇒⇒⇒25



25−≪37≫商(しょう)[楚威王(そのいおう)]⇒⇒⇒26



26−≪38≫槐(かい)[楚懐王(そのかいおう)]⇒⇒⇒27



27−≪39≫横(おう)[楚頃襄王(そのけいじょうおう)]⇒⇒⇒28



28−≪40≫元(げん)[楚考烈王(そのこうれつおう)]⇒⇒⇒29



29−≪41≫悍(かん)[楚幽王(そのゆうおう)]
29−≪42≫猶(ゆう)[楚哀王(そのあいおう)]
29−≪43≫負芻(ふすう)[楚王負芻(そおうふすう)]




 第43代国君・楚王負芻の治世5年目の紀元前223年に、楚は秦王政【しんおうせい:姓は嬴(えい)、氏は秦(しん)、名は政(せい)】によって滅ぼされる。
 熊繹の建国以来、凡そ800年前後の長さであった。楚王負芻を最後として、43代約800年続いた楚は秦王政(後の始皇帝)によって滅ぼされた。





 ♝ 楚荘王の治世に先立って

 上記内の第23代国君・楚荘王こそが、本故事の主人公である。
 楚荘王の祖父の第21代国君・楚成王と、楚荘王の父親の第22代国君・楚穆王の二人は、実の親子でありながら骨肉の争いを展開した。
 公子商臣(楚穆王)が謀反を起こして、父である楚成王を弑殺して、楚の君位を簒奪した事件が起こった。紀元前626年の事である。
 その経緯は【第一三計 打草驚蛇】の故事 で語った。
 そんな楚穆王の長男が太子侶、すなわち楚荘王である。


 楚穆王は残忍で酷薄な暴君であり、軍事に秀でていた。
 即位後に周辺諸国を次々滅ぼしては併呑して行き、楚の領土を拡大して行った。
 容赦のない略奪を行ったので、天下中は楚穆王を大いに恐れた。
 以降は第22代国君・楚穆王の、13年間にも及ぶ治世中の主な実績である。




治世3年目(紀元前624年):
 春。沈(しん)が楚に服従した事で、晋・魯・宋・衛・陳・鄭の六ヵ国は、会合して沈を攻めた。これにより沈は潰滅した。



治世4年目(紀元前623年):
 秋。楚穆王は江(こう)を攻め滅ぼした。



治世5年目(紀元前622年):
 秋。六(りく)が楚から離反して東夷(とうい)に奔ったので、六を滅ぼした。
 冬。蓼(りょう)を攻め滅ぼした。





後続  故事其之壹 ─ 戊

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