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中尊寺の麓で、弁慶のお墓に参ったからには・・・
むかしむかし、源義経や弁慶が最期を迎えたこの土地で 後の世の江戸時代に松尾芭蕉が読んだ句デス
ぎけい堂?? 「よしつね堂」か思ってた( ̄▼ ̄; 兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経は 藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。 登りきるとそこは、平泉随一の眺め そして、この○の辺りが「立ち往生」の現場とか。 ・・・そうです 立ち往生とは本来、立ったまま死ぬことの意味。 この平泉の戦いで、弁慶が身体に無数の矢を受けながらも薙刀を杖にして 仁王立ちのまま死んだことが現在の立ち往生の語源となってるとか。 ここには仙台藩のお殿様、四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり 中には義経公の木造が安置されています ここ平泉で若くして最期を迎えた源義経サマ それに仕え、最後まで戦い抜いた武蔵坊弁慶サマ 手を合わせずにはいられません ・・・が。 最後に振り返ると、こんな説明文が 「伝説では この館で自刃したのは、義経の影武者である杉目太郎行信であって 義経はその一年前に弁慶らをともない 館を出て、束稲山を越え長い北への旅に出たのである」 やっぱり義経はチンギス・ハーンになったのか!? これだから歴史って、やめられないですo(^-^)o
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史跡:歴史・伝説
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うずらさん:
この語源から、
後ろにも前にも動けない状態となっていったようですよー。
普段使ってる言葉が、歴史から来てる事
結構あります♪
2014/3/6(木) 午後 10:21
としおさん:
・・・・ね♪
2014/3/6(木) 午後 10:22
義経とかは解りますが。。。
平泉の地まで行っていたのは知りませんでした!
勉強せな! (汗
あ〜、でも、青空が綺麗です! ^^
2014/3/6(木) 午後 11:19
なぬ!?
立ち往生って・・・語源は、そんな意味があったんだぁ!
てか・・・仁王立ちのまま死ぬって・・・どんだけぇ〜(笑)
2014/3/7(金) 午前 0:02
はぁ〜 また食いもんねたじゃないんや…
なんかあったか??(笑)
キンサンらしくない
2014/3/7(金) 午前 0:38 [ Rock’n’ roll部長 ]
おはようございます♪
平泉といえばやはり義経ですね。
歴史上、兄弟で争う事は多いけど(兄弟だからこそなんでしょうが)
やはり悲しい最期です。
でも、私は諸説あるように義経はどこかで生き延びていたんではないかな〜と
思えてなりません。
2014/3/7(金) 午前 10:14
9〜10日、実は巾着さんの後を追うようなクラス会で花巻温泉行きがありまして、・・・・風邪をひきキャンセルしました。
で・こちらのブログで行ったつもりに、させてもらってます。
ひょっとすると、行ったつもりのブログを作るかも、その時はお借りする物が有りましたらお許しを。
出処は明らかにしますネ。
2014/3/7(金) 午前 11:12
MARKさん:
そうなんです♪
雪深い東北を狙っていったのに、小春日和でした(*^-^*)
義経さんは、幼少の頃を鞍馬で過ごしたあと
平泉の藤原秀衡さんに可愛がられ
最期は平泉を頼って流れてきて、亡くなったんですよー。
エッヘン(笑)
2014/3/7(金) 午後 7:50
けん君:
弁慶サマ「俺が盾になる」なイメージです。
立ち往生・・・まさに弁慶しかなし得ないね♪
2014/3/7(金) 午後 7:51
部長:
三度のメシより歴史優先ッス・・・!?(笑)
2014/3/7(金) 午後 7:52
かちょりんさん:
うんうん、義経はヒーローのイメ-ジなので
どこかで生き延びていて欲しいですよねo(^-^)o
2014/3/7(金) 午後 7:53
セイさん:
何と!花巻って、かなりピンポイントですね♪
セイさん目線の花巻記事、すごく楽しみデスo(^-^)o
2014/3/7(金) 午後 7:56
訓読みで「よしつねどう」のほうが
親しみやすいのにね。
頼朝、義経仲良くしていれば
源氏の世が長く続いたかも・・
歴史に「かも」はないけど、そう思う。
2014/3/8(土) 午前 6:10
たしかに歴史って謎が多いですね〜
義経は山形でもゆかりがあって、米沢では”義経焼き”っていうメニューがあります。味付けジンギスカン鍋のようなものです
2014/3/8(土) 午前 11:48
ヨンさん:
うん、
まさかギケイ堂と読むとは思いもよらなかったデス。
歴史に「かも」はないけれど、いろいろと思っちゃいますよね♪
2014/3/9(日) 午後 7:09
8818さん:
山形の義経ゆかり話、知りたいデス♪
ジンギスカン鍋で義経ですか・・
やはりモンゴルに渡ったのかな?
2014/3/9(日) 午後 7:10
よしつね堂って・・・きんちゃん!( ̄∇ ̄;)
どんな思いで最後の時を迎えたんだろう・・・
義経は純粋だったんだろうなぁって思う。
頼朝は武家社会の確立を目指していたから
検非違使になって朝廷・・・公家に中に取り込まれそうになった
義経を排除するしかなかったのかな・・・
そして、平家を滅ぼして名声を上げた弟を恐れていたんだろうなぁ
写真見てるとそんないろんな想いがめぐってくるね。
だから歴史はやめられない(笑)
2014/3/10(月) 午前 0:22
ぼやきさん:
うんうん、ぼやきさんのコメントは楽しすぎて
いつも、もっと聞きたくなります♪
ギケイ堂って、ご存知でした?
やっぱしっくり来るんは「よしつね堂」やろー(笑)
ちなみに「検非違使」
初めて耳で聞いた時は「ケビ石」って石の名前やと思いました。
「・・・あ、検非違使のことか」ってすぐに分かりましたが・・
巾着と史跡巡ると
頭痛くなるか、頭悪くなると思いまーす( ̄▽ ̄)/
そんなん言いながらも
ここ平泉のこの地では、めっちゃ思い馳せました(*^-^*)
2014/3/10(月) 午後 0:51
巾着さんの素晴らしい説明を何度も読み返しました。
「歴史ってこれだからやめられない」そうですよね・・・
巾着さんの「こころの言葉」ですね。
平泉は、まさに義経サマと共にあり!ですね。
でも立ち往生の場所、もっと山のなかかと思ってました。
(ドラマでは山のなかで亡くなった感じしましたので)
2014/3/14(金) 午後 3:04 [ はなせんめい ]
はなせんめいさん:
全然素晴らしくないです(T^T)(T^T)
が、現地では本当に感慨深くなりました
立ち往生の場所、
観光タクシーも兼ねてるという
地元出身の運転手さんが、
この合流地点だと教えてくれました
事実は分からないけれど
地元ではそう伝わってると言うなら
信じてしみじみするのが、史跡めぐりの醍醐味かなって♪
2014/3/15(土) 午後 7:33