真実を追究するXX

韓国の嫌がらせに飽き飽きしました

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いま、朝鮮半島は、北と南に分断されていますが、実は大東亜戦争が終結した直後、昭和20(1945)年9月6日に、統一朝鮮(北と南の両方がひとつの国になった朝鮮)が樹立されていたのです。
国名を、「朝鮮人民共和国」といいます。
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戦前の朝鮮は、日本に併合されていましたから、南北の切り分けなんてなかったのです。
そこには朝鮮総督府があり、その総督府の機能が、そのまま朝鮮建国に結びつく筈だった。
だから朝鮮総督府には、呂運亨(ヨ・ウニョン)という立派な人がいて、朝鮮建国準備委員会を設立し、半島統一国家の建設を企図し、実際に「朝鮮人民共和国」が建国宣言まで行ったのです。
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ところがそのまま統一朝鮮が樹立されればよかったのですが、樹立宣言の翌日に上陸して来た米占領軍は、半島に勝手に軍政をひいてしまいます。
そして呂運亨率いる「朝鮮人民共和国」も「朝鮮建国準備委員会」も否認してしまったのです。
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実はこの否認にはこれにはもうひとつの理由があります。
それが、後に韓国の初代大統領となる李承晩(イ・スンマン)です。
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李承晩は明治8(1875)年生まれの朝鮮の独立運動家です。
生家は、李氏朝鮮の初代王である太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の末裔とされていますから、要するに両班(りゃんばん、朝鮮の貴族)の家にあたります。
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李氏朝鮮の時代というのは、人口でいったらほんの一握りしかいない朝鮮貴族の両班が、民衆に対して絶対的権勢を振るった時代ですから、彼らにしてみれば日本によって民衆に力を与えられるのは憎くて仕方がない。
日韓併合によって朝鮮半島が日本統治になると、李承晩は上海に渡り、そこで「大韓民国臨時政府」を樹立して、勝手に初代大統領を名乗っています。
これが大正8(1919)年のことです。
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さすがにことのときは、日本も怒り、憲兵隊が李承晩を逮捕した。
日本はアジアの独立、アジアの欧米による植民地支配からの脱却、そして人種平等を目指して戦っていたのです。
人種の平等というのは、人間の平等の精神でもあります。
どんな人でも、努力をすれば、相応の地位も名誉も与えられる。
単に権威の上にあぐらをかくような存在は、否定される精神でもあります。
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これに対し、李承晩が抱いていた思想は、あくまで朝鮮半島は両班のものであるという思想です。
朝鮮半島の人も富も、すべては朝鮮人の両班のものでなければならない。
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これは、日本の大東亜共栄の思想とは全く異なるものです。
日本の憲兵は、李承晩に対し、理を諭し、情をもって接するのだけれど、李承晩は火病を起こして翻意しない。
あまりのことに腹を立てた憲兵が、その李承晩に平手打ちをしたのだそうです。
このたった一回の平手打ちが、実はその後の韓国と日本の関係を決定づけた。
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李承晩は、実は太宗の長男の系譜とはいっても、16代目にすぎません。
家は簡単に言ったら、没落貴族でしかない。
けれど彼にとっての誇りというのは、自分が両班である、というその一点に集約されている。
だから、人から平手打ちなんてもらったことのない李承晩は、生涯にわたって、その平手打ちを逆恨みし続けたのです。
当時は、日本人の間では、平手打ちなんてのはあたりまえの習慣です。
平手で相手のホッペタを、ピシャリと叩くのだけれど、平手打ちというのは、打たれた側は痛みはあっても怪我はしません。そして打った側も、手のひらが痛い。
打つ側の手の平の痛みは、打つ人の心の痛みでもあります。
その心を素直に感じることで、打たれた側も反省をする。
日本ではあたりまえの、そうした習慣が、朝鮮人の李承晩にはまったく通じなかったどころか、彼は生涯それを個人的怨恨として逆恨みし続けたのです。
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李承晩は、憲兵から釈放されたあと、渡米し、そこで米国大統領ならびにパリ講和会議の米国代表団に宛てて、「朝鮮半島を国際連盟の委任統治領にしてもらいたい」という請願書を提出しています。
もし、朝鮮半島が現実に「委任統治領」になっていたら、おそらく今の韓国の発展はないことは、火を見るよりもあきらかなことと思います。
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さて、終戦直後の状況に話を戻します。
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一方、38度線の北側には、この頃すでにソ連が進駐をはじめていました。
こいつらが悪い奴らで、この連中にずいぶん日本人婦女が強姦され殺されたのだけれど、彼らはそれだけではなく、10月までに「各地で自発的に生まれた」という名目の「人民委員会」を組織し、これらを管理下に置いて、朝鮮北部を占領した。
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このことには、すこし説明が必要です。
ソ連兵には、もちろん朝鮮語はわかりません。
ですからソ連が朝鮮人たちを支配するに際しては、朝鮮語を話す者たちを、ソ連兵の手足として使う必要があった。
その手足となったのが朝鮮人の共産主義者たちで、ソ連は彼らに旧日本軍から押収した銃器と金を与え、自分たちが強姦したあとの日本人女性と食い物とを与えた。
飯が食えて、金がもらえて、いままで支配者側だった高貴な日本人女性を欲しいままに強姦できて、金持ち日本人の財物も奪える。
そういうことを喜ぶ馬鹿者どもが、喜んで「人民委員会」のメンバーになったのです。
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歴史は複雑に絡みます。
同じ頃、シナでは、蒋介石率いる国民党の敗退が始まっていました。
なぜいきなり敗退しはじめたかといえば、米英が、蒋介石率いる国民党への支援を打ち切ったからです。
米英は、それまで蒋介石率いる国民党に、日本と戦わせるための豊富な軍事物資や食糧、金銭などの支援を行ってきたのだけど、日本との戦争が終戦となったので、彼らはもう「用済み」になったのです。
薄情なものです。
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蒋介石の国民党は軍閥です。米英の軍事的経済的支援があったから人を集め得たのです。
支援物資の補給を断たれたら、もはや存続は困難です。
そこへソ連から旧日本軍の装備を無償で譲り受けた毛沢東率いる八路軍(中国共産党)が襲いかかった。
勝敗はおのずと明らかです。補給を断たれた国民党はシナ各地で八路軍に追われ、シナは赤化が目前となっていったのです。
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ソ連は、毛沢東率いる八路軍に豊富な武器や食料を与えたやり方と同じ方法で、朝鮮半島を我が物にしようとしました。
ここで使われたのが金日成(キム・イルソン)です。
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そして朝鮮半島の米国進駐軍による半島の国家基盤が定まらないうちに、金日成は、朝鮮北部にはいって昭21(1946)年2月8日、「朝鮮臨時人民委員会」を設立したのです。
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朝鮮半島に、統一朝鮮国として成立した呂運亨(ヨ・ウニョン)率いる「朝鮮人民共和国」が、わずか5日で崩壊した背景にも、李承晩がいます。
彼は、米国内でロビー活動を展開し、新たに設立された「朝鮮人民共和国」には、ソ連に煽動された共産主義者たちが混入している。だからそういった者たちと一緒に統一朝鮮を作ることには疑問があると主張したのです。
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そして李承晩は、金日成率いる共産主義者たちを駆逐したあとに、米国進駐軍の力で統一朝鮮を建国すれば良いとした。
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ところがソ連は、そんな抵抗があるのは百も承知です。
また金日成にしても、せっかく朝鮮半島北部を武力制圧したのに、そこから追い出されたのでは元も子もない。
とりわけ朝鮮半島の北側には、日本が建設した工業地帯がありました。
朝鮮半島の富のほとんどを北側が握っていた。そこを金日成は押さえたのです。
富があり、武力があり、ソ連の完全なバックアップ体制もある。
そんな北朝鮮を、金日成が手放すわけがない。
そして、李承晩に引きずられた米国が、半島内の共産党員に手こずっている間に、金日成は、さっさと「朝鮮臨時人民委員会」を設立してしまったのです。
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そもそも戦前の朝鮮は、日本に併合されていましたから、南北の切り分けなんてなかったのです。
そこには朝鮮総督府があり、その総督府の機能が、そのまま朝鮮建国に結びつく筈だった。
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半島北部での共産国家設立の動きに対し、米国に亡命していた李承晩は、朝鮮半島での反共産勢力による早期国家設立を米国に迫ります。
そして北朝鮮に遅れること16ヶ月、李承晩をリーダーとする「南朝鮮過渡政府」が、昭和22(1947)年6月に誕生しました。
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米国は、共産主義者と民主主義者が対立を深める朝鮮半島について、同年11月、国際連合に半島統治問題を提起します。
北の金日成は、この動きに危機感をつのらせた。
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金日成は、翌昭和23(1948)年2月8日に「朝鮮人民軍」を創設します。
そして同月26日に、北緯38度線以北に「朝鮮民主人民共和国」の成立を一方的に宣言した。
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せっかく国連に話し合いを提案したのに、米国は、これを激しく非難します。
けれど非難されて黙っている金日成ではありません。
彼はこれに対抗して実力行使に出たのです。
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なんと彼は、南半部への送電を全面的に停止する。
当時南半部の電力は、日本によって建設された北部のダムによる発電に頼りきっていたのです。
同時に半島南端にある済州島にいた南朝鮮労働党の共産ゲリラが、これに呼応して武装蜂起した。
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李承晩は、すぐさま暴動の鎮圧に乗り出します。
済州島の共産ゲリラは、武器を持っていなかったのです。
そこへ李承晩は軍を派遣し、済州島民8万人を虐殺してしまいます。
これを、昭和23(1948)年の済州島四・三事件といいます。
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実力行使によって暴動を陳圧した李承晩は、同年8月15日、「大韓民国」の成立を宣言します。
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金日成はこれに対抗して翌月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」建国を宣言した。
これにより、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となったのです。
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昭和25(1950)年1月12日、米国トルーマン政権下のディーン・アチソン国務長官が、次のように発言します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
米国が責任をもつ防衛ラインは、
フィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島までである。
それ以外の地域は責任をもたない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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この発言の意図は、ひとつには、あくまで米国の国防政策において太平洋の制海権は絶対に渡さないというもの、もうひとつ意味は、李承晩を抑え込む意図だといわれています。
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李承晩は、上海で統一韓国臨時政府樹立を行い、日本の憲兵隊に逮捕されて平手打ちを食わせられたときから、日本に対して個人的な怨恨を持っています。
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そしてかねてより、日本に対して竹島領有宣言など、報復的、敵対的発言を重ねていたのです。
そして李承晩は、あくまで朝鮮半島の統一とそのための戦争を頑強に主張していたのです。
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もう戦争は終わったのです。
いまさら誰も戦争などやりたくない。
米国内の世論だって、もう戦争にはあきあきです。
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だから米国政府は、李承晩にいい加減、手を焼いていた。
そして米国は、韓国の軍事力の大半を米国で請け負うことで、韓国軍が単独で重装備して北朝鮮に攻め込むことを防ごうとしていたのです。
韓国に僅かな兵力しか与えないことで、とにかく李承晩の暴発と半島内での紛争を防ごうとしたのです。
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一方、このことは、北の金日成にとっては、南朝鮮の李承晩による北侵攻の危機を抑え込む好機を意味します。
いまなら半島全体を北のものにできると判断した金日成は、昭和25(1950)年3月、ソ連を訪問し、スターリンに李承晩との開戦許可を求めます。
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スターリンは、毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認する。
同時にソ連軍事顧問団に、南侵計画である「先制打撃計画」の立案を命じます。
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スターリンの考えは、金日成の南進によって朝鮮人同士で戦わせ、万一、金日成がしくじることがあっても、ソ連は直接には手を下さず、毛沢東に後ろ盾をさせようというものです。
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同年5月、金日成は支那に毛沢東を訪ねます。
そして「北朝鮮による南半部への侵攻に際し、中華人民共和国がこれを援助する」という約束を取り付けた。
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こうして始まったのが、朝鮮戦争です。
昭和25(1950)年6月25日午前4時、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始された。
宣戦布告なんてありません。
いきなり侵攻がはじまった。
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開戦の30分後、11万人の大軍からなる北朝鮮軍が、38度線を越境します。
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ちなみに北朝鮮は、現在に至るまでこの開戦を「韓国側が先制攻撃してきた」と主張しています。
けれどこの主張は、ソ連崩壊後のロシア政府でさえ、公式に否定している。
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前線の韓国軍は、一部の部隊が独断で警戒態勢をとっていただけです。
どういうことかというと、韓国軍兵士の多くは、6月の田植えのために、ほとんどが田舎に帰っていたのです。
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しかもソウルでは、前日に陸軍庁舎落成式の宴席があり、軍幹部が二日酔いで登庁すらしていなかった。
李承晩大統領への「北来襲」という報告すら、奇襲後6時間経過してから、やっと韓国政府に届いたという始末です。
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手薄な前線の韓国軍には、対戦車装備すらありません。
そこに北朝鮮軍は、ソ連から貸与されたT-34戦車の大部隊を中核に、次々押し寄せる。
各所で韓国軍は総崩れとなります。
そして潰走した。
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朝鮮戦争の攻防
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金日成率いる北朝鮮は、初戦の猛攻で大勝利します。
気を良くした金日成は、一気呵成に李承晩を半島から追い落として、5回目の光復節はソウルで行うとまで宣言した。
北朝鮮軍の士気はおおいに盛り上がります。
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開戦3日目の6月28日には、韓国の首都ソウルが陥落した。
住民に多くの犠牲を出しながら、韓国政府は、首都をソウル南方の水原に移した。
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このときに有名な事件があります。
ソウル陥落の際、李承晩は漢江にかかる橋を爆破したのです。
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漢江にかかる橋を爆破すれば、北朝鮮のソ連製戦車部隊の侵攻を遅らせることができる。
それだけ南朝鮮政府は、逃げおおせることができる。
だから爆破したのだけれど、この爆破時、漢江の北側のソウルの街には、まだ多数の韓国軍兵士や一般市民が取り残されていたのです。
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孤立した韓国軍兵士とソウル市民は、北朝鮮軍によって随所で虐殺された。
このとき、どのようなことが行われたかは、歴史の記録に残っていません。
ただひとついえるのは、圧倒的火力でソウルの街を征服した北朝鮮の兵士たちは、およそ人間ができる最悪の鬼畜非道を行った、だからこそ記録すらされていないということは、容易に推定できることではないかと思います。
すくなくとも、北の兵士たちが、戦時捕虜となった韓国兵士や、婦女子を含む一般市民を手厚く保護したという記録は、まったくありません。
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さて、水原に落ちのびた韓国政府と韓国軍です。
彼らが落ちのびたとき、軍は敗軍そのものだったといいます。
士気も下がり、全滅が現実のものと感じられる状況となっていた。
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そこにマッカーサーが、東京からやってきたという記録が残っています。
水原は、敗走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。
マッカーサーは米軍の派兵を韓国軍に約したけれど、その日のうちに東京に帰ってしまっています。
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東京に帰ったマッカーサーは、米国政府に在日米軍2個師団を投入するように進言しました。
しかし戦争の再発をおそれたトルーマン大統領は、米軍参戦を許可しない。
それでも食い下がるマッカーサーに、トルーマンは、ようやく1個師団だけの派兵を許可します。
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大統領の許可を得たマッカーサーは、日本に駐留していた第24師団の第21連隊第1大隊を基幹とする師団を水原市に派遣します。
部隊は水原南方の烏山の高地に陣取って北朝鮮軍を待ち受けた。
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対する北朝鮮第4師団は、ソ連製T-34-85戦車やSU-76M自走砲などの車輌を先頭に烏山に迫ります。
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このとき派遣された米第24師団は、大東亜戦争での経験を持たない、新たな徴用兵たちです。
旧日本軍との戦闘経験を持つ精鋭は、戦いに疲れ、すでに本国に帰還していたからです。
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北朝鮮軍を視認した米軍は、バズーカなどで攻撃を加えます。
しかし相手は、ソ連の誇る新鋭T-34/85戦車です。
バズーカ砲ごとできは、まったく歯が立たない。
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北朝鮮軍の戦車と歩兵は各所で戦線を突破し、米軍は総崩れとなって大敗してしまう。
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マッカーサーは、米精鋭部隊の派遣を要請するけれど、戦争に倦んだ米国世論は、これを許しません。
トルーマン大統領は、できたばかりの国連安保理に諮り、第二次大戦戦勝国諸国での多国籍軍を編成し、これを朝鮮半島に送り込みます。
けれど、明確な指揮命令系統のない、混成の国連軍は、各所で敗退してしまう。
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李承晩は、水原も捨て、南へ南へと、逃げました。
このとき敗走する李承晩は、自国を守れず潰走しながら、武器を持たない一般市民を、韓国保導連盟員や共産党関係者だと決めつけ、一方的に20万人以上の韓国国民を虐殺しています。
武器を持った北朝鮮軍の前では、味方を見捨ててでもひたすら逃げ隠れした李承晩は、武器を持たない自国民に対しては、平気で虐殺の限りを尽くしたのです。
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一方北朝鮮は、忠北清州や全羅北道金堤で、大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などと難癖をつけて大量に虐殺しました。
北の金日成、南の李承晩は、互いに武器を持たない一般市民を虐殺しあっていたのです。
そしてこの虐殺から逃れてボートピープルとなった朝鮮人たちが、大挙して日本に逃げてきて、いまの在日朝鮮人問題をひき起しています。
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さて、朝鮮戦争の話を続けます。
李承晩は、ついに朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められてしまいました。
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釜山というのは、韓国の最も日本寄りの港町です。
いまでも日本から韓国への観光船の定期便は、福岡ー釜山間を運行している。
つまり、日本に一番近い韓国の都市が釜山、というわけです。
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李承晩ひきいる韓国政府と韓国軍は、ついにそこまで追いつめられたのです。
釜山は、この時点で韓国にとっての最後の砦、韓国軍は釜山を取り巻くように防御線をひきます。
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このとき、米軍を主力とする国連軍はすこしずつ増援されていました。
けれど国連の多国籍軍は動かない。
兵力の逐次投入という愚をさけるためと称して、彼らは兵力を釜山にとどめたまま、戦いに参戦しなかったのです。
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タテマエは「戦略的に時間をかせぎつつ大兵力がたまるのを待つ」というのです。
けれど本音は、韓国軍が連戦連敗しているのに、なんで自分たちが命がけで北朝鮮と戦わなければならないのか、というものです。
このことは、私たち日本人も、よく肝に銘じておく必要があります。
日米安保だ、国連だと言っても、天は自ら助ける者を扶けるのです。
自分たちで戦おうとしないような弱虫に、誰が変わりに命がけで戦うものか、ということです。
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朝鮮戦争で、韓国軍が釜山という南の果てまで追いつめられたのには、もうひとつの理由があります。
実は、韓国軍の兵士というのは、その多くが日本統治時代に、日本軍に在籍していた者たちだったのです。
けれど個人的怨恨から日本が嫌いな李承晩は、日本軍によって薫陶を受けた元日本軍士官だった朝鮮人や、元日本軍兵士だった兵士たちを嫌い、軍の主要な任務に就けなかっただけでなく、元日本軍兵士だった朝鮮人だけでの部隊の編制を厳禁していたのです。
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どんなに訓練を受けた強い兵士や士官でも、上に立つ者がアホなら、戦果はあげられません。
なぜなら軍は上官の命令によって動くものだからです。
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そして韓国軍は、ついに釜山まで追いつめられた。
このとき、韓国軍に金錫源(キム・ソクウォン)という人物が現われます。
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彼は、漢城出身のコリアンです。
日本の陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、満州事変やシナ事変で一個大隊を率いて中国軍を殲滅し、朝鮮人としては初、また生存している佐官クラスでは、異例の功三級金鵄勲章を天皇陛下から授与された経歴を持つ人物です。
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金錫源は、軍事対策会議に出席すると、国連軍の総司令官がマッカーサーであることを哄笑します。
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「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。
よろしい。
日本軍が味方にまわればどれほどたのもしいか、
存分にみせつけてやりましょう。」
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彼はそういって軍刀の柄をたたいた。
李承晩にしても、釜山が陥落すれば、もはや朝鮮半島は完全に北朝鮮に支配され、己の命もなくなることは、この時点で十分承知しています。
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そしてこの段階に至って、はじめて李承晩は、金錫源の言を入れ、元日本軍兵士たちだけでの師団を編成することを認めます。
金錫源は、元日本兵だけを集め、1個師団を編成する。
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軍事経験に乏しく、十分な訓練を受けていない日本軍での訓練経験のない韓国人士官たちは、敵が来ると、我先に逃げてしまうのです。
軍は指揮官によって動く。
指揮官が敵が見えただけで逃げ出す軍では、どうにもならなかったのです。
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それが釜山まで追いつめられた時、やっと念願の元日本軍士官に率いられた、元日本軍兵士たちによる部隊ができたのです。
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金錫源は、一個師団を編成すると、全員の前で薫陶を行います。
このとき、演台の変わりに、近くにあった大きな壷に乗って、兵士たちに薫陶した。
金錫源将軍は、兵士たちに必勝の檄を飛ばしたのだけれど、そのとき力一杯足を踏み鳴らしたために、その壷のフタが割れ、足が壷に入ってしまった。
なんとその壷は、糞壷だったそうです。
平時であれば笑ってしまいそうな話ですが、そのときの金錫源将軍の迫力は、ものすごく、兵士たちはひとりとして笑うものなどいず、全員が必勝の意欲に燃えたといいます。
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そして師団は、8月15日深夜、粛々と釜山東部の守備に向かう。
その途中、金錫源将軍は、師団の一部の兵士を夜陰にまぎれてどこかへ逃がします。
なぜ逃がしたのか、この時点では誰も知りません。
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師団の移動の様子は、北朝鮮側から丸見えです。
なんのことはない。裸同然で、銃器程度の武器しかない一個師団です。
ソ連製戦車の前では、赤子同然の兵力でしなかい。
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金錫源将軍の師団が釜山東部で配置に付いた時、北朝鮮軍は、戦車を先頭にした大軍で、これを包囲します。
集中放火によって、完全に金錫源将軍の師団を殲滅する作戦です。
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この包囲によって、金錫源の師団は完全に孤立してしまう。
そして双方の戦いが始まった。
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金錫源は、飛び交う銃弾の中で、日本刀を振りかざして陣頭に立ちます。
そして敵軍を睥睨し、撃て〜!と叫ぶ。
その姿は、これこそがほんとうの軍人の姿だ、と兵の士気を著しく高めたといいます。
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金錫源たちが奮戦している間、米軍は動きません。
多国籍軍も、釜山にあってひたすら沈黙を守っています。
つまり、金錫源率いる師団に援軍はないのです。
「孤軍」の状態で、金錫源たち旧日本兵師団は戦い続けた。
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金錫源は、頃あいをみて、兵力を敵右翼に集中すると、北朝鮮軍に一斉砲撃をしかけます。
そして、にわかに突撃を命じます。
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相手は命知らずの旧日本軍韓国兵です。
北朝鮮軍はあわてて後退した。
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敵殲滅の好機到来です。
金錫源の士気はいやがおうにもあがった。
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ところがこのとき、なぜか金錫源は、全軍に退却を命じます。
深夜です。
日付はすでに16日になっている。
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北朝鮮軍は、韓国軍が退却し始めたのを見ると、反撃に転じ、金錫源軍をいっきに殲滅させようと迫ってきます。
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金錫源将軍の師団は、岬を回って潰走します。
とにかく逃げる、逃げる。
北朝鮮側は、まさに好機到来と、金錫源将軍の師団を追います。
全軍一丸となっての猛烈な追撃です。
北の戦車部隊も、一気に追い、責め立てる。
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そして北の戦車隊が岬を回り込んだときです。
そこにこつ然と、米軍の大艦隊が出現したのです。
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ソ連製の戦車は、装甲が厚く、銃や迫撃砲、バズーカ砲などではまるで歯がたちません。
けれど戦艦から繰り出される対戦艦用の大型砲門相手ではどうでしょう。
戦車の巨体よりもさらに大きい、米艦隊の砲弾が、雨あられと北の戦車部隊に降り注いだのです。
これには北の自慢の戦車部隊も一網打尽です。
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実は、前夜、金錫源将軍の師団が移動中、一部の兵士に命じ、作戦の詳細を米艦隊に連絡させてあったのです。
師団がおとりになり、北朝鮮軍が進路を東に転じて海岸線にでたところに、米艦艇から一斉に艦砲射撃をあびせるようにと、です。
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それまでの弱腰だった韓国軍に、最初は半信半疑だった米海軍も、金錫源将軍が元日本陸軍の左官であり、勲章ももらっている人物であると聞き、それならもしや、と艦隊を待機させてくれていたのです。
要するに日本の信用で、米艦隊が動いた。
.
天地がくつがえるかと思われるような轟音がひびき、無数の砲弾が北朝鮮軍第五師団のうえに降りそそぎます。米国誇る太平洋艦隊の主砲です。T型戦車などひとたまりもない。
.
それを待っていた金錫源の第三師団は隊列を変化させ、北朝鮮軍を包囲して砲撃を開始します。艦砲、迫撃砲、榴弾砲などあらゆる種類の砲弾が火を噴いた。
北朝鮮の戦車は粉砕され、兵は空中に飛ばされ、隊列を乱して逃げる北朝鮮兵士は、金錫源将軍の師団の銃撃の恰好の餌食となった。
.
追って来た北朝鮮軍は、一瞬で壊滅し、兵士たちがバラバラになって敗走をはじめます。
.
ところがその潰走ルートには、金錫源が、やはりこれも前夜のうちに金錫源将軍があらかじめ忍ばせた伏兵が待ち受けます。
伏兵たちは、潰走する北朝鮮兵に猛射をあびせた。
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「草木皆ナ兵ト化ス」
.
恐慌状態におちいった北朝鮮軍は、軍隊組織として統制のとれた行動をすることが不可能となってしまいます。
北朝鮮軍は予想外の損害をうけ、いったん盈徳を放棄して西北にさがり再編を余儀なくされてしまいます。
それだけでなく、友軍との連携すらとれなくなり、各部隊の孤立化がはじまった。
.
8月22日、金錫源たちが戦った釜山の反対側の西側では、遊鶴山のふもとを守っていた韓国軍一個大隊が、北朝鮮軍の攻撃に耐えかねて後退を開始ます。ここにも元日本兵が数多くいた。
.
このままでは米軍第27連隊の側面が敵にさらされてしまいます。
韓国も、米軍も、戦線の崩壊はまぬかれません。
.
そこに、白善(ペク・ソンヨプ)師団長が駆けつけます。
そして散らばっていた元日本兵だけを集合させて座らせた。
.
白善も日本軍の出身です。
昭和14(1939)年平壌師範学校を卒業したのち、奉天の満州軍官学校に入学、昭和16(1941)年に卒業して満州国軍に任官し、昭和18(1943)年には間島特設隊に配属され戦った経歴を持ちます。
.
実はこの日、白善師団長はマラリアを患って高熱を発し、病院にいたのです。
けれど釜山西側の危機を知った白師団長は、集まった西側守備隊の兵士たちに
「二日間,補給もないのによくがんばってくれた。感謝の言葉もない」
とねぎらいの言葉をかけると、
.
「ここが破れればわれわれには死が待っている。それに見ろ。アメリカ人もわれわれを信じて戦いに来ている。かれらを見捨てることができるか」と静かに語った。
.
そして突然立ち上がると、大声で兵士たちに言った。
.
「ただいまより、あの四八八高地を奪回する!
 ワレに続け!
 もし俺が臆病風にふかれたら後ろから撃て!」
.
そうさけぶと、銃をとり、先頭にたって突撃を敢行したのです。
兵たちは驚きます。
いきなり前線に、マラリアで入院中の師団長が現れたかと思ったら、鬼気がのりうつったかのように咆え、駆けだしたのです。
.
「師団長に続け〜〜!」
.
鬼人と化した元日本軍の韓国兵は、わずか一時間で四八八高地を奪還してしまいます。
そしてそこから谷底の北朝鮮軍にむかって猛烈な砲火をあびせた。
そしてここでも北朝鮮軍は完全に潰走してしまいます。
.
前線の北朝鮮軍が無力化されたことで、米軍はその退路を断つ作戦を発動します。
そして仁川に上陸すると、南進していた北朝鮮軍の補給路を完全に断ち、9月28日には、ソウル奪回を果たした。
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勢いを得た米韓多国籍軍による南軍は、反攻に転じ、10月1日にはそのまま38度線を突破、10月20日には、北朝鮮の臨時首都の平壌までも制圧します。
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北朝鮮が完全に壊滅とみられたとき、中国共産党義援兵が北朝鮮に味方して参戦します。
100万人以上の大兵力です。
米韓多国籍軍は、シナの人海戦術に、平壌を放棄し38度線近くまで潰走した。
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しかしシナの大軍の装備は、ソ連から補給された日本軍の残存兵器です。
それ以上の装備はない。旧式兵器に頼るシナの援軍は、度重なる戦闘ですぐさま消耗し攻撃が鈍ってしまいます。
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米韓多国籍軍は、ようやく態勢を立て直して反撃を開始し、翌年3月14日にソウルを再奪回。
しかし、戦況は38度線付近で膠着状態となった。
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そして最終的に38度線を休戦ラインとして、現在にいたっています。
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以上が朝鮮戦争の概略です。
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こうした史実をみるとき、いつも思うのは、戦いにおける「勢い」と「転機」ということです。
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北朝鮮の南進により、もはや対馬海峡に追い落とされるのも時間の問題にまでなった韓国軍を、その窮地から救ったのは、旧日本軍に所属し、数々の武功を立てた元日本兵でした。
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上に登場した金錫源将軍は、朝鮮動乱で韓国軍が雪崩を打って敗走を重ねた時、軍刀(日本刀)を振りかざし、
「攻勢こそは最大の防御」
「死をもって戦うときにのみ勝機は訪れる」と部下を叱咤激励したといいます。
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韓国軍が釜山で辛うじて全軍の崩壊を免れ踏みとどまったのは、かつての大東亜戦争の英雄が「ここにあり」と奮戦する姿に鼓舞されたからだともいいます。
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金将軍は多くの将校が近代戦には邪魔になるといって軍刀をはずす中にあって「日本刀は武人の魂である」と、ひとり軍刀(日本刀)を手放さない人でもあった。
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昭和55年、金錫源将軍は、靖国神社に参拝しています。
靖国には、フィリピンのルソン島各地を中隊長として転戦し、アレプンヨ高地で壮烈な戦死を遂げた彼の次男、金泳秀が祀られている。
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金錫源将軍は、参拝後、一緒に参拝した元日本陸軍の兵士たちにこう語ったといいます。
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「自分の息子は戦死した。
それは軍人として本望である。
本人も満足しているであろう。」
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息子を犠牲者として日本を恨むような卑怯な姿は、金錫源将軍には、微塵もなかったのです。
逆に、並いる旧日本軍将兵らが、金錫源将軍に「軍人精神の神髄」を見たと感嘆した。
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ご存知の通り、朝鮮半島は北と南に、いまも分断されています。
日本統治時代までは、朝鮮半島はひとつだったのです。
それがいまでは、親戚であっても行き来ができない。厚い鉄のカーテンによって北と南は38度線によって分断されているからです。
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大東亜戦争が終わったとき、統一朝鮮がちゃんとできていたのです。
それを潰したのが、米国でロビー活動をしていた李承晩でした。
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そしてその李承晩が、シノゴノ言っている間に、ソ連は北の金日成に力を与え、半島北部を共産党によって占領させた。
慌てて李承晩は南に政府を作るのだけれど、これを危惧した金日成は38度線を超えて、南に攻め込んだわけです。
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そのとき李承晩は、味方さえも見捨てて逃げ出した。
逃げ出しただけでなく、あたりにいる韓国市民が、みんな共産ゲリラに見えた李承晩は、行く先々で同国人を片端から虐殺しています。
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自国民を殺しながら逃げる李承晩、追う北朝鮮軍。
南朝鮮も、ちゃんと戦えば、もしかしたら早期に北を駆逐できたかもしれない。
それを阻害したのは、やはり李承晩です。
日本嫌いな彼は、元日本軍関係者だというだけで、疑いを持ち、元日本軍士官だった者たちを重用せず、指揮はいつの時点でも、日本軍と関係なかった者だけを用いた。
その結果は、常に南朝鮮の完敗です。
それだけでなく、米軍にも多大な損害を与えてしまっている。
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そしてついに韓国最南端の釜山まで追いつめられたとき、李承晩はやっと元日本軍士官と、元日本軍兵士に軍の指揮を委ねた。
その結果、なんと最南端の釜山まで追いつめられていた南朝鮮は、逆に北のはずれの平壌まで、北を追いつめることになったのです。
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毛沢東率いる百万の支那人民解放軍の参戦を得た北は、戦線を38度線までようやく盛り返したけれど、そこで停戦に応じたのは、韓国にいた元日本軍兵士たちがあまりに強かったからに他なりません。
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けれど、大韓民国を建国し、初代大統領に就任した李承晩は、それでも日本が嫌いで、日本との国境線を勝手に定めた(李承晩ライン)りもしています。
そして韓国建国の理念は、なんと「日本によって奪われた朝鮮半島を、朝鮮民族の手に取り戻した」というものとなっている。
つまり、日本=悪であり、自分たちは両班が取り仕切っていた平和で豊かな朝鮮半島を取り返した英雄であるという仮説に立った国つくりをしました。
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なるほど李氏朝鮮の時代、朝鮮貴族の両班たちにとっては、まさに半島は天国だったかもしれません。
なにせ一般国民には私有財産すら認めず、女性には名も与えず、両方の乳をすぐに露出させれる服を着ることを強制し、女は犯し放題、財産やカネも奪い放題の特権階級を作っていたのですから。
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けれど両班にとって天国だったという朝鮮半島は、他の99%以上の国民にとっては、地獄そのものの国でしかなかった。
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李承晩は、朝鮮戦争で敗退を続けるときに、同国人を何十万人と殺しています。
そういう、手前勝手なご都合主義の人物が、韓国建国の主となり、韓国という国家の基礎を築いた。
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ねずさんのひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1347.html
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『ほんとうは、「日韓併合」が 韓国を救った!』
三多摩支部 松木 國俊
昨年2月から6月にかけて、自由主義史観研究会の会報「歴史と教育」に寄稿致しました日本による朝鮮統治時代の実相について、まとめて本にして世に問うてはどうかとのご意見を会員の方から頂きました。
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私自身歴史学者でもなく1冊の本を書けるかどうか躊躇しましたが、その後藤岡代表からのお勧めもあり、思い切って「本書き」に挑戦することを決心したのが昨年の秋でした。
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それまで10年近くかけて収集した朝鮮統治時代の資料を再整理し、多くの先生方の著書に再度目を通し、また本会の杉本幹夫先生のご指導も賜り、ようやく去る9月半ばに「ほんとうは『日韓併合』が韓国を救った!」というタイトルで、櫻井よしこ先生のご推薦も頂き、ワック出版より出版することができました。
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私は韓国とお付き合いを始めて間もなく40年になりますが、この間、韓国人の日本への偏見がいかに強いかを肌で感じてきました。韓国の反日感情は正当な根拠に基づくものではなく、小中華思想による対日優越意識とそれを利用した反日教育の「成果」であることは紛れもない事実です。
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日韓両方の実情を知る立場にあって、韓国からのいわれなき対日非難に対し何の検証もせずに反射的に謝罪する日本政府のふがいない態度を見るにつけ、何度無念の歯噛みをこらえてきたことでしょう。これでは、でっちあげられた日本の「悪行」がそのまま世界史に定着してしまいます。何とか一次資料と証言者が残っている今のうちに濡れ衣を晴らさなければ、未来永劫日本は「野蛮な侵略国」としての烙印を押されたままとなってしまう ‥‥ そのような焦燥感にかられたことが、実はこの本を書くことを決心した一番大きな理由でした。
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韓国の対日非難に「謝罪」しても何の解決にもなりません。そのことを読者に実感してもらうために、この本ではまず第1章で「日本人が想像もつかない反日感情の実態」について明らかにしました。
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冒頭では韓流ドラマの俳優も韓国では反日の立場にあることを述べ、あれほど韓流ドラマを日本に輸出し、歌手を送り込みながら、韓国のテレビ(地上波)では日本のドラマは放映禁止、日本語の歌もオンエアーできないこと、その理由が「日本製のドラマや歌は子供たちに悪影響をあたえる」という日本への偏見であることを書いています。
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  一般の韓国人にとって「最も韓国の安全にとって脅威となる国」は日本であり、1度日本と
  戦争をして勝ち、日本を占領して仕返しをしたいという潜在的願望があることなども資料を
  基に明らかにしています。読者は現在進行中の凄まじい反日教育の実態を知り
  「これは謝罪どころの話ではない!」きっとそのように思うでしょう。
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  続いて第2章では韓国のでっちあげた「七奪」という歴史の歪曲の一つ一つについて、
  証拠を基にわかりやすく反論し、すべてを論破いたしました。今まで両国で信じられ、
  学校で教えられてきた「日本による蛮行」がいかに荒唐無稽な作り事であるかを、
  読者に十分納得頂けると思います。
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さらに第3章では、従軍慰安婦問題の経緯を明らかにし、その虚構性を徹底的に暴きました。従軍慰安婦問題は、歴史の大きな歪曲と捏造に立脚しており、それとは知らずに(あるいは知りながらも)日本政府が謝罪してしまったことがこの問題を極大化していることを政府の調査資料や当時の新聞など確かな証拠を基に明らかにしています。
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そして第4章ではこれらの歴史歪曲と捏造をどのように克服して行けばよいかを書きました。それにはまず日韓の文化の違いを理解し、韓国が過去を水に流さない以上、日本も徹底的に過去にこだわり、歴史を大局的に捉え、日本人の名誉を守るために反論すべきは反論しなければなりません。
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  日韓併合は大局的にみれば自力で近代化を為しえない朝鮮とロシアの脅威を受けた日本の両国が
  共に生き残るためのぎりぎりマイナスの選択でした。引用した各種の統計数字は、日本は朝鮮を
  収奪するどころか、逆に朝鮮近代化のために重税に苦しんだことを物語っています。終戦によって
  日本の資産はすべて奪われた経緯も述べており、収奪されたのは朝鮮人ではなく日本人だったこと
  が読者の目に明らかになるはずです。
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歴史の歪曲・捏造を克服するには、このような歴史的事実を明確に指摘して韓国側の誤解をまず解かねばなりません。さらにその上で日韓が心から信頼し合える関係を築くには、日本統治時代に日本人と朝鮮人が協力し合って朝鮮の近代化を進め、大東亜戦争では共に欧米に立ち向かい、結果的にアジアから植民地を1掃した「戦友」だったという両国民の民族としての記憶を取り戻さねばならないことを読者に訴えています。
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そして最後に韓国の人々に対しても、「あなたたちの祖先は日本を利用して史上最短期間で近代化を達成した立派な人々であった」と語りかけ、「親日派」こそが現在の韓国の繁栄の礎を築いた人々であり、日本と共に歩んだ祖先を誇りに思って欲しい、そして自由と民主主義の理念を共にする両国の章、日の丸と太極旗を東亜の空に並び立て共に21世紀のアジアをリードしようと呼びかけて結んでいます。
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この本が韓国の日本への「恨」の解消に少しでも役立ち、日韓関係が根本から改善されるひとつのきっかけになれば、と心より願う次第であります
http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi240.html
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「日本政府が朝鮮から強奪した」として韓国が主張するいわゆる「七奪」が捏造である事を示す一次資料で私は目から鱗が落ちる思いでした
『歴史通』より
(松木国俊)
この資料によれば「七奪」は完全否定されます。
fcb14_takaさん
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 一、「韓国国王を奪った」・・・・・
  日本は李王家を日本の皇族の一員としてお迎えし、併合時の純宗皇帝は李王となられて日韓の
  皇室が融合したのです。日本は李王家を手厚く保護しました。朝鮮総督府『施政三十年史』には
  歳費項目の最上段に「李王家」歳費とあり、毎年百八十万円が計上されています。現在の価値で
  約二百億円になります。他の宮家の皇族費とは格段に差のある巨額です。
 〜(中略)〜
日本の「朝鮮統治」は、植民地の王室をことごとく廃止した欧米列強の「植民地支配」とは根本的に違っている事が明らかです。終戦時、李垠殿下は密航してでも朝鮮に帰ろうとされましたが、韓国の李承晩大統領が許さなかった。李王朝を復活させず、共和制国家をつくったのは韓国自身です。
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・李王朝の復活を許さなかったのは、韓国人だったのですか?
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 二、「主権を奪った」・・・・・
  李氏朝鮮は清国の属国であり、国家主権はもともとなかったのです。朝鮮が近代国家として独立
  し、共に欧米列強侵略に対抗する事を望んだのは日本であり、それを許さぬ清との間で戦争になっ
  たのです。
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  国内改革によって専制権力を奪われつつあった国王・高宗はロシアと組んで巻き返しにでました。
  国内の親日・改革派を葬り、ロシアに朝鮮の利権を売り渡し、馬山にはロシア海軍の基地が建設
  されて、日本の独立が脅かされる事態に至りました。そして日露開戦。
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戦後、李容九は一進会百万人の名前で全国民への合邦声明書を発表、さらに韓国皇帝、會璽統監、李完用首相に対し「日韓合邦」の嘆願書を提出しました。日韓併合は日本が一方的に進めたのではなく、大韓帝国の中にも日本との併合を推進した人々が多くいたのです。
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1910年に日韓は「韓国併合に関する条約」を締結しました。この時の韓国皇帝の詔勅には、「韓日両国の親密なる関係を進めて一家をなすことがお互いの幸福に通じる」として内閣総理大臣李完用に全権を委任し、大日本帝国統監寺内正毅との両国併合交渉にあたらせると記されています。
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J・クロフォード英国ケンブリッジ大教授も、2001年の国際学術会議で「自分で生きていけない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むというのは当時よくあった事であり、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。強制されたから不法であるという議論は第一次世界大戦以降の物で、当時としては問題になる物ではない」と述べて、韓国側の主張は完全に崩れました。
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・もはや”韓国の常識”は”世界の非常識”ですか?
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 三、「土地を奪った」・・・・・
  1974年以来、韓国の国定教科書には「全国農地の40%を日本人に収奪された」と記載されてきま
  した。とんでもない。李氏朝鮮時代は所有権があいまいなために、土地をめぐる争いが絶えません
  でした。そこで朝鮮総督府は1910年から8年かけ、近代的測量技術を使って土地調査を行いました。
  〜(中略)〜
  調査の結果、270万町歩と言われて耕地が、実際には487万町歩にも上ることが明らかになりまし
  た。耕地全体の45%もが当時の貴族階級であった両班らによって隠匿されていたのです。
  韓国では土地調査について「日本人が小高い丘に登ってあたりを見回し、土地を指さして手当たり
  次第り良田を奪った」と非難していますが、これは李氏朝鮮時代の話なのです。
  李朝末期にダレ神父は『朝鮮事情』の中でこう書いています。
  「両班は、いたるところで支配者か暴君のようにふるまっている。彼らが強奪に近い形で、農民から
  田畑や家を買うときは、殆どの場合、支払なしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止でき
  る守礼は一人もいない。」
  実際に朝鮮総督府が接収した土地(李朝時代の国有地等)は耕地全体の3%でした。
  接収の過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くありません。
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農民達は自分の土地が測量され地籍に上がるのを見て、測量事業に積極的に協力しました。
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当時の寺内総督は、一旗組によって朝鮮の土地が買いたたかれては百害あって一利なしとし、朝鮮農家が日本人に土地を売るとの情報をつかむと憲兵を派遣し、日本人には売らないよう説得させました。そこまで総督府は朝鮮人の利益を守ろうとしたのです。
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・本当に収奪していたのは両班だったのですか?
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 四、「国語を奪った」・・・・・
韓国の国定中学校教科書には「我々の言葉を禁止し日本語だけを使うようにして、我々の歴史の教育も禁じた。ハングルで刊行された新聞も廃刊させ、我々の言葉と歴史に対する研究も禁止させた」と書いてあります。そもそもハングルは15世紀に李朝4代世宗が学者を集めて作らせたと言われていますが、当初より諺文(オンモン)として忌み嫌われ公文書では一切使われませんでした。
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ハングルを再発見したのが、日本人の福沢諭吉でした。
「日本の漢字仮名交じり文同様、ハングルを駆使すれば難解な漢文を朝鮮式に自由に読み下すことが可能となり、大衆啓発のために大いに役立つはずだ」
と考え、漢字ハングル混交文を提唱し、ハングル活字を私費でつくりました。
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  1920年には総督府によって初めて本格的朝鮮語辞典が完成され、1924年には京城帝国大学に朝鮮語
  ・朝鮮文学の講座が開設されました。半島における日本語の普及にも力をいれましたが、これは
  共通語の普及が目的であり、朝鮮語廃止など毛頭考えていなかったのです。
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  1941年からは朝鮮語の科目が廃止されましたが、これは戦争の激化によって朝鮮語教育に力を入れる
  余裕がなくなったためです。また科目が廃されたからといって、朝鮮語の使用が禁止されたわけでは
  ありません。当時の日本人は半島で2%程度であり、禁止など不可能です。
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歴史教育についても、朝鮮総督府『朝鮮読本 巻5』には「この地方(慶州)において発見された各種の遺物が、保存されており、新羅文明の卓越した様子が明らかにわかる」「石窟庵に入れば穹窿たる石窟の中に29体の仏像を周壁に彫刻してあり、その彫刻の優美さは東洋芸術の誇りである」などの記述があり、朝鮮の卓越した歴史を学童たちに教えるべく努力していた事がわかります。
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・やはり、福沢先生の先見の明はすばらしかったと言えますか?
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 五、「姓名を奪った」・・・・・
  1939年に朝鮮総督府は朝鮮戸籍法を改正し、朝鮮人が日本名を名乗ることを可能としました。
  「創氏改名」と呼ばれるこの政策によって朝鮮人の姓名を奪われ、無理やり日本人に同化させられ
  たとして韓国は日本を非難します。しかし、朝鮮人が日本名を名乗る事で日本人が何か得をしたで
  しょうか?
  実は、日韓併合直後の1911年に朝鮮総督府は総督府令第124号「朝鮮人の姓名改称に関する件」
  を施行し、朝鮮人が日本式姓名を名乗る事を禁止していたのです。
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  それが変更されたきっかけは、朝鮮満州開拓団からの強い要望です。
  朝鮮人に対する中国人や満州人の侮蔑意識が強く、朝鮮人の村々は略奪、放火、虐殺など甚大な
  被害を受けていたのです。
  日本名を名乗れば名実ともに日本臣民となり、侮蔑されなくなるというわけでした。
半島の朝鮮人の間でも「日本人になって30年近くたっても日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」との不満が高まってきました。しかし、朝鮮総督府警務部は日本への密航増加や治安上の問題を憂慮して反対し、内地人も朝鮮人も平等であるという「一視同仁」の考えから賛成する文部部とすったもんだの議論の末、ようやく1936年に戸籍法改正に至ったのです。
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当時の南総督は3度も「強制してはならない」という通達をだしています。
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また、日本名を名乗らなくても不利益を被る事がなかった証拠に、軍人や政治家、スポーツ選手のなかに朝鮮名を通した人達もかなりいました。結果的に80%の朝鮮人が日本名の「氏」を選択したのは、当時世界五大強国の一つであった日本の臣民になる事を望んだという事です。
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・以前、麻生さんは本当の事を述べただけだったのではないのですか?
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 六、「命を奪った」・・・・・
日清戦争の原因となった東学党の乱から1945年までの50年間、日韓は戦争状態にあり、この期間中に残虐な日本軍は朝鮮人数十万人を虐殺したと韓国では教えています。これが世界中で韓国だけに存在する「日韓50年戦争」論です。
この主張は、朴殷植が1920年に書いた『朝鮮独立運動之血史』と言う本がベースになっています。
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  日本の軍隊が朝鮮半島に上陸したのは東学党の乱が朝鮮政府軍や清軍に鎮圧されたあとで、
  それまでは2個小隊しかいませんでした。
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  韓国の民族独立運動である「3.1運動」を日本が残虐な手段で弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺したと
  韓国は主張しています。
  〜(中略)〜
  在朝日本人に「日本へ帰れ」と投石して脅迫した事実はテロそのものであり、決して一般大衆から
  支持された物ではなかったのです。黄色人種の分裂を図る欧米宣教師に煽られた朝鮮人キリスト
  教徒達が暴徒と化し、これに近代化で特権を喪失した両班や旧軍人らの不満分子が乗っかって
  広がったのです。
  日本人憲兵6名と警官2名が虐殺され、
  〜(中略)〜
  死刑は一人もなく、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役がわずか80人で、しかも減刑と赦免で
  刑期が半分以下となりました。この時逮捕された3.1運動の主要リーダー崔麟、李光シュ、崔南善、
  朴煕道達は日本の裁判のあまりの公平さに感激し、やがて強烈な日本ファンとなって、1930年代の
  言論界をリードする事になります。
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李氏朝鮮時代は劣悪な衛生環境のなかでしばしば10万人以上の死者を出す疫病が流行していました。
京城大付属病院、各道の慈恵病院がつくられ、1910年には120万人に種痘が施されました。このような日本の努力の結果、朝鮮の平均寿命は、1910年の25歳から1944年には45歳までのびました。
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・『朝鮮独立運動之史』に信憑性はあるのですか?
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 七、「資源を奪った」・・・・・
  韓国の中学校歴史教科書には「日帝は金、銀、タングステン、石炭など、産業に必要な地下資源
  を略奪した」と書いてありますが、実際には朝鮮半島にそれほど魅力的な資源はありませんでし
  た。石炭は無煙炭であり、オンドル部屋の暖房用練炭が主用途で、金、銀、タングステンなどは
  日本の会社が厖大な開発費を投じながら結局大赤字でした。東南アジアから輸入したほうがよほ
  ど安上がりだったのです。収奪どころか日本は逆に税金をつぎ込み、産業を育成しました。
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  日本は1907年から1910年まで毎年二千万〜三千万円を補助しています。日本国家予算の約20%を
  超えた事もあります。併合後も毎年二千万円前後の資金を持ち出し、昭和14年になっても日本から
  の補助と公債を合わせると全予算額の四分の一を占めていました。日本統治期間を通じて日本政府
  が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計で20億7892万円、当時の1円が平均して現在の3万円とする
  と63兆円という天文学的な数字になります。
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  大韓帝国時代から鉄道建設に力を注ぎ、その総経費は現在の価値にして10兆円以上になります。
  民間資金もダム建設などに投入され、有名な水豊ダムだけでもその額は現在の価値で3兆円近い物
  です。これによって生み出された豊富な電力を利用する為に日本の多くの大企業が朝鮮北部に
  投資しました。
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まさにいまや韓国はこの通りに繁栄し、G20に名を連ねる大国です。「日本への恨」を持ち続けて何の意味があるのでしょう。
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・韓国が「七奪」にこだわり続け、「恨」を持ち続けるのはなぜですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273845547
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「搾取されていたのは日本」であって、お前達韓国では無い。
馬鹿日本政府は、キチガイで足手纏いの韓国と、縁を切るべき。
「お隣の国だから」とか「経済の為に」とかいうレベルの話ではない。
韓国は日本にとって、相手にすれば相手にするだけ、不利益のある国。
 
 
【反撃せよ!ニッポン】戦争の真理が凝縮された「勝てば官軍」 戦後GHQが「大東亜戦争」を禁じた理由
日本語の「勝てば官軍」ということわざは見事である。短いフレーズに戦争の「真理」が凝縮されている。両者が戦争に至った経緯や社会背景、その後の経過、戦時中の出来事、勝利を得た手段などにかかわらず、最終的に勝った側が「官軍」、すなわち「正義」を語る権利を得るのだ。恐らくこれは時代や洋の東西を問わず、永遠の真理だと思う。
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 勝利によって「正義」を得た側は、過去の味方の不正義と、敵の正義を隠蔽する。日本の近代史で言えば戊辰戦争で倒幕軍が掲げた「錦の御旗」は薩摩藩・長州藩が作成した偽物だった。つまり明らかな不正義である。
 しかし、これが討幕軍の士気を高め、徳川幕府側の動揺を誘うなど、大いに効果を発揮した。戦争終結後、明治新政府による真実の隠蔽、正当化、情報操作などが行われただろうことは想像に難くないが、今さら徳川家の子孫が文句を言ったところで後の祭りである。
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 さて、連載第1回でも書いたとおり、先の戦争が日本の「侵略戦争」だったという話は、GHQ(連合国軍総司令部)によるプロパガンダである。つまり「勝てた官軍」の情報操作なのだ。1951年5月3日にマッカーサー元帥自身が「日本の戦争の動機は主に安全保障(自衛)であり、やむを得ず行われた」と、米上院の軍事外交合同委員会で証言したのだから間違いない。彼以上に先の戦争に関する真実を隅々まで知る当事者が他にいるだろうか。
 いや、実は「自衛か侵略か」よりも重要な、真剣に議論すべき問題が、終戦から約70年経過した現在も無視されている。
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 それは20世紀半ばまで、先進国による発展途上国(≒有色人種の国)の植民地化に疑問を持つ白人国家は皆無だったという恥ずべき事実である。
当時の白人国家は植民地での搾取や奴隷制度など、人種差別を前提に成り立っていた。30年代後半、アフリカ大陸のほぼ全土が植民地であり、アジアで独立を維持していたのは実質的に日本とトルコだけ。シャム(タイ)の独立は風前の灯という状態だった。
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 日本人は「白人は優秀で有色人種は劣っている」という当時の常識は間違いだと身を持って証明したうえで、植民地を解放して独立させ、アジア人が共存共栄できる世界を目指すという「大義」を掲げた戦争を始めた。それが「大東亜戦争」である。
 戦争に負けた日本は自国の「正義」を語る権利を奪われた。だが、大東亜戦争で日本が掲げた「大義」は生き残り、後に見事達成された。その意味で日本は勝者だった。
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 世界中に誇るべき大義の存在を戦後生まれの日本人に知らせないために、GHQはマスコミに「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じて「太平洋戦争」と言わせた。この事実すら知らない日本人が多いことに驚く。
 これこそがプロパガンダの効果であり、「勝てば官軍」の怖さでもある。
 ■ケント・ギルバート
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141119/dms1411191550001-n1.htm
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http://ken-ch.vqpv.biz/no/1501.html
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韓国人が「日本は謝れ」「日本は謝れ」と繰り返しているが、少なくとも日本は韓国に謝る必要は無い。
韓国は日本と同じ枢軸国側なのだから、謝るとすればお前達韓国の方。
お前達韓国は、被害者面して、戦後一度も謝罪も賠償もしていない。
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アジア各国でも、日本が戦ったのは「白人国軍」
「占領した当事国」と戦った訳では無い。
「植民地にされたニダ」と大騒ぎしている、中韓特亜はキチガイ。
「在日」の、永住許可について調べたら、直ぐに出てきた。
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1950年6月から1953年7月にかけては、朝鮮戦争が勃発し、半島全土が荒れ地となる。
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1952年、サンフランシスコ講和条約発効により日本が国家主権を回復すると、同時に日本領土の最終画定に伴う朝鮮の独立を承認した。これにともない、旧統合地出身者は名実共に日本国籍を失った。当時、韓国朝鮮人の側からも、併合による日本国籍の保持に興味は無く、これらの日本国籍喪失措置に異議を唱えなかった。一方で韓国政府は、日本の要請があっても在日韓国・朝鮮人の送還を拒否をしている。
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1955年、当時の小泉純也法務政務次官は国会において、在日朝鮮人らは、母国に帰りたいという者が一人もいないと言える状態で、一方半島からは手段・方法を選ばず、命がけでどんどん密航をしてきており、日本が彼らを強制送還をしようとしても、韓国政府はこれを受け入れない為、日本に入れっぱなし状態であり、朝鮮戦争で密航してきた者等を収容していた大村収容所も人員がいっぱいで、入国管理局だけでは手に負えない状況であることを答弁している。
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1959年の朝日新聞によれば、協定永住許可者となったものは日本政府や連合国の手配を拒んで自ら残留したものである[4]。また、朝鮮戦争にともない、日本でも北朝鮮政府支持者と韓国政府支持者との紛争が多発した(新潟日赤センター爆破未遂事件)。
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1965年、日韓基本条約締結に伴い締結された在日韓国人の法的地位(協定永住)について定めた日韓両国政府間の協定(日韓法的地位協定)では、国外退去に該当する事由が他の外国人と比べて大幅に緩和された協定永住資格は2代目までに限り、3代目以降については25年後に再協議することとした。1977年からは在日本大韓民国民団(民団)主導で「差別撤廃・権益擁護運動」が開始され、在日韓国人の参政権獲得運動も始まった。当時、民団は「日本語を使い、日本の風習に従う社会同化は義務」としていた。
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1991年、入管特例法により3代目以降にも同様の永住許可を行いつつ、同時に韓国人のみが対象となっていた協定永住が朝鮮籍、台湾籍の永住者も合わせて特別永住許可として一本化された。また、この時の「九一年日韓外相覚書」には「地方自治体選挙権については、大韓民国政府より要望が表明された」と明記された。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B0%B8%E4%BD%8F%E8%80%85
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馬鹿日本政府が、「在日」の永住許可を、どんどん延ばしているんだ。
>1965年、日韓基本条約締結に伴い締結された在日韓国人の法的地位(協定永住)について定めた
>日韓両国政府間の協定(日韓法的地位協定)では、国外退去に該当する事由が他の外国人と比べて
>大幅に緩和された協定永住資格は2代目までに限り
元々は、在日の「永住許可は2代目まで」だったんだ。
「犯罪民族」を、日本から追い出す気がまったく無い、馬鹿日本政府。
日本国民が、毎日「在日の犯罪の犠牲」になってるんだよ、ふざけるなよ、馬鹿日本政府。

売国利権の正体

売国行為によって、どのような金(特に血税)の流れがあるのか
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売国会計(年間)
内容                      主導者 金額(億円) 備考
中国人留学生奨学金        福田康夫 2620 四年間在学で1人1048万円、全留学生に1兆480億円
アフリカ過剰支援          福田康夫 2500 5年合計、1兆2500億円
レンタルパンダ            福田康夫 3 
反日映画「バッチギ!」補助金 文化庁 0.3 2007年も反日映画「あなたを忘れない」に3000万円補助金
合計  5123.3
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詳細内訳
(1)中国人留学生に年間一人当たり262万円、合計2620億円の税金投入(無償)
1)奨学金(生活費)/月額142,500円(年1,710,000円)
2)授業料/国立大学は免除、公立・私立大学は文部省が負担(年520,800円:現時点)
3)渡航旅費/往復航空券支給 東京-北京(片道111,100円×2)
4)渡日一時金/25,000円
5)宿舎費補助/月額9,000円または12,000円(年144,000円)
6)医療費補助/実費の80%
1)+2)+3)+4)+5)+6)=262万円
262万円×留学生数約10万人=2620億円
さらに、福田康夫首相が掲げる「留学生30万人計画」の実現に向け、今年度から入国審査を順次緩和していく。(日経NET)
<参考>
年間中国人留学生お一人様につき262万円をプレゼント!(何なの日記)
長野で暴れた支那人留学生に年間262万円の税金援助(平成中野学校)
平成19年度外国人留学生在籍状況調査結果(日本学生支援機構)
日本人学生は冷遇、外国人留学生には厚遇(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』)
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(2)アフリカに過剰支援。5年間で1兆2500億円の税金投入(1年当たり2500億円)
福田康夫首相はダボス会議にて、「気候変動対策」と「開発・アフリカ」について重点的に言及し、「排出削減と経済協力を両立させ、気候の安定化に貢献しようとする途上国に対する支援策として、100億ドル(1兆2500億円)規模の新たな資金メカニズム(クールアース・パートナーシップ)を構築する」と発表した。
<参考>
福田首相が約束した1兆2500億円(nikkei BPnet)
【政治】温暖化対策のため、アフリカに1兆円拠出…福田首相、主導権狙う(ヌコニュース)
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(3)パンダレンタル料、年間3億円
先の5月6日からの日中首脳会談で、福田首相は中国主席からの申し入れを受け、
パンダ一対の年間レンタル料3億円を受諾決定した。
<参考>
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213590223/
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(4)文化庁から反日映画「バッチギ!」に3000万円
文化庁は先の韓国在日合作の反日映画「あなたを忘れない」に3000万円を寄贈したのに続き、今回も反日映画「バッチギ!」に3000万円を拠出した。
<参考>
反日映画「パッチギ!」一考!(博士の独り言)
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(5)河野洋平 〜対中ビジネスロビー「国貿促」の会長〜
対中ビジネスロビー「国貿促」の会長として、現在も高額な謝礼をもらっている(筑紫哲也と田母神空将(青木直人BLOG)より)。
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(6)筑紫哲也 〜日本バッシングで膨大な資産を築いた人物〜
筑紫氏もまた日本バッシングで、ごく一般的なジャーナリストには一生無縁な膨大な資産を築いた人物である(筑紫哲也と田母神空将(青木直人BLOG)より)。
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(7)野中広務 〜同和利権・北朝鮮利権〜
同和差別を同和利権にかえた野中広務。彼は北朝鮮支援でもキックバックが噂さされた政治家である(筑紫哲也と田母神空将(青木直人BLOG)より)。
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売国総理福田チンパンジー康夫の全方位土下座記録(国民無視)
http://ameblo.jp/utsda/entry-10116557284.html
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【中国】
中国への円借款 463億200万円 / 二酸化炭素排出権 5兆円(予定)
外国人留学生 1兆6000億円 / パンダレンタル料 年間3億(2頭)
毒餃子事件 → 知らんぷり フフン / 東シナ海ガス田 → 献上
【朝鮮】
竹島「固有の領土」表現見送り、韓国に配慮…学習指導要領解説書
【アメリカ】
思いやり予算 約2000億円(累計約5兆円)/ インド洋自衛隊後方支援 → 無料給油所
国連分担金 約3億ドル(約300億円)/ 米軍グアム移転費用 約7100億円
米国債保有額 約40兆ドル?
【ロシア】
北海道洞爺湖サミットの全体会議 → 北方領土問題を議題としない
【アフリカ】
ダボス会議 アフリカ援助 約1兆2500億円 / エイズ基金 582億円
アフリカ向け途上国援助(ODA) 最大40億ドル(約4200億円)
食料サミット支援 1億5000万ドル(約150億円)
途上国食料支援追加(食料価格高騰) 約5000万ドル(約53億3000万円)
クールアース・パートナーシップ構想 総額100億ドル(約1兆0700億円)
【国内】
道路特定財源 59兆円(今後10年間) / タクシー代 26億円(国交省)、4億8000万円(財務省)
天下りによる随意契約 約12兆円 → 無駄撲滅の決意だけ フフン
公務員改革(海外の約2倍の給与) → 知りません フフン / 厚労省職員 勤務中にネット三昧
特別会計(約2〜300兆円)見直し → 知りません フフン
社保庁 → ほぼ再雇用 フフン / 地デジ対策費 2000億円
洞爺湖サミット 約600億円 / サミットのカーボンオフセット 約1億5000万円
新メルマガ 約3億円超 / 移民1000万人受け入れ(予定)
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消費税・たばこ税・外為取引課税・環境税 他 増税(予定)
社会保障費圧縮 2200億円 / 日本人の教育費削減 5600億円
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http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/154.html
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