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生きものについて、ぼちぼち。

愚痴・備忘録

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被害のひどさ?

野生鳥獣による農業被害のひどさというのは、どの程度のものなのか。

平成22年度では、鳥獣による農業被害額は約240億円となっている。
240億で売れるはずだったものが、鳥や獣の腹を満たすために消え去ったと考えると、なんだか
ものすごく損をしている気がしてくる。

さて、日本国内の農業総生産は、同じ年では4兆1999億円となっている。
鳥獣被害額は、総生産に対してどれほどの重みを持つのか。単純な割り算だ。0.6%ほどになる。

また、日本の総農家数は、同じ年の農林業センサスの結果を見ると、約250万戸となっている。
農家1戸あたりの鳥獣による農業被害額も、単純計算すると、1戸あたり1万円弱になる。


大まかな数字で、全体論としてみるとこうなる。
なんだか、あまり大したことはないように思えてくる。

しかし、鳥獣被害が現代の農業生産の最大の敵であるとでも言うような声は多いわけ。


全国的な鳥獣による農業被害〜というのは、農家みんなが困っているわけではなくて、
あんまり困っていない人(地域)と、めちゃくちゃ困っている人(地域)と、双方がいる
のだろうなと察しがつく。

じゃあどういう人(地域)が困っているのかというと、ここから先はなんにも調べてないので
妄言になるわけですが、やはり鳥獣の出没が多い中山間地域とかいうことになるのかなと。

そうなのだとしたら、あえて鳥獣被害対策として独立した問題にせずに、中山間に人を呼ぶ、
活性化させる、生産品に付加価値を持たせる、限界集落の回避なども含めて、中山間地域を
どうして行きたいのか・どうすべきかというところに入れ込んでしまって考えたほうがよい
ような気もしてくる。まあ妄言である。

山に食べ物がないから、人里に鳥獣が下りてきて、農業被害を出す。
鳥獣を山に釘付けにするには、食料に困らないような、豊かな森作りをすればよい。

確かに一理ある。
でも落とし穴がある。

豊かな森作りをして、鳥獣の餌資源が増えると、おそらくそれに追随して鳥獣も増える。


環境収容力いっぱいに増えようとするのが生物である。
産めよ増えよ地に充ちよ、を地で行くわけ。
あんまり、自主規制というのは期待できない。

せっかく豊かな森作りをして環境収容力を上げても、鳥獣はそれに合わせて増加する。
そして環境収容力に追いつき、あるいは反動がついて追い越したときには、ふたたび
人里に下りてくる可能性がある。
そうなったとき、絶対数は、以前よりも増えているわけだ。対策は今よりも大変だろう。


だから、豊かな森作りだけでは十分ではない。農業被害のことを考えたら特に。
豊かな森作りをして環境収容力を上げつつ、シカやイノシシを環境収容力の上限近く
まで増え放題にしないための方策もセットで必要。多分。

その方策というのは、手っ取り早く確実なのは、人による捕獲。

また、十分な議論は必要だが、上位捕食者の導入も可能性としては無くはない。
かもしれない。

ニワカ猟師?

とある猟師から、狩猟者が増えるのはいいんだけど、困ったこともあるんだよね
という話を聞いた。

初心者がイノシシ対策にくくりわなを仕掛ける。
熱心なことだ、とどめを刺すのに困ったら、手伝ってやろうとも思う。
しかしワナの仕掛け方を見て、考えを改めた。
くくりわなを固定している先が、貧相な木の杭なのであった。
イノシシが掛かれば、容易に抜けてしまう。
妙な金属製の仕掛けをくっつけて気が立っているイノシシは、何をするか分からない。
そんなこともわからずに狩猟をやろうというのは、危険すぎる。
そんな「ニワカ猟師」なら、増えない方が良い。

というわけだ。

もちろん新規に狩猟に参入した人たちが皆、そういう問題を起こすわけでは
ないのだろう。

が、捕ろうとする相手の力量を見誤るのは危険だ。
鳥獣憎しで、気持ちだけが空回りして、鳥獣の特性を知らずに取ろうとする
のは、ちょっと、無茶というものだ。。

鳥獣に対する知識と、その捕獲に関する技術は、狩猟免許の試験勉強だけでは
当然、身につかない。腕のある猟師をはじめ専門家から教わるもよし、それを
ベースに自分で試行錯誤するもよし、かなり勉強と実践をしないといけないの
だろう。
しかし、巷にあふれる学習塾やカルチャースクールのようには、学びの門戸は
開かれていない。そこがある意味、腕の良いハンターを育てていく上でのネックだ。


昔であれば、地区の猟友会に入り、既存の猟友会員は近所の見知った人であって、
地域ぐるみの徒弟制度的な枠組みの中でいろいろと学べたのだろうと思う。
しかし今の時代、誰しもがそういう社会環境の中にいるとは限らない。
狩猟を始めようと思っても、身一つでそういうところに乗り込んで行く勇気を
持った人もそう多くはあるまい。


某大学では狩猟サークルが若手ハンターに門戸を開いてくれている。私の行って
いた大学でもこういうのがあるとよかったなと思う。
同レベルのつたない技術、同年代、そういう仲間と一緒に狩猟に参入できる機会が
あるというのは、なかなか心強いことではないか。
猟友会や自治体で、そういうスクーリングをもっと展開してみるというのも、アリ
じゃないかと思う。

引っ込み思案だが責任感があるゆえに孤軍奮闘で、見よう見まねでやってみて、
ニワカ猟師と呼ばれて終わるより、間口を広げて仲間と楽しく学んで腕も上げて
もらうという方が、精神衛生上もよさそうだ。
古来の猟友会組織のみに頼らず、猟友会と連携しながらも新たな狩猟者コミュニティ
を作っていく、そういう考えが新規狩猟者、特に若手ハンターの確保に必要になって
くるかもしれない。そんな妄想を寝る前にしてみたり。

シカやイノシシの天敵になるオオカミを再び日本の山野に放てば、失われた
生態系バランスは戻り、鳥獣被害もなくなるという意見がある。

なんとなくそんな気もしないではないが、よく考えるとそううまくも行かない
であろうと思い始めるわけ。


日本には、既に在来のオオカミ:ニホンオオカミはいない。
明治時代に絶滅してしまった。

ニホンオオカミは、かつての日本の森林生態系の中では、最上位の捕食者で、
シカにとっての一番の天敵だっただろう。
もっともそれは、野生生物の中では、の話。

人がシカ等を積極的に捕獲してきたのも事実だ。貝塚からも骨が多数見つかる
ことを考えれば、シカとの付き合いは少なくとも何千年も前から始まっている。
有史以降シカを狩っていた記録はある。

だから、何千年前から明治時代にかけては、シカの捕食者はヒトとオオカミの
2者がいて、オオカミの影響の方が大きかった時代もあれば、人の方が捕食者と
しては強烈な存在だった時代もあっただろう、そう考えるのが妥当では。

しかしそれでも、農業被害は生じていた。里山という人間が出入りするバッファ
ゾーンがあって、今より積雪も多いなど、シカにとって不都合な条件もそろって
いたのに、それでもなお農業被害はあったわけだ。

人の関与が無かった時代は、シカにとってはオオカミだけが天敵で、その状態でも
バランスが取れていたのでは?という意見もある。
しかし人がシカ狩りをしていなかった時期というのは、すなわち人が殆どいないと
いう時代だろう。
そこまでさかのぼると、最終氷期以前ということになる。気候はもっと寒冷で、
生物相も現代と異なり、ナウマンゾウが闊歩するような時代だ。今とは別の生態系
が成立していた。
そんな時代に、シカとオオカミの良好な関係が成立していたとしても、それを現代
に再構築しようというのは無理な話だ。

だから、オオカミの放獣だけですべてが解決するというような、単純な話ではない
わけだ。そういう楽観論には大反対だ。


純粋なニホンオオカミはもういない。別の亜種を持って来るしかないが、かつての
ニホンオオカミのように振る舞ってくれるかは、未知数だ。また、かつてのニホン
オオカミの振る舞いも、実はよく分からない。さてどう考えたものか。

リスクはあるだろう。家禽家畜への被害、人への傷害などの懸念は払拭できないし、
食ってほしくない鳥獣ばかり狙われる可能性もある。しかし必ず、そういう被害を
必ずもたらすとも言い切れない。被害の程度もわからない。

リターンもよく分からない。本当に日本のシカやイノシシの個体数制御に貢献して
くれるか、それはまさに、やってみないとわからないという状況だろう。
大活躍かも知れないし、不発かも知れない。

現状ではハイリスク・ハイリターンどころか、不明リスク・不明リターンという、
何とも手を出しづらい代物だ。だから放獣の是非はまだ判断しない方が良かろう。
判断しろと迫られれば、安全側に立って、やめておけばとつぶやくしかない。

日本の森林に上位捕食者を復活させるということ自体は、検討の余地はあると思う。
ただし、農業被害の救世主というような乱暴な位置づけではなく、人の関与も踏ま
えたうえでの望ましい森林生態系の再構築という観点で、じっくりアカデミックな
議論をして、調べて、その妥当性を探っていけばいいのではなかろうか。

昨今の鳥獣被害の原因は、狩猟の規制が強すぎるゆえに捕獲圧の低下を招いた
からだという意見がある。

守り過ぎて、増えすぎた。確かに一理ある。
明治以降の急激な捕獲圧の上昇、個体数の低下を懸念して、狩猟規制を強化した
こと自体は妥当な施策だったと思う。

問題はそのあとだ。個体数の回復に応じて規制に緩急をつければよかったわけだ。


しかし実際にそのように運用することが簡単なわけでもないだろう。

まずもって、そもそも、正確な個体数の把握ができなかったのだ。
もし、1年おきに信頼性の高い個体数が把握できるという状況であれば、結果は
もっと違ったかもしれない。だが現実はそうはいかなかった。

技術面の問題があった。
動物の数を数えるのは大変だ。山に分け入って一頭ずつ数えるなんていうことは
物理的に無理だ。だから生息痕跡とか、一定の限られたエリアで数えた結果など、
限定的な情報をもとに推定していくしかない。
しかし、どのようなデータを収集し、どのような計算で推定を行なえばよいのか、
確立された手法は無かったわけだ(今でも、研究途上と言える)。もちろん今の
ように便利な道具も無かった。

予算面の問題もあっただろう。
かつては、シカが将来、農業被害や森林生態系へ被害をもたらすことになるとは、
あまり考えられていなくて、多くの人があくまで保護獣としての認識をしていたと
想像できる。保護のための規制は既に行われていた。
そんな状況だから、調査と言っても、何か切迫した事情の下で実施されるわけでは
なかっただろう。それでは予算配分の優先度は下がり、大きな額は見込めないわけだ。

また、一度設定した規制を緩和するということは、お役所にとっては、勇気のいる、
なかなかの大仕事だ。規制緩和によって、不測の事態が生じる可能性もあるから、
慎重すぎるほど慎重に検討する。判断材料を求める。
しかし、当時、シカの個体数の変化を示す詳しいデータは乏しかった。そうなると、
ある意味ギャンブル的な決断を迫られる。シカの絶滅のリスクを抱えてでも規制緩和
すべきかどうか。…まあ、先送りしたくなるのだろうなと思う。


そう考えると、野生生物の管理には、まずは基礎研究・基礎調査の部分をしっかり
考える必要があったのでは?ということに気付く。
野生生物管理の戦略、戦術を考えて、制度に活かしていこうとするときのベースに
なる情報を、もっと集めないといけない。

狩猟規制が失策だったというよりは、そういった基礎的な部分がおろそかであった、
というのが問題の根っこなのかもしれない、と、最近思うようになってきた。


しかし、「現在はとるに足らないと思われる生物について、将来役立つかもしれない
ので巨額を投じて調査したい、その調査は長期的(永続的)に続けたい」という要望に
対して、快くOKを出してくれる人は、今でもなお、少数派な気がする。
それでやっぱり、野生生物の管理というのは、後手に回ってしまうのだろうと思うわけだ。

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