ぼくとがま…

生きものについて、ぼちぼち。

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シカに困る

野生鳥獣による影響というのは別に農業に限った話でもない。

森林生態系もかなりよろしくない(かもしれない)状況に陥っているところが出てきている。
シカの勢力拡大によるものだ。

知床にしろ、南アルプス、日光、浅間、大台ケ原、剣山など、どうもシカによって自然環境が
影響を受けて、植生の衰退・変化が進んできて、なんだかまずいことになってきている地域が
すでにある。

ご存知のとおり、シカは植物を食う。
シカが増えれば、食われる植物も当然増える。
植物の再生能力を上回るスピードで食われれば、当然植生は衰退する。

理屈上は、そうやって植生が衰退したら、シカは食うものを失って自滅して、数を減らす。
個体群のクラッシュというやつだ。
シカによる採食圧が減ってくると、植物は再び勢力を増してきて、植生は一応回復する。
シカも絶滅さえしなければ、再び豊富な餌の元で個体群を大きくしていく。
で、また植物は減る。
シカも減る。
そして植物増える。
そしたらシカも増える。

そういうのを何度も繰り返しながら、遠い未来、どこかにバランスを見出すのかもしれない。


が、その状態が、人間にとって好ましいものかどうかは別の話。
そこに至る過程が、人間にとって好ましいものかどうかも、別の話。
他の生き物にとって好ましいのかも別の話。

希少な植物が絶滅に追いやられているとか、そこそこしっかりした森林でないと生きては
行けないような他の動物も付加逆な打撃を受けてしまっているとか、生物多様性の劣化と
言えるような事態も当然想定されるわけ。

観光資源にもなる高山のお花畑が消えてしまっているとか、新緑や紅葉を見せてくれる
立派な広葉樹林が貧相になっているとか、植生の衰退で土壌流失なんかが進んで荒れっぽい
疎林にしかならなくなったとか、そういう可能性が多分にあるということ。

それでもなお、それが自然の摂理だから受け入れるべきだという考え方もあるだろう。

一方で、それでは困るという考え方もある。

前にも何度も書いてるが、ここ何千年かの日本の森林生態系は、ある程度の人の関与も
あった上で成立している。上位捕食者の不在など、失ってしまった要素もある。
だから、すべてが自然任せで、ほーら元通り!というわけには行かなさそうだ。
人の関与を排してしまうと、どんな生態系になるかわかったもんじゃない、という不安
もあるわけだ。

そんなこんなで、現在のトレンドは、シカの個体数を人為によって調整してみるという
方向に進んでいるようだ。

ここで必要なのが、獲ろうと思った数をきちんと取れる、かつ勝手に取りすぎたりしない、
そういう筋のいいハンター。
しかしハンターは少なく、どこも苦労をしていると。

また、何頭とればいいのかを考える上では、現在シカが何頭いるかもきちんと把握したい
ところ。でも数の推定には限界がある。生息数把握の技術向上も課題。
だから最近は、捕獲した数、推定数、捕獲に要した労力なんかも加味しながら、色々と
分析していくことも多い。
というか、どうしても不確実性が伴うので、そこはある程度「わからない」こともあるのを
前提にして、順応的管理をしようぜという話にもなってくる。

被害のひどさ?

野生鳥獣による農業被害のひどさというのは、どの程度のものなのか。

平成22年度では、鳥獣による農業被害額は約240億円となっている。
240億で売れるはずだったものが、鳥や獣の腹を満たすために消え去ったと考えると、なんだか
ものすごく損をしている気がしてくる。

さて、日本国内の農業総生産は、同じ年では4兆1999億円となっている。
鳥獣被害額は、総生産に対してどれほどの重みを持つのか。単純な割り算だ。0.6%ほどになる。

また、日本の総農家数は、同じ年の農林業センサスの結果を見ると、約250万戸となっている。
農家1戸あたりの鳥獣による農業被害額も、単純計算すると、1戸あたり1万円弱になる。


大まかな数字で、全体論としてみるとこうなる。
なんだか、あまり大したことはないように思えてくる。

しかし、鳥獣被害が現代の農業生産の最大の敵であるとでも言うような声は多いわけ。


全国的な鳥獣による農業被害〜というのは、農家みんなが困っているわけではなくて、
あんまり困っていない人(地域)と、めちゃくちゃ困っている人(地域)と、双方がいる
のだろうなと察しがつく。

じゃあどういう人(地域)が困っているのかというと、ここから先はなんにも調べてないので
妄言になるわけですが、やはり鳥獣の出没が多い中山間地域とかいうことになるのかなと。

そうなのだとしたら、あえて鳥獣被害対策として独立した問題にせずに、中山間に人を呼ぶ、
活性化させる、生産品に付加価値を持たせる、限界集落の回避なども含めて、中山間地域を
どうして行きたいのか・どうすべきかというところに入れ込んでしまって考えたほうがよい
ような気もしてくる。まあ妄言である。

山に食べ物がないから、人里に鳥獣が下りてきて、農業被害を出す。
鳥獣を山に釘付けにするには、食料に困らないような、豊かな森作りをすればよい。

確かに一理ある。
でも落とし穴がある。

豊かな森作りをして、鳥獣の餌資源が増えると、おそらくそれに追随して鳥獣も増える。


環境収容力いっぱいに増えようとするのが生物である。
産めよ増えよ地に充ちよ、を地で行くわけ。
あんまり、自主規制というのは期待できない。

せっかく豊かな森作りをして環境収容力を上げても、鳥獣はそれに合わせて増加する。
そして環境収容力に追いつき、あるいは反動がついて追い越したときには、ふたたび
人里に下りてくる可能性がある。
そうなったとき、絶対数は、以前よりも増えているわけだ。対策は今よりも大変だろう。


だから、豊かな森作りだけでは十分ではない。農業被害のことを考えたら特に。
豊かな森作りをして環境収容力を上げつつ、シカやイノシシを環境収容力の上限近く
まで増え放題にしないための方策もセットで必要。多分。

その方策というのは、手っ取り早く確実なのは、人による捕獲。

また、十分な議論は必要だが、上位捕食者の導入も可能性としては無くはない。
かもしれない。

ニワカ猟師?

とある猟師から、狩猟者が増えるのはいいんだけど、困ったこともあるんだよね
という話を聞いた。

初心者がイノシシ対策にくくりわなを仕掛ける。
熱心なことだ、とどめを刺すのに困ったら、手伝ってやろうとも思う。
しかしワナの仕掛け方を見て、考えを改めた。
くくりわなを固定している先が、貧相な木の杭なのであった。
イノシシが掛かれば、容易に抜けてしまう。
妙な金属製の仕掛けをくっつけて気が立っているイノシシは、何をするか分からない。
そんなこともわからずに狩猟をやろうというのは、危険すぎる。
そんな「ニワカ猟師」なら、増えない方が良い。

というわけだ。

もちろん新規に狩猟に参入した人たちが皆、そういう問題を起こすわけでは
ないのだろう。

が、捕ろうとする相手の力量を見誤るのは危険だ。
鳥獣憎しで、気持ちだけが空回りして、鳥獣の特性を知らずに取ろうとする
のは、ちょっと、無茶というものだ。。

鳥獣に対する知識と、その捕獲に関する技術は、狩猟免許の試験勉強だけでは
当然、身につかない。腕のある猟師をはじめ専門家から教わるもよし、それを
ベースに自分で試行錯誤するもよし、かなり勉強と実践をしないといけないの
だろう。
しかし、巷にあふれる学習塾やカルチャースクールのようには、学びの門戸は
開かれていない。そこがある意味、腕の良いハンターを育てていく上でのネックだ。


昔であれば、地区の猟友会に入り、既存の猟友会員は近所の見知った人であって、
地域ぐるみの徒弟制度的な枠組みの中でいろいろと学べたのだろうと思う。
しかし今の時代、誰しもがそういう社会環境の中にいるとは限らない。
狩猟を始めようと思っても、身一つでそういうところに乗り込んで行く勇気を
持った人もそう多くはあるまい。


某大学では狩猟サークルが若手ハンターに門戸を開いてくれている。私の行って
いた大学でもこういうのがあるとよかったなと思う。
同レベルのつたない技術、同年代、そういう仲間と一緒に狩猟に参入できる機会が
あるというのは、なかなか心強いことではないか。
猟友会や自治体で、そういうスクーリングをもっと展開してみるというのも、アリ
じゃないかと思う。

引っ込み思案だが責任感があるゆえに孤軍奮闘で、見よう見まねでやってみて、
ニワカ猟師と呼ばれて終わるより、間口を広げて仲間と楽しく学んで腕も上げて
もらうという方が、精神衛生上もよさそうだ。
古来の猟友会組織のみに頼らず、猟友会と連携しながらも新たな狩猟者コミュニティ
を作っていく、そういう考えが新規狩猟者、特に若手ハンターの確保に必要になって
くるかもしれない。そんな妄想を寝る前にしてみたり。

シカやイノシシの天敵になるオオカミを再び日本の山野に放てば、失われた
生態系バランスは戻り、鳥獣被害もなくなるという意見がある。

なんとなくそんな気もしないではないが、よく考えるとそううまくも行かない
であろうと思い始めるわけ。


日本には、既に在来のオオカミ:ニホンオオカミはいない。
明治時代に絶滅してしまった。

ニホンオオカミは、かつての日本の森林生態系の中では、最上位の捕食者で、
シカにとっての一番の天敵だっただろう。
もっともそれは、野生生物の中では、の話。

人がシカ等を積極的に捕獲してきたのも事実だ。貝塚からも骨が多数見つかる
ことを考えれば、シカとの付き合いは少なくとも何千年も前から始まっている。
有史以降シカを狩っていた記録はある。

だから、何千年前から明治時代にかけては、シカの捕食者はヒトとオオカミの
2者がいて、オオカミの影響の方が大きかった時代もあれば、人の方が捕食者と
しては強烈な存在だった時代もあっただろう、そう考えるのが妥当では。

しかしそれでも、農業被害は生じていた。里山という人間が出入りするバッファ
ゾーンがあって、今より積雪も多いなど、シカにとって不都合な条件もそろって
いたのに、それでもなお農業被害はあったわけだ。

人の関与が無かった時代は、シカにとってはオオカミだけが天敵で、その状態でも
バランスが取れていたのでは?という意見もある。
しかし人がシカ狩りをしていなかった時期というのは、すなわち人が殆どいないと
いう時代だろう。
そこまでさかのぼると、最終氷期以前ということになる。気候はもっと寒冷で、
生物相も現代と異なり、ナウマンゾウが闊歩するような時代だ。今とは別の生態系
が成立していた。
そんな時代に、シカとオオカミの良好な関係が成立していたとしても、それを現代
に再構築しようというのは無理な話だ。

だから、オオカミの放獣だけですべてが解決するというような、単純な話ではない
わけだ。そういう楽観論には大反対だ。


純粋なニホンオオカミはもういない。別の亜種を持って来るしかないが、かつての
ニホンオオカミのように振る舞ってくれるかは、未知数だ。また、かつてのニホン
オオカミの振る舞いも、実はよく分からない。さてどう考えたものか。

リスクはあるだろう。家禽家畜への被害、人への傷害などの懸念は払拭できないし、
食ってほしくない鳥獣ばかり狙われる可能性もある。しかし必ず、そういう被害を
必ずもたらすとも言い切れない。被害の程度もわからない。

リターンもよく分からない。本当に日本のシカやイノシシの個体数制御に貢献して
くれるか、それはまさに、やってみないとわからないという状況だろう。
大活躍かも知れないし、不発かも知れない。

現状ではハイリスク・ハイリターンどころか、不明リスク・不明リターンという、
何とも手を出しづらい代物だ。だから放獣の是非はまだ判断しない方が良かろう。
判断しろと迫られれば、安全側に立って、やめておけばとつぶやくしかない。

日本の森林に上位捕食者を復活させるということ自体は、検討の余地はあると思う。
ただし、農業被害の救世主というような乱暴な位置づけではなく、人の関与も踏ま
えたうえでの望ましい森林生態系の再構築という観点で、じっくりアカデミックな
議論をして、調べて、その妥当性を探っていけばいいのではなかろうか。


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