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(27日のブログはインド通信−001〜003までまとめてアップしています。探して読んでください。)
12月23日
朝食は旧市街の行列のできていたサモサ屋で食べた。ショウガ入りのチャイとスパイシーな中身がつまったサモサであわせて10ルピー(27円ぐらい)。アツアツでうまかった。 しばらくそのお店で本を読んだあと、あてもなく適当に旧市街の裏道から裏道へとウロチョロした。旧市街の裏道はすごい。何がすごいってその不衛生さ。大体、大通りでも不衛生なインドだが、旧市街の裏道はさらにやばい。 ウンコは当たり前だが、ねずみの死骸の山をあさる野犬、交尾をしようとして断られる牛にたかるハエの大群、世界の終わりのような色をした泥水を飲むサル。本当に汚くて足の踏み場がなく、そして吸う空気も汚らわしい気がしてくる、というか絶対体によくないはずだ。裏道に住む人々は色が黒い人が多く、見るからに貧しい。きっと彼ら不可触民(カースト制度の最下層にも位置しない、人間として認められない人々。インドでは表面的にはカースト制度は廃止されているが、実質はよくわからない)であろう。 そんな裏道をひたすら歩き回り、人々の生活ぶりを見たあと、大通りにでるとなにやら賑やかな太鼓の音が。釣られていってみると、なにやらオレンジ色のサリーを着た300名ぐらいの女性たちに囲まれ、象に乗った威厳あるオッサンが行進している。行列の脇には花ビラを投げる人たちも。あの逆さに釣りあがった髭。あのオッサンはマハラジャか? とりあえず超インド的で、迫力満点なので興奮してカメラ片手に我を忘れてその行進のど真ん中に飛び込んだ。まるでマハラジャに(象の上の人がマハラジャかどうかわからないがとりあえず便宜的に彼をマハラジャとしておこう)撮影許可をもらったカメラマンのように、ルール無視で縦横無尽に行進の中を動き回り、モミクチャにされながら激写。 行進は2kmほど続き、どこか寺院のようなところに到着。そして、なにやら儀式のようなものが始まり、民衆のボルテージは最高潮に。隙間もない群集、前にも後ろにも進めない。ものすごい熱気とそれを増長するようなエスニックな音楽。人々は口々に何かを唱え、またあるものは旋律を奏でる。 これが何なのか、この人たちは誰で、何を言っていて、何をしてるのかはとりあえず考えず、ひたすら無心に写真を撮り続けた。 やがて潮が引くように熱気は引き、人々も少なくなっていった。いつのまにかマハラジャもいなくなっていた。一体、なんだったんだろうか、あれは。 興奮冷めやらぬまま、旧市街を南の門から抜け、丘の上に登った。サルを500匹ぐらい追い払い、200匹ぐらいのヤギに頭突きをされないかとヒヤヒヤし、野犬に追われ、そして地雷のように点在するウンコの山を避け30分ほどで頂上に。すると、丘の向こうには谷が広がり、谷底になにやら建物が。 その光景は僕に、村上春樹の「海辺のカフカ」で最後にカフカ少年がたどり着く森の奥の集落を連想させ、興味を持った。疲れていたが谷底へと降りていった。 するとそこはハヌマーンテンプル、通称モンキーテンプルと呼ばれるヒンズーの寺院だった。そこは丘の上からでも感じたように不思議な空間だった。ぼくは間違えて本当にカフカ少年のように、どこか違う世界に来たのかと思ってしまった。 そこでは沐浴するガートがあり、祈りを捧げるための神様の像があった。そして、緑や赤、水色ピンクなど派手なサリーを着た女性たちが、意外な来訪者を見るような目で僕を見ていた。 旧市街の中で出会う人々とは少し違って、彼らはとても穏やかで優しい雰囲気があったので、写真をたくさん撮らせてもらううちに仲良くなって、話をしたり、チャイをご馳走になったりした。聞くところによると彼ら彼女たちはこの寺院に住んでいるのだという。 谷底の夕暮れは早く、暗くなり始めたので名残惜しかったが、牛と野犬とヤギとサルがたむろする街灯もないあの丘を、安全にそしてウンコも踏まずに越える自信と勇気がなかったので、帰ることに。 もう少し、この街の空気の中に身を置きたかったのだが、新しい発見と刺激を求めて次の地へ向かおうと思う。何しろこの旅の時間は限られているのだ。 次はアーグラーを経由してカジュラホーへ向かう。 ※竹沢 うるま写真展 「Rainbow's Legend」@PENTAX Forum 1月16日〜1月28日 うるま
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Blog-2007
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(27日のブログはインド通信−001〜003までまとめてアップしています。探して読んでください。) 12月22日
朝、喧騒とともに目が覚めた。
写真はHAMA HAMAL(風の宮殿)。ふくらはぎが筋肉痛になっていた。そういえばインドに来る前は、自宅にこもっていたのであまり歩いていなかったかもしれない。久しぶりにずいぶん歩いたらこの筋肉痛。もう若くないなと痛感。 リクシャー(自転車の後ろに客が乗れるような籠が付いている人力タクシー。語源は日本の人力車。ちなみにリクシャーのバイク版はオートリクシャーと呼ぶ。これから毎日この名が出てくるので覚えておいてください)を捕まえ旧市街へ。 ジャイプールの旧市街は赤茶色した城壁に囲まれており、建物もほとんどが赤茶色。その特徴からここは通称ピンクシティと呼ばれている。 その中心にあるHAMA HAMAL(日本名:風の宮殿)へ。午前中、その周辺をウロチョロ。 この街は活気に溢れている。観光客はデリーやアーグラーほどではないが、まぁまぁ見かける。しかし、街の人々は観光客なんて目もくれず、黙々と自分たちの生活をこなしている。僕がウロチョロしていてもあまり気にもならないようだ。 昼からは郊外の丘の上にある城塞、Amber Fort(アンベール城塞)へ。こちらは数百年前にこの地域のマハラジャがムガール帝国の脅威に備えて作った要塞だそうだ。丘をハァハァゼェゼェいいながら登る。この調子じゃ明日も間違いなく筋肉痛だろう。 アンベール城塞に到着し、城内を見る前にとりあえず中庭で昼寝。地べたに寝転び、心地よい太陽の光を浴び、知らぬ間に熟睡。これじゃあ、街中に転がってる死んでいるのか生きてるのかわからないインド人と一緒である。 アンベール城塞のさらに上には、ジャガール要塞というこれまた同じマハラジャが作った要塞があり、やめればいいのについつい登ってしまった。まだ先があると聞くと、行かずにいられないこの性格。頂上に行かなければ気がすまないのである。 パンパンに張った足で、さらに急な石畳を頂上目指して登る。ツライ。40分ほどかけて到着したジャガール城塞は、もしかしたらとうすうす予期していたが、とても退屈な場所だった。悲しいがとりあえず一所懸命登ってきたので、コーラでひとり祝杯をあげ、近くにいたラクダに「いやぁ、苦労したわりにはつまらんところやね」と苦労話を聞いてもらった。ラクダは僕の話には興味ないらしく、一度ゆっくり僕の瞳を覗き込んだあと、その長いまつげの瞳で遠くを見つめながら口をモグモグ動かしていた。何を見ているんだろうかとその先を見てみるとそこには車が。実はこのジャガール城塞、違う道で車で上がってこれるんだとさ。あぁ、悲し。 トボトボと登ってきた道を下り、Pink City行きのローカルバスに乗り込む。10kmの道のりが5ルピー(13円ぐらい)。バスは超満員で、東京の朝のラッシュよりすごいことになっていて、スパイシーな体臭を放つインド人たちにもみくちゃにされてしまった。 晩飯は、カレーを。インド人は宗教的な理由でベジタリアンがとても多く、お店の大半はベジタリアンメニューのみである。インドについてから野菜カレー以外食べてなかったので、そろそろ肉を食いたいなと思って、チキンカレーを出してくれる店を探し出し、食べに行った。 値段は70ルピーと少々高かったがチキンカレーを注文し、一口食べたら、なんとチキンが半生ではないか。こんなもん食えるか!と店員に言ったら、笑顔でおいしいでしょ、って顔をされた。とりあえずこちらも日本人の愛想笑いで応対。英語が通じずしかたなく諦めることに。 結局、チキンをよけて食べたらただの野菜カレーになってしまった。あぁ、悲し。 うるま ※竹沢 うるま写真展 「Rainbow's Legend」@PENTAX Forum 1月16日〜1月28日 |
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(27日のブログはインド通信−001〜003までまとめてアップしています。探して読んでください。) 12月20日 成田でカツ丼とそばを食い、出発。いつもはウナギを食べてから出発するのだが、なぜかカツ丼にしてしまった。よくない事が起こらなければいいが。
飛行機に乗り込むと、スパイシーな匂いが。またしても乗ってしまった、エアーインディア。もうこの飛行機に乗るのはやめようと思いながら、ついつい安いのと、あと結局直行がエアーインディアぐらいしかないので(JALもあるが便数が少ない)乗ってしまう。
機内は黄ばんでいて、早くもインドの空気。ガムテープで修理された席に着き、上を見上げると、たくさんの傷が。なかにはものすごい硬いものがすごい勢いで天井にぶつからないと出来ないような深い傷があり、いったいどういう状況でこの傷が付いたのかを想像し、この飛行機に乗り込んだことを少し後悔した。そういえば、この前乗ったときは、天井に血痕があったっけ。
飛行機は予定通り1時間遅れで飛び(エアーインディアがオンタイムで飛ぶのは奇跡に近い)、上空へ。普通ならそのまま太平洋に出て四国上空を進むはずなのに、なぜか飛行機は羽田上空を通り過ぎる。大丈夫、機長?
とりあえず、晩飯にカレーを食い(これが超濃くて参った。うまいけど煮込みすぎで極濃)、死体だか寝てるのかわからない人間の山を越え、ウンコの道をしっかりと踏み歩み、牛を押しのけて散歩をし、宿に戻り就寝。明日は早起きして、この旅の予定を立てよう。しばらくすると、ガガガガガッ・・・・という激しい音がして、外を見ると翼がやけに震動している。いままで何百回と飛行機に乗ってきたが、翼があんなに揺れているのは見たことがない。「つ、つばさが折れる!?」。これは死ぬのかもと真剣に思い、恐怖の時間が3分ほど続いた後、大きな音と翼の揺れはなくなった。きっと機長がどっかに得意のガムテープでも張って修理したのだろう。もしかしたらスパイスを振りかけたのかもしれない。恐るべし、エアーインディア。 ちなみにロイヤルネパール航空は、飛行機のエンジントラブルの際、ヤギを一頭、飛行機の前で生贄にしたという。すると飛行機は無事飛んだという(これ2007年の話です)。 飛行機はデリー空港周辺で、着陸許可が出るまで1時間も旋回し続け、ようやく到着。 空港でタクシーに乗り込み、ニューデリー駅周辺のメインバザールを目指すが、渋滞にはまり、結局、20分でいける道のりを2時間弱かけて辿りついた。途中、壊れた車を30台ぐらい見かけた。ガムテープでも持っていれば渡したのに。 今日泊まるホテルをどこにしようか探し、メインバザールから少し外れたところにある、ラブホテル街並みのネオンが立ち並ぶ安宿街の一画のホテルに、立ちはだかる客引きを押しのけ滑り込む。 12月21日 今日、朝一でニューデリー駅のツーリストオフィスに行った。
一番乗りで待たずに電車のチケットを買おうと思ったのだが、同じ事を考える人間は多く、僕が到着したころにはすでにバックパックを背負ったヨーロピアンがたくさんいた。
※竹沢 うるま写真展 「Rainbow's Legend」@PENTAX Forumとりあえず、デリーから南西に270kmのところにあるラジャスターン州のジャイプールまでのチケットを購入。上から3番目ぐらいの等級の席で値段は170ルピーぐらい。日本円で約500円。最初の目的地は瓦礫の砂漠の城塞、ジャイプールに決定。 電車は15:05発。それまで、メインバザール周辺でチャイ(インドのミルクティ。砂糖たっぷりいれ、シナモンやショウガを入れる)を飲んだり、カレーを食ったりして今後の旅の予定を立てる。 予定時刻どおり、電車はジャイプール向けてゆっくりと進みだす。市内を通り抜けるのだが、線路脇にはたくさんの貧しい人たちがゴミと一緒に生活している。彼らにしてみれば、列車は夢と富を乗せた希望の鉄の塊のように見えているかもしれない。線路の続く先にあるであろう彼らにとって幻想の幸せの大地に向かう僕たちを、諦めと羨望の眼差しで見つめていた。 そして僕は、無力と無関心を装った目で彼らを見ていた 列車はそんな貧困の街を抜け、やがて郊外に。しばらくウトウトしていると、「チャーイ!チャーイ!」というチャイ売りのオジサンの掛け声で目が覚めた。隣に座ったインド人のおっちゃんがチャイをおごってくれ、それを飲みながら列車の外を見た。 そこには、一面の黄色の花畑が広がっていた。どこまでも続く黄色い花畑。淡い黄色の花と暮れ行くやさしいピンクの空。夢のような不思議な世界を、列車は無機質に進む。僕はこの何処までも続く黄色い花畑を、花がとても好きだったあの人に見せてあげたかったなぁ、なんて思いながらぼぉーっと外を眺めていた。 時おり笑顔で腕を振る人たち。列車のコンパートメントに一緒に居合わせた仲の良いロシア人母娘、親切なインド人たち。列車は幸せのかけらを少しずつ集めながら目的地へ進み、6時間かけてジャイプールに到着。 まずはホテル探し。もう夜遅いので、早く見つけたいところだったが、この日はイスラム教の大きなフェスティバルがあるらしく(ラジャスターン州はモスリムが多いらしい)、6~7件ぐらいホテルやゲストハウスを回るがすべて満室。 ようやく見つけた空室のあったホテルは少々高く500ルピー。僕としては宿は一泊300ルピーぐらいのところを目安にしているので、かなり割高だが、他のホテルを探しにいくには今日は疲れすぎていたので、そのまま宿泊。宿については明日また考えよう。とりあえず疲れた。 晩御飯に近所でジャガイモのカレーとチャパティを食べ(35ルピー)、部屋に戻り、隣の部屋のインド人がうるさかったが、そのまま爆睡。 明日の予定は明日考えよう。今日は疲れた。 1月16日〜1月28日 うるま
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僕はいま、インド北中部、カジュラーホーという小さな街のネットカフェにいる。 生きているか生きていないかで言えば、生きている。しばらく音信不通になってしまい申し訳ない。なかなかネット環境に恵まれずに、ブログをアップできなかった。 この一週間、ウンコの道を歩き回り、牛を300頭ぐらい蹴飛ばし、1億人ぐらいのインド人とすれ違い、野犬に追われ、祭りの渦に飲み込まれたり、インド人のやさしさに触れたり、インド人に腹を立てたり、なんだかんだ濃密な日々をすごしていた。 ここカジュラーホーはほかのインドの町と比べて静かですごしやすいので、ここで少し休憩。風邪を引いてしまったので、その休養も兼ねてこの街でのんびり。 ブログは毎日、自分のパソコンで書いているのだが、そのパソコンをネットにつなぐことができない。どこかでつなぐことができたら写真つきでまとめてアップしますね。なんだかんだ興味深い写真が撮れたので、楽しみにしていてください。旅の詳細もそちらで紹介します。 日本はクリスマスが終わり、もうお正月気分なんだろうか? こちらはヒンズーとモスリムの国なので、クリスマスやらお正月とは無縁。一昨日ジャイプールで行ったマハラジャのお城には、クリスマスツリーが飾ってあったが、クリスマスっぽいのを見かけたのはそれぐらい。 とにかく、僕は生きていて、インドを歩いています。 ※竹沢 うるま写真展 「Rainbow's Legend」@PENTAX Forum 1月16日〜1月28日 うるま |
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20日からインドに行く。 本当は4週間ぐらいいく計画を立てていた。インド・デリーから始まり、そのままインド中部からネパール・カトマンズに入り、さらにネパールから東へ向かいインド北東部・ダージリンへ。そして、そのままブータンの首都ティンプーまで、すべてバスと電車と歩きで行こうと思っていた。 しかしながら、なんだかんだ年明けの予定や、年内に終わらせなければならない仕事などを考えると、そんなに長期いなくなるわけにもいかず、結局、現実的なところで12月20日出発の2週間、長くても3週間ほどとなってしまった。 なので、今回はインドのみになると思う。もしかしたら、ネパール・カトマンズぐらいまで行くかもしれないが、予定なき旅なので、そのへんは適当に。 貧困の海を泳ぎ、人の波をかき分け、カオスのうねりを体に受けて来ようかと思う。最近行った人に聞くと、ずいぶん都会になったそうだが、それでも混沌としたあの空気は変わらないだろう。 愛用のバックパックを押入れから引っ張り出し、寝袋やら何やらを詰め込む。普段、たくさんの撮影機材と一緒に海外に行くので、こうやってロケではない海外旅行に行くときに、持って行くものなんてほとんどないことに気が付いた。ズボン2着とTシャツ4枚とサンダルと寝袋とカメラ一台ぐらい。 バックパックに少ない荷物を詰めながら、今回の旅を楽しみにしている自分に気づく。やっぱり、自分は旅人間なんだなぁ、とつくづく思った。 今回はひとり、ふらふらとあてもなく、貧困と牛と死体と神様とウンコの山を乗り越え、カオスの世界を漂ってきます。インドの旅はかなりのエネルギーと、タフさと、ある種の鈍感力が必要とされるが、そのなかでいろんな人と面白い出会いがあればなぁ、と思っている。 ※竹沢 うるま写真展 「Rainbow's Legend」@PENTAX Forum 1月16日〜1月28日 うるま |
