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福島入りしたのは2011年8月末。
311から五ヶ月が経過していた。
当時 済んでいたのは福井県。311の事はYAHOOサイトで知った。
検索しようとYAHOOを開いたら、動画が流されていた。
地震から二時間が経過していた。
急ぎ、帰宅しTVをつけると惨憺たる状況が目に飛び込んできた。
ほとんど寝ることなく、一夜を過ごしたことを覚えている。
翌日から警察や消防、自衛隊の緊急車両が北陸道を走っていた。
本来は4月から沖縄入りを目論んでいた。
15年も通った沖縄の地を終焉の地と決めており、本音を語ってくれる、ウチナン
チュの知人もたくさん出来ていた。
沖縄入りし農場を地区の皆さんとやることに決めていた。
が、茨城の実家がとても氣になった。
老親の二人暮らし。
電話も通じないので、翌日に新幹線を乗継ぎ東京まで出た。
そこから先は鉄道がSTOPしており、ネットカフェで一夜を明かす。
レンタカーなんぞは手配出来ない状況でもあり、断念して福井に戻った。
原発事故を知り、何かをせずには居られない感情に揺り動かされる。
つまらん性格なんだよね~と今になって思うが、受け継いだ遺伝子のなせる業。
爾来 3年 福島に転居し、多くの農家と交流し、農地の除染作業をおこなった。
結果も出たが、國の方針には背けない。
國の方針は、上土を剥がすことの一点。
二年間 活動を続けたが、断念し、念願の沖縄入りを模索してきた。
やっと、土産を携えていけそうな雰囲氣。
ストーブを出す前に沖縄入りを目論んでいる。
画像は、昨日 近所で撮った一枚。
季節を忘れたか、購っている野草とチョウチョ。
いろんな想いが駆け巡ったひととき。
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