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私の人生の教科書(?)、遠藤周作「あまのじゃく人間へ」より 自分と意見の対立するもの、あるいは共同生活にそぐわないものを村八分にするというのは、 長い間の日本の農村組織のあり方だった。その習性は、農村に生活している人たちだけではなく、 都会生活者の我々の中にも残っている。 集団の中で異論を唱える奴というのは、極端なことをいうと敵とみなしてしまう。 別な意見をいう奴がいても、それを尊重するというルールを、小学生のときからやった方がいい という感じがしている。 自分達だけが正義で、別な意見の持ち主は認めようとしない。 自分達が都合のいいときだけ言論の自由を叫ぶ人ほど、言論の自由を冒涜している場合が多い。 やっぱり、意見をたたかわし、本質的なところでは、その問題を深く衝く姿勢がほしい。 その訓練が社会全般でできていないという感じがしたわけです。 以上は本からの書き出しですが、全く同感で、この本を読んだ当時から強く共感した部分です。 いくら自分が頑張っても、相手が逃げ腰になることが多いです。 議論になると感情的になることを避けるためでしょう。時間とエネルギーも消耗しますし、 ストレスにもなりますからね。 まあこれも一つの知恵だとは思います。 ただ、とことん話してわかってくることもあると思うのですよね。 いくら相手のことを理解したいと思っても、対話を拒まれてしまったらそれ以上は進めません。 文化や意識を変えることは時間がかかるし、難しいので、これからの子供を 相手の立場を尊重しながら自分の意見も上手く言えるように訓練をしないといけないですね。 そのためには大人が手本になる必要があると思います。
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遠藤周作さんは敬謙なクリスチャンですよね。
昔「沈黙」を読んで涙が止まらなかったことがあります。
いろいろな人がいるのですから、意見がいろいろあるのも当たり前ですが、確かに日本人は長いものには巻かれろ見たいな風習がありますよね。
違う意見を言って戦うより巻かれる方が楽だったのかもしれませんね。
これからの時代はだんだん正しいと思う自分の意見を堂々と、言える世の中にならなくてはいけませんね。
2008/1/18(金) 午前 10:11
遠藤周作は母親がクリスチャンだったため、幼い頃に洗礼を受け、クリスチャンになりました。色々な著書から伺えますが、仏教やユングにも関心があったようで、視野は広かったようです。
めいめいが好き勝手言っていてはまとまりませんが、どんな人の意見でも聞く、ということは苦手かもしれませんね。
権力者、大声の人の意見に扇動されやすいのも日本人の特徴かと思います。
違う考え方の人の意見を聞くことで視野が広がると思うのですが、受け入れるのには感情的葛藤がつきまとうのかもしれません。
時代も変わってきているので、徐々に意識は変わってくると思いますが、違う意見も尊重し、また自分の意見も言えるような雰囲気を作っていかないといけませんね。
2008/1/18(金) 午前 11:29
これを読んで、小泉前々首相を思い出しちゃいました!(^^ゞ
自分と考えを異にする人達に、刺客まで送り込んじゃったなんて、私として大嫌いなパターンですね。
未だに根強い人気があるのが、よく分からないです・・・。
2008/1/20(日) 午後 11:27 [ ちさと(*∂。∂*) ]
実は小泉さんのことも少し意識して書きました!(^^ゞ
通じて嬉しいです!
彼は日本人の国民性をよく理解していてそれを利用したのではないかと思っています。
違う意見の人や立場の人も尊重するというのがなかなか出来ないのが今の日本人なのかなぁ。。
邪魔なものは”ずばっ”と切り捨てたほうが楽は楽なのだけど、正義とか邪魔者とかは見方によって立場(または立場によって見方)が変わるし、大多数の意見が絶対に正しいわけでもなく、本当の民主主義とはどのようなものなのか、もう一度よ〜く考え直してみる必要があると思います。
それと国民一人一人がしっかり世の中を見て自分で考えてみることですねぇ。
2008/1/21(月) 午前 9:59
意見が異なる人を排除すると言うのは、日本が単一民族の国だからでしょうかね。民族、文化、宗教が異なる国では意見の相違は当たり前です。子供のいじめも「大勢の違う」事がいじめの原因になったりしますもんね。個性を認める、イコール他人の価値観を認める。
そして、議論も新たな価値観の発見と喜べる時代がくるといいですね。
2008/1/21(月) 午前 11:52
単一民族国家と多民族国家では前提が違いすぎるのでしょうかね。
日本人のこれまでの意識では同じで当たり前、みんな同じように出来なきゃ恥ずかしい、みたいな感じで努力もしてきましたからね。
同じ価値観の者同士が集まれば共感も協力もしやすいのでしょうが、それだけでは見えてこないもののあるように思います。
日本では親戚や親友以外と本質を突いた話をするのは難しいと感じます。
「みんな違ってみんないい」が本当の意味で当たり前になって欲しいと願います。
2008/1/22(火) 午前 10:01