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今後の原発はいらないと思う / / 放射能除去の情報には疑問を感じる

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これまでの市民科学講座 - 市民研アーカイブス
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市民科学研究室がこれまでに行ってきた調査研究や市民むけの講座
2004年3月13日
第160回 世界を動かす原理主義
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www.csij.org/archives/2007/01/post_52.html - キャッシュ
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《一部抜粋》 

■「見えざる手」は万能か?

■日本型原理主義の二つの流れ

二つ目の流れは、斎藤貴男氏の言うところの「カルト資本主義」である。斎藤氏は経営コンサルタントの船井幸雄氏や京セラ創業者であり名誉会長の稲盛和夫氏をカルト資本主義の筆頭にあげている。斎藤氏はその11 の特徴を同じ名前の著書で紹介している。

■個人的な体験

 10 年前の私なら、斎藤氏のこの指摘にまったく耳を貸さなかったであろう。その時、私はカルト資本主義の真っ只中にいた。当時、比嘉照夫琉球大学教授が発見したEM(有効微生物群)の産業利用、特に排水処理に応用する技術を確立する職に就いていた。微生物による通常の水処理(活性汚泥法)にEM を使えば、発生する汚泥がゼロになるという謳い文句に惹かれ就いた仕事だった。難分解性の物質も分解できるという。寝食を忘れ、技術開発に熱中した。しかし、結果はことごとく失敗に終わった。一部、硫化水素の発生抑制などで成果を上げたが、それはEM でなくてもできるものである。
 私が属していた会社の社長は、自分の発明センスを信じて疑わない人だったが、科学や技術をほとんど知らなかった。船井が自著でEM を取り上げたことにより、EM への問合せは引きも切らない状態だった。その多くが大企業からの問合せである。船井の影響力は甚大だったのだ。会社の中で技術がある程度わかる者は私一人だったため、多数の課題を抱え込んだ。測定のサポートをしてくれる者はいたが、微生物学も水処理工学も知らない素人を集めて作った会社だったので、下手なことを言うと実態はなにもないことがばれてしまう。社長もそれなりに自分のいい加減さを把握しており、専門的な説明が求められる場には私が出なければならなかった。
 EM がまやかしであることに気付くまでに、そう長い時間は要しなかった。それまで表に出ていたデータもいい加減なものであり、到底学術的議論に耐えられるようなものではなかった。社長も比嘉教も当てにならないが、私は微生物技術の可能性と技術者としての自分の可能性に賭けた。EM に頼らなくても画期的な排水処理技術を確立する可能性そのものは否定できないからだ。 
 EM岡田茂吉創始し世界救世教の内部で使われ、その後世間に広がった。生ゴミを家庭で堆肥化する方法および農薬や化学肥料に頼らない農法として脚光を集めたが、今ではあまり話題に上らなくなっている。宣伝文句ほどの効果が得られないためだ。効果が上がらない時、比嘉教授は「使い方が悪い」と一蹴する。使う者の「心」に問題があるというのだ。技術に携わる者は、不可能とされる目標に挑戦しなければならない。開発に取り組む際の気持ちの持ち方が結果を左右することもある。だが、奇跡は起きない。技術として確立するためには、制御可能な体系にまとめなければならない。再現性が求められるのだ。
 EM 関係者は再現性の乏しさの根拠を、条件の変化に置いていた。排水処理や農業では無数の変動要因を考慮しなければならないことは事実だ。多種の微生物の混合系であり、ひとつの複雑系である。複雑系のメカニズムは要素還元的なアプローチでは解明できない。ここに科学ではなく、怪しげな「神」がしのび寄る隙間が生まれる。
 EM に携わる者の多くは世界救世教係者が占めてきた。私が勤めた会社の社長も、社員の多くも信者であった。発明に取り組むとき、さすがに社長は根性があった。私には真似ができないと思うほどの集中力を発揮した。「EMで環境問題を解決していこう」という目標には夢があった。その夢を共有したからこそ、全力で開発に取り組むことができた。社長や社員が救世教に私を勧誘することは一度もなかったが、岡田茂吉思想をなんべんとなく説かれた。社長は「もうやり尽くしたと思えるほどの努力を積み、限界を超えた時に成功がもたらされる」という信念を持っていた。その根拠を岡田茂吉の思想に寄せている。教祖の思想を実現する手段として自らの職があるという確信だ。それが「必ず成功する」ことの根拠だった。
 ほどなくして私は退職する。嫌になったからではない。環境問題の解決には多様なアプローチが必要であり、(あたり前のことなのだが)技術はその一手段に過ぎないことが腹に落ちたからだ。こと環境技術に関しては、ほとんどが対症療法に過ぎないことを理解した。技術による解決はよく「End of pipe」と言われる。勢いよくパイプの先端から出続ける水の量を絞ることなく、パイプの先端で処理しようというものだ。環境問題が起きている現場に足を運ぶと、到底技術だけではどうにもならない場面によく遭遇する。ダイオキシンが飛散した土壌や、地下に浸透してしまった汚染物質の浄化など、起きてしまった事を解決するために技術はほとんど役に立たない。また、成長を続ける経済を前提に、循環型社会の実現は不可能である。経済の仕組みそのものの問題であり、私たちが科学技術に対しあまりに過剰な期待をいだいてしまっていることが問題なのだ。そう結論を出し私は別の道を歩むことになる。しかし、この時点では自分が「カルト資本主義」にいたことをほとんど認識できなかった。

■「科学とはなにか?」

 カルト資本主義的な思想は、特定の者たちのみに固有の思想ではない。船井氏をはじめとするカルト資本主義者は、ニューエイジ的な精神偏重とナポレオン・ヒル的な成功哲学を融合させている。盛田氏ら多くの経営者、技術者は技術解信仰を根底に置く。実際には「技術解信仰」カルト資本主義は絡み合っている。現状の困難を打破する術として、それぞれの確信を主張するが、どちらも根本的な問題解決には結びつかない。なぜなら、それらは結果的には現状肯定につながり、また個人により深い信仰心を抱かせ、組織や成功願望に従属させることで根本的な疑問を持たないような者を生み出していくからだ。

http://www.csij.org/archives/2007/01/post_53.html

講師:小林一朗(環境・サイエンスライター)
9.11事件以降、キリスト教およびイスラーム原理主義が注目されている。原理主義とは特別な人たちの信仰でも取り分け異常な行動でもなく、私たちの周囲に数多く見られる思想・行動様式である。例えば90年代勢いを増している「市場原理主義」は世界を統一された市場「狩り場」にしつつあり、日本の経営者には自らや法人を神格化している例も散見される。 なぜ、世界を原理主義が席巻するのか?宗教、経済、イデオロギー、科学技術などの分野を取り上げ、共通する「原理主義的性質」について報告する。


武力では持続可能な社会は創れない. 2004年5月29日.
環境・サイエンスライター小林一朗.

市民にとってよりよい科学技術とは―市民の問題意識を高めるための講座や勉強会を運営し、市民が主体となった調査研究や政策提言や支援事業をすすめています。科学技術にかかわる意志決定の市民参加、社会問題の解決、持続可能で生き生きした生活、科学研究や教育を実践 ...

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