忠臣蔵で有名な吉良上野介サマは 三河国、現在の愛知県(西尾市)吉良町のお殿様。 忠臣蔵では、ずいぶん悪者に描かれているけれど 地元では善政を敷いた名君と言われています。
吉良家六代の方々のお墓があります。 「個人のお寺なんで、檀家さんはいないんだょ」と、 案内役の小さいおばぁちゃんが教えてくれた。 赤馬さん 吉良上野介こと、吉良家17代目吉良義央サマ 地元では今でも「赤馬さん」とも呼ばれてるそうです。 「赤馬って、なんですか?」 「赤馬ってのは、農耕馬じゃよ。いわゆる駄馬ってやつだわ。 お輿やお殿様の乗る馬じゃなく、赤馬さんは吉良へ来なさると 駄馬に乗り換えて、領民に声を掛けて廻らんさったんらぁ」 この中に、あの有名な吉良サマの木造が納められてるんやね・・ 吉良サマも眺められたと言い伝わるお庭は、 程よい緊張感のある、とても落ち着く感じのお庭でした。 小さくて可愛いおばぁちゃん、2時間もお話聞かせてくれてありがとう。 真実は分かんない。 けれど、地元では今も慕われているお殿様だってことは すごく伝わって来ました(^-^) −黄金堤− 吉良サマが築いた堤防のおかげで、 黄金色に輝く稲穂が実るようになったとか。 「やぁ、やぁ♪」 こんな風に領地を廻られてた・・と思えばロマンですね。 桜の時季はキレイやろなぁ♪ 一緒に行った、三河出身のお姉さま 彼女の茶道はは宗偏流。 そう、吉良邸への討ち入りの日にちの決め手は 山田宗偏から漏れた「12月14日に吉良邸で茶会」の情報 「随分のちの世まで、吉良には宗偏流の支部がなかったのよ」言ってました。 真偽はともかく、リアル地元話って楽しいデス♪
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2014年04月24日
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