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         〜*〜*〜 6/17 NIKKEIプラスワンより 〜*〜*〜 






まずはこちらをご覧下さいませ♪ ⇒ http://www.nikkei.co.jp/p1/ranking/








あたしは手抜き料理専門ですが(笑)

上には上が!

みなさん、工夫してますね〜!




楽しそうだから、試してみようかな♪





最近の冷凍食品は本当に美味しいし、種類も豊富。


時間のない時、疲れてイヤ〜!って時など、とっても重宝しますよね。




うちは「たこ焼き」「茶豆」「そら豆」は常備品。


・・ってコレ、あたしの酒のつまみぢゃん!><





みなさんのお気に入りはなぁに?






    追伸: それにしても、手間を省くために使う冷凍食品に、

        「一手間かけるだけで全く別の料理に生まれ変わる」っていう表現・・・アハハ笑える!

「冗談関係」

            〜*〜*〜 6月2日 毎日新聞朝刊余録より 〜*〜*〜





「冗談関係」というと何かおもしろそうな喜劇映画か何かを思い浮べるが、

れっきとした人類学の学術用語という。

辞書には「互いに揶揄(やゆ)や卑語を交わしたり、

相手の物を盗んだりすることが許されている関係」(大辞林)とある。

ま、要するに冗談をいえる仲だ。

人類学では親族間の「祖父母と孫」「オジとオイ」「義兄弟」などが冗談関係だそうだ。

つまり直接的ではなく、ワンクッション置いた関係である。

そのため、ひやかしたり、からかったりしてもお互い怒ったりしない余裕があるのだろう。

祖父母と孫の関係と比べればすぐ分かる通り、

親と子の関係は抜き差しならない緊張をはらんだ関係だ。

愛情の半面に激しい葛藤がありついていることも少なくない。

親が気軽にかけた言葉が、子供の途方もない怒りを呼び起こすこともあるだろう。

むろん親と子の関係はさまざまだ。

他人には分からない機微もあろう。

だから、東京都杉並区と千葉県習志野市で30代と20代の息子が

両親を巻き込んだと見られる無理心中のような事件が相次いだからといって、

それを簡単にひとくくりにはできない。

ただ子の幸福を何よりも願ったであろう両親だ。

それを当の子供が手にかけ、自ら命を絶つというほどの不幸は、

子を持つ親の一人として他に思い浮かばない。

閉ざされた家庭の中では親子間の緊張も圧力釜の中のように高まろう。

その緊張を外に逃がすすべがなかったのが残念である。

さまざまな事情によって親元からの社会への船出につまずく若者が増えている時代である。

そんな時、親子の関係が心の重荷になることもあろう。

どうか若者たちには、親類でも友人知人でも、

とりあえず自分がリラックスできる「冗談関係」を何とか探しだしてほしい。

イメージ 1

                        

                        父の故郷、新潟県は六日町の長閑な風景






♪故郷

作詞 高野辰之/作曲 岡野貞一



兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷

如何に在ます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷










〜*〜*〜 5月22日 電通報より 〜*〜*〜




実は見納め「残したいね日本の風景」〜かけがえのない″ふるさと″を思う〜

フリープロデューサー 藤岡 和賀夫




〜「人」ではなくて「風景」と気付き


長い間、ずっとふるさとのことを私は考えてきたような気がする。

自分にはふるさとがない、
そんな脅迫観念めいたものに絶えず取りつかれていたからなんだろう。

生まれた土地は私にもある。

いまの兵庫県東灘区だ。

しかし3歳のころ家族と共に上京したから、その地には記憶のとっかかりもない。

では3歳から15年ほど過ごした東京・渋谷区の町がふるさとなのか。

それがそうとは言えないからもどかしいのだ。

ではなぜそこがふるさととは思えないのか。

戦争があって、空襲があって、町が壊滅した。

戦後があって、復興があって、新しい町ができた。

が、昔を呼び戻すような面影はかけらもなくなっていた。

小学校の同窓会があって何十年ぶりにふるさとを訪ね、そのことを確認したとき私はうろたえた。

私はこれでふるさとのない人種の仲間入りをするんだ。

その時その場には昔懐かしい顔が何人も何人も並んでいたのに、
私はそれがふるさととは到底思えなかったからだ。

あ、ふるさとは「人」ではなかったんだ。

「風景」だったんだ、と気が付いた初めだった。

その後、父のふるさとである愛知県津島を訪ねてその思いは更に強くなった。

父が残した〈ふるさとの思い出〉文集を読んだだけで、
一度も訪ねたことのないその村に立って、
文集に出てくる川を眺め、
文集のまま、川の中の大きな石の上から裸の子供たちが次々と川に飛び込むさまを眺めたり、
菩提寺を訪ね、
文集にあった珍しい二重柿の柿の木を眺めたりして、
私はいつしかその見知らぬ土地にふるさとの安らぎを感じるようになっていた。


〜近年、昔の面影は急速に壊れていく


今年の春、ウクライナから63年ぶりに
上野さんという旧日本兵がふるさとの岩手県に帰ってきたという話題のニュースを聞き、
私は彼の生まれた洋野町が
どうか昔ながらの面影を残していてほしいと祈らずにはいられなかった。

上野さんは、何もかも新しくきれいになって昔の面影はないと驚いたようだが、
それでも子供のころ遊んだ神社や炭焼き小屋と再会して
懐かしい思いで胸がいっぱいになったという。

平成14年に拉致から24年ぶりの帰国を果たした曽我ひとみさんについてもそうだろう。

長い辛酸の記憶を少しずつでも鎮めることができたのは、
やはり佐渡島・真野町(旧)の懐かしいふるさと風景だったに違いない。

もちろん、懐かしい人の顔も言葉も食べものもふるさとには大事なもの。

が、それもこれも、ふるさとの風景があったればこそのことだろう。

しかし、しかしだ。

その肝心のかけがえのない風景が近年急速に失われているのだ。

ガラガラ音を立ててと言っていいぐらいの勢いで壊れていっている。

それを知って私は居ても立っても居られなくなった。

そして誰もこのことについて何も言わず何の行動も起こさないのなら、
私自身がいまのうちに自分の目で見て、
せめて記憶に残すぐらいのことはやってみようと思ったのだ。

それがこの4月刊行した『残したいね 日本の風景』のきっかけだった。

だからそれは、ふるさとなき男の感傷が生んだ本とも言えるのである。



〜言葉、風景、習慣も書物に留めるべき


〈レッドブック運動〉ということを数年前から私は唱えている。

レッドブックとは、〈絶滅のおそれのある野生生物等〉のデータを集めた資料を
レッドデータブックと称することに倣ったわけで、
そうなら、いまや〈絶滅のおそれのある〉日本の言葉、風景、習慣も
書物に留めるべきだという主張と実践である。

その第1弾としてすでに一昨年には
『懐かしい日本の言葉』ミニ辞典[正][続]2巻を宣伝会議から刊行した。

従って、この風景本は第2弾というわけだ。

この本が〈東北五十色〉と謳って東北地方をまず取り上げたのはほかでもない。

懐かしい日本の原風景がまだまだ一番見られるのが東北地方だろうと思ったからだ。

が、現実の絶滅進行度は私の予想を遥かに超えていた。

里山風景の象徴であった茅葺き民家は、
ここに一軒あそこに一軒と探さなければならないほどに減っていたし、
せめてトタン屋根の形でも残っていればとの願いも虚しく、
いまや集落全体の戸数が激減しているのだ。

残ったのは私たち二軒だけですよという話にいくつ出会ったことか。

それで分かったことは、
ある一定数、三十戸か四十戸かを割り込むと集落は急激に崩壊の道へ進むということ。

つまりある数を割ると、
伝統的な農村の互助組織・結が機能しなくなるから、
共同作業に頼ってきた茅の葺き替えや田畑の農作業も休止に追い込まれるのだ。

道理で、春私が見た棚田が秋に実りを見せない。

そういう休耕田、耕作放棄地を随所で見たが、
すると今回私が取材したのは、はからずも「日本の見納め風景」だったということである。

35年前、私は〈美しい日本と私〉という副題を添えて
ディスカバー・ジャパンというキャンペーンを張ったが、
こんなに早く最後のディスカバー・ジャパンに来てしまった。

いまだに信じられない思いである。

卯の花

        〜*〜*〜 5/24 毎日新聞朝刊余録より 〜*〜*〜







雨続きで気がくさくさしていたのだろう。




「卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の始水(はなみず)に

                     寄る木屑(こつみ)なす寄らむ子もがも」。




この大伴家持の歌が「卯の花腐し」という季語のルーツという。

長雨の水に寄り付く木片のように寄り添ってくれる娘でもいればいいのにというぼやきだ。

梅雨前の5月の後半ころに降る長雨が「卯の花腐し」、

またこの時期の曇天を「卯の花曇(ぐもり)」という。

晴れれば初夏の日差しが花の白さと葉の青さを輝かせてくれる季節である。

さて長雨のうっぷん晴らしを歌に詠むか、緑雨の風情を句にひねるか。

このゴールデンウィーク明けから続くぐずついた天気をめぐり

気象庁は日照不足にともなう農作物管理などへの注意を呼び掛けた。

本州を縦断するようにのびた前線の影響により、

今月20日までの日照時間は東・西日本の太平洋岸で平年の60%程度にとどまっているというのだ。

実際には卯の花に影響はなくとも、

一部野菜には生育遅れが見られ、すでに市場でも値上がり傾向という。

麦の収穫への影響も懸念されている。

この季節の天候の微妙さ、その農作業への影響もあってのことだろう、

昔は卯の花の咲き方によってその年の作柄が占われてきたという。

植物エッセイストの野崎茂太郎さんは

卯の花は大昔から農作業の時期を教えてくれる木として農耕と深く結びつき、

また卯杖(うづえ)で土を打つ神事など信仰にもかかわってきたという(「忘れられた花」)。

田の神は卯の花に宿って豊凶を教えてくれたらしい。

長雨で腐ったのは花ではなくて人の気持ちだった。

豊凶が占われたのはその白い花が米粒を連想させたからのようだ。

思い通りにならないお天気と、

人の気持ちや願いとを古くから取り持ってきてくれた卯の花にはご苦労さまといいたい。

            



            〜*〜*〜3/13(月) 電通報より〜*〜*〜




「眼球運動で作曲する少年」 〜感動共有の願いが豊かな旋律に

         
      星山 麻木(ほしやま あさぎ=明星大学人文学部心理・教育学科助教授)




瞳を回すとイエス 動かさないとノー


児玉君は生後4ヶ月から人工呼吸器を装着し、以来24年間大学病院に入院している。

彼はウェルドニッヒ・ホフマン病という神経系の難病で、

手足を動かしたり、言葉を発したりするための随意運動が阻害されている。

彼に残されている唯一の運動は瞳を動かすことのみである。

しかし知的な活動、聴覚、視覚、痛覚は正常である。

彼は瞳を回すとイエス、

瞳を動かさないとノー、

というサインで母親と会話する。

入院以来、病室で付き添っている母親との意思疎通は極めてスムーズで、

瞳をくるくる動かしたり、

どこかをじっと見つめたりしながらコミュニケーションする。

例えば、母親が「ここ痛いの?」と聞くと、

「うん」と答える代わりに瞳をくるりと回す。

しかし、「今日はどんな気分?」という問いの答えを聞きだすのはむずかしい。

無数にある選択肢の中から、

二者択一で言い当てるまで、問い続けることになるが、

予想される答えを迅速かつ的確に選び出し、

楽しい会話を続けられるのは、親子の強い絆があってできることなのだろう。

それでも、彼の心のなかには、

もっと伝えたいことがあるはずであろう、

特に複雑な感情をイエス・ノーのサインだけで伝える努力は、

さぞかしもどかしいだろうと思う。



多感な思いを根気で拾い一枚のCDに


彼は作曲ができる。

小さいころからベッドサイドで付き添う母親が音楽好きで、

あらゆるジャンルの曲をよく聞いていたそうで、

そのせいか彼も音楽好きだ。

音を一つ一つ聞き、好きな音のときサインを出し、それを並べて短い旋律を作る。

この方法は、中学生の時、訪問学級の先生が発見した。

個別授業で、小さなキーボードで一つ一つ音を出していたところ、

ある音にくると、彼は瞳をくるりと回した。

その音から続けて、新しい音を弾く。

最初の音、二番目の音を繋げ、新しい三番目の音を弾くと、また瞳をくるりと回す。

それ以来、先生と音並べが始まった。

何度も同じ旋律を聴きなおし、少しずつ音を増やして、

三ヶ月に一曲のペースで8小節くらいの旋律ができるようになった。

今まで作曲した小品の譜面を見せてもらった。

記念にCDを作りたいというお母さんの願いを聞くうち、

何か手伝えればと、児玉君の病室を訪ねるようになった。

それから三年間、音楽療法という形で週に一度のペースで曲作りを続けた。

回を重ねていくうち、

ベッドに寝たきりの重症の障害者というイメージは払拭され、

彼は悲しいことや悔しいことがあると涙を流し、

怒ると頬っぺたが紅潮して目が潤む16歳の多感な一少年なのだということがわかった。

気持ちが乗らなければ1つも音は拾えないし、

旋律が出来ても気に入らないと先に進まない。

1時間で2つくらい音を拾うのがやっとのこともある。

無数にある音とリズムの組合せから選択しながら、少しずつ旋律を作るのは、根気がいる。

それでも小品は三曲くらいできあがった。

私はいかに彼の精密なコンピューターになろうかと必死になっていた。

そして、ついに1枚目のCDがボランティアの手で完成した。

長年、彼を支えてきた人々の力が結集してできた記念すべき作品集だった。

私は周囲の喜びと裏腹に彼の本当に拾いたい音やリズムを拾っているのだろうか、

と思い悩んでいた。

その頃、米国子ども病院で末期がんの治療を受けている子どもと

即興音楽療法を行っているセラピストの講演を聞いた。

私は悩みを打ち明けた。

「彼の道具になろうとせず、彼と一緒に曲を作ろうと思えばいいのではないかしら?」

と彼女は答えてくれた。

その言葉を聞いたとたん、心の中にあった蟠りがすっと消えた。




  奇跡ではなく周囲の人々の努力の賜物


彼は譜面を読めるわけでも長調や単調の違いを知っているわけでもない。

ただ耳に聞こえる心地よい音を並べるだけだ。

誰が教えたわけではないのに、

嬉しい時には楽しげな旋律になり、

失恋したあと作ると悲しい旋律になる。

私は彼の気持ちに寄り添うように音を拾うようになった。

イエス・ノーのサインは旋律になり、

音楽になり、

多くの人に伝わる。

彼は、音楽を通して、私たちに語りかける。

それは深く豊かなものだ。

彼の音楽は彼を支えてきた多くの人々が共に作り出している。

ベッドの上で寝たきりの生活をしているだけでは生まれてこない。

人工呼吸器のまま海岸に連れ出し、海水浴に挑戦する。

銀座の街に連れ出し、人々のざわめきを聞かせる。

彼の作品は奇跡ではなく、

彼を人として豊かに育てたいと願ってきた母親、

家族、周囲の彼を支えてきた人々すべての努力の賜物である。

自由に言葉を操っても、

相手の心に届いているとは限らない。

しかし、一人の人間が他の人間の生命を慈しみ、

感動を共有したいと本気で願ったとき、

そこには言葉をはるかに超えた豊かなコミュニケーションが生まれる。

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